キノコの娘

作 XIRYNN




「総てが色褪せてる」


 あなたに相応しく成長しても、この世界の色んなことを知っても。
 何年経っても、あなたでない他の誰かと沢山の出会いと別れを繰り返しても。

 それがどれほど続いたとしても。


「やっぱりあなたでないと意味がないよ。あなたがいなければわたし、何もかも詰まらない」


 あなたはわたしを自分の目的の為に利用したと思って苦しんだ。
 わたしを不幸にしたと思い込んで。
 そんなことは絶対にありえなかったのに。

 あなたと出遭えて幸せだった。あなたといられて幸せだった。
 わたしがそう言ったとしても、あなたは悲しげに頭を振ってみせた。
 そして、あなたはわたしにあなた以外の外の世界を、色々な事を知るべきだといった。

 だからわたしは経験を重ねた。


「でもね」


 …………あなたは誤解している。


「でもね、あなたがいなければ、何も意味は無かった」


 わたしはあなたを──から。

 ごめんね。
 あなたのたった一つだけの頼み……遺言なのにね。
 あなたが初めて、わたしに泣いてくれた日の、大切な約束なのにね。

 でも、守れそうに無いよ。

 今でも忘れない。
 もうあの時から六年の月日が流れたけれど。
 あなたがどんな顔で、どんな声で言ったのかも。
 そしてわたしがどんな顔で、どんな想いで聞いたのかも。

 はっきりと覚えている。


『オレの事なんか忘れるんだ』


 忘れられる訳が無い。


『忘れて、どうか……幸せになって』


 あなたがいなければ、幸せなんて何処にも無いのに。


『それから──オレのことなんか、好きでいないでくれ』


 もう、手後れだよ。


『それが遺言だ』


 それがあなたの願いなら、わたしはそうしようと思った。
 無理だと思ったけど、あなたがわたしに何かを頼んだのは、最初で最後だったから。

 …………でも、頑張ったけど、もう無理みたい。
 だってわたしはあなたを好きだった──少し幼すぎたかも知れないけれど、間違いなく愛していたから。
 今も、愛しているから。


「──だから、ごめんね」


 わたしはあなたとの約束を、破るよ。






 漆黒の闇の中を、その船は彷徨うように漂っていた。
 辺りには星の輝きも無く、静かに進むそれは少し不気味な感じもする。
 見るものが見れば驚愕したかも知れない。
 なぜならばそれは、もう当の昔に失われた筈の船であったから。

 いや、詳しくそれを知るものならば微妙な違和感に首を捻ったかも知れない。
 一見は嘗てのその船に違いなかったが、細部では多少の相違が見付かったから。

 まあ、どちらにせよそれはあの船ではありえまい。
 あの船は間違いなく処分されたのだ。
 そもそも、公式の記録によれば、最早この船を運用し得るものもこの世にはいないのであるし。

 ではこの船は何だろう?

 亡霊?
 そうかもしれない。
 これは過去の幻だ。

 ただ、忘れてはならないことがある。
 亡霊は時として人を殺すのだ。






 そして、その亡霊の艦内にて──。


「ここか」

「…………」


 深く思考の海に沈んでいた彼女の静寂を、感情の色を感じさせない冷静な女声が引き裂いた。
 いまだ今でない時間のここで無い場所に思いを馳せていた彼女は、思わずびくりを肩を震わせる。

 彼女は、手元の彼女が着けるには大きめの、やや古びたバイザーを机の上に大切に置きなおすと、それから小さく溜息を吐いて背後を振り返った。
 どこか隙の無さを感じさせる動きである。
 それは彼女の飾り気の無い黒一色のバトルジャケットのような服装にもよって、例えば豹のような肉食獣をイメージさせた。


「人の部屋に入る時はノックぐらいしてよ、エルム」

「一応はした。が、反応が無かった。で、あればやむを得まい」


 なにやら不満そうな彼女とは対照的に、エルムと呼ばれた方の──15、6歳に見える銀髪に金眼と言う稀有な容貌の少女の反応は、声色も手伝ってかとても冷たい。
 その殆ど温度を感じさせない口調はうそ寒くすらあり、神秘的な外見と相俟っていっそ魔性を感じさせた。

