Be... Cruel One 「幻(まぼろし)」 | ||||
作 XIRYNN
Missing Link.0 「狂(きょう)」
「そう……じゃあ、やっぱり……」 惣流キョウコは受話器を耳に当て、深々と溜息をついた。 信じ難くもあり、けれども殆ど確信していたそれが、やはり事実であったから。 声が震えていたのは、動揺していたからか。ただ、何によるものかははっきりと分からなかった。 或いは電話の向こう側の声が、どこか嬉しげに聞こえたからかも知れない。 とにかく彼女は何とか平静を装うと、幾分受話器を握り締める握力を強めた。 「それで、あの子はどうなるの……? 責任能力は、多分なかったでしょう?」 『……責任能力? あれには無いだろうな。無論、被害者の親は納得出来まいが』 「それは……」 『だったらお前、アスカがああなっても赦せるか?』 「……っ。貴方って人は……」 『ふん』 思わず声を荒げた彼女と対照的に、電話の向こうの男声は静かに、皮肉げに鼻を鳴らした。 それがまた癪に障る。 キョウコは刹那、このまま受話器を床に叩きつけてやろうかとさえ考えた。 ただ、そうしたところで相手の男はまるで何も感じはしないだろうし、却って楽しませることになるかも知れず、結局彼女は忌々しげに唇を噛むに止めた。 『まぁ、とりあえず今は病院だ。本当か狂言かは知らんが、事件の事は全く覚えてないそうだ。これからどうなるかは分からん』 「……そう」 相変らず、淡白な物言いだと感じた。 仮にも育ての親でありながら、どうして息子が事件を起こしたのをそうも無関心でいられるのか。 殆ど無関係に近いこの自分ですら、激しく混乱して何を言うべきかも分からないのに。 彼は淡々と、意味の無い符号を読み上げるようにそれを扱っていた。 どうせ彼が今考えていることと言ったら、如何にして己の体面を保つか、と言う程度なのだろう。 「私は……でも、まだ信じられないわ。いいえ、そうなるかも知れないことは、とっくに分かっていたの。でも……信じられない」 『……』 そう、分かってはいたのだ。 彼はとても不安定で、危険な状態だった。 本当は普通に学校に通わせるのですら出来ない筈だったのだ。 それを医師の警告を無視して、強引に私立の学校に押し込んでいたに過ぎない。 それが……こんなことになろうとは。 彼に友人のような、恋人のようなものが出来たと聞いた時、キョウコはとても喜んだのを覚えている。 もしかしたら変わってくれるかもしれない──そう言う、淡い期待を抱いたことも。 だから、少し行き過ぎとは知りつつも、その彼女のプロフィールを取り寄せたり、色々陰ながら応援したりした。 彼女の人となりを、人伝ながら知って、それなりに好意を抱いていた。 何よりも、彼らの幸せを願っていた……願っていた、筈だった。 けれど──。 「私は、間違っていたのかしらね」 『さあな』 「何も知らない彼女には、彼の心の傷は深すぎたのかも知らない。ふふ……私、何を期待していたのかしら」 傷付きすぎて、心を壊してしまった少年がいた。 本当はとても臆病な、純真な少女がいた。 とても優しい筈の二人は、惹かれあい、互いを癒しあった。 それだけなら良かったかも知れない。 でも。 彼は思ったよりも傷付きすぎていて。 彼女は思ったよりも純粋すぎた。 「だからダメになったのね。……そんなこと、知ってたはずなのに。結局私は──」 『感傷に浸るのはいいが』 何か懺悔めいた言葉を口にしようとしたキョウコを、電話の向こうの男が遮った。 その声は、腹立たしいほどに冷静だった。 彼女は喉まででかかった言葉を飲み込まされ、替わりにもう一度深い溜息を吐く。 『何を喚こうが事実は変わらん。あのガキは私の期待を裏切ったのだ』 『……貴方は……』 『あの小娘の行動も訳が分からんよ。二人でドラマでも演じた積りか?』 『……貴方はっ』 『何故たかがそれだけの事で死のうなどと考えるのか。私には理解できん』 『貴方に……出来ていたら……いいえ、そんな事はどうでもいいわね。……もう、切るわ』 かちゃんと、小さく味気ない音がする。 キョウコは返事を待たずに回線を閉じた。 これ以上は、彼の声を聞いていられなかったのだ。 下手をすれば、それは殺意に変わっていたかも知れないほどの憤りを抑えきれなかった。 いつも身勝手だった。何時だって自分の事しか考えていない──いや、考えられない男だった。 彼女の知る限り、彼は最低の男だった。 それでも彼は、彼の息子を愛していたと、そう信じていたのだ。 「だから……なんて、所詮は言い逃れね」 深い自嘲とともに、彼女はふっと笑った。 リビングの方へ眼を向ければ、テレビの中で今話題の猟奇事件がワイドショーを賑わせていた。 素人が知ったかぶって、思わせぶりなコメントをして、薄っぺらい憤りや同情をして。 一体彼らに何が分かると言うのか。 彼女にとってさえ、全く分かっていなかったというのに。 酷く不愉快な気分で、テレビのリモコンを探す。 その間にも、しつこいほどに繰り返し、同じイメージ映像と事件現場のシーンが放送される。 某県某市で、高校生の少年が同級生の少女を乱暴した。 少女はショックからか、彼女の通う学校の屋上から飛び降り自殺を図った。 加害者の少年はその後何を思ったのか、自殺した彼女の遺体に更に所持していたナイフで危害を加えたと言う。 見付かった遺体はまるで原形を止めず、無残なまでに損傷していたらしい。 その後、少年は自身も自殺を図るも、偶然通りかかった警備員によって病院に運ばれ、一命を取り留めた。 現在は彼から事情を聞いているが、彼の話はまるで要領を得ず、ある猟奇小説の一節に酷似した証言を続けている。 纏めると、それが事件のあらましだ。 様々な憶測が飛び交い、真実は誰にも見えていない。 恐らくは、本人にしか分からないことなのだろう。 「……ごめんなさい、シンジ君」 何故かは自分でもはっきりとは分からないまま、キョウコはリモコンを探すのを諦め、替わりに心から謝罪の言葉を吐いた。 |