自動人形
第一章パートA 嘘
作 XIRYNN 「暇だな」 「はい」 「日付を間違えたな」 「はい」 「一週間…長かったな」 「はい」 「オモイカネの調整はもう済んだのか?」 「はい」 「しかし…妙な連中ばかりだな」 「はい」 「今日か?艦長が到着するのは」 「はい」 「ルリ…お前、真面目に聞いてないだろ?」 「はい」 「…………」 「はい」 「……はぁ…もういい」 一週間だ。 アキトはそんな事実にウンザリしながらブリッジでぼんやりと時を過ごしていた。 短いようでいて、長い。 別にすることが全くなかった訳でも無いが、一応不法侵入者でもあるので目立ったことはしないようにしている。 設備も最小限のものしか使えない。趣味の料理も却下…その前に彼の興味を満たすほどの材料が無い。 暇だ。 金が無い訳ではないから買い物にでも行けばいいのだろうが、初日に誘拐魔と勘違いされて通報されてからそれも面倒になった。 取り合えず今はルリにお使いして貰って食い繋いでいる状況だ。 そうなると必然的に買える物の選択肢も限られてくるし、余り大量に荷物を持たせると言うのにも気が引ける。 それ以前に、だ。 (微妙に…情けないぞ) オンラインで何でも手に入る世の中とは言え、物資の輸送までは電子の世界では不可能だ。 現物は誰かが運んでくれなければならない。 一応秘密裏に建造されたはずのこの戦艦に出前と言う訳にも行かず、この状況に甘んじている訳だが…。 いい年をした男がこんな年端も行かない少女に頼るなど、何だかヒモにでもなった気分だ。 それも、傍目から見れば『怪しいロリコン趣味の変態』なのだから救い様が無い。 無論本人にその積りはないが、世間がそんな言い訳を聞き入れるとは思えない。 今の彼の状況を見れば恐らく誰もが軽蔑の眼差しを向けるだろう。 と言うか実際そう言う理由で通報されたのだ。 (世の中侭ならないもんだな…) 「……ふぅ」 思わず溜息など吐いた。 本来は一週間後にこちらでプロスペクターと合流し、改めてIDカードを受け取る手筈だったのであるが、日程を勘違いしたままこちらに来てしまっていたりする。 つまり…一週間は何も出来ない。 クルーが乗り込む以前に最終調整を行なう名目でやって来たのだから、当然艦内には誰もいない。 よって、彼らには合法的に艦に乗り込む手段は無かったのである。 そこで。 アキト達は最終手段に出た。 システムの強制起動ならびに掌握。有体に言えば、乗っ取りである。 艦そのものの物理的システムや、この艦のメインオペレーティングシステム『オモイカネ』には、アキトが技術提供した部分も多分にあったため作業自体は困難ではない。 その上、その手のオペレーティングには世界でも有数の実力を持つであろうルリがその場に居るのだからむしろ楽勝だったとも言えるだろう。 (どっちにしろ、スーパーバイザリキーが無いから大したことも出来ないんだがな) ちなみにここで言うスーパーバイザリキーは艦長とネルガル会長の持つマスターキーとは異なる。 このキーは艦そのもののメンテナンスを行なう際に、最上位のアクセス権限を持つ管理者専用パスコードのようなものだ。 運用ではなく管理──即ちこれがあればシステムの書き換えですら可能と言うことになる。 本来はアキトが管理すべき物であったが、ネルガルとの契約書と一緒にプロスペクターから直截手渡されることになっていた為今はどうしようもない。 とにかくこれが無ければシステムは『オモイカネ』も含め、完全には起動できないのである。 基本的な機能は一通り使えるものの、『オモイカネ』型AIの最大の特徴である『自己進化/成長機能』が全く動かせないのだから困ったものだ。 順調に慣らせばあたかも人間の如く対応してくれるはずのインターフェイスも使用不能。 おかげでOSの『裁量』で使えるはずだった幾つかの機能もマニュアル通りロックされてしまっていた。 まぁ、別にハッキングして無理矢理使ってしまうと言う手も有るにはあったが…その所為で『オモイカネ』の性格が歪んでしまっては元も子もない。 