キノコの娘
作 XIRYNN 暇だった。 何と言うか、もう絶望的なまでに。 曲がりなりにも勤務中に考えるべき事でもない気もするんだが、本当にそうなのだから仕方がない。 兎に角仕事が無いから。 一応その辺の事情をプロスさんにも確認してみた所、”有事の際にはよろしく”とのこと。 つまりは未だ絶対に安全とは言い切れない航行における保険のようなものらしいが。 それだとしても既にこのナデシコには充分に訓練されたパイロットたちが搭乗している。 敢えてオレが必要になるとしたら、それは北辰や”闇の王子”クラスの化物が襲撃してきた時くらいだろう。 それだってこの二名が今更現れるなどあり得ない筈だが。 まぁ、あのキノコだってのうのうと生きて現れたんだから、絶対に無いとは言い切れんのかも知れんがな。 それにしたって極僅かな可能性だろう。 結局平時に仕事が無い状況は変わらないし、これといって趣味も無いオレには退屈なだけだ。 他の忙しいクルーの手伝いをしようにも、軍のお目付け役紛いのオレの立場の所為か、どうも今一距離を置かれているようでやり難いし。 とは言えコウノのように部屋で休んでいると言うのもどうかと思うから、一応はブリッジに顔を出すだけはしている。 でも、あそこには余り長居したくなかったりする。何故ってあのハーリー君がいるから。 先週以来何かとしつこく突っかかってくるのはいいとしても、最近はますます狂気じみてかなり怖い。 独りでブツブツ呟いてたり、突如謎の奇声を上げたり。 難しい年頃だとは思うが、やはりあの年齢で戦艦勤めは色々とストレスが溜まるんじゃないだろうか。 ラピスの例もあるし、何かとオレも心配はしているんだが、如何とも侭ならないと言うか。 まぁ、オレが考えてどうなるものでも無いんだろうが。 そもそもそれ以前の問題っぽいしな。 ”だってハーリー君ですから。” そう言って溜息を吐いたルリちゃんの言葉の意味が、実感としてよく分かった気がする今日この頃。 しかし、それはそれとして──暇だ。 シミュレーションルームで利用可能なプログラムは、今更オレには幼稚すぎるし、他のパイロットの邪魔になる。 というか何処へ行ってもオレが顔を出した瞬間に一気に場が白ける気がする。 こっちをちらちら見遣りつつ、意味ありげに目配せしたりひそひそ囁いたりする連中もいるし。 ルリちゃんとの怪しい噂に加え、それでなくても軍最高のパイロットで、しかもキノコの娘。 端から噂する分には面白い素材なのは理解できる。 にしても、なぁ? 何気に苛められてるのか……オレ? 仕方が無いのでこうして一人寂しく、今日も今日とて謎の機体”シュバルツ・クルクス”の整備に勤しんでいる訳だ。 とは言え、仕様書にあるようにこの機体の大部分はブラックサレナのそれにほぼ等しい。 コウノに聞いた話からすれば恐らく、ネルガルが軍への言い逃れの為にでも技術を横流ししたんだろうな。 まぁ、それはいい。 幸か不幸かオレにはこの方が都合が良いだけだ。 「が、しかし……これは──何だ?」 相変らず訳の分からないパーツに手を触れ、オレは再度首を捻った。 この機体には、武装でもなく、制御系でもなく、その他のオレの想像するあらゆる部品でも無い謎の白い箱状のブロックが組み込まれている。 大きさは一辺が三十センチほどの立方体で、専門家でも無いオレに分かるのは、用途不明のコードでフィールドジェネレータに接続されていることぐらいか。 他には、内蔵コンピュータからかなりの本数の端子が伸びていることだけだ。 仕様書には”システムELM”として紹介されているが、肝心の機能がまるで説明されていないので全くその詳細は分からない。 直接機体のOSに問い合わせてみても、どうもソフト自体がこのハードを認識していない様子だ。 単にこの部品に関する情報にアクセスする権限がオレにないだけかもしれんが。 「むぅ……やはり怪しいな」 もう一度観察してみる。 外観からはまるで機能を推し量れない。 それどころか、あまりにシンプルすぎてどこか玩具染みてすらいる。 