「お、オヤジぃぃぃぃぃーーーーーっ! 畜生!!」
「くそっ、新條の野郎! こいつぁ、洒落にならんぜぇ」
「おい、探せ。女と一緒だ、まだそう遠くは行ってねえ……あ? 寝ぼけてやがんのか――いいからとっとと幹線道路を押さえろ――あぁ!? サツだぁ? だったらなんだってんだ。なめてんのか、てめえはよぉ!?」
「ちっ、救急車はまだか? 渋滞だと? サボってんじゃねえぞ糞がぁっ。オヤジに万一のことがあったらただじゃすまねえぞ!!! 走ってでも来いやぁ!!!!!」
「……ぐ…ごほっ」
「し、しっかりしてくれよ、オヤジぃ」
「斉藤さん、やっぱり新條の奴は黒澤組と――しかも、中華系の、それも半端じゃねえような連中まで絡んでやがるって話で」
「ちっ、性質の悪い連中どもが意気投合したってことか……とことん嘗めやがって。そうか、例の偽造パスポートの件だな、新條と繋がったのは」
「ええ、新條の紹介でファンだかホンだか言うブローカーが――何ていうんですか、今はやりのITオフショア開発でしたか、そっち関係に詳しい奴とコネが出来たらしくって、そっから上海辺りの胡散臭い組織が出張ってきやがったとか」
これはひどい。
もうね、そうとしか言えない。
何これ? 何ですか、これは。マジありえない。
どこの仁侠映画ですか?
昼間に道案内をしてあげて、それから少しだけ雑談をして別れたおっさんが腹からどくどくとヤバイ量の血を流して倒れている。
それを取り囲むようにして強面のお兄さん方が十数人ほど。親父やら何やら叫びながら慌しく電話したりしていた。まあ、親子には見えないけれど、恐らく専門用語だろうと思われる。
いやまあ、本当は分かってますよ、ええ。でも分かりたくはないから。
口々に物騒なことをがなり立ててる。タマ獲るだの、戦争だの。
日常生活ではめったに聞かれない類の単語ばかり。
駄目だ、これは。関わってはいけない。第六感を働かせるまでもなく確信。
まあ、取り敢えずよく分からないですけど頑張って下さいね、みたいな感じで素知らぬ顔で通り過ぎ――ようとしたら、瀕死のおっさんのうめき声に引き止められた。
な、何なの?
「……坊主、どうする、つもり……だ」
は?
いや、どうするも何も。僕は関係ないですよね?
何で、そんな仲間みたいな言い方? 意味が分かりません。
「……言っている意味が分からん。僕はただ、忘れ物をしていた事に気付いただけだ」
実際それだけ。
夜中に出歩く羽目になったのは、明日の宿題をやろうとして教科書を教室に忘れたのに気が付いただけで。
何だか怖い人たちに目をつけられるような事は一切ないはず。
「……忘れ物、ってか。……はっ、やめて、おけ」
「何故」
「……そこまで大切なもんか、よく考えろや。……若い奴はそこを、良く、間違えるが……なあ、本当に、大切なもんを、見失っちゃあ……いないか」
「っ……大切、だ」
居残りとか嫌だし。
しかも僕の場合は普通と違って放課後に先生と対面なんて絶対無理な訳で。勿論、無理なのは先生の方がだけど。
最早息も絶え絶えにひゅーひゅー言いながらおっさんは必死で睨み据えてくる。
ホントに何故? そうまでして僕の宿題を止める理由があるとは思えないのだけど。
相変わらずこの世は不思議に満ちてるなあ、と思う。
で、大体最後はよく分からないうちに僕が諸悪の根源にされてるし。
毎度嫌になるよね。はあ。
「もう……遅い。手遅れ、だ。今更……いまさら、だ」
「それでも、僕にはやるべきことが――ある」
宿題がね。
てか、別に手遅れじゃないし。
「それに、手遅れではない」
「――っ、下らん……感傷じゃあ、ねえ、か。利口じゃあ、ない。己らは屑だ、社会のごみって奴さあな……こんなところで、いい年した大の男が、虫けらみたいに転がって……阿呆だと思うだろう? だが、そんな阿呆に坊主みたいな賢い連中が――」
「その為に、行く。その為に、来た。それこそ今更……引く訳には行かない」
えーと、何が何だか。
兎に角、電車を乗り継いで30分。ここまで来て帰るとか無いから。
そりゃ、定期があるから費用は掛かってないけどさ。
「……坊主……そう、までして。いや、そうするだけの因縁が、ある……と? ――っ、ぐ、ごほっ」
「お、オヤジぃ!!」
ひぃっ、ち、血を吐きましたよ、この人!! ぶばっと。ぶべっと。
もう、何なの? そんな僕に絡むのはどうでもいいから早く病院に行くべきでしょ。ほら、息子たち(?)も心配してますって。
「っ、ぐ、か、構うな……それより、坊主、お前は……お前なら、まだ間に合うはずだ。間違うんじゃねえ。なあ、どうか、聞いちゃくれねえか、この爺の戯言を」
???????
