「あーあーあー、やっぱり」 覚醒したての意識に、ともすれば突き刺さる少し高めの声。音高く開け放った扉を背景に、光を背負って立つ小柄な人影。 彼は胡乱なまなざしを向けた。 大抵の者は彼の沈黙に耐えられない。この辺りでいるとすれば、喰えないジジイと始末の悪いガキ、ぐらいだ。 ため息をついた。 彼らしくない、気弱な仕草だったかもしれない。 乱入してきた少年はというと、閉め切りのカーテンを開け、窓を開けていた。室内のこもった空気より数段温度の低い空気が流れ込んでくるのを確かめて、満足したように笑んで振り返る。 「ほら、こんなにいい天気なのに」 わたしが起こしに来なかったからって朝寝をしていていいという法はありませんよ。 「心配してたらやっぱり朝礼にも来ないし」 わたしだって、当番の時は来られないんですからちゃんと自分で起きる習慣をつけないと。 別に起こしてくれと頼んだ覚えもない男は黙ってのそりと体を起こした。 彼が(ほぼ)毎朝彼を起こしに来る少年を追い払わないのは、ひとえに諦めたからだった。当初こそ、 この小うるさいぼうやを追い払おうと努力(めずらしく)してみたものの、ことごとく無駄に終わり、 無駄な努力というものが何より嫌いな男は今ではこうして放置しているという次第だ。 「はい、食堂のおばさんに言って特別に作ってもらいました」 ご親切にもぼうやは朝食のトレイを持ってきた。白いふきんを取り払うと、白い皿からはみ出しそうな大きなサンドイッチとマグカップ。カップの中身はブラックコーヒーだった。 カイは食堂を取り仕切っている婦人に受けがよい。おそらく礼儀正しく挨拶をする、可愛らしい育ち盛りのぼうやと思われているのだろう。 そのカイの頼みだからこそこの食事は用意されたのだろうが、飲み物がミルクティーでないのは意外だった。 断るとまたぎゃんぎゃんと煩いことになるであろうから、彼はベッドから身を起こしたそのままでサンドイッチに手を伸ばした。 「こら! ちゃんと顔を洗って、歯を磨いてからですよ!」 あぁ、また着替えずに寝て。 汗臭いだのだらしないだの、細々文句を言い続けるカイに尻を叩かれるように腰を上げる。 ソルは鏡に映った己の顔を覗き込み、普段は殆ど表情の出ないそこにげんなりとしたある種の疲れを見出してかすかに肩を落とした。 戻るとカイは部屋の掃除を始めていた。そこら辺に放り出された脱いだ服だの、小汚いボロキレ、使いっぱなしのグラス、吸殻の山盛りになった灰皿も片付けて。 細々と片付けているカイを他所に、ソルは机の上に置かれていた皿に手を伸ばした。中身もたっぷりのサンドイッチはマスタードがよく効いていた。効き過ぎているぐらいだった。 ソルはかすかに顔をしかめた。どうやらカイは誰のための食事か、律儀に言ったらしい。たびたび食いはぐれては平然としているソルは、食堂の女主人に嫌われている。 コーヒーは煮詰まってどろりとさえしていた。それもまぁ、甘ったるいミルクよりいくらかマシだ。 「ちゃんと食べて下さいね」 今日は稽古の日ですからね。 「忘れてないですよね、わたしとの手合わせ」 あぁ、だからか。 辛いパンの欠片を飲み込んで、ソルはようやくいつにも増して甲斐甲斐しいぼうやの行動を理解した。 いつでも「本気で」と注文をつけてくるカイは、ソルが空腹で力が出ないことを懸念して食事まで用意したのだろう。 「全くもう、煙草なんて体にいいわけないのに」 じろり、と睨んできた目から視線を外す。 「自室内なら文句ないんだろうが」 「……まぁ、そうですけど」 渋々カイは認める。何度煙草を取り上げても、喫煙を注意しても一向に応えないソルに最大限譲歩した結果である。カイにとっては不本意でしかない。 「煙草には習慣性があるっていうからすぐに止めるというのは苦しいんでしょうが……」 もう少し本数を減らしたらどうです? カイの言葉に苦笑を洩らす。 かつての習慣に拘ることの馬鹿馬鹿しさはよく知っているのだ。ニコチン中毒も今の彼の肉体には無縁のモノ。喫煙の習慣は単なる手慣れと、おそらくは。 食事をとるという『習慣』にも縛られる必要はない。その気になれば水分と光刺激でエネルギーを確保できる人外の己がそうするのは、そうすることによって『ヒト』の範疇に留まりたいと。 そんな願いなど。 『そろそろ潮時か』 ここは人間の数が多すぎる。人の中に長くいるとロクな事がない。 「あ、食べ終わったらちゃんと食堂に食器を返して置くんですよ!」 ごちそうさま、って言ってね。 >>>>>戻る |