キノコの娘

作 XIRYNN




 「…………」

 「あ、あの…中佐…目が怖いんですけど…いや、マジで」

 「それで?」

 「えぇと…笑顔なのに目だけ笑ってないと言うか、何と言うか…殺気全開って言うか、殺る気満々って言うか…」

 「ふっ」


 全身を荒縄で束縛され、格納庫の寒々しい床に放り出されたコウノが引き攣った顔で何かを訴える。
 対するオレは溢れんばかりの殺気と怒気で返した。
 最早話し合いの余地ゼロだった。


 「あ、ははは…」


 それを悟ったのか、コウノは冷汗をだらだらに流しつつ、遠巻きに見ている整備班に請うような眼差しを向ける。
 が、誰もが目が合った瞬間にわざとらしくそっぽを向いた。
 これは無論、修羅となったオレに恐怖していると言うのはあるだろうが、無論それだけじゃない。

 自業自得と言うか因果応報なのだ。

 何と言ってもこいつの罪は重い。
 整備班もそれを理解しているのか止めようとするものは誰もいなかった。
 つーか、こいつを縛ったのは整備班だったり。


 「言いたい事はそれだけか?出来れば遺言は喋れるうちに…な」

 「あ、あの…」

 「何だ?句読点込みの40字以内で済ませろ」

 「その…ごめんなさい。すみません。許して。助けて。僕が悪かったです。そーりー。それから、えぇと…」

 「字数オーバーだ」

 「はは…はは…ははははは……はぁ」

 「続きはあの世でな」

 「──ひっ」


 オレは一瞬、瘴気を孕んだ壮絶な眼差しでギロリと睨めつけ、怯えるコウノに一歩づつ近付いた。






 「ぎゃあああああああああああああああああああああああ」






 まぁ、これにも様々な事情があるわけで。
 そもそもの事の起こりはルリちゃんに挨拶をしたあの後まで遡る。






 「えぇと…良かったんですか、中佐?」


 ルリちゃんと分かれ、ブリッジを後にしつつ、それでも難しい顔で唸り声を上げるオレを気遣うようにコウノが声を掛けてくる。
 こいつなりの優しさだとは思う。が、正直言ってウザイ。
 基本的にこいつも悪いやつじゃないとは思うんだが、どうにも今一肝心な部分で女心と言うものが──

 ──っと、又もや危険な思考をしそうになったぞ。
 ふぅ…。

 何と言うかあれだ。
 オレはひょっとしたらやっぱり純粋にはテンカワアキトじゃないのかも知れんな。
 凄まじく怖い結論だが、それは。

 とにかく『闇の王子』だ。
 今回の任務で接触できるかどうかは分からんが、態々オレを乗せた事を考えると何かが起こる可能性はある。
 そのときになってからだな、答えは。

 しかし仮にオレこそがテンカワアキトだとすれば──それはそれで嫌だ。
 かと言ってオレがテンカワアキトじゃないと言うのも──嫌だな。


 「むぅ」

 「中佐?」


 しつこいし。
 しかしそれはそれとして。


 「…コウノ」

 「は、はい!」


 オレの方から凄まじく奇跡的なまでに珍しく名前を呼ばれ、あからさまに嬉々とするコウノ。
 …何というか、オレが言うのもどうかとは思うがそんなんじゃ女は振り向いてくれないぞ。
 そうやって人生棒に振る寸前にまで行った憐れなというか、愉快な男だっていたんだし。
 例えばジュンとか…ジュンとか──あと、ジュンとか?

 …。
 ……。

 まぁ、いいか。
 コウノは何だかんだ言ってそれなりに優秀だからな。
 存在感薄いけど。


 「…あの、中佐?」

 「ん…ああ」


 言った側から忘れかけてしまった。
 ある意味才能だな、うん。


 「そう言えば忘れていた」

 「え?…何でしょう?」


 ──お前の存在を。

 言いかけて流石にやめた。
 まぁ、オレだって鬼じゃないからな。
 男の気持ちもそれなりに分かるし…何よりユリカに素気無くあしらわれるジュンには何度も同情したもんだし。