まずこの機体のスペックからして、こんなものを必要としそうなほど突飛な機能もないのだ。 となれば、この部品もまともに使用されていないのだろうに、外したままセットアップしようとすると内部エラーで強制終了する。 謎だ。 単純に考えると、恐らくこれが例の”火星を滅ぼした天使”の秘密に関することなのだろうが、これだけでは何の役にも立ちそうに無い。 まぁ、何はともあれ怪しい。 「出来ることならこんな訳の分からない機体には乗りたくないんだが──ん?」 ふと、ざわつく違和感にも似た──背筋を撫でられるような、そう言う感覚が襲ってきてオレを振り向かせた。 粘着質ともいえるそれと、恐らくは機械越しであろう名状しがたくも硬質なそれの二つ。 見られている? いや、それ自体はここへ来てからは珍しいものじゃないが。 こんな感じの、監視されるような気配は初めてだ。 このパーツに興味を持ったことに警戒をしている? ならば軍か? ネルガルか? どちらにせよ余りここにも長居はしないほうが良さそうだな。 取り敢えず、これは元の位置に戻して……。 (動揺は無い……一応はプロ、か) 心中で呟きつつ、視線の元を確認する。 (? これは──面白い) 探るまでも無く、その気配はオレのすぐ側にあった。 いっそ愚かなほどに大胆に、隠れようも無い程堂々と。 確かに、クルーの顔と名前も一致しないオレには一番効率的かも知れんな。 もし見付かっても、他の噂好きのそれのフリをすれば簡単に誤魔化せるだろう。 だがまぁ、オレは普通じゃなかったと言うことだ。 まさか視線の種類まで認識できるなんて、誰も考える筈は無いが。 「さて。そろそろ行くか」 不完全ながら、自分で機体の外部装甲を閉じて、後の整備を専門家に受け渡す。 流石に細かい調整まではオレには出来ないからな。 こうしてオレが点検するのも、半ば自己満足的なものだ。 「毎度済まないな。余計な手間を増やしてしまって」 「あ、はい。でもこれが仕事ですから。後はお任せ下さい」 「あぁ。そうだな。……では、後は頼む」 担当の整備員に挨拶をしてから、オレは出来るだけ隙の無い動きで踵を返した。 それから擦れ違いざまに、少しだけ意地悪な口調でその整備員の男にだけ聞こえるように囁きかける。 「だがもう少し上手くやることだ。気が付かないと思ったか?」 「!──どう言う意味です?」 ピクリ、と。 緊張の所為か、男の肩の筋肉が引き攣るのが分かった。 空気の流れ? 微弱な音? 或いは”気”とでも言うのか? そのどれでもあり、どれでもない。 自分でも良く分からない感覚だ。 機械越しの気配すら悟るこの異常知覚に気が付いたのは、極最近の事だ。 最初は感覚を図らずも”取り戻してしまった”ことか、もしくは全く別人の肉体を使っているだろうことの副作用的な錯覚だと思っていたが。 だが、この感覚は何故かいつも信用出来る。 まぁ、元々オレの存在自体が異常なのだ。 それを考えればこの程度の事など、今更かも知れんな。 結局はこう言う状況を受け入れてしまっている自分に自嘲の笑みを浮かべつつ、男に向けて意図的にプレッシャーを掛ける。 「……くっ」 「何の積りかは知らんが、余り下らない真似はやめて貰いたいな。この機体には何がある? そしてオレの何に興味を示している?」 「……」 「だんまりか? それもオレには無駄なんだが。言葉以上に饒舌なものがオレには分かるからな。少なくとも、何かがある、ということは隠し得ない」 「……化物が」 「……?」 ”化物”。 何と言うことの無い単語だ。 ”闇の王子”時代にも、幾度となく呼ばれたものだ。 主に負け犬の捨て台詞として。 だからそう呼ばれること、憎悪されること自体に何の感慨も無い。 そんなことで傷付くような繊細な心はもうとっくに捨てた積りだ。 そうでなければやってはいられなかった。 ”テンカワアキトはもう死んだ”のだから。 いや、まぁ……今となっては色々な意味で、だが。 ただ、男の口調が気になって思わず振り返る。 流石に少しプレッシャーを掛けた程度で、曲がりなりにもその道のプロがここまで怯えを露わにするものか? 余程恐ろしかったか、或いは──。 