何? 間違うとか。道? いや、流石に自分の学校にたどり着けないとかはないし。
ボケ老人じゃあるまいし。
しかも間に合うはずとか。引き止めてるのはお前やろが、と、思わず関西弁で突っ込みですよ。
マジで戯言ですね。
「間に合うことは知っている。間違うこともない」
「っ……それ、を、知っていて、それでも、行くと? ぐ、あぁ……そう、までして、っく、ぅ」
「ああ――僕は、行く」
何を当たり前な。
やっぱり血を流しすぎて意識が混濁してきてるから、もう自分でも何を言ってるか分かってないんじゃ……。
少しだけ同情の眼差しを向けてみる。
そしたら何故か、おっさんは眼を見開いて、近くにいたまとめ役っぽいサングラスの兄さんに耳打ちをした。
兄さんの方も大きく頷いて、僕の方へ向き直る。それから衝撃的な台詞を言い放った。
「そこまで意地を通すなら、見事と賛じてやるべきか――なれば五島の兵隊の、総勢200と幾余人、あんたに命預けましょう」
「はっ……阿呆ばかり、だぜ。くくっ……ごほっ、くく、ははははは」
「!! おおおおお、戦争じゃああああああああああああああ!!!」
「殺ったらあああああああああああああああああああああああっっ」
……は?
何? 兄さん。
だから何でしたり顔で頷いてるの?
「極道の極みの道は結局外道。正道なんかありゃしませんが、せめては派手に粋がりましょう。――ふふっ、最早、後戻りは出来ませんぜ?」
うきゃああああああーーーーー!!!
「……っ」
暗く狭い箱の中で、僕は目覚める。
とてもとても嫌な夢を見た。
静かにゆらゆらと揺られながら、本当に僕の人生と言うのはどうしようもないなあ、としみじみ思う。
何なんだろうね、ホント。
神さま、そんなに僕がお嫌いですか?