 ま、それはそれとして。


 「つまり…オレ達の持ち場はブリッジだ」

 「あ」


 言いつつさっき出てきた方に踵を返す。
 …かなり気まずかった。






 仕方がないので適度に五分ほど時間を潰したあと、ブリッジに舞い戻ることにした。
 これ以上長引くともっと恥ずかしいし。
 ルリちゃんの微妙な──さすがナデシコだと言わんばかりの──視線が少し痛い。

 まぁ、しかしこれじゃあからさまに逃げたとしか言えないからな…事実だが。
 あれだけ思わせぶりな事を言って格好よく立ち去ったはいいが、すごすごと舞い戻ることになるとは。
 今一締まらなかった。

 ──が、しかし。
 しかしである。

 これからオレの身に起ころうとしていたあのおぞましい出来事は、そんなものとはまるで比較にならなかったのだ。


 「はぁ」


 オレが、溜息を吐きながら自分の席に腰を下ろそうとしたその刹那。


 「ちょっと!何でアンタがここにいるのよっ!!」






 ヒステリックなカマヴォイスがオレの耳朶を打った。
 ますます鬱な気分になる。
 最早マリアナ海溝並に沈みつつ、オレはしぶしぶ振り向いて…。


 「……ふぅ」


 予想通りの生物(?)の姿に盛大に溜息を吐く。
 隣りを見上げてみれば、コウノも珍しく苦々しい表情でそちらを見ていた。

 む。
 これは少し意外かも知れんな。

 中々気付かんとは思うがこのコウノ。オレからしても結構侮れん奴だったりする。
 タイプで言えばタヌキさんと言うかキツネさんというかプロスさんと言うか──つまりそう言う一面も持っているのだ。
 伊達に情報部出身ではないと言うか…まぁ、オレ相手だと形無しっぽいけどな。
 ま、それはいい。

 で、あれは──


 「ふんっ。久し振りね、ユウキ」


 壇上からオレ達を見下ろし、何処かのアニメのヒゲ司令みたいなことを言ってるし。
 そもそも人に再会して『ふんっ』はないだろうが。相変らず常識を知らない奴だな。

 というか、奴の座っているのが何故か提督席なのは何かの冗談か?

 痛み出したこめかみを少し抑えつつ、何とも言えない表情のプロスさんを睨めつけて見る。


 「はは…まぁ、色々と都合がありましてな」

 「……」


 どんな都合だよ。
 思わず心の中で突っ込んでみる。

 無駄だったが。


 「ちょっと、こっち向きなさいよ!」

 「うるさいぞ、ナメタケ。喋るな、息をするな、心臓を動かすな。いや、むしろ今すぐ消滅しろ」

 「な、何ですってぇ〜〜!!きぃ〜〜〜、アンタ自分の──」

 「黙れといったぞ、この菌類が。キノコ風情が人間様になった積もりか?」

 「な、な、な、な…っ」


 何時もの事だと言うのに──まぁ、この辺は置いとくとして──相変らずきぃきぃと喚くしかないキノコはオレの物言いに絶句する。
 流石に可哀想だと思うかも知れないが、これはオレ自身の死活問題だからな。
 奴とオレ──というかカンザキユウキの血縁関係がこんな所で暴露されると思うと鳥肌が立つ。

 …って言うか、ルリちゃんにプロスさん、そんな目で見ないでくれ。

 事情を知っているらしい二人の深い憐憫の眼差しに涙が出そうになった。
 いや、実際少し出た。

 コウノはというと、矢張り複雑な表情で苦笑いを浮かべている。
 と、思ったらおもむろに口を開いた。


 「そうすると中佐は──」

 「ん?」

 「──キノコの娘?」


 爆弾、投下。






 その後の展開は言うまでもなく。

 こうしてオレの暗鬱で禍々しいナデシコでの地獄の日々が始まったと言う訳だ。
 オレはキノコの娘として全てのスタッフに認識され、今もこの屈辱に堪えている。






 つーか、コウノ殺す。泣かす。死なす。
 ──で、冒頭の制裁に至ったと訳だ。

 誰がオレを責められる?