「!! メ、メビウス……っ」 「!?」 何だと? それはどう言う意味だ? メビウス──例の”メビウスリンク・システム”のことか? だが何故オレを見てそんなことを口走った? メビウスとは何だ? それとも……”誰”だ? 「ひっ」 知らず気を逸らしたオレの逡巡を見て取ったのか、男は迷いなく脱兎の如く逃げ出した。 勝てない争いはしない……エージェントとしては当然の反応だが、これはそれとは多分違う。 何より気配を断てていない。 周りの事など何一つ気にせず、ただひたすらに走り去るその姿は、本能的に飛び出す草食動物のようにも見える。 それほどの怯えを、ただ言葉を交わしただけの人間から感じられるものだろうかと言うくらいに。 「メビウス?」 何よりその言葉が脳裏にこびり付いて離れない。 どこかで聞いたことがあるはずで、口にすると何故か背筋に寒気が走る。 「メビウス……それは……」 考えてみても何も分からなかった。 ただ正体の分からない怖気がするだけ。 それでもそれが、何かとても良くない物だと言う事は分かった。 それ以上は、きっとどうしようもないのだとしても。 ふと何気無く、自分の白く細い指先を見詰めた。 意思とは裏腹に、ぶるぶると小刻みに震えている。 記憶は相も変わらず曖昧だったが、この身体はもしかするとメビウスを知っているのかもしれない。 そしてそれは、絶対に楽しいものじゃない。 漠然と、根拠も薄いままにそう思う。 「……メビウス……」 もう一度呟いて、半ば無理矢理拳を握り締めてから。 オレはそのまま努めて何事も無かったのようにその場を後にした。 兎に角不愉快だ。 「まぁ……考えてどうになるものでも無い、か」 とは言え、この良く分からない不快感までは晴らしようが無い。 そうだな。 気晴らしにコウノをからかいに行こう。 どうせあいつも暇なんだろうし。 そのついでに監視のことも話しておこうか。
"残酷にコロして"
「ピアサよりヴェスルへ」 誰もいない筈の薄暗い寝室で、ケイスケは虚空へと向けて声を掛けた。 仕官用のやや広めのその部屋は、彼の荷物の少なさも手伝ってどこか寒々しく、返答を期待しない彼の声も何度も壁に跳ねては消える。 それが何かおかしくて、ケイスケはふっと笑みを浮かべた。 「作戦内容を確認。本日定刻通り、プランAを実行。聖戦を待ち、悪魔を天使の胎内で抹殺する」 恐らくは関係者でもなければ分からない隠語を用いてとは言え、必要もないのに軍事機密を態々声に出して宣言する。 闇の中のかすかな気配が、警告するように、刹那だけ殺気を放った。 ケイスケは、それをさして気にする風もなく続ける。 「計画はこれまで順調。ほぼ完璧だな。とは言え、イレギュラーは結局、一番身近な所で息を潜めていたわけだ」 「…………」 「ふっ、どうせ初めから予想していたことだろうに。妨害も多い。まぁ、元々楽しい内容じゃないからな」 「……裏切る積りか、ピアサ……軍を──いや、エルムを敵に回してまで」 「さて」 「……メビウスは殺せ。エルムだけは引っ張り出すな。分かっている筈だ、あの化物どもが争えば、誇張でもなく世界の破滅だぞ」 「だけど……オレはユウキちゃんが好きなんだよ。命も惜しいしな」 「……なに?」 軽い調子で答えたケイスケの言葉に、ヴェスルと呼ばれた男の殺気が再び強まった。 ケイスケはそれを肌で感じ取ると、口元ににやりと笑みを浮かべてみせる。 「男が何かを裏切るのは、大抵女か、保身のためだろう? それは、歴史も証明してるさ」 「……これはその比ではない。下手をすれば、その語るべき歴史すら無為になる」 「そうかな?」 「惚けるな。知っているはずだぞ。軍はメビウスの研究と利用を断念した。まさか、宇宙開闢の推定0.68倍のエネルギーをその身に秘めた存在をどうすることも出来まい。火星を滅ぼした悪魔──あの火星をだ。ことは単純ではない。殺せ! さもなくば、我々に未来などない」 「……何時になく饒舌な事で。余程怖かったのか?」 「っ……貴様」 「全く……下らんね」 溜息をついて。 