ちなみに言うと、さっき夢で見たあれが後に世間を騒がすことになる五黒抗争事件の幕開け、だったらしいです。
結局、自分ではいまだに何が何だかよく分かっていない。刑事には最後まで僕が主犯じゃないかと疑われたけど。
そんな馬鹿なという話だ。
しかし、あの時はただ教科書を取りに行っただけと真実を主張したら、刑事に全力で罵倒されたなあ。
何人死んだと思ってるんだとか顔を真っ赤にして言うから、それは不幸なことですが、僕 ( が教科書を取りに行ったこと ) と関係ないですよね、と冷静に返したら殴られたし。
理不尽すぎる。
……まあ、それはそれとして。
改めて周りの様子を確認。
相変わらず超狭い。超暗い。
えーと、またトランクの中ですか。
兎に角このままじゃ埒も明かないので、僕は内側から鞄を開けて、のそりと身を這い出した。
最早呪い系少女人形に堕した今の僕の行動を客観的に観察できたなら、それはどうしようもなく衝撃的だと思う。勿論、ビジュアル的に。良い子には永いトラウマを。お年寄りには早いお迎えを。気弱な人には見せられない。
考えていたら悲しくなってきた。
闇社会の黒いカリスマみたいに思われていた頃と今とでは、どっちがましなんだろうとか考えてみる。大して変わらない気もしたけれど。
いや、昔は人でなしと言われたけれど、本当に人でない今よりはマシだったかも。ははは、上手いこと言ったよね、僕。わっははは……わ、笑えない。
埒もない思考を振り払って、改めて外の世界を見渡せば、またもあり得ない不思議ワールドが広がっていた。
ははあ、これは……どうなの? 取り敢えず、ジャックと豆の木とでも言えばいいのだろうか。
でかい。
いや、木がね。木って言うか、大樹が。
何メートルあるのか。セコイアとか日立の木とかすら目じゃないレベルの凄まじいサイズ。
天辺が見えない。心なしか雲掛かってすら見えた。ギネスブックに載っている世界最高の樹だってせいぜい百メートルちょっとだと言うのに。しかもそんな馬鹿でかい樹を中心に、大小様々の木々が幾重にも重なり、並び立っている。そしてそれ以外には、ここには何も見当たらない。ここまでくると最早ファンタジー。眩暈すらしてくる。
て言うか何なの、もう。世界は不思議。それは知っている。けれど、ここの所の不思議さには悪意すら感じられる。
失明。水子。呪い人形。ジャック。既に頭の中はオーバーフロー状態なんだけれど。
や、やっぱり呪い? 呪いなのですか?
やだやだと頭を振って、鞄から足を踏み出した。
立派な樹を観察してみる。
近くまで来ると更に圧巻だ。何メートルというか、何キロの世界じゃなかろうか。
見上げようにも首が上がらないレベル。
ふと、その隣へ視線を向けると、こちらは随分と古い老木だった。
かさかさに乾いた皮と、ボロボロに欠けた葉。それでもすっくと空を目指して、途中で何度も曲がりくねりながらも伸びている。
今にも枯れそうなのに、枯れようとはしていない。
うーん、生命の神秘?
思わず唸りつつ幹にそっと手を触れた……瞬間に、また、紫色の焔が噴いた。
爆雷染みた轟音。これまでとは比較出来ないほどの凄まじさで、数メートル級の樹を一瞬で丸呑みする。
皮肉にも皓々と美しく輝きを放ち、歌声にも似た悲鳴を上げて崩れ行く。
えーーーーーーーー。
か、勘弁してくれよ、もう。
燃えた老木は周囲からは孤立していて、延焼の心配が無さそうなのだけが救いとしても。
えーと、さっきまではどうしたら火が消えたっけ?
取り敢えず、手を下ろせばいいかな。
慎重に、ゆっくり。ゆっくり。そっと。
……よし。
消えた! 仮説は当り。
大体自分の体の扱いが分かってきたぜっ、やふぅぅぅっ!
――でも、出来れば対症療法じゃなくて予防がしたいよね。
そもそも自分の意思を無視して危険なギミックが発動すること自体が駄目なことに気が付いて、一瞬で高揚が冷めた。
良くも悪くも人間は慣れる生き物だと再認識。最早僕は人間ですらないのだけれど。
自分で言ってて落ち込みそうになった。
はあ。これからどうしようか。
溜息を一つ。
冷静になると、煩わしい事ばかりが脳裏を駆け巡りそうになる。
考えて何とかなることは少なく、考えても仕方ないことは多く、考えようにも訳が分からないことはもっと多い。
……青いな、わーい。
こんな世界でも相も変わらない空を見上げると、僕は近くの大樹を背にその場へ座り込む。
体育座り。
――その隙を突くように、何者かが鋏を構えて突進してきた。
「――っ」
ぎゃあーーーーっ、通り魔!!!