 尤も、一方の彼女も容姿ではまるで見劣りはしない。
 微妙な光沢を放つ薄桃色の長い髪も、エルムと同じ色の双眸も凡そ純人類種にはとても見えそうにない美しさと危うさを孕んでいる。
 人形。或いは妖精にでも例えられるかも知れない。

 見当17、8歳の彼女とエルムを並べれば、何処となく雰囲気が似ているため姉妹に見えないことも無かった。
 まぁ、性格はまるで違っているようだが。


「何か不都合でも?」

「むぅ」


 彼女は可愛らしく口を尖らせて応える。勿論、エルムには全く持って効果など無かったが。
 何時もの事とは言え、もう少し何とかならないものかと思う。
 これではまるで機械を相手に会話しているようだ──。

 ──と、そこまで考えてから彼女は軽く眉根を吊り上げた。
 何か自分にとって不都合な事を思い出したように、小さく苦笑いを浮かべつつ。

 六年前は、自分もそうだったかも知れない。
 いや、こんなものではなかっただろう。
 だから彼女はそれ以上は何も言わず、エルムの要件を促すことにした。

 それを雰囲気で悟ったのか、エルムは彼女が何かを口にする前に、淡々とした口調で告げる。


「……メビウスを補足した」

「──!!」


 それを耳にした、その刹那。
 思わず立ち上がった彼女の表情に、驚愕と、憎悪と、それ以上の歓喜の色が沸き上がった。




"なみだの訳は"




 噂になった。
 迂闊だったかも知れない。


「──はぁぁぁぁ」


 盛大に溜息を吐いてみても、まぁ、仕方が無かったが。
 しかし……オレは兎も角としてルリちゃんが……。

 ん?
 何を言ってるのかだと?
 あぁ、それはつまり──って。


「…………うっ」


 一昨日の夜の出来事を思い出しつつ、まさに噂の舞台でもある展望室の方へ思いを馳せようと振り返ったら。
 般若もかくやという恐ろしげな表情をした少年と眼が合った。

 確かマキビハリ──通称ハーリー君といったか?
 どうも何故か彼はオレに対して敵対心を持っているらしい。
 何かと突っかかってくるのは、まぁ、この年頃特有のあれということで納得は出来るとして、時折感じる彼からの憎悪といってもいいほどの視線は一体どうしたものか。

 なんつーか、まるで親の敵を見るような、という奴なのだ、これが。
 オレは彼に何かしたのか?
 悪いが全く心当たりが無いぞ。

 一度そう聞いてみたらハーリー君の眦は更に釣り上がった。
 火に油を注いだらしい。しかし、ホントに意味不明だな。

『自分の胸に聞いたらどうですか?』

 とか、よく分からないことまで吐き捨てられるし。
 もうオレの手には負えんな。
 ルリちゃんには一応相談してはみたが、彼女にも彼は分からないらしい。
 それどころか、

『だって、ハーリー君ですから』

 で、切り捨てられる始末だったり。
 偶然それを耳にしていたハーリー君が泣きながら走り去っていった。
 ちょっと可哀想な奴だ。将来はジュンみたいになるんじゃないぞ?
 既に手後れっぽいが。

 ん?
 だから噂って何だって?
 ん……あぁ、つまり……。

 一昨日、キノコの首を締めたあと、ルリちゃんに慰めて貰った訳だが……って、冷静になるとかなり恥ずかしいぞ。
 まぁ、それはいいとして、とにかくその現場をハーリーくんに見られてたんだよ。
 丁度ルリちゃんが休憩時間で、館内の点検をしていた彼に見事にな。

 元々ルリちゃんもオレも注目の的だった訳で、ナデシコスタッフの間で妖しくも艶かしいオレとルリちゃんの噂が、実しやかに囁かれるようになるまでさほど時間は掛からなかったと言うわけだ。
 具体的にはどうかって?──まぁ、そこは突っ込むな。
 で、それにともなってもう一つ。

『父親がオカマなら、娘はオナベなのか?』

 などと言う、これもまた嫌過ぎる噂も流れていた。
 こっちはある意味において限りなく正解に近くもあるが──凄まじく不本意だ。
 いや、確かにオレの魂は男かも知れんが……みんな、オレが近寄るとあからさまに怯えて距離を置こうとするんだよ、特に若い女性スタッフが。