そう言う訳で、仕方なく、結局こうしてぼんやりと待ち惚けを食っているのだ。 待っている間に新しいゲームソフトのシステムを一本開発して会社の方へ送り付けた。 売上については、出だしはそこそこ好調らしい。 ただ、システムがあまりに巧妙な為、またソースの公開を迫られているらしいが。 アキトはこうして日々の小遣い稼ぎもしている。 単なる趣味だったのだが、天才的な頭脳を持つ彼のこと、いつの間にかネルガルと専属契約するソフトウェア会社が立ち上がってしまった。 エステバリスや各種の高度なオペレーティングシステムが必要なハードウェアには大概がこの会社のソフトが採用されている。 元はネルガルの下請け会社程度の感覚で興したのが始まりだ。 兵器関連の重工部門で独占が進むネルガルから、ソフトウェア部門を体よく切り離したとの説も実しやかに囁かれてはいるが。 それにしてもこのご時世、やはりハードよりソフトのほうが当たると大きい。 最初は超零細だった企業も一年で株価が鬼のように跳ね上がり、今では世界でも有数のソフトウェア会社の仲間入りをしてしまった。 いい加減経営も人任せだけではいられなかったアキトが正式にそちらの会長職についた為、現在彼の立場は厳密にはネルガル重工正社員ではなく、コンピュータソフトウェア会社『エルヴン・アイズ』からの出向社員と言うことになっている。 つまり、プロスペクターがアキトに契約書と一緒にIDをを手渡すまでは、彼は一応この件に関しては部外者扱いになるのである。 ホントに一応、だが。 ちなみにこの『エルヴン・アイズ』──その株式の大半はアカツキが独占的に所持している。 そろそろ独禁法で訴えられるかも知れないという本末転倒かつ微妙な状態なのだが…。 この間も週刊誌でアカツキとの『密会』が叩かれた。 単に喫茶店で茶を飲んでいただけなのに。 曰く。『ネルガル重工とエルヴン・アイズソフトは明らかに癒着しており、事実上のコンツェルンを形成している』そうだ。 …いや、実際そうなのだが。 血の束縛は無いが、半ば財閥と言ってもいいだろう。 EES(エルヴン・アイズソフト)の会長が挿げ替えられるのは時間の問題のようだ。 (そうなったらそうなったで別にいいんだがな) まぁ、元々が趣味。 会社分割処分などの制裁があったとしても、取り合えず彼が困ったことにはなるまい。 社員たちはこの限りではないのだろうが。 実際、このブランドが市場で圧倒的にシェアを誇る理由は奇抜なアイデアや積極的なコマーシャルなどではなく、人知を超えていると言っていいほどのプログラム的価値の高さであった。 世の数学者や物理学者が唸るような計算理論をさも当然の如く駆使したアルゴリズムの数々は、それだけでとんでもない価値がある。 …つまり。 ぶっちゃけた話、このブランドでないと手に入らない類のソフトも存在する訳だ。 時空間歪曲場のシミュレーションソフトとか。 無論、これを使用するハードウェア側にも相応の演算能力と記憶容量を要求される訳だが。 既にソースの公開がどうと言う次元を超えているとの説もある。 何せ、理論自体を理解できるものが地球全体で両手の指に足らないと言われているほどなのだから。 EES内部にも理解してシステムを運用しているものは二人だけだ。 創設者にして開発総責任者のテンカワアキトと、その助手にしてネルガルからの出向社員のホシノルリである。 ちなみに本人たちはその凄さをよく理解していなかったりする。 実際幾つもの権威ある賞を受賞していたが、その全ての授賞式をすっぽかし続けている伝説の二人であった。 その評価は大きく二種類に分かれている。 もっとも、大部分は悪意的に捉えているようだが。 ライバル企業──クリムゾングループ等が執拗にソースの公開を迫るのは、単に嫌がらせとも言われている。 おかげで企業イメージはダウンしたのだが、近頃思わぬところから巻き返しに成功していた。 それは…ゲームソフト。 それも本来はアキトの暇つぶしの副産物だったりするのだが、意外にもこれがヒット。 今ではゲームメーカーとしての知名度もかなりのものとなっているのだ。 これに眼を付けたアカツキがゲーム機ハードウェア開発に着手しようとしているとか何とか…飽くまで噂だが。 まぁ、そんなことはどうでもいい。 今重要なこと…それはどうやってこの暇を潰すかだ。 アキトは深い深い溜息をついた。 それから幾日…。 ようやくプロスペクターが到着する。