"…ナメタケ…"




 「しかしアンタ…生きていたのか」

 「なっ!アンタねぇ…それが2年ぶりに再会したお父様に言う台詞!?」

 「ま、まぁまぁ、少将。ほら、愛情の裏返しって言うか、中佐も難しいお年ご──ごめんなさい」


 何やらおぞましい事を言おうとしたコウノをブラスターの銃口で黙らせて。
 オレはきりきりと痛み出したこめかみを抑えていた。

 テンカワアキトの認識では、確かこいつは死んだはずだった。
 何処でどのように死んだかは全く覚えちゃいないが…死んで嬉しかった事だけははっきりと覚えている。
 しかし、考えてみればかなり無茶苦茶言ってるな、オレも。
 まぁ、事実なんだから仕方ないが。

 だが、キノコは生きていた。再生した訳でもなく。
 確かに今思い出してみたが、カンザキユウキの記憶の中にはこのキノコが死んだなどと言う事実はない。
 そして今ここに奴はいる。

 これはどう言うことだ?


 「本当に、生きていたんだな?」

 「しつこいわよ!それともアンタにはアタシが幽霊にでも見えるって言うのっ!?」

 「むぅ…死の直前に胞子を振り撒いて蘇生したとか?」

 「あ、あ、あ、アンタって娘はぁ〜〜〜!!」

 「ちゅ、中佐…」


 仮にも将官。仮にも父親。
 世にここまで言われる上司も親もいないだろう。
 どっちかと言うと良識派のコウノはかなり冷汗をだらだらと流しつつ頬を引き攣らせてオレを窘めた。

 まぁ、気持ちは分からんでも無いが…所詮キノコだぞ?
 こんなのが上司で、親で──あぁ、鳥肌立ってきたし。
 つーか、やっぱ殺っとくべきか?


 「不愉快だな、キノコは。どうすれば黙ってくれるんだろうな?」

 「ちょ、ちょっとアンタ正気?…え?待ちなさいよ…ひっ」

 「だ、ダメですって!!」


 オレの心中の危険な考えに気がついたのか、コウノは危ない笑みを浮かべたオレを羽交い絞めにした。
 殺気には人一倍敏感そうなキノコは思わず一歩どころか五歩ほど後ずさった。

 どうでもいいがコウノ。
 相変らずお前は何故どさくさに紛れて身体を触る?


 「放せ、コウノ」

 「え、でも…あ、中佐って髪がさらさらですね。いい匂いもします」

 「なっ…放せこの変態が!!」

 「ぐぁ」


 腕力では敵わなかったので木連式柔の奥義で壁に叩きつける。
 本当は壁でなく地面に叩きつけた上に頚椎を膝で潰し折る技なんだが、まぁ、それだと問答無用で死ぬからな。

 しかし、思わず寒気がしたぞ、おい。
 この男、こんな言動を繰り返しててオレが振り向くと思ってるのか?
 基本的にお前は顔も性格もいいし、能力もあるんだからもう少し──って、何故オレがそんなことを考えねばならん。

 まさかカンザキユウキはコウノの事を──。
 あぁ…自分が怖い。

 むぅ。
 だからオレは…テンカワアキトだ。
 男などに興味は無い。うん。


 「まぁ、いい。オレの勘違いだったようだな。アンタは確かに生きていた。…で?」

 「で…って何よ?」


 かなりビビリが入ったまま恐る恐る答えるキノコ。
 父親としての威厳はゼロだ。
 そしてこれがオレの──この体の遺伝学上の親だと思うと身震いがする。

 しかし。
 それはそれとして、こいつが生きている。
 幾らなんでも再生も分裂もしない──と思いたい──だろうから、もしかするとここはオレの知っている世界ではないのかも知れない。

 パラレルワールド?

 そんな単語が脳裏を掠める。
 そう考えると幾つかの事象は説明がつく…が、まぁ、決め付けるのは早計だな。
 しかしますますオレの他に『闇の王子』が存在するっぽい。

 全く訳が分からないことになったな。


 「──だから、今更何の用だと訊いている」

 「どう言う意味よ?」

 「それとも…オレに殺されに来たのか?」

 「……なっ」


 さっきの冗談交じりの殺気ではなく、今度こそ本気のそれに触れ、キノコは思わず絶句した。
 コウノはというと──さっき壁にぶつけた時に妙な方向に折れ曲がってしまった首をしきりに治そうとしている。
 やはり侮れない。