 むぅ。
 何もしないっての。

 まぁ、しかし、オレはそれでもまだいいとして、ルリちゃんは可哀想だな。
 自分で言うのもあれだが、ルリちゃんにはちゃんとオレという好きな人がいるんだから、オレなんかと噂になって──って、何か頭が混乱してきたぞ。

 …………はぁ、もういいか。
 そう言えば、コウノも噂を聞いて以来変になったよな。
 こいつはこいつでなんかルリちゃんに冷たいし。
 全く訳の分からないことばかりだ。

 相変らずオレの仕事も無いしな。
 まぁ、戦争も終ったし、火星の後継者も殆ど倒したし、当たり前と言えば当たり前だが。
 今更わざわざナデシコCに喧嘩を売るなんてバカのやることだ。

 ──って、そう言えば重大な事実に今気がついたぞ。
 今回の任務とやら、まだオレは詳しく聞いてないんだが……。

 ん?
 そう言えばなんでプロスさんが乗ってるんだ?
 やっぱり何か裏がありそうだな。
 まぁ、それは最初から分かってたことでもあるが。
 大体『シュバルツクルクス』なんて言う不安定極まりない実験機を持ち込まされた時点で何かが変だしな。

 どちらにしてももうオレにはどうしようもないが。
 後でルリちゃん辺りにでも聞いておくか。

 ……いや、止めとこう。
 また妖しい噂の的になるだけだ。
 仕方が無い。
 あいつが知ってるかどうかは疑わしいが、コウノにでも聞くことにするか。

 そう決めると、オレは早速踵を返してブリッジを後にしようとした。
 …………が。


「何処に行くんですか?」


 冷え冷えとした、まさに北極?ってな感じの極寒の少年の声がオレを遮る。
 最早ウンザリしながらオレが振り向くと、案の定ハーリー君がオレを睨み据えていた。
 ……怖いって。
 一体オレが何をした?


「おい、ハーリー」

「黙ってて下さい、サブロウタさん」


 そんなオレの気持ちも知らぬげに、ハーリー君はその隣りで苦笑しながらやんわりと彼を止めようとする派手な男──確か、サブロウタだったか?──の制止を無視して隔意有りまくりの口調で更に続ける。


「まだ勤務中ですよ。昨日も一昨日も、顧問はすぐにどこかに行って、勤務時間の半分も仕事して無いじゃないですか」

「いや、そう言われてもな」


 正直この戦略戦術顧問と言う肩書きがお飾りなのは大抵のクルーが知っている。
 何と言っても中佐とは言えたかがパイロットに過ぎない自分にそんな大層な役が勤まる訳も無いし、第一この船の艦長はルリちゃんだ。
 今更そんなものが必要とは思えない。
 実際、オレの存在は一部のスタッフの間では軍上層部のお目付け役というか、目の上のたんこぶと言うか、とにかくそんな感じで認識されて厄介がられている節もあるし。

 でもだからと言ってこのハーリー君のように、「何が目的だ、部外者め!!」って感じの視線はどうかと思うぞ。

 …………まぁ、つまりは、だ。
 はっきり言ってオレには通常すべき仕事なんぞ欠片も無い訳だ。
 大体乗せられる事を聞いたあと、何の説明も受けてないんだぞ?
 これじゃどうしようもないよな?

 オレとしては、キノコよりはまだオレのほうがマシだと思うが。
 何もしない代わりに、誰の足を引っ張るでも無いし。
 ハーリー君だって、オレが嫌いならオレが勝手に出ていくのくらい放って置いて欲しいんだが。


「そう言われても? ……そう言われても、何です? あなたは士官です。しかも大佐待遇の中佐です。パイロットでもありますから、危険手当も含めてかなりの高給取りの筈です。最近は軍も優秀な人材を民間に取られない為か、金払いはかなり良いですからね──これも艦長のおかげですけど。まぁ、それはそれで結構なことですよ。基本的に軍は労働に対する対価が安すぎますから」

「いや、今一何が言いたいのか分からんのだが」


 推測は出来るが。
 しかし……。


「顧問の今月間の単位時間辺りの予想所得を手取りで評価してみました。その結果──何と艦長の六倍です。これがどう言うことか分かりますか?」

「……さぁな……つーか、どうやって調べたんだよ」

「そんなもの、顧問の口座に侵入して──げふんげふん──と、とにかく、マルクス主義は死にました!」

「はぁ?」


 推測が外れた。
 むしろさっぱりだ。
 何気に犯罪の匂いがするし。
 そもそもマルクス主義ってなんだよ?