僕は余りの恐怖と驚愕にパニック状態になりながら両手を振り回し、その場を逃れようと何とか飛び退いた。
間一髪で刃を交わす。鋏使いは僕の傍らを通り過ぎると、勢いのままに手近にあった蔓を切り裂いていた。
げええ、それ、ジャック違い! 超! 危険人物!!
いや、人物って言うか、何て言うか……改めて見ると、人類じゃないっぽい。
て言うか、また呪い人形かYO!
思わずヒップポップ調で一人突込みを入れてみたり。
鋏使いはどうやら真紅や水銀燈以上に問答無用の性格らしい。
何が気に入らないのか酷く警戒しながら、僕の方を油断なく睨み据えてくる。
い、行き成り恨まれる覚えは無いんだけど。
「……君は、何だ……」
開口一番、意味不明でした。
余りの事に呆然。
お前こそ何だよ! 通り魔に言われる筋合いはないですから。
「誤解があるようだ。僕には、恨みを買う覚えは無い」
内心かなりムカついたのだけれど、でも、冷静に返してみた。
偉いぜ、僕。
「――っ、それは随分悪趣味な冗談、だ。……君は――」
「……話が見えんな」
これだから電波は困る。
冷静に考えて、鋏を振り回す通り魔(しかも呪い人形)の方が明らかに悪趣味だと思うのだけれど。
リアルチャイルドプレイ状態。
いや、そりゃあ、今の僕の外見も相当悪趣味なのは認めるけどさ。
「君は、マスターを、喰ったな!!!」
激発。疾風の勢いと共に鋏を一閃。
とっさにしゃがみ込んで避ける。
それでも鋏使いは、容赦をしない。一閃、もう一閃。加えて更に一閃。
時折フェイント交え、舞うように繰り返した。
何度も何度も。執拗に僕を追い立てて、何度かは服や髪をを掠める。
殺す気全開だった。殺されたくはない。
た、助けて。
と言うか。
「マスター、だと?」
「そうだ、それを、君は――あんな風に、当たり前のように、簡単に――」
憎しみよりも悔しさを。
怒りよりも悲しみを。
その瞳には涙を滲ませ、どうしようもない遣る瀬無さに弾けてしまいそうな声で僕を詰った。
鋏を握り締める手のひらすら小刻みに震えているのが分かる。
な、何かめちゃめちゃシリアスなんですけど。
どう言うこと? 僕の嫌な方面で豊富な人生経験によると、これは決意した復讐者の眼差し!
いや、でも別に僕は何もしていないはず。
ここに来てからやった事といえば精々……っ、もしかして。
「……あの樹が、マスターか?」
「――っ」
返答は、刃の一閃。
しかも、正確に胴を切り裂かんとする必殺の気配。
流石にかわすことは難しいと判断した僕は、咄嗟に両手のひらを突き出した。
幸か不幸かギミック発動。
黒曜石で出来た盾が鋏を防ぎ、ぎいんと高い音を立てて砕けた。
新技だった。いや、どうでもいいんだけど。
「確かに枯れかけていた! 君が何をしなくとも、遠からず枯れてしまったろう――それでも、あんな風に終わらなければならなかった筈がない!!!」
真顔で絶叫。
凄まじい植物愛好家。最早病気――いや、そうじゃなくて、もしかしたらこの子がずっと手塩にかけて育ててきた樹だったとか。
う。そう考えると罪悪感が。
悪気は無かったとは言え、客観的に見ると大切にしていた樹に放火したようなものな訳で。
「それを何故――あんな、怖ろしいことを。君のしたことは、赦されることじゃない」
そ、そこまで!
確かに申し訳なくは思うけれど、幾らなんでも怒りすぎじゃ……。
そもそも樹にマスターとか。普通じゃない。正直怖い。
相当に痛い子だったのかも知れない。
そんな子の最後の心の支えを僕が……と、いう可能性を考えると身震いがした。
き、きっつぅ。
マジで洒落じゃない状況だったりしない、これ?
「何故……喰った」
「……」
何故って……事故? というか、そもそも喰ってないですよね?
