Be...
Cruel One 「幻(まぼろし)」
作 XIRYNN

Missing Link.3 「獣(けもの)」




 男女の交わりが特別な儀式だったのは、それを知らなかった少女の幻想の中でのみだ。
 誰もがそう冷めているのかどうかは分からなかったけれど、少なくとも自分にとってはそれが真理だ。
 期待していたほどには尊くもなく、怖れていたほどには卑しくもない。
 アタシは今日も彼に組み敷かれ、遠慮もなく体液を交し合う。

 そこに愛などという形のないものがあるのかは分からない。
 それでもアタシは彼を愛しているのだ。
 この気持ちをそれ以外の言葉で表せそうにはないから。
 そうでなければ同情になってしまう。可哀想な彼を慰めて、そして私は悲劇のヒロインになる。
 それだけは嫌だったから、アタシは彼を愛している。

 慣れてくればとても気持ちのいいことだった。
 精神的にも、肉体的にも。それを否定しようとしなければ。
 だけどそれが余計に性質が悪いのだと思う。
 神様だか悪魔だかは知らないけど、そんなもので男と女を縛りつけた存在を少し恨んでみた。

 逃れられないから不安になる、心地いいから恐ろしくなる。
 人間というのは、何にでも妙な理屈を捏ねる生き物だって実感する。

 でも結局、いつの間にか訳が分からなくなっている。
 抱かれるたびに自分の気持ちの確かさが失われていって、快楽の中に溶けて霞んで行くようにも感じられる。
 愛なんて何処にあるのだろうと思った。

 アタシが彼を愛していること。
 それだけを信じたいのに、アタシを好きだと言ってもくれない彼の身体に満足している。
 それがどうしようもなく卑怯な事に思えた。

 獣だ。

 そう言って笑うのは、アタシの中の本能か。それとも理性か。
 それだけが重要だ。






 彼女たちを抱く度に吐き気がした。
 多分、処女を捨てたいが為に僕を利用した高校一年生のときの同級生を犯したときよりも。
 彼女は自分が男にとって充分魅力的であることを知っていて、欲望にぎらついた彼らの視線が大好きなサディストだった。
 僕の首に腕を絡めて、僕が覆い被さるまでを楽しそうに見ていた。


 『優しくして…初めてなの』


 そう聞いた瞬間に爆発した僕の激情を、彼女は自分に都合よく解釈したに違いない。
 自分を押さえきれないほどに暴走したことには間違いはないけど、彼女が思うそれとは絶対に違う。
 何故ならば僕は彼女に一欠けらのいじらしさも愛情も感じなかったし、兎に角好意的な解釈はそのときに全くゼロに近づいてしまっていたのだから。

 どちらかと言えば烈しい憎悪だ。
 もしあの時、セックスという代償行為がなかったら僕は彼女を殺していたかも知れない。

 女はどうしてそうなのだと、そう考えた。
 優しくして欲しかったのは僕の方なのに。
 誘われたのは僕だ。なのに僕に責任をとれと言うのか。
 僕に優しくすることを強要すると言うのか。

 利用されていても尚、僕が君を労わって上げられるとでも思っているのか。
 それが女の特権だと言うのか。


 『君は…僕の母さんに似ているね』


 行為の後、僕の最大限の侮蔑に、彼女は満足そうに笑った。
 男は須くマザーコンプレックスであると信じているらしい。

 あぁ、それは間違いはないよ。
 だって僕は母さんみたいな人が一番好きで、一番側にいて安心できたから。
 分かりやすくて。

 僕の怖かったのは僕を愛してくれる人だ。
 その意味では、確かに僕は君の事を好きになっていたのかも知れない。

 君は確かに与えてくれた。
 反吐が出そうなほど不愉快な安らぎを。






 好き合っていても、どうしてこんなに苦しかったのかな。
 好き合っていたから、苦しかったのかな。

 わたしは知ってる筈だった。あなたにとって、抱き合うことがとても不純な行為だって言うこと。
 愛が無くても、見も知らない同士でも、それが気持ちいい行為だということを知り過ぎていたから。

 一度だけだけど、あなたはわたしを好きだと言ってくれた。
 でも抱き締めてくれなかった。
 どうしてと訊いたわたしに、「怖いから」とあなたは答えた。
 その時は振られたんだと思った。でも違った。
 自惚れかも知れないけれど、あなたがわたしに笑いかけてくれるようになったから。
 いつもわたしの側にいてくれるようになったから。

 異変に気が付いたのは何時からかな。
 段々あなたが二人いるような気がしてきて──ううん、きっと本当に分裂してしまったんだと思う。

 わたしに優しい、自分を『僕』と呼ぶあなた。
 わたしを罵倒する、自分を『俺』と呼ぶあなた。

 最初は些細な違和感。
 でも次第に二人のあなたはずれていって、最期には本当に別人みたいになっていった。
 優しいあなた。冷たいあなた。二重人格って言うのかな?
 でも不思議とそれを気持ち悪いとか、怖いとか思わなかった。
 だってどちらのあなたも、私の大好きなあなただったから。
 あなたの中に元から合った極端な部分が、別れ別れになったって言うことだと思う。
 だからあなたが好き。あなたの全てが好き。

 でも、あなたは日に日にやつれて行くようだった。
 クラスメートも、先生でさえもあなたと目を合わせないようにしていたし、わたしにも何度か忠告をしてくるようになった。
 勿論、そんなものに耳を傾けたりはしなかったけれどね。

 そうしたら、何時しかわたしも孤立していた。
 でも、それでもいいって思った。あなたに優しくない世界なんて、わたしの世界じゃない。
 だからいいんだ。

 この時にはもう、わたしはあなたしか見えなくなっていたと思う。
 ううん、あなたすら見えなくなっていたんだね。
 あなたがどんなに苦しんでいて、どんなに辛かったのかも分かってあげられなかったんだから。

 そしてあの日。
 あなたがわたしを抱いてくれた日。
 犯した日、と言った方が正確だけど。
 あなたの言葉は、たった一度の「好き」じゃなくて、「大嫌い」だった。
 わたしに優しい『僕』じゃなくて『俺』によってわたしは強引に抱かれた。

 大好きなあなただから。
 欲望のはけ口になるのだとしてもそれでよかった。
 でもね。違うんだよね。
 苦しめていたのはわたしなんだよね。

 ねぇ、あなたが何を抱えているのかは分からないけど。
 こんな馬鹿で身勝手なわたしは、あなたには邪魔なだけだったんだ。

 だからさようなら。
 わたしの事は、もう忘れて。






 あなたが好き。あなたが好き。大好きです。
























 だけど未練がましくあなたに遺言を告げた。

 あぁ、結局わたしは、あなたの中で生き続けたい、そう思っただけのずるい女だ。