「プロレタリアが圧迫されます。役所がそんなだから社会が腐ります。そう言う社会の歪みがテロリストなんかを生み出すんです」

「いきなり話が飛躍するな……」

「そうなるとあなたがテロリストを生み出したも同然。テロリストの味方はテロリストですから、あなたもテロリストです!」

「おい」

「テロリスト? ……何で艦長はテロリストなんか追ってるんです? て言うか、誰なんですか、テンカワアキトって? これもあなたのせいですよ、顧問!」

「いや……正気か、お前?」


 正直、最早何言ってるか解らんし。


「何でですか? どこがいいんですか、そんなテロリストの? 大体──」

「ハーリー君、鬱陶しいから少し黙ってくれませんか?」


 いい加減ウンザリしたのかルリちゃんから突っ込みが入るし。


「か、艦長? 別に、僕はただ──」

「うるさいですよ、ハーリー君」


 何気にキツイし。


「う、うわ〜〜〜ん。艦長〜〜〜〜」


 ハーリー君はそのままどこかに走り去った。

 ……お前こそ仕事しろよ。






「よく考えたら、だ。お前の仕事って何なんだ?」


 当初の予定通り、結局はコウノに話を聞くことにして、オレはコウノの部屋を訪れていた。
 意外と渋い趣味なのか、出された羊羹を遠慮なくぱくつきながら、何とはなしにそんなことを質問してみる。

 確かに、考えてみると疑問だった。
 オレでさえ仕事が全くないという現状。その副官たるこいつは普段一体何をやってるんだろうか。
 大体、今のこの通常勤務時間に部屋で昼寝をしてたような奴に仕事なんぞあるとは思えんけど。

 その所為なのか、オレが部屋を訪れた時は、つい正気を疑ってしまうほどの喜びようだったし。
 不気味に満面の笑顔を浮かべつつ、オレを歓待するコウノは只管妖しかった。
 オレが入った途端、何故かドアのロックを閉めたのにかなり下心を感じたので有無を言わさずに回し蹴りを決めておいたが。

 まぁ、しかし、元々無理があったんだろうな。
 戦闘行動を想定しない任務とやらに戦略も戦術もない上に、その担当者が何一つ事態を知らされてないし。
 さっきハーリー君が言ってたように、不気味なほどに給料は振り込まれてるし。


「干されているにしては金払いが気持ち悪いくらい良いしな……とは言え仕事がない」


 少し複雑な表情で眉根を寄せたオレに、コウノは同じような渋い表情で応えた。


「まぁ……正直、やること無いんですよ、オレ。何も」

「何も?」

「ええ。中佐はパイロットですし、無理すれば仕事もあるかも知れませんが、オレなんてここに来てから毎日昼寝してるだけですよ」

「……それは如何なもんだろうな」


 オレ以上の給料泥棒がここにいた。
 とは言え、軍の上層部は一体何をしてるんだ?
 キノコを提督にするのも問題なんだが、仮にも情報部の最精鋭を毎日昼寝させておくとは……。
 自覚はないが、オレも一応軍最高のパイロットだった筈だが、はっきり言ってオレも暇。


「……ハーリー君風に言えば、お前もテロリストだ」

「は?」

「いや、よく分からんけど、そうらしい。何か彼はテロリストに悪い思い出でもあるみたいだし」

「はぁ」


 と、言うよりは、テンカワアキトを嫌っていたみたいだ。
 自分でも碌な人間だとは思わないが……しかし、これが世間の声だということか。
 ますますルリちゃんには会わせる顔がないな……。

 なのに、ルリちゃんはそんなオレをまだ……。

 立場上、彼女には辛いこともある──あったかも知れない。
 色々と下世話な噂もされたかも知れない。それでも彼女はオレを信じていた。

(改めて、オレは何をやってるのか……ふぅ)