焼いたのは認めるけれど、喰うとかありえない。
焼いた→→→喰ったとか、どう言う思考のアクロバティック……駄目だ、理解できない。
真紅も電波だったけれど、少なくとも会話は成立していたと言うのに。
この子は、真性だ。
ひぃ。
「何故なんだ!」
「……」
「答えろ!!」
む、無理。マジ無理。
勘弁して下さい。
「何故と言われても、理由などはない」
追い詰められて、思わず正直に答えてみた。
「理由がない、だって?」
「少なくとも、特別に語るほどの意義は無い」
「……っ、君にとっては、何でもない、ただの食事だったとでも言うのかっ」
意味不明にキレたぁっ!
鋏使いは驚愕の叫び声を上げて、はあはあと荒い息で喘ぐ。何かを否定するようにふるふると頭を振る。
それから僕の背後、恐らくは老木の燃え滓に視線を向けて、唇を噛んだ。
ぎゅっと目を閉じて、数秒。
打って変わって、今度は静かな口調で言葉を紡ぎ出す。
「僕は――」
気が付けば決意に満ちた眼差しが僕を射抜いていた。
「――僕は、君ほど救われない存在を見たことはない。君が何者かは知らないにしても、これだけは言える」
刃についた露を払うように、鋏を一閃。
腕を地面と平行に、切っ先を真っ直ぐに僕の胸の中心へ向ける。
「君は、在ってはならない」
存在否定されました。
トランクを開けてからここまで十分。
僕も自分の運の悪さは自覚しているにしても、この短期間で存在まで否定されるのは初体験だった。
しかもお互い名前すら知らないし。
分かっている事といえば、どちらも人間すらなくて、怪しげなギミック満載の呪い人形だろうと言う事だけ。
鋏使いは先ほどまでの興奮を落ち着かせ、今はただ凛として僕の前へ立ち塞がっていた。
む、むぅ。
水銀燈、真紅に続いて、またも呪い人形仲間と対立してしまった。
当初の目論見とは完全に逆を行っているような。
しかも、客観的には全部僕が悪かったりするところが辛い。
「――君も、ローゼンメイデン――姉妹なのか?」
鋏使いが問う。
ローゼンメイデン……そう言えば、真紅とか水銀燈も似たようなことを言ってたような。
あら? もしかして僕達みたいな呪い人形のこと?
ん……確かに、そう考えるとこれまでの会話も繋がるような……いや、でも真紅には否定された気もする。
え、と。確かアリス・ゲームがどうとか。
ひょっとすると、それに参加しないと認められないとかそう言うルールがあるのかも。
とは言え、それが何かすら知らないし。判断のしようはないのだけれど。
まあ、兎に角。
「違う。僕は、アリス――」
「嘘を言うなっ」
――ゲームには参加していませんよ、と言おうとした所で鋏で発言を封じられた。
いや、嘘とか。どうなの、それ。何ギレ?
「嘘ではない、僕はアリス――」
「黙れええええええええっ!!!」
うわっ。
何? 何でこのタイミングで再ブチ切れ?