第一章パートA 刃
戦艦と言うには…雰囲気が余りにも和やか過ぎないだろうか? いくら民間所有艦とは言え、何とも緊張感に欠ける光景だった。 規律などあって無きが如し…まぁ、ちゃっかり制服じゃなく自前の怪しい黒づくめを纏っているアキトが言うべき言葉ではないのだが。 (しかし…キノコは解せん) ルリとオモイカネの最終調整も順調に終了し、艦内の環境も大分落ち着いた所で、主要なメンバーがブリッジに集められていた。 今日の午前中には到着するはずだった正副艦長はいまだ来ていないらしく、全員集合と言う訳には行かなかったが。 …ま、それはいい。 取り合えずさっきから喚きつづけている謎のキノコが目障りだ。 別に騒ぐような内容じゃないにも拘わらず、意味なくオカマ言葉で意味なく大音声で喋るのだから鬱陶しいことこの上ない。 隣りのルリの方をちらりと見遣ると彼女も僅かに不快に表情を歪ませていた。 あからさまなアキトとは違って、こちらは彼女をよく知るものにしか分からない程度であったが。 どちらにせよ、彼女が疎ましく思うのだから相当なのだ。 ある意味自慢していいだろう。 (全く…どこで栽培してるんだか) そのキノコ──人間名をムネタケ何某と言ったか?まぁ、キノコに名前など要るまい。──であるが、何と驚いたことにこれでも将官であり、ナデシコの副提督でもある。 彼はネルガルのスカウトではなく、軍から直接に派遣されて来ていたいわゆるお目付け役である。 わざわざこんなものを送り付けて来るとは、全く軍が何を考えているのかは謎だ。 密かに厄介払いではないか…アキトは思わず考えてしまった。 あながち、間違いでも無さそうだが。 「──さて、次はテンカワアキト氏です」 「ん?」 ぼんやりと考え事をしていたところ、唐突に意識が覚醒させられる。 見れば目の前にはにこやかな笑みを浮かべるプロスペクター──通称プロスがこちらに右手のひらを向けて佇んでおり、その向こうにはまるでクラスに転校生を迎える中高生のように興味津々と言った風情で自分を注目するクルーの姿があった。 アキトはそのノリに思わず一歩、引く。 知らず、冷汗が垂れた。 「アキトさん、順番ですよ」 隣りからルリの声が掛けられる。 そう言えば今はクルーの初顔合わせと言うことで、『自己紹介』が行なわれている最中だったような気がする。 まさか本当に『自己紹介』をやるとは思っていなかったのだが。 そんなもの、必要な分だけ各自でデータを参照すればいいだろうに…。 「ふぅ…」 いきなり疲労が溜まってきた。 プロスの『取り合えず人間で腕が一流なら性格に問題があっても即採用』とか言う基本方針…別にそれ自体に難癖をつける積りはないが。 何も敢えて性格に問題ありそうな人員だけを選び抜く必要はあるまいと思ってしまう。 …腕が一流で性格に問題の無い求職者がそれほどいるとも思えないが。 「…あぁ、テンカワアキトだ。ナデシコにはコック兼技術顧問として搭乗している。いつも誤解される為最初に言っておくが、オレの本業はあくまでコックだ。得意料理はチキンライスとラーメンだがな」 ふっと、不気味な笑みを一つ。 『おおおおおおおおおぉ』 なぜか歓声が上がるブリッジ。 どのような意味でかは量りかねるが。 …恐らく凄まじく深遠で複雑な意味だろう。 (…妙な連中だ) 心中で呟くアキト。 本人も充分に怪しいと言うことは自覚していないらしい。 ルリはそんな彼の後姿を見遣って思わず溜息をついた。 (アキトさん…むしろ貴方こそ『腕は一流でも性格に問題あり』を地で行っています) そっと、これ以上なく的確で手厳しい一言を内心で呟いてみる。 敢えて口に出すことはしないが。 しかし、何時になったら自覚してくれるのだろう。 何度も言うように、その格好でコックは怪しすぎる…。 せめてバイザー位は外して欲しい。 そう思ってみたことろで無駄なのはこれまでの経験で嫌というほど思い知らされていたが。 「アキトさんにはナデシコ食堂のスタッフとして、また艦載の機動兵器エステバリスのソフトウェアサポータとしてお世話になります」 プロスが簡潔に補足する。 本当はそれだけでなく、アキトには様々な仕事があったのだが取り合えず省略したようだ。 しかし、その説明だけでは凄まじく不審人物だったりするのにも拘わらず誰も気にしていない。 …基本的にクルーもそう言った情報は欲しがっていないようだし。 アキトの怪しさにさほど気圧された様子も無く、もっとプライベートな部分…趣味やら女性のタイプやらを聞いてくる。 「趣味?…料理とゲームかな。料理は作るのも食うのも、ゲームも作るのもするのも。ちなみにロリコンじゃないぞ。そこ、妙な目でオレとルリを見比べるな」 ルリは律儀に答えるアキトに少々呆れながら、何故か顔を赤くしながら小さく溜息をついた。 (馬鹿ばっか…わたしも) 「それでは次、ホシノルリさん」 「え?…あ、ホシノルリです。ナデシコではオペレータをさせて頂くことになってます」 再びどよめきが起きる。 今度は主に男性クルーのものが主だろうか。 ルリは人知れず溜息をついた。 (この人たち…何か勘違いしてませんか?) 確かここは戦艦だったはずだ。 軍属で無いにしろ、戦艦と言えば戦闘行為を前提に建造されたのであり、そのオペレータと言えば少なくともこんな風に騒がれる対象ではないはず…。 ちらりとアキトのほうを見遣ると、何故か彼は満足そうに頷いていた。 ルリが騒がれるのが嬉しかったらしい。 (…アキトさんまで。大丈夫なんでしょうか、この船) まぁ、それはともかく。 この状態は好ましくない。 あまり人前に出ることの無かった彼女には、こう言うときにどう反応してよいか分からなかった。 彼女は相変わらず無表情で佇んでいる。 そんな状態が暫く。 漸くどよめきが落ち着いた頃合を見計らってか、一人のハイティーンの女性がわざわざ手を上げて質問をしてきた。 「え〜と、テンカワさんとホシノさん…はどう言ったご関係なんですか?」 「…微妙な質問だな」 どちらかと言えばより微妙なのは答えの方であったが。 アキトはそちらの方を見向きもせずに答えた。 「まぁ、既存の言葉では言い表し難いだろう…それはともかく、君は?」 「え?あ…はい、私、メグミです。メグミ=レイナード」 「なるほど…宜しく」 「は…はぁ、宜しく」 アキトの余りと言えば余りな反応に思わず戸惑いながら取り合えず挨拶を返す。 結局質問に答えてないような気がするが、それ以上聞ける雰囲気ではない。 「え〜と…宜しくね、ルリちゃん──で、いいのかな?」 「別に構いませんよ。宜しくお願いします」 こちらもやはり無表情なまま、ツインテールにした長い髪を揺らし、ちょこんとお辞儀をする。 唯一の救いは、アキトと違ってそんな様子も愛嬌に見えなくも無かったことだろうか。 メグミは内心胸を撫で下ろしながら軽く右手を差し出した。 ルリもそれをそっと握り返すと握手を交わす。 「何故オレには握手してくれないんだ?」 その様を横目で眺めながら、アキトがそっと呟いた。 「…本気で言ってますか、アキトさん?」 「いや、そうでも無いぞ」 「はぁ」 アキトは何故か嬉しそうに笑みを浮かべている。 ルリはもう一度だけ溜息をついて、ブリッジの方へ眼を向けた。 相変わらずメグミはどうしていいのか分からないといった表情で二人を見比べている。 ルリはそれを取り合えず見なかったことにして、視線だけをずらして隣りの操舵席の様子を窺ってみた。 …大人の女性が一人。 どこか気だるげな、と言うより、殆どやる気無さそうに欠伸を掻いている。 