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非凡な者達の平凡な日常
 建物内に響き渡った悲鳴に、『あぁ今年もそんな時期かと思うようになれば一人前』という言葉が頭に浮かんだ。
 ぐるりと椅子を回せば、研修を終えて現場に出たばかりである新人の蒼白な顔が視界に入った。 ふらりとその上体が傾いだと思いきや、ばたんと倒れた。どうやら卒倒したらしい。
 やれやれ。ため息をついて立ち上がろうとする、現在の同僚を差し置いて立ち上がったのは。
 多分、気紛れ。

◇◆◇

 警察機構という公的機関の人材にも様々なレベルがあるもんだ、などと彼は思った。目の前の青年は彼の出したものを一瞥するなり建物中に響き渡る声を上げて彼を閉口させた。 そしてあろうことか白目をむいて倒れてしまったのだ。いまどきこんな警察関係者がいるのかと思わず感心などしてしまうが。
「……わざわざ生首を持ち込む必要なんてないでしょう」
 思いもよらない声は聞き覚えのあるもの。嫌な予感を覚えて視線を移動させる。
 警察機構の制服を着込んでいない青年は、ラフなスカイブルーのシャツに白のスラックスという出で立ちもあってアルバイトの学生かなにかのようにも見えた。 細い黒縁の四角い眼鏡をかけているせいもあるだろう。
 いや、思いたかったのかも知れない。
「なんでぼうやがここにいる」
 カイはこれ見よがしに肩を竦めた。窓口に放置された物体に形の整った眉を寄せ、素早くアームを操作してケースへと納める。内線で分析室を呼び出して、依頼する。
「賞金首の換金申請です。真贋判定の為の『再現』をお願いします」
 そのままケースごとボックスへ放り込む。かすかな空気音とともにケースは透明なチューブの中を滑っていった。
「疑うのか?」
 その程度で気を悪くするわけもないだろうに、男が低く言う。本来窓口で応対する役の若者はまだショックが抜けきらないのか震えているだけである。
「お前がわざわざ偽装するとは思わないが、騙されている可能性は皆無じゃないだろう?」
 カイは小憎らしいほどにしれっと言った。
 賞金稼ぎが狩った『首』を換金する際にはしかるべき手続きをとらなくてはならない。
 公的機関が発表する『賞金首』は警察機構の尽力によって犯人が特定されたものの逮捕には至らなかったケースである。 犯人が特定されない場合は公的機関ではなく、遺族自身かその後援機関がギルドを通じて賞金をかける場合もある。 犯人を特定する手間がかかる分もあって相場はこちらの方が高い。いずれにしろ、持ち込まれたものが確かにその『首』であることが証明されなくては賞金は支払われない。
 警察機構の場合、専任の法術師が鑑定を行なう。先程カイが言った『再現』である。犯罪現場に残された残留因子と照合を行なうのだが、『再現』と呼ばれるのは他でもない。 その時・その場所を再現するからである。もちろんそれには危険を伴う。 だからこそ専任のスタッフが複数でそれに務めている。必然的にあまり地方の警察機構出張所では賞金首の換金は不可能である。 また、法術で鑑定を行なう元となる、持ち込む『首』はそのものである必要はない。 血の滴る切り落とした生首そのものを持ち込むような賞金稼ぎの方が数としては少ないだろう。
 さらに、賞金稼ぎの中にはある程度の信用を築いている者もいる。 人間的にどうとかはさておき、ヤツが持ち込んだなら間違いないと殆どフリーパスで換金に至る『実績』のある者たちである。
 そういう意味では、ソルはまず間違いなく顔パスである。事実、今まではそうだったのだ。 いつもの調子で『首』を持ち込んだら、血も生々しい比喩ではない『首』に新人担当者が魂切る悲鳴を朗々と上げたのだった。
 そこで出てきたのが、なぜこんな所にいるのか分からない最も面倒臭い人物だったのだ。