 そこまで考えて、軽く頭を振った。
 まぁ、今はそれを考えても仕方がない。
 それよりも。


「しかし……何か裏があるのか、この任務?」

「実は中佐、そのことですが──」

「ん?」


 ふと、打って変わって真剣な声音になったコウノの方へ顔を上げる。
 コウノはオレの瞳を見詰め返すと、数秒ほど躊躇うように何かを口中で呟き、それからゆっくりと言葉を紡ぎだした。


「『メビウスリンク・システム』──恐らくはそれが軍の狙いです」


 それは、どこか忌々しげな口調だった。






「うぅ……艦長……」


 飛び出したものの、誰も追いかけてはくれず、ハーリーは一人自室でいじけていた。
 彼の身体に対して広いベッドの、何故か隅っこに体育座りをして、シーツにのの字を書く。
 とりあえず、孤独だった。

『うるさいですよ、ハーリー君』

 思い出すたびに眩暈がする。
 彼の尊敬する上司にして最愛の女性でもあるホシノルリ少佐の、如何にも呆れたような表情が脳裏にこびり付いてはなれなかった。
 とにかく惨めだ。

 一体何故こんなことになったのだろうか。
 ついこの前までは、二人の周りをあんなにも幸せで、ちょっとバラ色ちっくな世界が取り巻いていたというのに。

 ちなみに、客観的には誓って、全く持って、欠片も、そんなことはなかったのだが。
 ただ単にハーリーの脳味噌に、ルリとのありもしない愛のメモリーが記憶されていたに過ぎない。

 例えばルリが何らかの理由で微笑んだ時、彼は何の疑いもなくそれは自分に向けられていると信じられた。
 例えばルリが彼に仕事を押し付けた来た時、彼は何の疑いもなくそれは自分への信頼ゆえであると信じられた。
 例えばルリが彼にキツイ言葉であしらった時、彼は何の疑いもなくそれは彼女の照れ隠しだと信じられた。

 端から見て、それはもうかなり末期的だったらしい。

 ──まぁ、それはさて置き。

 とにかく、ハーリーにとって見れば、そんな夢のような楽園の時代が唐突に終わりを告げたように見えたのである。
 それは、思い出すも忌々しい憎き一人の女によって。
 彼女は、キノコの娘の癖に美しく、頭も良かった。能力的にも社会的ステータス的にも文句の付け所もない。
 人柄はと言えば、まぁ、女らしくはないとはいえ、ある意味彼よりも男らしい。
 ハーリーはこれでも男の積りだったので、それは余り嬉しくない。

 最近はどうも、気に入らないことが多い。
 テンカワアキトに続き、カンザキユウキ──一体何様の積りなのだ。

(うぅ……僕の艦長が)

 何時の間にかルリはハーリーの脳内で彼のものになっていた。
 100%ストーカーの思考である。
 当然、本人は欠片も自覚はなかったりするが。

(こうなったら……消すしか無いんだ。顧問が消えれば艦長は僕のもの)

 激しく勘違いしつつ、結構犯罪の香りがする。

(……はっ、そうか。きっと艦長は嫉妬してたんだ。僕が顧問とばかり話をしてたから。ふふ、艦長って意外とやきもち焼きなんだな)

 本人が聞いた途端、恋と同時に人生が終ってしまいそうなことを心中で呟いてみる。
 どうでもいいが、もう彼はダメっぽかった。

 ──と。


「ぴっ」


 彼が危ない笑みと共に更なる妄想に耽ろうとした時、切断するのを忘れていたコミニュケが着信を告げた。
 こんな時に──そう思ってしぶしぶ回線を繋げようとして、そこに映った人物の顔に一気に表情が明るくなる。


「か、艦長ぉ…」


 モニターの向こうでは、彼の愛しい少女が優しげな笑みを浮かべている。(ハーリー主観)