この蒼い子、意味不明過ぎる。
そもそも自分から質問しておいて回答が気に入らなかったからと実力行使とか、なんと言う驚異的な我侭さ。
これだから僕っ子は――いや、今は僕もそうなんだけどね。
まさか……同属嫌悪? そんな馬鹿な。
「お前がどう思うかは知らない。しかし、それが事実」
「そんな事は――認められないっ」
最早問答無用とばかりに全力で攻撃を繰り出して来た。
樹にマスターと名付けたり、感性が違いすぎて会話にならない。
もうやだ。
何で僕がアリス・ゲームに参加してないだけでそこまで怒るのか。
猛攻に耐えながらも疑念は尽きない。て言うか、良くも避け続けられるものだと自分でも感心。
思わず、このまま上手く誤魔化して逃げられるかも、とか淡い期待が芽生え始めた。
「……貰った!」
しかし、残念ながらそうも上手く行かず。
「――っ」
中途半端に踏み出したままの姿勢で、不幸にもちょうど足元に在った鞄の淵に足を掛け、前のめりに倒れこむ。
慌てて手を突こうと右腕を伸ばす。
その刹那に、グシュリといやな感触が僕の指先から手のひらを抜け、手首を通って腕にまで伝播した。
な、何か柔らかいものを手が貫通したっぽい。うえ。
得体の知れない感覚に思わず嫌悪感を滲ませながら視線を向ける。
苦痛に喘ぐ瞳と、目が合った。
「――っ、ぐ……ぅ……それが、君の……本気、か……」
この顔は良く知っている。
例えば、志半ばで命を落とした斉藤さんの遺言を聞いたときにも見た。
びくりと緊張に身を竦ませると、それが腕を通して伝わったように呻き声を発した。
僕は思わず叫び声を上げようとして。
「蒼星石? 全くどこへ行きやがったですか。本当に……やっぱり翠星石がついてないと駄目な子なんですから」
声が聞こえた。知らない声が。場違いに暢気な。
「蒼星石? 何処ですかー? 返事をするですぅ!」
新たな闖入者が紛れ込んだらしい。
い、幾らなんでも最悪のタイミングで。
この場を見られたらどう思われるか。
僕が悪いと言うこと自体は否定できないけれど、事実以上に悪く思われる可能性が高すぎる。
で、出来れば気付かずに通り過ぎて欲しいな、とか。
そんな願いも空しいなんてことは、僕に限っては確信に近いと知っているしても。
「蒼星――っ、ひっ、……そう、せい……せき? え……あれ……何が……え?」
最低だ。
振り返れば、鋏使いとそっくりな、けれど正反対の姿が震えていた。
「そ、蒼星石ぃぃーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
絶望に染まった悲痛な叫び声にかき消される。
あ、あれ?
蒼星石?
それが誰の名前かは知らないけれど。きっと、分かる。
それは想定以上の最低さだ。だって、蒼星石と言う名前は、この蒼い子に向けられている。
誰かが泣き叫んでいて、誰かが苦しんでいて、僕は誰かを、串刺しにしている。
柔らかいものを貫いた感触は、本物だ。
貫いた先には、最早見慣れた凶悪な黒曜石の爪剣。僕の意思を無視して、また紫色の焔が揺れていた。
僕はぱくぱくと鯉のように口を開閉する。
や、やばい。
これはヤバイ。まずい。
何て言うのかな、どう考えてもギャグで済まない雰囲気。ごめんで済んだら警察要らないよ☆なレベル。
「き、君は本当に……だったら僕たちは何のために――こんな……」
眼の前の、色違いの瞳が僕に問う。
そ、そう言われても、僕が特にどうこうしようと考えて至った結果じゃない訳で。
だからといって何でも偶然で済ませられるのかといえばそうでもない訳で。
そこに欠片の害意も無いとしても、傷を付けたのならそれは罪だ。
癒えない傷であれば、それは如何なる理由をもってしても赦される謂れは無い事くらいは、僕は知っている。
「……」
何かを言おうとして、口を開いたまま何も言葉は出てこなかった。
謝るのも違うし、不幸な事故でしたねと言い訳するのもどうかと思うし。
えーと。
そ、そうだ、取り敢えず腕を抜かないと。
いや、急に抜くと危険かな? 何せ誰かを串刺しにした経験は無いので、どうしたらベストなのかが判断できない。
ど、どうすれば。どうしたら。どうするべきか。
「――っ、ぐぅぅぅ……ぁあああああああああぁぁぁああああっ!!!!!!」
……って、何かまた紫色の焔が更に勢い良く燃え上がってるし。
「な、何してるですか。お前、何をしてるんですか!!!」
え? な、何?