「鑑定結果が出るまで控え室で大人しく待ってろ。そんな格好でうろつかれたら善良な一般市民の迷惑だ」
 つんけんと言ったカイはじろりとソルの全身をねめつける。返り血らしいもので衣服のあちこちをどす黒く染めたソルからは異臭すら漂ってきそうだ。 聞こえるようにため息をつく。
「少しは身奇麗にしてきたらどうだ」
 口調こそ険しいが、周囲の者達に比べればソルの姿に対する嫌悪感はさほどでもないようだ。 荒事には慣れているはずの警察機構とは言え、やはりデスクワーク中心の仕事しか知らないホワイトカラーと、 実際に戦場で戦ってきた者では基本的に異なる部分があるのだ。 綺麗好きなカイも、戦場では血泥にまみれて食事を取ったりするだけの図太さを併せ持っている。生首を目の前にして悲鳴を上げて卒倒などしない。
 番号札を放り投げられて、ソルは不機嫌そうにそれを受け取ったが文句は言わなかった。 何か言えば数倍になって返ってきかねないことを彼は何よりよく知っていたのだ。
「なんだってぼうやがここにいる?」
 もう一度同じ問いを口にしたソルに、カイは少し驚いたようだった。
「……警察機構のデータベースを一括管理するための情報整理と指導に来ている」
 言って、カイはかすかに笑った。
「見易かっただろう? 賞金首リスト」
「……まぁな」
 ソルは言葉少なに肯定した。
 なるほど、それまで雑多に記事が記載されているだけだったリストが最終目撃情報や得物の種類、 呪術の有無や注意事項に至るまできちんと整理された物に変身していたのにはそういう理由があったのだ。確かに仕事はやり易くなる。 ソルクラスの賞金稼ぎにとっては微々たる違いだが、それでも僅かな違いが生死を分かつほどの差を生むのが死線というものだ。
 珍しく素直な応えに驚いたのか、カイは小さく笑う。殆ど表情に変化を見せないソルの顔にさらに怪訝そうな色を読み取って小首を傾げる。
 間を置いてああ、と得心する。整った顔が与える、ともすれば冷たい印象を和らげて茫洋とした人の良さとでもいうような雰囲気をかもし出している眼鏡をつつく。
「……変装だよ」
 一応、と口を開く。
 ある程度親しい者なら、カイが英雄としてもてはやされることを望んでいないのを知っている。 『カイ・キスク』というのは人類社会に知らぬ者とて居ない名前である。 その容貌は各種メディアで広く知られているのだが、神聖視されるあまりに却って実在の人物の像とはかけ離れた、 ある種『人というものを超越した存在』という記憶を人々に植え付けている。 聖戦の折、身に纏っていたあの聖騎士の法衣を纏っていれば誰もが「ああ、あれこそが」と囁き合う。 しかしありふれた衣服を身に着けていると、よもやあの英雄がそんな平凡な様でいるとは思いのもつかないのか「ずいぶん綺麗な――男性?」 などと呟く程度で、それが『あのカイ・キスク』であるとは殆ど気付かれないという効果があった。
 つついた眼鏡は度のない伊達眼鏡らしい。その所為でカイはより一層『学生アルバイト』に見える。 その『バイト君』は見るからにやばそうな雰囲気を纏った屈強な男に、ことさらにっこり笑って言った。
「待ち時間の間、暇なのなら――」
「手合わせならやらねぇぞ」
「……」
 先を制されてカイはむぅ、と頬を膨らませた。そういう反応こそぼうやなのだとソルは言いたいが言わない。言えば真っ赤になって怒鳴るのが分かりきっているからだ。
「今は勤務時間じゃねぇのか?」
 言外に公務中に油を売っていていいものなのかと皮肉るソルをカイは睨んだが、正論であると認めざるを得なかったのだろう。くるりと踵を返して席に戻る。
「……やれやれだぜ」
 小うるさいのを上手く追っ払ったと思ったが、どうやらぼうやも職権乱用というものを覚えたらしい。
