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◆ 誓い ◆
誰かが――そう、誰かが全てを承知しておいてくれるということは、どんなに救いであることか

 絶望的な状況という言葉は使い古されてしまった。
 今回の出撃は、先の戦いで逃走に転じたGEARの掃討戦と聞いていた。比較的楽な戦いだと――それは対GEAR戦闘に関しては気休めにしかならないことではあったが。それ故に出撃命令が下されたのが大隊単位ではなく、複数小隊であるのだと。
 近々、次の団長候補が誰であるのか発表されるという噂があった。聖騎士団の団長はお飾りではない。自然、人々の口の端に上る名前は限られており、その予想は外れることがないだろうと言われている。だが、それを面白くないと思っている者たちがいることも確かで、騎士たちの中に不穏な空気が流れているのを感じない者はいなかった。
 それなりの年月を聖騎士団で過ごしているということは、それだけの間生き延びていられるだけの実力を持っていたという証でもあるだろう。だが、年功序列など苛烈な戦いの中では何の意味も持たない。少なくとも、敵は――GEARは、年老いた者であろうとも幼子であろうとも容赦はしない。そう言った意味で死は最も平等であり、そしてまた不平等でもあった。自らの命を守ることの出来る者だけが生き延びることを許され、そして他人に自分を守らせるだけの力を持つ者もまた生き延びる。
 力のない“正義”は無力だった。
 他の小隊との連絡が取れないことを知り、少年は罠を悟った。自身に関してはさほど感慨はない――ここで果てるのならそれまでの器だったというだけのこと――それはおよそ“少年”と呼ばれる年齢の者が抱くには乾き過ぎていたのだが。
 憤りはあった。自分を殺すためだけに、道連れに選ばれた者たち――少年の直属小隊として編成された二十三名。彼らの命を購うだけの何かを彼らは、そして自分は持つというのか。
 罠に嵌ったことを知った彼らの顔は驚くほど穏やかだった。不敵な笑みを浮かべている者さえいる。彼らはいずれも“睨まれた”者たちだ。邪魔者を始末するついでに掃除をしてしまおうという算段か、そう思うと吐き気がした。
「どうやら満足に連絡を取り合いながら動けるのは我々だけのようですね」
 一人が言った。
 連絡が途絶する寸前に入った情報が正しければ、新たなGEARの群れが東北東の方向から接近中とのことだった。規模は中――到底、小隊単位で迎え撃てるものではない。
「どうします?」
 別の一人が聞いた。一斉に視線が少年の方へ向けられる。
「逃げましょう」
 少年は答えた。
 騎士たちは愉快そうに笑った。そんな言葉を少年が口にするようになったことを喜んで、互いに視線を交わしあう者もいた、担いだ得物を掲げて見せる者もいた。
「明日のために、今は退きます」
 必ず来ると、信じている明日を戦い抜くために。
 それは、半年ほど前までの少年では思いも寄らない思考だった。かつての彼は今立っている所しか知らず、そこを守りきるために力果てるまで剣を振るうことしか知らなかった。
 昨日も過去も、明日も未来も少年にはなかったのだ。
「そういやぁ、奴さんはどうしてるのかねぇ」
 最も年嵩の騎士がぼやくように呟いた。
 それは、少年を変えた男のことだった。
「多分、GEARの群れに向かっているでしょうね」
 少年は呆れたように言った。その表情に少しばかり悔しそうな色が在るのを、周りの年長者達は見て取った。そして、少年には気取られぬよう微笑む。
 強くなりたいと目指す背中があるうちは、きっともっと少年は強くなる。それこそが彼の二つ名の所以でもあり、彼こそが命を賭けるに足る次代の団長であると信じられている理由でもあった。
 彼らには分かっていた。少年は本当は男を追って戦場の奥深くへと駆けて行きたいのだと。誰よりも強い、あの男の戦いぶりをその目に焼き付けて、いつか越えるために。
 その少年が撤退を選んだのは、他ならぬ彼らのためである。
 少年の死出の旅の従者となるように、選ばれてしまった不運な騎士達。彼らの命を少しでも、その小さな掌に掬うためなのだ。
 けれど彼らは知っていた。例えどんなに絶望的な戦場であろうとも、希望が傍らにいる限り、“絶望”などしないということを。