横合いから左腕を強く引かれて振り返ると、さっきの悲鳴の主がいつの間にか僕にしがみ付いていた。
何とか僕と鋏使い――蒼星石? を引き剥がそうとしているのか、最早狂乱の様相だ。
え、ちょっと、下手に動かすと却って危ないというか。
す、少しは落ち着いて――って、いや、そりゃ無理か。
と、兎に角何とか離して貰わないと、腕を抜くことも難しいし。
「は、離せ、離せ!! 蒼星石、蒼星石ぃ……い、いやあああああああああ」
わ、わかってます。わかってますって!
僕も勿論そうしたい。だけれど、君がそうやって纏わりつくから上手く行かないって。
「……離すのはそちらだ」
「ふ、ふざけるなです! ぜ、絶対に離さないです!!!」
何故!?
うわっ、そんなに暴れたら余計に振動が伝わって取り返しのつかないことに。
こ、こうなったら多少恨まれてでも強引に引き剥がして、その隙に何とかするしか。
分かり合えない悲しさは、こんなときには痛感する。
僕には一切の悪意がないのに、相手が余りにも興奮しすぎて対話が成立しない。
やるしかない。
これまでの経験からすると、最後には大抵どうしようもない結末が待っているとしても。
「う……ぐぅ……す、すい、せいせき……駄目だ……逃げ……」
「な、何言ってるですか……嫌です、そんなの絶対に……」
「っ……お、お願いだ……この子は……君じゃ……それに、僕はもう……願うことなら、君に――」
「そ、蒼星石? そんな……しっかりするです!! 蒼星石……蒼星石……ああぁぁぁぁああっ」
も、盛り上がりすぎてて、決意が萎えそう。
いや、駄目だ。ここは心を鬼にしてでも。
蒼星石が僕を見つめていた。
決意を胸に、僕は口を開き――。
「――こんなものが、アリス」
――直後、涙声で呟いた蒼星石の胸から輝く結晶が飛び出し、狙い済ましたように僕の舌へぶつけた。
んぐ!?
吃驚して、呑み込んでしまった。
喉を焼くような感覚がゆっくりと降りて、胸の辺りが酷く熱くなった。
何故か、燃えるような強烈な力を感じる。
……あれ?
な、何がどうなって……僕は、何を飲んで……。
訳が分からない。
呆然とする僕の腕から、重みが抜けた。
彼女が、崩れ落ちる。ずるりと嫌な感触を繰り返し、右腕が抜け出た。
「そ……そうせい、せ……き?」
呆然とする僕の腕から、重みが抜けた。
彼女が、崩れ落ちる。するりと撫でる感触を残し、左腕が抜け出た。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁっ!!!!」
絶叫が、響いた。
地面を這うのは二つの影。
良く似た蒼と翠の。ただし、一方は眠るように穏やかに、一方は狂ったように荒れ狂って。
こ、これは厳しい。
どんな言い逃れも、言い訳も通じないどころか、はっきりと僕は赦されないことをしてしまった。
酷く狼狽えて、僕はじりと後退る。
何か硬いものを踏みつけた。がしゃりと金属音を立てるそれに眼をやると、立派な装飾の巨大な鋏。
「……っ、足を、どけるです」
え?
低く呪うような声に、僕はびくりと肩を震わせた。
翠色の少女人形が、涙に潤んだ瞳で僕を睨んでいる。
「その【庭師の鋏】からっ、薄汚い足をどけやがれですっ!!」
余りの悲痛な声に、僕は考えるよりも先に飛び退いていた。
それにも構わず、彼女は鋏を拾い上げると、蒼星石の傍らに跪く。
ボロボロと大粒の涙がこぼれるのが見えた。
「……ああ……あぁぁ」
何と声をかけられるだろう。
掛けられる訳がない。
耐え難い苦痛の時間はそれから十数秒を数え、彼女は弾けるような勢いで顔を上げた。
「お前――」
審判を待ち受ける罪人の気持ちだった。
言い訳は出来る。だとしても、出来るはずがない。
「絶対に、赦さない、です」
血を吐くような宣告。
四人目の呪い人形とも、僕は決定的に敵対した。
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