ケイスケは思わず息を詰まらせるヴェスルに、どこか同情するような声で答えた。 いや、或いはそれは自嘲にも似た、深い諦観のようなものだったのかもしれない。 「確かにオレもメビウスは殺したい。でもな、そんなことが物理的に可能だと思うか? あのエルム以外に、だ」 「その為の天使──シュバルツ・クルクスだろう。既にサンプルによる実験は成功している」 最早諦めたのか、ヴェスルは隠語を用いず、苛立たしげに洩らした。 ケイスケはそんな彼の言葉に鼻を鳴らすと、ベッドに身を沈ませながら深々と溜息を吐く。 「無理だな」 「何だと?」 「……あれは人に殺せるような可愛いものじゃない。それをオレは身を持って知っている。それだけさ」 「臆病風に吹かれたか」 「違う──いや、そうかもな。そう取って貰っても構わない。でもあれは違う。お前は本当のあれを知らないだけだ」 「……」 「あの時お前も垣間見た筈だろ? 何を思った? 純粋な、本能的な震え、恐怖、違うか?」 「…………」 「あれですら片鱗だ。ましてや火星すら破滅させた力、人に何が出来る?」 「…………」 その沈黙に何を思ったのか、ケイスケはふっと淡い笑みを浮かべた。 「まぁ、例え殺せたとしてもそれでユウキちゃんが失われてしまうなら、意味は無いしな。馬鹿げてるし、本末転倒だ──少なくともオレにとっては」 「メビウスを殺せばカンザキユウキも死ぬ。どちらにせよ貴様の思い描く未来など無い。貴様も軍人なら甘い考えは──」 「──甘いのは」 「……?」 ヴェスルの言葉を遮り、ケイスケは腹筋の力だけでゆっくりと身を起こす。 そのまま軽く伸びをして、無造作に脱ぎ捨てられていたナデシコの制服の上着に袖を通した。 鏡の前で軽く頭髪を整えて、何時もの軽薄で少し自信無さげな笑顔を貼り付ける。 「甘いのは、そう言う考えじゃないのか。軍だとか、大事の前の小事だとか、そう言うのは結局誤魔化し。手に入らない何かへの負け惜しみじゃないか。自己正当化で満足するほど落ちぶれた積りは無い」 「ふざけた事を」 「ふざけてはいないさ。オレには愛国心も無いし、英雄願望も無い。まして軍への忠誠なんてもんは欠片も無い。お前たちはそれを承知でオレを使ってきたはずだ」 「くっ、貴様──ただでは済まんぞ」 ヴェスルの声音から完全に余裕が消え、その内容が純粋な恫喝に変わった。 けれどケイスケはそれを気にせずに、ゆったりとした動作で部屋のドアを開ける。 それから振り向き様、嘯くような口調でそっと一言。 「あぁ。生きて帰れたらそうするといい」 「……そろそろ時間か」 相も変わらずコウノは暇を持て余していた。 まぁ、そう言う確信があったから部屋まで誘いに行ったんだが、それにしても昼間から一人で何をしてるんだか。 少し用事があるというので、暇つぶしがてらルリちゃんにミーティングルームの使用許可を貰ってきた訳だが。 その間部屋を出た様子も無い。誰かが訪ねて来た様子も。と言うか、一般クルーは勤務時間だし。 仕事……は、そもそも無いし。 そうすると例の天使や悪魔の調査か? 部屋で出来る事と言ったら、幾らこいつが情報部の精鋭といっても盗聴だのハッキングだのしかないはず。 幾らなんでもマシンチャイルド二人とオモイカネの監視するこの船でやるのはリスクが大きすぎるだろうに。 まぁ、いい加減怪しいのは確かなので、必ずしもこちらが下手に出る必要は無いだろう。 建前上とは言え、戦略戦術顧問という肩書きのある自分に軍のものと思しき監視がついていたことは疑いようも無い。 コウノのように直接的手段に出るのはどうかと思うが、少なくともあの間抜けな監視のおかげでオレが「メビウス」と「シュバルツ・クルクス」に疑問を持つ口実は出来た訳だ。 軍が嘗てのナデシコAとのいざこざの際のように開き直る積りなら、それこそこちらがこそこそする必要はない。 軍を敵に回すとなれば、それは並大抵の覚悟じゃ無理だろうが……オレには今更だな。 それに、オレは──より厳密にはカンザキユウキは「メビウス」という名前の何かに根深い恐怖を抱いてる。 