Be... Cruel One 「幻(まぼろし)」 | ||||
作 XIRYNN
Missing Link.2 「兄(あに)」
敢えて言えば憎んでいる。もっと言えば呪っている。 なのにどうしようもなく申し訳なくて、恐怖していた。 だからわたしは兄によく似たその男に汚されてみたいと思ったんだろう。 男は酷く残酷で、臆病で、でも優しくて。 そんな彼に犯されれば、きっと自分は不幸になれると思った。 自分が何時までも引き摺っているこの兄への奇妙な負い目も、消えてなくなると信じていた。 尤も、それは全部後になって気がついたことだ。 あの時は結局未遂に終ってしまって、義理の姉に頬を叩かれた後でそう思ったのだ。 自分が兄に対して、驚くほど複雑な感情を持っていたこともそのときに初めて知った。 だからわたしは可笑しくて仕方なくて狂ったように笑っていた。 『…レイプされてみたかったの…お母さんみたいに』 あの時はそう答えたけれど、本当はそれだけじゃないのを知っている。 それは確かに嘘ではなかったけれど、とても大切な言葉が欠落した虚言に過ぎない。 わたしは本当はこう答えるべきだったのだ。 『お兄ちゃんに抱かれてみたかったの…お母さんみたいに』 考えると、矢張り笑いが押さえきれない。 多分自分は、社会的道徳的には信じがたいことを考えているだろう。 でもこれは紛れもなく事実であったし、そう自覚すればするほど押さえきれなくなるのもまた事実だった。 会いたい。 ただそう思うに至ったのは、自然だと言えたか。 気がつけば兄への手紙を書いている自分がいた。 完成した文章を読み返す。 その内容はとても陳腐で、自分の文才のなさを少し呪う。 込み上げる感情はこんなにも激しいのに、具象化出来るのは文章でさえ淡々としているのだろうか、この自分は。 よく冷たいと言われる。 まるで人形のように心がなくて、気色が悪いと。 でも自分ではそう思ったことは無い。 何故なら自分よりももっと人形と呼ぶに相応しい者を二つも知っていたからだ。 それは母であり、兄である。 あの人たちは、自分から動くことなんて出来はしない。 だから同時にわたしは理解せざるを得なかった。 こんな手紙ではあの人は来ないに違いないと。 会いたい、ではなく、来い。 そう書くべきだったのだ。 けれども、問題はそう言うことではない。それが問題だ。 今重要なのは、この手紙を書いた自分の気持ちであって、兄を呼び寄せることではないのだ。 この手紙の内容を直してしまっては意味がない。 ならばそれはそれでいい。 兄が来なくても、この手紙を読めば苦しむだろう。 例え今あの人が満たされた生活をしていたとしても、ここにあの人の罪が生きていることを思い出すだろう。 忘れて貰えるなんて、そんな優しい結末はいらない。 あの人を縛り続ける自分は、あの人の手によって解決されなければならない。 抱かれるか、殺されるか。 いまのわたしには選択肢は二つしかない。 せめてあの人には期待と恐怖を。 この手紙によって、わたしに許されるかもしれないと思えばいい。 これはわたしへの復讐だ。 「ねぇ、狂って。そしてわたしを汚して」 知らず、舌なめずりしていたのはどうしてだろうか。 狂気は案外に身近すぎて、無機的で冷徹なのだと思った。 わたしは狂えないことを知っている。 つまりはそれが生温い狂気なのだ。 けれど。 「…どうして…なの…」 彼女の初めての口付けは、生々しくて血の味がした。 夏の日差しの中で蒸し暑く、爽やかとは縁遠い。 湿度のお陰で潤ってはいたから、唇を切らなかったのが幸いか。 ショックはまったくと言って良いほどにない。 いや、別の意味で衝撃を受けていたのは事実だ。 それは彼女のシナリオの範疇には無い事故であって、柔らかすぎたことが問題なのだ。 彼女はそっと自らの唇に手を触れる。 違和感を感じた。 まるである筈の無いものがそこにあったように。 白昼夢を疑ってみたけれど、そうではない。 感触は消えない。洗っても落ちない。事実は変わらない。 何かが違う。こんな筈じゃない。 噛み合わない歯車は少しずつ軋み、ひびが入って音を立てて壊れ始める。 それは恐怖であったし、怒りでもあった。 「あれは一体誰?」 けれど、考えた所で答えなど出るはずもなく。 結局彼女は最も確実で、最も不確かな方法を選ぶことにした。 義理の母親ならば全てを知っているだろう。 訊いた所で、嘘を吐かれる可能性はとても高かったけれど。 |