Be...
Cruel One 「幻(まぼろし)」
作 XIRYNN

Missing Link.1 「家(いえ)」




 望んだものは何一つ与えられなかった。
 欲しくもなかったものだけは、幾らでも与えられた。
 何処かで見たような、そう言うチープな不満は常に彼とともにある。

 誰だってそうさ?
 シニカルに嗤いながら、彼を友人と呼んだ男が言う。
 でも、そんなことはとても信じられはしない。
 彼のように愛情で満たされた人間には、分かる筈などないのだ。

 何を拗ねているのよ?
 可愛らしく唇を尖らせながら、彼を恋人と呼んだ女が言う。
 でも、そんなことはとても信じられはしない。
 彼女のように愛情に溺れている人間には、分かる筈などないのだ。

 人間はどんどん薄情になっていると言った人がいる。
 でも、彼から見ればそんなものは嘘っぱちだった。
 この世界は嫌になるほど、自分以外のものには精一杯の愛を与えているのだ。


「だからお前は何が不満なんだ?」

「別に……叔父さんには感謝しています、本当に。でも、僕なんかがいたら迷惑ですから」


 彼は、感情の無い張り付いた能面のような笑みとともに答えた。
 家にいる時はいつも被っているペルソナだ。
 けれど、決してその眼が笑ってなどいないことは誰が見ても明白で、だから彼の叔父は小さく溜息を吐く。


「まぁ、いい。どうせお前とも今月限りだ。私の何が気に入らないのかは知らんがな」

「……多分逆です。叔父さんも、清々するでしょう? だったら良いじゃないですか、それで」

「ふん……誰に似たのかは知らんが、お前は本当に可愛げがないな」

「よく言われます。担任の先生には、救いようのないクズだって言われました。歩いているだけでよく絡まれたりしますしね。でも、死んだって誰も喜ばないから生きてるだけです」


 冷静な口調で手にしたカップから紅茶を一口。
 何を考えているのかは分からないが、忙しい筈の叔父が休みの日の午後には必ず付き合わせる恒例行事だ。
 金持ちの道楽と批判する訳でも無いが、彼はこれがあまり好きではなかった。

 いつも不機嫌な叔父が怖かったし、久し振りに戻ってきたこの家がやっぱり何も変わらず冷たいのもそうだ。
 結局はドライでマニュアル通りの生活がここにはあって、自分をそれに取り込もうとする風潮が嫌だった。


「……変わったな、お前」

「よく、分かりません」

「いや、変わったよ。前から捻くれたガキだったが、いまは最低だな。虫唾が走る」

「…………」


 本気で嫌そうに眉を顰める叔父の顔に、彼はそれでも小さく身震いをした。
 やっぱりここには居場所なんてなくて、そんなことはとっくの昔に分かっていたのに。

 叔父は彼を叱りはしない。
 どんなに悪いことをしても責めることはない。
 結局彼のことなどどうでもよくて、それどころか外聞を気にして社会的には過保護なほどに庇護した。

 でも、今回ばかりはさすがに弁護のしようがないから。


「まぁ、欲しいものがあったら言え。金で買えるものなら何とかしてやるよ」

「……ええ、そうします。ありがとうございます」


 彼はどこか遠くを見詰めて答えた。






 この贅沢な苦悩を、どう嗤えばいいだろう?

 一枚の紅い写真をポケットに無造作に突っ込んで、彼は立ち入り禁止のロープ越しに冷たい地面を見詰めていた。
 理由はよく分からないし、そもそも、自分が何をしたかったのかも分からない。
 けれども彼は、酷く穏やかではない気持ちのまま、訳も分からずに唇を噛み締めた。

 そこは今は誰も近づけない──そうしてはいけない聖域だった。
 だからここは学校と言う公共の場所にあっても、それでも閑散とし続ける暗黙の空白地帯である。
 時刻は昼を少し過ぎた辺りで、昼休みと重なる所為か余計に寂しく感じられた。

 彼はやっぱり不愉快なままで、ポケットから探り出した写真を一瞥すると、手持ち無沙汰になった右手を強く握り締める。


「何が……言いたいんだよ……」


 昨日、半分だけ血の繋がった妹から手紙が来た。
 殆ど狂喜に近い笑いが込み上げるのを押さえきれず、瘧に罹ったように打ち震えた。
 その中に呪いの言葉を期待する。
 自分を世界で最も憎んでくれるであろう人の手紙を、待ちきれないように彼は荒々しく封切った。

 そして同時に深く絶望する。

 そこにあったのは憎しみではなく。
 そんな生易しく、甘やかな希望などではなく。

 ただ近況を報告し、むしろ好意的な言葉でもって会いたいとだけ。


「僕を……殺してくれないの?」


 彼女ですらも、同じなのだろうか?
 この赦し難い自分を裁いてはくれないのか。
 彼女にはその資格があって、彼女にしかその資格はないのに。


「なら僕は何をすればいいんだよ……分からないよ」


 そう呟いてから彼はくつくつと笑う。
 だから自分はダメなのだ。
 そうやって流されることしか、受身でしか考えられないから人形なのに。

 そして今朝叔父から渡されたこの真っ赤な写真。
 それが血の痕であることは明白で、しかも問題は自分と見知らぬ少女がそこに写っていることだ。
 誰だか分からないというのに、酷く腹が立った。


「くそっ」


 多分腹立たしいのは、今が初夏で、しかも快晴だと言うことに違いない。