何を敵に回そうと、「メビウス」に比べれば全てが些細な事に思えてくるのも、きっと彼女の深層意識が原因なのだろう。 勿論、全ては推測の域を出ないが。 だが、どちらにせよ問題を放置する積りは無い。 相手が”火星を滅ぼした”などという物騒極まりない曰くを持つ限りは。 まぁ、何はともあれどの道ルリちゃんの支配下にあるこの船では何処で何しようと同じだろう。 ハーリー君は微妙な所だが、オレはルリちゃんの信頼を得ている、と思うし。 ルリちゃんがオレの敵じゃないというのもオレの希望的観測に過ぎないかも知れないが、それでも今のルリちゃんは一人の人間として信頼できるだろう。 嘗ての彼女とは違って、今はとても優しい子になったからな。 それはオレが彼女の何かを捻じ曲げてしまった反動かも知れないが。 悲しみを知る人ほど優しいというのは、多分ある程度真理だと思うから。 ……と。 そんなシケた話はもういい。 もうコウノもミーティングルームの方へ向かっている筈だ。 オレもさっさと行くか。 「遅いぞ、コウノ。何をしていたんだ?」 そう思いきや、オレの折角の心遣いにも拘わらずコウノが部屋から出て来たのはそれから30分後の事だった。 常人には分からない程度に息の乱れがあるところからして、急いでやって来たみたいだが……本当に、一体何をしていた? コウノを誘いに行ってから、食事をとりつつ同じく休憩中だったルリちゃんに口約束で部屋の使用許可を取って、それから一時間はぼうっとしていた筈だが。 どうでもいいが、こんなアバウトなやり取りで勤務時間中のミーティングルームの使用許可が取れる辺りさすがナデシコだ。 幾らオレとコウノが幹部待遇だとしても、これはどうなんだろうな。 後でハーリー君辺りにねちねちと嫌味を言われそうな気もするんだが。 それはそうと、あれからもうかれこれ三時間は経ってるはずだな。 この暇人に何をすることがあったのか正しく不明だ。 しかし、何故オレがわざわざコウノの部屋の近くまで迎えに来てやってるんだろうな。 いや、何となくと言うのか、何か妙な胸騒ぎがしたんだが。 最近──特にオレとルリちゃんの怪しい噂が流れ始めた頃からこいつの行動は妙な時があるし。 単なる嫉妬とも思えないコウノのルリちゃんに対する奇妙な冷たさに、時折覗かせる”素”の表情。 まぁ、別にこいつを疑った訳じゃない。 癪だが、カンザキユウキの意識が「こいつだけは世界が敵になっても味方」と確信している。 だからなのか、オレにもこいつを疑うことが出来ない。 変なやつであることには間違いないし、最近はどうも変態ちっくな言動が多いが。 例えば。 「え? いや……中佐のことを考えてたんですよ。そしたら何時の間にか時間がですね」 とかな。 そんなんで女が振り向くとでも──って、何だと? 「なっ……何を考えようと人の自由だろうが、何となく気持ち悪いぞ。一体何を想像していた?」 まさか本気じゃないだろうが、三時間も掛けて考えることじゃないだろ。 うわ、寒気するし。 というか、怖いだろ。普通に。 待ち合わせに遅れた言い訳に「あなたのことを考えてたら約束の時間を過ぎてました」とか言われたら……いや、これが初々しい少女ならまだ許せるかも知れんが。 いい歳した男が言ったら最早犯罪だろ。 思わず肩を抱いて一歩後ずさったオレに、コウノも少し慌てたように言い訳をした。 「べ、別にそんな変なことじゃないですって。一体オレのことをどう思ってるんです?」 「戦慄すべき変態」 というか、戦慄した。 「うわ、そんなストレートな」 「ふん」 いや、オレは真剣にお前を怖いと思ったぞ。 どうも最近のお前の行動には目に余るものがあると言うかだな。 セクハラ紛いのそれだけじゃなくて、直接的に痴漢行為未遂──というか、何故か気を失ってしまったオレにキスをしようとしていたし。 オレの中のカンザキユウキの記憶が正しいなら、そう言う関係ではなかった筈。 コウノがカンザキユウキに惚れているのは明らかで、カンザキユウキもまんざらじゃなさそうなのは何となく分かってきた。 と言うか、いい歳して初々し過ぎ。 