 多少の緊張があるとは言え、これだけの殺気を向けられれば普通の人間は硬直してしまうだろうに。
 オレはそれを一瞥すると、キノコの方へ視線を戻した。


 「中佐。あのぅ…さすがにキノコが嫌いってだけでそれはやりすぎでは?」

 「そうよ!アンタいかれてるわよ…め、目が危ないのよっ!」

 「…白々しいな」


 冷徹なオレの声に流石にキノコもそれ以上は押し黙った。
 コウノの方もそれとなく身構えている。
 いざとなったらオレを止めるつもりなんだろう。


 「有体に言えばだ…オレはアンタを殺したいくらい憎んでいるんだ。理由は言うまでもないと思うが」

 「な、何のことよ…」

 「ふん。己の仕出かしたことをすら認識できないのか?アンタは」


 一層温度を下げたオレの眼差しにキノコは息を飲む。
 まぁ、ここで騒ぐほどは愚かではなかったみたいだな。


 「アンタは母さんを──つまり、アンタの妻を見殺しにしたんだ。それがよくオレの前に平気で顔を見せられる」

 「あ、あれは…アンタも軍人なら分かるでしょっ」

 「ほう」


 ある意味感心するぞ、それは。
 あれをこともなくそう言ってのけるとはな。

 母さん、か。
 テンカワアキトの母親ではないが、そう呼んで別に違和感は湧かなかった。
 やはりオレはカンザキユウキでもあるのかも知れない。

 このキノコの顔を見た途端に湧き上がった殺意も、どうやら本物だったのだ。


 「中佐」

 「…分かってる」


 行き場のない想いに駆られ、身震いをするオレを何時になく真剣な眼差しでコウノが窘めた。
 お前もいつもそうやってればそれなりに──だから違うって。


 「軍人、ね。アンタにとっての定義は、民間人を搾取し、好き勝手するということらしいな。しかも、危なくなれば戦いを放棄して真っ先に自分だけ安全なところに逃げる。妻や娘を簡単に見捨ててな」

 「…な、何のことよ」

 「知らないとでも思っているのか?」

 「……っ」


 カンザキミキ。
 それが母の名前だった。

 優しく、学もあり、美しく、個人の好みを別とすれば、女性としてほぼ誰もが魅力的に思う女性だったろう。
 彼女のそんな輝かしいばかりの数ある美点の中で、唯一欠点があったとすれば、それは絶望的なまでの男の趣味の悪さだったに違いない。

 何故キノコ?

 結婚当初、軍部では未曾有の混乱が生じたとか、一部の人間が人生に絶望して身を投げたとか。
 まぁ、分からんでも無い。
 というか当たり前だ。

 当時まだ16歳になったばかりの彼女を周りの誰もが引きとめようとした。
 が、彼女は頑としてその説得に応じようとはせず。

 『あの人を愛してますから』

 という、最早宇宙人的なまでの悪趣味ぶりに完黙せざるを得なかったのだ。
 しかも目を輝かせてたらしい。

 オレとしては、例えカンザキユウキが生まれなくなったとしても早まって欲しくなかった。
 それは多分、ほぼ全人類の総意だと思う。
 大体カンザキ家の親は何をしてたんだろうか?

 16歳?
 もしルリちゃんがキノコを愛したら、オレは多分、いや、間違いなくキノコを消すと思う。
 コロニーごと。むしろ世界ごと。

 話を戻そう。
 とにかくそれだけが彼女の唯一にして致命的な欠点…人生の選択ミスだった。
 そしてそれによって彼女は誰が見ても分かるほどの不幸に見舞われたのだ。


 「どうして戻ってこなかった?」

 「あ、アタシは…軍人なのよ」

 「──っ」


 どんっ。

 咄嗟にオレはキノコの喉を掴みあげ、冷たい壁に貼り付けるように押し上げていた。
 思わず反応しかけたコウノも、あまりのオレの速さにはついて行けなかったらしく、少々呆然としながら舌打ちをする。