この人物もナデシコの制服を着てはいたが、何やら改造でもしたか、他の人とは若干デザインが変わってしまっていた。 胸元を大きく開けて、スカートにはスリットが入っている。 名前を確か──ハルカミナトと言ったか。 ブリッジ要員では最初に到着した為、ある程度の面識は既にあった。 世話好きなのか、ルリに対して何かと世話を焼きたがる。 ルリのことをルリルリと呼び始めたのも彼女だ。 訂正するのも面倒なので放置していたら、いつの間にか広まってしまったのを今では後悔している。 「ん?なぁに、ルリルリ?」 「いえ」 「そう?ま、いいけど。それにしてもさぁ、艦長ってまだ来てないの?確か午前中までに搭乗予定だったと思うけど?」 「はい。その予定でしたね。…遅刻でしょうか」 艦長が遅刻…。 冗談としか思えないようなこの事態も、何故だか簡単に納得できてしまう。 瑠璃は心の中で軽く頭を振りながら、半ば溜息交じりに答えた。 「取り合えず、待つしか有りませんね。マスターキーが無いと動きませんから」 「ふぅ〜ん…ところでさ、艦長ってどんな人なの?」 「あ、わたしも興味あります」 メグミが横合いから割り込んできた。 ルリは少し戸惑いながらも、表面上は何事も無くオモイカネにアクセスする。 「オモイカネ、艦長のデータを」 『はい、ルリ』 「では、少々お待ちください」 (変な人たち…) 瞬きを一つ。 分からないことばかりだ。 待っていればそのうち来ると言うのに、何故そんなに他人のことを知りたがるのだろう? 他人…他人に興味なんて持っても…。 (…いえ、違いますね) ルリは心中で呟きを洩らしていた。 何故そう思ったのかは分からなかったけれど。 いや、本当は分かっている。分かっているけど、言葉にはし難い。 ルリはそっと溜息をつく。 (はぁ…人間って大変…あ) 同時にルリの眼前にウインドウが展開した。 艦長の個人情報が表示されている。 『出ました、ルリ。一部のデータはプロテクトが掛けられている為許可なく表示出来ませんが』 「プロテクト?…まぁ構いません、それだけで。有難う、オモイカネ」 ブリッジ要員に見られないようなデータと言うのは気になるが、ルリはこの際無視することにする。 どの道二人の知りたいであろうのは、そう言う機密情報ではないはずだし。 ルリは二人に見やすい位置にウインドウを展開し直した。 それから静かに向き直る。 「こちらです。ミスマルユリカ。二十歳の女性です。軍の学校では戦略シュミレーションにおいて無敗を誇り、首席で卒業していますね」 「へ〜、凄いんだ。でも、厳しい人だったら嫌だな」 「…そう言う訳でも、無いみたいですよ」 「何で?」 不思議そうにするメグミに、ルリは無表情のままウィンドウを指差した。 ウィンドウの中で美人と言って充分な容姿の若い女性が何故かVサインをして笑っている。 「はぁ、凄いわね、これは…。一応これって正式なIDよね?よく通ったわね、こんなの」 それを見てミナトが呆れたように呟いた。 「それを言ったらアキトさんだってバイザーしたままですけどね」 言いつつルリは若干ジト眼でアキトの方を睨む。 それに気付いたアキトが何時ものように不敵に口元を歪ませた。 まるで反省の色が無い。 あれほどバイザーを外せと言ったのに。 何か訳でも、あるのだろうか? (それとも…その眼を見られたくなかったんですか?) アキトは何も言わないから真実は分からない。 「…アキトさん」 「フ…」 アキトの笑みが一層深くなった。 ルリは思わず眼を伏せる。 「…大丈夫かしら、この船」 何故か押し黙ってしまったルリと、それを面白そうに観察しているアキトを見て首を捻りつつ、ミナトは小さく呟いた。 「…どう言うことだ?」 結局ユリカは現れず、ブリッジでの『自己紹介』は終了。 その後は解散してそれぞれ持ち場に戻った訳であるが…。 「何をやってるんだ、あいつは?」 アキトの持ち場はと言えば、特に無い。 