ないとめあ

作 XIRYNN

第零話:姫




 この紅い紅い絶望の世界を、希望だとか安らぎだとか進化だとか、そんな風に呼んでいた人たちはもういない。
 一つになりたいと願っていたのは飽くまでもバラバラの出来そこないであって、完璧になった人が安らぎを感じているのかどうかは分かるはずもない。

 根本的な問題として、幸せの定義なんて出来る筈が無いということを忘れていはいけない。
 人以外の使徒が幸せだったかと考えてみれば、とてもそうは思えないのだ。

 もっと捻くれたことを言えば、生物の感情など所詮化学物質と電気信号の伝達だ。
 脳味噌にプラグを差し込んで色々刺激してやれば、自らの脳内覚醒物質で幸せ気分にはなれるだろう。
 しかし、望んでそれを得ようとする人も殆どいるまい。仮に副作用が無かったとしても。

 まぁ、そんなことは今更どうでもいい。
 とにかくこの世界は終った。
 いや、厳密に言うと終ろうとしていた。

 現在の総人口は若干一名。
 その人物には充分な余命と健常な生殖能力はあったが、如何せん男性体単体ではどうしようもない。
 つい先程まではその隣りに同じような女性体が存在していたのであるが、今はもう息をしていない。
 だから世界は滅びるしかない。人類の存亡と言う観点での話だが。

 彼が──碇シンジがこのまま死んでしまっても、世界はそれでも在り続けるのかも知れない。
 ただ、変化もない静寂を持って存続と言うべきかは甚だ疑問ではあった。
 まぁ、そうなるのも時間の問題だろう。シンジにはもう生きる意思など欠片だって無いのだから。

 生きていたって仕方が無い。
 そんないじけた考えだけが彼の頭の中にある。だが、それはそれで仕方の無いことだし、多分事実だ。
 彼がこうして独りきりで、膝を抱えて蹲ることになった経緯は残酷すぎて、語るに忍びないほどであるし。

 恐らくはこのまま彼が死に絶えてしまって、人類の歴史はあっさりと幕を閉じるのだ。
 この先に如何なる生命体が世界を支配するのかは分からないが。
 どちらにしてもこの世界に残る人類の遺骸は彼とその隣りの彼女だけであろうから、後世の知的生命体たちは大いに騒ぐに違いない。

 彼らが過去の遺物になった後、発掘者たちはこの奇妙な遺骸を何と考えるだろう。
 たった二匹の謎の生命体はもしかしたら神様と呼ばれる日が来るのかも知れない。
 それは余りにも正しすぎて、哀しいくらいに可笑しかったけれど。

 世界はゆっくりと幕を閉じていく。
 昼も夜も無い、暗闇の中で。

 多分、最悪なまでの悲劇の幕を──


「おやおや…これは…」


 ──否。
 まだまだ世界は終局を迎えることは無いようだ。


「え?」


 吃驚して顔を上げたシンジの視線の先には、とてもではないが信じられない光景が広がっていた。
 とは言え、それその物がとんでもなかった訳ではない。むしろその逆だ。
 この異常な世界において、それは余りにも場違いだったに過ぎない。

 ダークスーツ姿の、青年の人影はこの場に似つかわしくは無い。


「全く、派手にやったものです。尻拭いをする身にもなってくださいよ」


 青年はシンジの驚愕の眼差しを完全に無視しつつ、こめかみを指で抑えながら深々と溜息を吐いた。
 わざわざ『ふぅ』などと声に出してする辺りが、妙にうそ臭くて嫌らしかったのだが。