 それでも止めないと言うことは、奴もこのキノコの言い分には頭に来ているのだろう。


 「本当に、殺してやろうか?」

 「ひっ」

 「……ふん」


 怯えた目で涙目になってこちらを見上げてくる情けない姿にオレは興醒めした。
 掴んでいた首を放すと、キノコが壁に沿ってずり落ちつつ大袈裟に咳き込んだ。


 「こ、こんなことして…アンタ、ただじゃ済まないわよ」

 「………」

 「な、何よ…」

 「…オレには理解出来ないが、母さんは最後までアンタを信じていたし、愛していたよ」

 「知らないわよっ!アタシだってあの時は忙しかったのよ!大体逃げたきゃそっちで勝手に逃げりゃいいじゃない!!」

 「何だと?」

 「蜥蜴はもう目前に迫ってたし、軍が引き上げを始めてたのは知ってたはずでしょ?だったらさっさと逃げりゃいいのよ!何時までもそんなところで待ってるなんてそれこそ馬鹿じゃ──」

 「貴様!!」

 「ひっ!!」


 オレはカンザキユウキではないつもりだった。
 だから俺はそのことを弁えていたつもりだった。
 だが、この男はタブーに触れた。

 今度こそオレは明確な殺意と狂気を持ってその細い首に手を伸ばし──


 「中佐!!」


 寸前でコウノに手首を掴まれる。
 オレはその手を振り解こうとしてそちらを見遣り、その深い眼差しに吸い込まれて思わず息を飲んだ。

 オレはゆっくりと力を抜いた。
 やろうと思えばコウノを殺してでもキノコに止めを刺す事は可能だっただろう。
 だが、出来なかった。


 「ふん」


 ちらと見遣ると、キノコは既に気を失っていた。
 …って、失禁するな、汚い。






 「やれやれ…。しかし、参ったな」


 ユウキが忌々しげに去ったあと、それなりに広いとは言えキノコと二人きり、ムネタケの私室でケイスケは頭を抱えていた。
 本当は失禁した中年キノコなど放って置いてこのままトンズラしたいところだったが、そうも行かない。
 このままフォローも無しでは愛するカンザキユウキに何か良くないことが起きそうだし。
 腐っても将官なのだ、これは。


 「はぁ」


 エキセントリックな上官を持つと苦労する。
 でも分かっていてもケイスケは犬だった。

 かなり脱力感に見舞われながらキノコを楽な姿勢に寝かせると、パタパタと風を送る。
 その寝顔を見て…遺伝子の神秘に唸り声を上げつつ。

 ケイスケ自身は、カンザキミキには余り面識はなかった。
 でも、子供心にも美しい女性だと言うのは感じたものだ。
 何せこのキノコの遺伝子を駆逐して美しい娘が出来るほどなのだから。

 ユウキが母に強い憧れを抱いていたのはよく知っていた。
 髪型も服装も母を真似、将来は母のようになりたいと言っていたのを思い出す。
 あぁ、『でも、男の趣味は別よ』とか苦笑いしてたのも記憶に新しい。


 「ある意味凄い度胸だなぁ、少将も」


 当時大佐だったムネタケが火星に出向する際、片時も離れたくなかったミキはユウキを連れて彼を追って行ったらしい。
 そしてそこで木星蜥蜴によって命を落したのだ。ユウキの目の前で。

 さっきユウキがあれほど怒ったのも仕方が無いだろう。
 ミキはムネタケの『必ず帰ってくるからここで待ってなさい』などと言う戯言を信じ、最後まで家を必死で守ろうとして死んだのだから。
 これでムネタケが果敢に戦って殉死し、帰ることが出来なかったとでも言うのならまだ収まりも付こうが、当の本人はさっさと指揮を放棄し、真っ先に地球に逃げ帰っていたと言うのだから弁護の余地もない。

 これではミキも浮かばれないではないか。
 必死で逃げるように説得する周囲の言葉に頑として首を振り、夫の言葉を守り抜き、何より、

 『あの人は私たちのために必死で戦っているんです。その妻である私だけが逃げるなんて出来ません。例えそれがどれだけ愚かだとしても、出来ません。あの人が帰らないなら、それは私の死に場所もまたここだと言うことです』

 という遺言が、ただの虚言になってしまったのだから。
 それを直に聞かされ、その死に際を目にし、せめて謝罪くらいはすると思った父親の言葉が『仕方なかったのよ』では余りにも…。