コックが本業と言いつつも、基本的に気が向いたときに特定の人間にしか作る積りは無いのだ。 それは人間開発センター時代も木星時代も変わらない。 そう言う訳で、アキトは結局もう一つの職場である格納庫まで行くことにした。 特に何か出来るでも無いだろうが、取り合えず細かい調整くらいなら…。 そう思い、商売道具のハンディコンピュータを片手にエステバリスの前まで進み出た刹那、目の前でそれが起動したのだ。 『はっはっは、驚いたか博士!よし、今日は特別に俺の必殺技を披露するぜ!!』 などと訳の分からないことを叫びつつ。 アキトが常人をはるかに超える反射速度でその場を飛び退かなければ洒落にならない事態になっていただろう。 エステはそのまま爪先立ちになって拳を振り上げるように動く。 『ガーイ、スーパーナッパー!!!』 「ちっ」 目の前すれすれで通り過ぎた拳に舌打ちしつつ、アキトは懐のブラスターに手を伸ばす。 そのまま伸び切った姿勢で硬直するエステの足元に向けて撃ち放った。 どむっ。 『うおお!?』 だーん!! 大音声とともにバランスを失ったエステが倒れこんだ。 アキトは素早くエステのCOM接続端子にハンディーコンピュータを接続し、強制停止信号を入力する。 エステはそれを排除しようとしてか必死に手を伸ばすがもう遅い。 持ち上がりかけた腕は途中で力尽きてがくんと垂れた。 『ぐあ!貴様、キョアック星人か!!』 「違う、コックだ」 『何ぃ、コックが悪に魂を売ったと言うのか!!そうか、食事に毒を混ぜてヒーローを暗殺する積りだな!?』 既に妄想に浸っているようだ。 「…何なんだ、お前は」 それでもなお理解不能な言葉を喚き散らすパイロットにアキトは溜息混じりに呟いた。 どっと疲れが出た感じがする。 「…パイロットの…ヤマダジロウだったな。今のは明らかにお前が悪いぞ」 『違ーう、ヤマダジロウは世を忍ぶ仮の名前!魂の名前はダイゴウジガイだ!!』 「お前、頭でも打ったか?」 確かにさっきの倒れ方ではどこか怪我していても不思議ではない。 自業自得なので、その点に同情の余地は無かったが。 大体こっちは一歩間違えれば死んでいたのだ。 『何ぃ!!騙されているのはお前だ!眼を覚ませ!!正義に燃える心は洗脳を打ち破るんだ!!』 聞いちゃいない。 どうやらガイの中では悪の組織に洗脳を受けたアキトがコックに身を扮してヒーローを暗殺せんと画策していると言うことになったようだ。 それにしてもこれだけ勘違いができるとは…ある意味で凄い才能かも知れない。 どちらにせよアキトにとっては鬱陶しいことこの上なかったのだが。 「…もういい。とにかくそこから出て来い。予定まで後少ししか無いからな」 『予定?予定とは何だ?まさか悪の組織の陰謀が──』 言いかけた言葉は途中で艦橋を満たすエマージェンシーに掻き消された。 今まで遠巻きに見ていた整備班の面々の様子が一気に慌しくなる。 「ちっ、草壁の奴…堪え性の無い」 アキトは舌打ちを洩らしながら強引にエステのハッチをこじ開けると、顔を出したガイの口元を素早く手のひらで押さえ込んだ。 突然の事に流石のガイも驚愕に眼を見開き、何とか拘束を逃れようとじたばたともがく。 「悪いが暫くそこで寝ていろ」 「ふ、ふご…はふほへはひへ!!」 『くそ、悪の手先め!』とでも言いたかったのか、真相は不明だが、取り合えずアキトは喚いているガイの鳩尾に拳を叩き込んで沈黙させた。 そのまま少々乱暴ながらコックピットから放り投げるように撤去する。 「──っ!!」 かなりの高さから結構な初速を持って落下した彼の体がワンバウンドする。 その足が変な方向に曲がっていたが、アキトは取り合えず無視することにした。 今はそれどころではないのだ。 「このナンバーはただの無人機。小手調べと言った所か」 情報がどこから漏れたのかは知らないが。 木星はナデシコを明らかに警戒し、これを排除しようと躍起になっているらしい。 恐らくは開発スタッフの一人にテンカワアキトの名前を見つけた所為だろう。 