 男は戦場を駆けていた。元より誰かの指揮下に入ることなど彼の行動規範にはなり得ない。ただ屠る相手を探して駆け巡り、力を振るい、己の欲望を解放して偽りの栄誉を与えられる――そんな物、望んでなどいなかったが。
 戦うことは気持ちがいい。
 持て余す熱を炎に変えて叩きつければ、肉は焼け、体液は沸騰する。耳障りな悲鳴を聞き流し、鈍い手ごたえの剣を叩き込む。
 何もかも忘れてしまいそうになる。そんな安らぎなど、得られるはずもなかったが。ただ血に酔い痴れて、止め処ない破壊衝動に全てを委ねてしまったならばどんなにか心地良いことだろう――ヘドが出そうだ。
 男は笑った。
 はるか前方で、熟れ過ぎて落ちる果実のように太陽が没しようとしている。夜がくれば戦闘は収束に向かうだろう。それを惜しむかのように男は暗く獰猛な笑声を放ち、炎を迸らせた。
 景色が血の色ではない赤に染まり、男は立ち止まった。血のりにぬらついた手から大剣を地面に委ね、周囲を見回す。ヒトもGEARも、周囲に生きている者の姿はない。どちらも等しく地に倒れ、折り重なって積み上がり、やがては土に還る。今はただの死骸。
 かなたに動いているものを見つけ、目を眇める。常人をはるかに凌駕する彼の視覚には、それが既知のものであることが知れた。
「生き残ったか」
 乾いた唇が、久方ぶりに人らしい言葉を零した。
 少年は一人だった。白と青の法衣を赤黒く染め上げて、片手に剣を携え、もう片方は堅く拳を握り締めたまま歩いている。
 やがて空も暗く陰る頃、少年は男の近くにまでたどり着いた。
 山と築いたGEARの屍を腰掛け代わりに、煙草を燻らせている男を少年は眺めた。いつもなら鋭い叱声が飛んで来るところだが、少年は怒鳴らなかった。わずかに微笑むと、「お前は生きていてくれたか」と言った。
 男は応えなかった。少年が握り締めていた掌を開く。首にかけるものらしい、黒い十字架が濡れている。そう言えば、騎士の一人がそんなものを持っていたような気がしたが、男には興味のないことだった。
「GEARが接近中という情報は聞こえたか?」
 少年は尋ねた。男は肩を竦めて返事とした。乱戦の最中に個別の騎士にまで連絡が及ぶわけもなく、そして指揮系統からは外れた男にそれが届くわけもない。
「東北東の方向から、という情報を最後に連絡が途絶えた」
 少年は言った。
「地形を考慮して最適だと思われる脱出ルートを選んだつもりだったんだが」
「……それが罠だった、と」
 男の声に、少年は少し驚いたようだった。目を見開き、淡く微笑んだ。
 泣きそうな笑顔だった。
「わたしは馬鹿だな」
 状況から疑ってかかるべきだったのに。
 彼我の能力差はは純粋な戦闘能力に限られない。知覚・索敵能力においても然り、である。こちらが敵の存在に気付いた時には、既にGEARは攻撃のための行動に入っている。
 少年はまだ若過ぎる程に若かったが、死地で人を率いることを知っていた。己の指示一つで他人を死に向かわせ、帰還しない彼らを数で表すことも知っていた。
 指揮官は部下の命を預かる。その重みを少年は知っていた。
 そしてそれは、卑劣な罠を仕掛けた者も知っているはずのことだった。
「そんなにもわたしの存在が目障りなのかな」
 不思議そうに呟く。
「GEAR、よりも」
 男は低く笑った。
「ぼうやは人間だからな」
「人間だから?」
 少年は男を見上げた。
「彼らも人間だから、人間であるわたしが目障り?」
 短くなった煙草を指で弾き、空中で灰と変えた男は口の端を歪めるような笑みを閃かせた。
「そういうモンだろ」
 それが己からかけ離れた物であれば、それは別のものであるのだからと言い聞かせる術もあるだろう。なまじ、同じものであるが故に  同じヒトであり、同じ聖騎士であり、才能を誉めそやされてきた者であるからこそ、この若すぎる“天才”を疎んじる。
「それにしても」
 愚かだ。
 少年の断罪は、口調こそ厳しさに欠けていたが冷徹だった。
「神の前に己の愚かさを恥じることもないのか」
 男は再び低く笑う。
「てめぇが信じたいことを信じるものだからな」
 少年は何か言い返したそうに男を睨み付けたが、この相手に信仰云々を訴えるのは無駄だと思ったらしかった。いくらか悔しそうに「不信心者」と呟いただけだった。
 掌に握り締めていた黒い十字架に視線を落とす。それは元々聖職者だったという騎士が首に掛けていた物である。例え、GEARとは言え生命を絶つことへの罪を忘れないための黒い十字架なのだと、いつだったか話していたのを覚えている。
 彼は少年の目の前で吹っ飛んだ。思わず差し伸べた手に、まるで小さな奇跡のようにこの十字架だけを残して。頭と体は別々に地面へと倒れ、血飛沫が少年の体を濡らした。
「……わたしは許さない」
 つまらない嫉妬で、彼らを死に追いやった者を。
「最後のGEARを滅ぼすまで絶望などしてたまるものか!」
 それは続く戦乱に、だろうか。それとも底知れぬ闇を持つ人の心にか。
 少年の頬を涙が伝うのを男は見たが、気付かないふりをした。
「なぁ、ソル」
 お前は何を信じる。
 カイの問いに男はわずかに瞠目する。
 何も、と。答えることは簡単で。しかし応えを返すことも面倒であった。
 それなのに。
「そうだな」
 ソルは言った。
「ぼうやの青臭ェ誓いを信じてやるよ」



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