 「…まぁ、確かに、馬鹿な人だったとは思いますがね。でも、彼女を否定するなんて絶対にしちゃいけないことですよ。特に貴方は」

 「…………うるさいわね」


 何時の間にか眼を覚ましていたムネタケを気配で察し、ケイスケは深々と溜息をついた。
 全く家族揃って融通の利かないことだ。


 「あの後なんですよね、中佐が…ユウキちゃんが変わったのって」

 「…………」

 「女の子の格好を止めて、軍隊に入って…我武者羅に頑張ってました。今じゃ軍最高のパイロット。ムネタケの名前を捨てて尚、あの若さで中佐です」

 「…何が言いたいのよ」


 最後の台詞に、ムネタケはあからさまに顔を顰めた。
 嫉妬している自分を隠し切れなかったのだろう。
 ムネタケの名前で勝ち取ったこの地位が、酷くみすぼらしく思えたのだ。


 「オレはね、ユウキちゃんが好きなんです。何を25にもなってと思うかも知れませんが…」

 「そんなこと、誰が見ても分かりきってるわよ」

 「分かってませんよ」

 「何がよ?見りゃ分かるじゃない、アンタがあの娘のこと──」

 「──どれくらい好きか、分かってないでしょ?」

 「何──ひっ」


 怪訝そうに振り返ったムネタケの眼差しに、深い恐怖が宿った。
 ケイスケの、色のない魔眸がこちらを見詰めている。
 それは殺意ですらなく、まるで道端に転がる小石を邪魔に思うような無邪気で冷徹な。


 「少将」

 「な、何よ」

 「今度ユウキちゃんを哀しませるような事をしたら──オレが、殺してあげますから」

 「──っ…あ、アンタ…」

 「彼女にはこれ以上手を血に染めさせたくありません。そのために情報部に入ったんですしね」

 「それは…ど、どう言う…」


 最早完全に怯えきったムネタケの顔を見遣って、ケイスケはうっそりと笑みを浮かべた。


 「知らなかったんですか?ユウキちゃんはね、貴方を殺す為に軍に入ったんですよ?もちろん、オレもね」






 「…ダメだな、オレは」


 結局闇に満ちていた。
 このカンザキユウキもまた、復讐に身を落した修羅に過ぎなかったと言うか。
 ある意味テンカワアキトととてもよく似ているのかもしれない。

 だからか?
 周りが違和感持たないのも、やっぱホントに同じだったとか、性格。

 が、しかし。
 本当にろくでなしだったか、キノコ。
 いろいろ思い出す前にカンザキユウキの気持ちはよく分かるとか言ったけど、訂正だな。
 まさかこれ程とは。


 「…はぁ」

 「──どうなさったんです、こんな所で?」

 「別に。大した事じゃないよ、ルリちゃん」


 気配で分かっていたので、別段驚かずに答える。
 少しはオレが驚いてくれることに期待していたのか、ルリちゃんが若干つまらなさそうに息を吐くのが分かった。


 「ねぇ、ルリちゃん」

 「何ですか?」

 「前に言ってたアキトさんって言うの…もしかしてテンカワアキトのこと?コロニー爆破犯のテロリスト」

 「何故…って、少し調べれば分かることですか。そうですよ」


 かなり白々しいな、オレも。
 しかも卑怯だ。


 「ルリちゃんは好きなの?そいつの事」

 「…そ、それは…」


 真っ赤になって俯いて…そりゃバレバレだよ。
 自分の事の割にあんまり実感が湧かないのは、オレ自身がかなりカンザキユウキに侵食されてる証拠か?

 まぁ、いいさ。


 「そっか。…どんな所が好き?」

 「え、と…私は別に肯定した覚えは」

 「嫌いなの?やっぱ犯罪者だし」

 「そんなことありません!!アキトさんは…そんな!!」


 殆ど涙交じりに訴えてくるルリちゃんの綺麗な瞳を眺めていたら、こっちも泣きそうになったよ。
 どうしてこんな馬鹿な男を信じきれるのかな?
 そいつはね、君が思ってるような奴じゃないさ。


 「でも、人殺しだし、罪も償わないし。逃げてるし、卑怯だし、身勝手だし──」


 ぱんっ。

 自嘲と共に何かを吐き出しかけたオレの言葉を、ルリちゃんは平手で防いだ。
 オレはオレの知らないうちに人を殴れるようになっていたルリちゃんの白い顔を何も言えず無言で見詰め返す。