 感動した。
 やっぱり何だかんだ言っても艦長は自分の事を──


『……いい加減に仕事に戻って下さい。減俸しますよ?』


 ──な訳なかった。
 現実は厳しいというか、ルリはきつかった。


「う、うわあああああああああああああああああああん」






「『メビウスリンク・システム』──恐らくはそれが軍の狙いです」

「『メビウスリンク・システム』?」

「はい。軍、そしてネルガルが血眼になって求めている古代火星の遺産です」

「何なんだ、それは?」

「さぁ?」

「おい」


 突っ込むオレに、コウノは困った顔をして肩を竦めてみせた。


「肝心な部分は流石にプロテクトが厳重で、分かりませんでした」

「そうか。……って、プロテクトだと? お前、まさか──」


 応えず、代わりにコウノは苦笑を浮かべる。
 オレは、それでこいつが何をやったのかを理解した。
 それは明らかに軍への叛逆行為──以前に、犯罪だった。


「何を考えてるんだ、お前は」

「中佐のことです」

「……」


 即答だった。
 まぁ、それはいいが……何故そこで頬を染める。
 不気味だった。


「ま、まぁ、それはさて置き、だ」

「さて置かないで下さい……まぁ、しかし、確かに今回の任務、何かがありますね。それも中佐を中心として」

「どう言う意味だ?」

「……そこまでは。ただ、『メビウスリンク・システム』『シュバルツ・クルクス』──これらの単語が符号のように、重大な何かを示すように──上手く言えませんが、暗号文のようなモノが軍のデータベースにありました」

「?」


 言っている意味が分からない。
 オレは問い掛けるような眼差しを向けた。

 コウノはこくりと、神妙な眼差しで頷き返す。


「……正確には、それは軍の、ではなく、遺跡の、と言うべきですね。彼らは火星で何かを見つけた。軍のデータベースにはおぼろげながら解読出来たメモのようなものが記憶されていました。それが──」

「『メビウスリンク・システム』と『シュバルツ・クルクス』?」

「ええ。軍、そしてネルガルの研究を纏めると──『メビウスリンク・システム』は火星を滅ぼした悪魔で、『シュバルツ・クルクス』は火星を滅ぼした天使だそうです」

「……さっぱりだな」

「まぁ、オレもさっぱりなんですけどね。ただ、それが火星の遺産で、軍とネルガルが必死になって探していることは間違いありません」

「むぅ」


 火星を滅ぼした悪魔。
 火星を滅ぼした天使。

 まずはそれの違いが解らんし。
 そもそも、火星を滅ぼしたような危ないものを、何故欲しがるんだろうか?
 もしそれらを人類が御し得ると考えているなら──勘弁してもらいたいもんだな。
 遺跡であれだけの悲劇を生み出しておきながら……まだ懲りようとしないのか。


「なぁ、コウノ。それで、『シュバルツ・クルクス』というのはオレの機動兵器と何か関係が在るのか?」

「分かりません……が、そう考えるのが妥当でしょうね」

「そうだな。かなりあからさまだが」


 しかし。
 何だかややこしいことばかり起こるな。
 オレの正体とか、闇の王子の存在云々とか、軍とネルガルの行動とか──あぁ、だからプロスさんが絡んでるのか。


「どちらにせよ、情報が不足しています。一先ずは様子見ですね」

「……そうだな……っ」


 火星を滅ぼした悪魔。
 火星を滅ぼした天使。

 そして、『メビウスリンク・システム』

 何かが引っかかっていた。
 ただ、それが何かは分からない。

 酷く頭痛がする。
 知ってはいけないことを知ろうとしている──何故かそんな錯覚に陥った。

(バカな)

 オレは軽く頭を振る。


「中佐?」


 顔を上げると、心配したのか、コウノがオレを覗き込むようにして見ていた。
 熱でも測る積りなのか、なぜかコウノが額に手を伸ばしてくる。

 どこか、懐かしい気がするのは──これは、カンザキユウキの記憶なのか。


「中佐……ユウキちゃん?」


 どうしてだろうか。
 急に意識が朦朧とし始めてくる。
 分からない。

 何が?

 わたしが。
 わたしがわたしを分からない。

 わたしは──わたしは。

 誰?

 いつの事だったのだろう。
 わたしがわたしを失い始めたのは。

 違う。

 オレは──テンカワアキトだ。

 けれどもわたしは知っていた。
 ケイスケの手の平のぬくもりも。
 あぁ、あの時だ。
 わたしが一度だけ風邪を引いた日。
 ケイスケが看病してくれて──あの頃は、わたしの事、ユウキちゃんって呼んでくれてたのに。