でも、普通の女は例え幼馴染で、素材も中々とは言えこんな言動を繰り返す男に気を許したりするものだろうか。 蓼食う虫も好き好きと言えばそれまでだが、そう言う意味では彼女も母親の男趣味の悪さをとやかく言える娘ではないと思う。 ……と、言うほどでも無いか。流石にキノコと比較するのは酷だな。 アレは男云々を言う前に、生物学的に、いや、物理的に最低の部類だからな。 まぁ、考えても分かる訳が無いか。自分の気持ちですら、人は理解出来ずに苦悩する生き物だ。 まして、今はこんな身なりでもオレに女心など分かる筈もない。 それにオレにはこんなことを考える資格もない。 オレの過去を顧みるなら、先ずオレ自身が最悪と言っていいほどの男だったんだからな。 「……そんな筈も無い」 「ん?」 思わず心中で深い溜息を吐きそうになった刹那、コウノが何か自嘲気味に吐き捨てた。 反射的に見遣ったコウノの相貌には、どことなく暗い陰りが見て取れる。 こんな表情はよく知っていた。 それはきっと、自分への後悔と憎悪を抱えた狂戦士のものだ。 ほんの少し前まで、バイザーのフィルター越しに鏡に映ったオレ自身のそれと重なったのだから。 こいつもまた、多分闇を抱えている。 「あ、いや。何でも無いです」 僅かに眼を細めて覗くように見詰めるオレから視線を逸らし、コウノは何時もの緩んだ笑みを浮かべた。 だがそれもどこか噛み合わない歯車のような違和感を際立たせるだけ。 「じゃ、行きましょうか」 何かに訣別するように、或いは決意するように聞こえたその言葉に軽く頷いて、オレ達は静かに歩き始めた。 「……」 遠ざかっていく一組の男女へ呪うような眼差しを向け、男はやり場の無い怒りに歯軋りを立てた。 血が滲むのではないかと言うほどに強く拳を握り締め、ともすれば罵声をあげそうになる自分を押さえ、呼吸を整える。 暗く濁った瞳には、どちらかと言えば追い詰められた獣の危うさが見て取れた。 (このままで済むと思うな……”ピアサ”) 辛うじて踏み止まったように踵を返すと、ゆっくりと足を踏み出す。 いつもなら足音一つ立てない自分が、五月蝿いほどカツカツと床を鳴らす音に、やはり言いようのない苛立ちが募った。 これも全てはあの裏切り者──ピアサの所為だ。 裏切りそのものよりも、理解の出来ない理屈をしたり顔で嘯くようなあの態度が気に入らない。 どの道昔から気に入らなかったには違いないが。 いつもへらへらと笑って、それでいて誰よりも優秀だったのはあの男だった。 あのふざけた言動の所為で、結局は自分よりも出世することは無かったが、それでも上層部が誰を信用しているのかは一目瞭然だ。 何よりもあの男は──。 (──くっ、この私が仕事に私情を差し挟んでしまうとはな。だからこそ腹が立つ。私が不完全なのが嫌でも分かる。なのに貴様は私を笑っているのではないのだろう?) 結局はあの男のほうが優秀で、自分は相手にもされていない。 そんなことが分かり過ぎるくらい分かって、その度に激しい憎悪に我を忘れそうになる。 今もそうだ。 堂々とあの二人を見送り、あまつさえ足音を立て、あからさまに人の不審を買う行動をしてしまっている。 エージェントとしては三流もいい所だ。 そもそも、監視対象である筈のあの女にすら顔を見られ、そして少なくは無い恐怖を叩き込まれた。 (作戦実行の予定時刻までもう間もないと言うのにっ) こんな所で何をしている? そしてこれから自分には何ができる? 屈辱的なことだが、自分はただのメッセンジャーでしかない。 肝心のあの男が伝書鳩の言葉に否と首を振ったのだから、待つのは作戦失敗と言う苦い結末だけだろう。 いや、あの男が素直に従がわないことは誰でも知っていた。 その腕を充分に信頼されながら、それでもこの自分のような首輪をつけられたのは、結局はそう言うことなのだから。 つまり、自分は最低限の役目でさえ果たせなかった。 如何にあの男が、軍だけでなく”彼の存在”まで敵に回すような馬鹿者だったとしても、それは無様な自分には何の慰めにもならない。 そこまで考えてから、思わず口元に浮かんだのは苦い笑みの形だった。 