 ルリちゃんの方も何が起こったのか分からずに呆然としていた。


 「あ──す、すみません!私…」

 「いや…いいんだ」

 「で、でも」

 「言っていいことと悪いことがある。そんなことも分からないとは…やっぱ親娘なんだな」

 「え?」

 「いや、こっちの事だよ」


 人のことをとやかく言う資格なんてオレにはなかったんだ。
 だからかも知れない。
 あの時コウノの真直ぐな眼差しに何も言えなくなったのは。


 「少しだけいいかな」

 「え?」


 オレはルリちゃんの返答を待たずに、いきなり彼女の胸元に額を擦りつけた。
 別に変な意味じゃなくて。
 大体今のオレはかなりカンザキユウキモードだから、変な気持ちになりようもなかった。


 「あの…」

 「なるほど、よく似てるんだな。雰囲気が」

 「え?」

 「ルリちゃんがさ、母さんに」

 「あ…」


 彼女の本意ではないとは言え、多分ルリちゃんはオレ──カンザキユウキの家族がどう言うことになったのかくらいは知っているのだろう。
 本当の事は何一つ明かさず、ただ卑怯に甘えるオレの身体を、それでも彼女はそっと抱き締めてくれた。


 「中佐…」

 「ユウキでいいよ」

 「ユウキさんって、意外と小さかったんですね…私と殆ど変わらないんじゃないですか?」

 「身長はね。でも、スタイルはルリちゃんより大分いいよ」

 「……失礼ですね」

 「ふふ」

 「くす」


 でも、ホントにもう少し太った方がいいよ、ルリちゃんは。
 こっちが心配になるくらいに細いから。

 あの時と余り変わってない──って、流石に失礼だな、それは。
 だけど知らないうちに大人になってたんだ。もしかするとオレよりも。


 「やっぱり似てますね」

 「何が?」

 「ユウキさんと…アキトさんが」

 「そうかな」

 「そうですよ…素直じゃない所とか」


 素直じゃない、か。
 本当はこうしているのが心地いいのにな。
 テンカワアキトはまだ逃げ続けてる訳だ。
 まぁ、正体明かす訳にも行かんけど。
 そもそも本当にオレがテンカワアキトなのかオレ自身怪しいし。


 「よく分かりませんけど、後悔してからじゃ遅いと思います。私もそうでしたから」

 「…………」

 「貴方がアキトさんだったらよかったです」

 「えっ?」


 まさか…気付いて…。


 「これって、アキトさんを見つけたらしようと思ってたことなんですよ。先ず思いっきりひっぱたいて、それから抱き締めてあげるんです。拒否は…許しません、もちろん」


 どこか遠くを見て、それからルリちゃんは眼を伏せた。
 …本当に、何をやってるんだろうな、オレは。


 「そうだね。それがいいと思うよ」

 「はい」


 つまり、オレにはキノコを殴る資格なんてなかった訳だ。
 約束を破り、謝罪の言葉もなく、逃げ続ける…オレも同じだから。

 そんなオレをルリちゃんは慰めてくれると言うんだから、凄い。

 オレにはとてもあのキノコを抱き締めてなどやれないさ。
 つーか、吐く。マジで。

 むぅ。
 この場合オレが悪いのだろうか…。

 いや、やっぱキノコだろ。
 あれを抱き締めるなんて…やっぱアンタ偉大だよ、母さん。

 …しかし。
 オレはやっぱりかなり壊れてるな。
 折角ルリちゃんに慰めてもらいながら、考えてることがキノコを抱き締められるか否かとは…。

 幾らルリちゃんでも、泣くぞ、おい。


 「?…どうかしましたか?」

 「いや、何でも無いよ」


 自己嫌悪だよ、自己嫌悪。
 はぁ。


続くんでしょうか?(笑)




後書き by XIRYNN

もう何も言う事は無いです。
時間掛け過ぎ。
まぁ、色々悩んでたのもあったんですが…諦めてだします、これ。
何でシリアス風味になるかなぁ。
ま、所詮最後はあれですが。(笑)
ふぅ。