 ……違う、自分で捨てたんだ。






 あの日わたしは何かを無くして。
 大切な、モノを。
 何かを殺したいと思った。

 それはとても哀しくて。
 わたしは。






 あぁ……わたしは。
 わたしは失われたのだ。


「……ケイスケ」

「──っ」

「? ”ケイスケ”?」

「あ……いや、どうした?」

「わたしは──わたしは何時から……」

「……ユウキちゃん?」

「……わたしは……もう……」

「大丈夫だ。……オレは約束は守る」

「ありがとう……ケイスケ。……あ、母さんは? 母さんは無事?」

「……え?」

「母さんは──」

「……無事だよ。ミキさんなら大丈夫だ。だから安心しろ」

「そっか。良かった。……父さん、来てくれたんだ」

「……」

「父さん──あんなでも、やっぱり……本当は、そう言う人だと信じてたから、わたし。だから、良かった」

「……」

「みんな色々言うけどね、わたしは……父さんのこと、嫌いじゃないよ。優しい人だと思う」

「……」

「……ねぇ、ケイスケ」

「……ん?」

「ケイスケは、どこにも行かないでね」

「ああ。オレ”は”約束を破ったりしない」

「……うん、ありがとう」

「だから」

「……?」

「だから……ユウキちゃんも、どこにも行かないでくれ」

「……」






 …。

 ……。

 ………。






 まだ記憶に新しい。
 わたしは忘れることが出来ないでいる。
 わたしは。
 けれど。

 わたしは──失われるのだ。






「ごめんね」

「ユウキちゃん?」

「ごめんね……ケイスケ」

「……オレはっ」

「……ごめんね」

「メビウスは──オレが殺す!!」

「……ありがとう。でも、無理だよ。それは表も裏もなく……わたしは、もう……」






 あぁ。
 わたしは──失われたのだ。






 …。

 ……。

 ………。






「ユウキちゃん!!」


 ん?

 ふと、オレは我に返った。
 ……一体オレは何をしていた?

 どうも、意識が曖昧だった。
 ぼうっとして、上手く思考が働かない。

 自分が何を考えて、何をしたのか思い出せない。
 それはほんの数十秒の出来事だったろうにも拘わらず。

 ただ、現状が今一理解できない。

 何故なのか、オレはコウノに抱きかかえられるようにして、奴に体重を預けている。
 むしろ、恋人に身を任せているとしか思えないような体制だった。

 ……しかも、自分でも気付かないうちに涙を流していた。
 見上げれば、コウノが優しげな、けれどどこか陰を含んだ笑みを浮かべてオレを見ている。

 ──寒気がした。

 怖かった。
 コウノが。むしろ、オレが。


「ユウキちゃん……大丈夫だから」


 ……何がだ。
 どちらかと言えばお前が大丈夫か?

 ──って、おい、その手は何だ?
 何故オレの前髪を掻き揚げる?
 しかも何故唇を寄せてくる!?

 こ、こいつまさか──。


「こ、この痴漢があああああああああああああ!!!!」


 ぼぐぅ。


「ぐはああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 とりあえず痴漢を撃退。
 全く油断も好きもないな。
 そもそも、意識が朦朧としてる女を襲うとは、全く見下げ果てた奴!

 しかもユウキちゃんだと!?

 ぞくっ。

 思い出しただけで鳥肌が立つし。

 しかし、訳が分からんぞ。
 何故にオレは意識を失いかけていたのか……泣いた覚えもないし。

 自分の行動が分からんとは……怖すぎるぞ。
 今回は未遂だったが、下手したらオレはコウノに……うぅ。

 オレは思わず肩を抱いて身震いをすると、転がって唸ってるコウノの顔面に止めの踵を入れた。


「うぐぇ」


 不気味な声を上げつつ沈黙。
 まぁ、己が罪を悔いるんだな。

 ……それはそれとして、しかし。


「『メビウスリンク・システム』──か」


 名前を聞くだけで、なぜか身の凍るような感覚に囚われる。
 もしかすると、オレは知っているのかも知れんな。

 いや。
 知っているのは……カンザキユウキなのか。

 分からん。
 だが。


「何か良くないことが起きる──何故かそんな気がする」


 オレは誰にともなく、そんなことを呟いていた。



続くんでしょうか?(笑)




後書き by XIRYNN

まぁ、そういう事で。
HDD全消去はキツかったですが、頑張ります。

漸く物語が動き始めました。
基本的にギャグ調なので、早々にばれそうな伏線ですけど。
それにしても、ヒロイン兼ヒーローってのは如何なものでしょう。