何かを誤魔化し、忘れようとしている自分に呆れとも驚きともつかない奇妙な感情を覚えたのだ。 (いや……それだけでないのは自分でも良く分かっている。結局私は──) どちらにせよもう時間は無い。 当初の予定通り、プランAの実行はほぼ不可能と考えられる。 とは言え、この作戦に有効的な代案など無かったのだ。 全ては賭けだった。それも、相当に部の悪い。 思った通り敗北した──そう笑える類のものではないにせよ。 そもそも賭け自体が成立しなかった。全てはあの男を量り切れなかった上層部と、結局はあの男を御し得なかった自分の所為で。 慎重であるべき自分たちが、そうまでしなければならないほど追い詰められたことには、どこかおかしみも感じられた。 何とはなしに、浮き上がってきた諦めにも似た気持ちも否定はしない。 (とは言え、このままでは済まされん) 軍のためではなく。 自尊心の為でもなく。 恐らくは恐怖と、抑えがたい憎悪のために。 (こうなれば、メビウスは私が殺すしかない!!) なりふり構わず。何を利用してでも。 そしてずっと復讐したいと思ってきた自分は、もう認めねばなるまい。 (……アレを使うか) 幸いその為の準備は整っている。 今朝方「メビウス03」のマーキングは確認した。 完全ではないとは言え、それでも自分が死ぬ気になりさえすれば何とでもなる。 スマートではないし、そもそも確実性というものが無い作戦だ。 だが、今はそれ以上の作戦が無いこともまた事実だった。 (……この私が特攻か……全く) それから視線を動かし、今度は別の人間を視界に入れる。 ”彼”ならば恐らく間違いなく適合するだろう。これまでの調査でもそれは確かだ。 とは言えそうした試みはただの一度でも実験された例はなく、結局は理論上可能だという頼りない推測に過ぎない。 (全く……全く、分の悪い賭けだ) それでも最早選り好みのできる事態ではない。 男は静かに息を付くと、何かを探るようにジャケットの内ポケットに手を這わせた。 「……何の積りだ?」 驚いた、というか、素で謎だった。 必死で機嫌を取ろうとして来るコウノを軽くいなしつつ、漸くミーティングルームに到着したのはいいのだが。 「白々しいですね、顧問! 勤務時間にわざわざ密室を借りて若い男女がすることなんて決まってますよ! 不謹慎です!!」 「……改めて訊くが、正気か? と、言うかそもそもお前も勤務時間のはずだろうに」 「そんなことじゃ誤魔化されませんよ!」 「……いや、そう言われてもな」 まぁ、つまりだ。 オレ達が二人で部屋に篭ったのを見計らっていたのか、いきなりハーリー君が踏み込んできた訳だ。 しかもやたらと妄想染みたことを自信満々に、何かもう鬼の首をとったような嬉しそうな顔で。 思春期だから、色々想像するのだろうか。 若い男女が密室ですることが一種類しか思い浮かばないのか。 それは呆れるを通り越して怖い。大体、お前に観察力はないのか? オレとコウノだぞ? 一体何処を曲解したらそう言う結論が導かれるんだか。 若いといってもなぁ。 流石にオレもそこまでぶっ飛んだ思考をしてた記憶は無いんだが。 「こんな時間に、正規の手続きもとらずに部屋の使用許可なんておかしいと思ったんです。そしたら案の定補佐官と……まともに仕事をしている様子も無いっていうだけでもとんでもないのに、こんなこと……呆れるを通り越して同じクルーとして情けないです!!」 「あ〜、まぁ、取り敢えず落ち着け」 「僕は充分に落ち着いてます! 顧問さえ消せば艦長は僕のものなんですから!!」 「……既に正気じゃないし」 「僕は正気です!」 「皆そう言う……らしいぞ」 それ以前に妙に血走った目が怖いぞ。 何か鼻息も荒いし。 「まあまあ、中佐。ほら、ハーリー君くらいの年頃だとやっぱり色々あるんですよ」 「若い男女が密室で……というのはむしろオヤジの思考だと思うが、まぁ、それはいいとして。何でオレを消すとか、ルリちゃんがハーリー君のものだとかになるんだ?」 「艦長は、ルリさんは僕が守る! 顧問には渡しませんから!!」 「はぁ?」 今一要領を得ないというか、意味不明だった。 