木星の──火星の遺跡の技術を持つアキトが携わったとなると侮れるはずが無い。 無論彼らはアキトが乗り込んでいることは知っているはずだし、その上でナデシコが沈められるとは思っていまい。 草壁にとってもアキトは──琥珀は貴重な戦力であるし。寄越されたのも戦力としては下級の無人機だ。 「もしくは敢えてここでナデシコの実力を披露させ、軍との折り合いを悪くして孤立させる積りか」 ならば。 アキトは呟きつつさも可笑しそうに口元を歪めた。 バイザー越しの金茶色の目が薄く燐光を帯びる。 刹那。 ピッ。 小さく音をたててアキトの眼前に控えめなウインドウが展開した。 その中に相変わらず無表情なルリの姿が見える。 『アキトさん、敵襲です。…予定通り、ですか?』 「あぁ…だが向こうの意図が分からない。まぁ所詮は無人機だ。適当に囮役でもしてやるから後はそちらで何とかさせろ」 『はい。でも…あの。アキトさんは…』 素っ気無く答えるアキトにルリは少しだけ哀しげに眼を伏せて、それから静かに顔を上げた。 金色の瞳が僅かに不安に揺れているようにも見える。 アキトはそれを見ないフリをして、一方的に回線を切断した。 「騙して…裏切っているな、オレは」 「アキトさん…」 呟いたルリの言葉を聞き咎めるものは何処にも居なかった。 ブリッジはユリカの登場の所為でより騒がしく、慌しくなっている。 キノコは相変わらず五月蝿いし、エステを早く出せと喚いていた。 アキトのもう一つの仕事。 パイロットの予備…。 IFSを持っているから当然なのかも知れないけど、ルリには奇妙な胸騒ぎがしていた。 アキトはたまに得体の知れない行動を取ることがある。 今日のこともそうだ。 アキトは何処からかナデシコを木星蜥蜴が襲撃する可能性があると言う情報を手に入れ、事前にルリに知らせていた。 そして、実際に襲撃はあった。 それもルリがアキトにコミュニケで連絡を取ると、アキトは既にエステに待機していたのだ。 アキトは何者なんだろう? そんな疑問を抱きながらも、ルリは何も言えなかった。 何も出来なかった。 疑っているのだろうか?彼を、自分は。 …いや、そうじゃない。そんなはずがない。 ルリにとって世界はアキトを中心に存在しているのだから、そんなことはあり得ない。 世界中が違うと言っても、アキトが本当だと言うならそれを信じても良い。 でも…。 「…あ」 ふと。 気が付くとエステは既に出撃していた。 モニターの中の敵影が面白いように誘導されていく。 まるで、彼らの行動パターンの全てを知り尽くしているかのように。 付かず離れず、それでいて全く被弾もせずに、隙が有れば何機かの敵を撃墜しながら。 その戦いは芸術とさえ呼べた。 闘っているのは冷たい機械のはずなのに、その動きは人間さながらに舞い、踊る。 「凄い…」 メグミが呆然と声を上げた。 ルリはちらりとそちらを見遣ってから、再びモニターに眼を戻す。 (違う…これはそんな次元じゃない) どんなに優秀なパイロットでもここまで出来る筈が無い。 初めて戦うはずの敵に、最初からあんな風に立ち回るなど、絶対に。 出来るとすればそれはただ…。 (あの無人機のAIの思考パターンを完全に知っている人間のみ…まさか?) やがてナデシコが主砲の斜線軸上に全敵影をロックする。 纏まった所でグラビティ・ブラストで一網打尽にする作戦だ。 「目標、敵まとめてぜぇ〜んぶ!てぇー!!」 ──!! ユリカの号令とともに静かな黒が空を翔けた。 無人機は一つ残らず跡形も無く消し炭になる。 ブリッジのスタッフの殆どが歓声を上げて狂喜していた。 …でも。 「わたしは、たまにあなたが怖くなりますよ…アキトさん」 静かに帰還するエステの機影を眺めつつ、呟いたルリの言葉を聞き咎めるものはやはり何処にも居なかった。 後書き by XIRYNN ん?暗いですか? ……そんなこと無いですよね。 大丈夫、この雰囲気は持続しませんから。(笑) しかし何でこう言う書き方するかな…私。 痛モノだと思われると困るのに…。 |