「人間は嫌いですが、滅ぼすとそれはそれで困ります。何事にもバランスがあるとお教えしたはずでしょう?」

「え、と。あの…」

「何です?さすがに今回は言い訳は聞けませんよ、姫」

「は?」

「は? ではありません。大体、水魔の姫ともあろう方がよりにもよって人間の、しかも男に化けるなど──聞いているのですか? 由良様」


 訳が分からなかった。

 困惑するシンジの様子をまるで気にする風もなく、青年は正気とは思えないようなセリフを矢継ぎ早に繰り出してくる。
 反論を許さない、その口煩い口調はまるで何処かのお姫様の教育係のようだ。
 いや、本人の言葉を参照するに、恐らく彼はその積りで言っているのだろうが…しかし、心当たりがまるで無い。

 そもそも、自分は男のはずだし、人間のはずだ。
 後者に関しては若干自信喪失気味ではあるのだが、前者についてはまだまだ絶対の自信がある。
 確信を込めて言おう。自分は姫などではない、と。


「はぁ?」

「ですから……いい加減にして下さいといっています。怒りますよ?」

「え……あの、僕は……ですね。男で……」

「……そう言う設定だったみたいですが」

「え……あの」


 まるで話が通じていなかった。
 シンジは困惑して、制服の胸元に視線を落とした。

 一体彼は何を言ってるんだろう?
 自分のどこが女だというのか。それは、確かに女っぽい顔かも知れないけど、大体由羅って誰なのだ?
 全く人違いも甚だしい。
 自分とそっくりだったとでも言うのだろうか。

 だとしたら、どこがどう似ているのか。
 何となく不愉快だ。
 何だか大切なものを取られたような気がするから。

 この長い黒髪も、雪のような滑らかな肌も、細く柔らかい肢体も、これからが期待されるまだ慎ましやかな双丘も──






「──え゙?」






 もう一度、自分の体を見てみた。






「う、嘘だろ……そんな……」

「何が嘘なのです? 誤魔化されませんよ?」

「お、女ぁぁぁぁぁぁ!???」

「……何を当たり前な事を」


(に、逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ)

 そもそも、一体何から逃げればいいのかも分からなかったし。
 現実から? そうかも。
 まぁ、どちらにせよ手後れっぽかったが。

 よく考えれば、元から高かった声は完全に少女のものに変わっていたし、服装でさえ見慣れない和装に変わっていた。
 勿論女物。

 パニック状態で身体を弄ってみる。
 柔らかい──じゃ、なくて。


「あ、あぅあぅあぅあぅ」

「……はぁ。何を遊んでるんですか。……もう、帰りますよ。沙羅様もご立腹でしたからね」

「あぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅ」

「…………あくまで誤魔化される積りですか」

「あぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅ」

「反省の色もないご様子。いいでしょう……最低百年は絞っていただきましょう」


 何か言っているが、シンジはそれどころではなかった。
 まぁ、いきなり少女の体にされた少年が、落ち着けるというのがおかしいのだが。
 大体、青年の言っていること自体、何やら不穏当な響きが混じっている気もするし。


「さぁ! 無理矢理にでも連れて行きますよ、由羅様!!」


 痺れを切らしたのか、青年がシンジ(らしき少女)を掴みあげ、とん、と軽く跳躍してみせる。
 10メートルほどの高さに到達すると、いきなり発光しはじめた。やはり普通じゃない。


「あぅあぅあぅあ……?」



 ふと、ここで漸くシンジが周りの状況に気がついた。
 よく分からないが、何時の間にか青年につかまれて上空に浮かんでいた。
 激しく謎の発光現象まで起こしているし。
 謎というより不気味だった。


「へ?」

「では、帰りますよ、由羅様」


 刹那。
 シンジ込みで、青年の姿が消えた。
 跡形もなく。






 こうして人類は滅亡の時を迎えた。
 残された人の証は、EVAと、不気味な人の顔と、紅いプラグスーツの少女の遺骸と。
 吹くはずもない風が吹いて。

 シンジが立ち去った後に、何故か咲いていた一輪の名も無き花が揺れた。



続くんでしょうか?(笑)



[INDEX][NEXT]

後書き by XIRYNN

意味不明。(笑)