密室で若い男女が二人きり──不謹慎。これは何となく分かった。 が、ルリちゃん云々が何故そこに出て来るのか。 何処をどうしたらそう言う話になるのか、よく分からないぞ。 「中佐、恋は盲目です」 「いや、だから何が」 「飽くまで惚けるんですね! 顧問は僕のルリさんに横恋慕した上強引に手篭めにしようとしただけでなく、補佐官ともただれた関係だったんでしょう? スキャンダルですよ!」 ……。 ……。 ……。 ……。 ……。 …………はぁ? 余りと言えば余りな言葉に、一瞬思考が停止してしまったぞ。 マジな話、正気なのか、ハーリー君。 それは100%ストーカーの発想だぞ? 「つーか……根本的な認識に致命的な誤りが無いか?」 「論点を逸らさないで下さい!」 「それは、むしろお前だろうが」 思わず突っ込みを入れてしまう。 ギャグなら笑えるが、そんな真剣な顔で訴えられると凄まじく怖い。 「まあまあ、中佐。ハーリー君はちょっと混乱してるだけですって」 「いや、かなりだろ?」 なんか色々ダメっぽいし。 言っていることは支離滅裂で、奇妙なまでに自信に満ち溢れてるし。 大体この眼は正気とは── 「──!?」 濁った金色の瞳に、薄ピンクの煌きがちらついていた。 それはオレが確実に知っている何かで、「メビウス」とはまた違う恐ろしい存在で── 「っ……これはっ」 ”本当に”正気じゃない? こいつはもう”侵食”されかけている!? ふと、背後で張り詰めた僅かな気配に、オレが何かを見誤っていたことに気がついた。 「──っ、迂闊!」 「中佐?」 「顧問! 聞いてますか? 僕のルリさんに──」 「そこに隠れたつもりの貴様! さっさと出て来い!!」 訝しげにしながらも、緊張した面持ちで身構えるコウノを無視して、軽く舌打ちを一つ。 この状況にあって尚喚き散らす不確定要素のハーリー君の鳩尾へ、オレは躊躇い無く掌底を入れて気絶させる。 そしてオレが振り返ると同時──いや、それよりも半呼吸だけ遅れて。 自棄になったように気配があからさまな殺気に変わって膨れ上がった。 ハーリー君によって開かれたままだった出入り口の扉の陰から、黒い影が踊り出る。 「死ね! メビウスぅ!!」 「──!!」 動きは鋭い。 それでもこのオレにとってはお笑い種のような特攻だった。 眼を血走らせ、冷静さを欠いたように狂的な叫びをあげ、無骨な白いナイフを腰だめに突進するだけのそれは、最早冷徹な暗殺者ではなくただの殺人鬼の姿だ。 そもそも、襲撃の前にオレに気配を察知された時点でこいつは負けていた。 オレに勝てる人間はいない──そう自惚れる訳じゃないが、少なくとも”闇の王子”時代よりも確実に強くなったオレに真っ向からぶつかってくるのは無謀でしかない。 オレは男の攻撃を苦もなく捌くと、体制の崩れたその後頭部に肘を重ね、打撃ではなく衝撃を叩き込んだ。 「ぐぅ──!?」 不本意ながら今は筋力の劣る女性の体。 それもこんなルリちゃんともそうは変わらないような小柄ななりでは、急所を狙わない限りは打撃は一撃必殺にはならない。 問答無用で急所を打ち抜き、殺す技なら知っている……とは言え、無差別に殺したい訳でもなく、何よりこいつには聞きたいことが山ほどあるからな。 素直に話すかどうかは疑問だが、最悪薬や機械を使えば無理矢理話させることは出来る。 IFS技術の副産物とは言え、余り面白い方法ではないがな。 「コウノ!!」 「了解」 脳震盪を起こし、朦朧とした意識にふらつく襲撃者から武器を奪い、そのコメカミにコウノが素早くブラスターを押し当てる。 それからコウノは尚も抵抗しようとする男の、床に付いた方の手の甲をブーツの踵で勢いよく踏み抜いた。 「!?…………ぐっ、あぁ」 「これでゲームセット。お前の負けだ。それくらいの分別はあるんだろう?」 そうしてオレが宣告した直後、最早失敗と悟ったのか、或いは本当に限界が来たのか、男はがっくりと項垂れた。 続くんでしょうか?(笑) 後書き by XIRYNN ……微妙な所で終ってみたり。 今回はギャグが少なかったかな。 |