 ソルがそう思ったのは終業を報せるチャイムとともに、書類を片手に歩いて来るカイを見た時だった。
「なんだってこんなに時間がかかる」
 差し出された書類に乱暴なサインを書き入れ、口座を指定する。ただそれだけのことに彼は数時間も待たされたのだ。 お役所仕事だからなどということでは済まされない。目の前の青年の意図が働いているものと彼は判断したのだ。
 大抵の者なら心底縮み上がるソルの一瞥に、カイは小さく肩を竦める。
「お前が悪いんだぞ」
「何ィ」
「お前の持ち込んだ生首の所為で担当者が倒れただろう。賞金換金システムの担当は彼しかいないんだ。他部署でフォローしたから後回しになった」
 それでも普通なら、ソルを待たせるなどいかに警察機構の人間とてしないだろう。むしろ厄介払いは早くしたいとばかりに対応するはずだ。
 胡乱げなまなざしにも涼しい顔で、カイは書類を受け取った。
「さて、わたしも仕事が終わった」
「……」
 ここにはもう用はないとばかりに行こうとしたソルにカイは小さく囁く。
「手合わせはともかく、話したいことがある」
 ソルが足を止めたのは、その言葉ではなく視界の隅に見せられたディスクのせいだった。良くある情報記録媒体だが、カイがわざわざそれを見せるからには何かあるのだろう。
 まぁ、話ぐらいは聞いてやってもいい、そう思ったのは。
 多分、気紛れ。

◇◆◇

 話があると言ったカイはさすがにソルをティーサロンに連れて行く気はなかったらしく、大通りから少し入った所にある酒場に移動した。 内心、女子供がわんさといる喫茶店にでも行くのではないだろうかと危惧していたソルだったが、 喧騒が程よく満ちている店に文句はないようだった。
 カウンターの奥に席を取り、カイは軽いカクテルとジンロックを頼んだ。話を聞いてもらう以上、ここはおごりという気らしい。グラスのひとつを隣に滑らせる。
「お前に買って貰いたい情報がある」
 先程覗かせたディスクを指に挟んで、カイは殆ど唇を動かさずにそう言った。 普通なら隣にいる距離でも喧騒に紛れて聞こえないかもしれないが、相手の聴覚が尋常ではないことをカイは十分承知していた。
「活動を確認されたGEARが数体、報告されている」
 ソルは僅かに表情を揺らした。カイの気性なら真っ先に自ら調査に出向くだろう。それを『情報を買え』とはどういうことか。
「普通のGEAR、らしいが」
 幾分苦笑を混ぜてカイは言った。GEARに普通も何もないが、その言葉が指す意味を彼らはともに理解している。
「……俺に何をしろってんだ?」
 不機嫌そうな声音はいつものこと。返事をしたことが承諾である。
 カイは安堵したように息をついた。
「東アジアを中心に大規模な人身売買のルートがあるんだが」
 人間が同じ人間を商品として売買しているんだと、カイは眉を寄せる。潔癖とも言える彼には到底理解出来ないことだった。 ソルは何も言わない。改めてぼうやに教えてもらうほどのことではない。 奴隷貿易と言われた人身売買は歴史的にも存在していたことだし、奴隷という階級自体は世界に現存している。 国連に加盟している各国では表向き禁止されているが、雇用契約という名称でひそかに人間が売り買いされているのは公然の秘密である。
「そのネットワークは主に子供を売買しているんだ」
 憤りを隠し切れない様子でカイは続けた。
「以前から児童ポルノやそれに類するものの問題があったんだが、この頃はそれにもまして……」
 言いよどむように言葉を切ったカイは勢いをつけるためかグラスに口をつけ、ショートステアのそれを一気に呷った。
「部品の売買が目立っている」
 『部品』という生々しい単語がそれ以上の説明を不要にした。
「……主に貧困層の家族から子供を買取ったり、あるいは女性を騙してそれ用の子供を産ませたり、時には『グレードの高い部品』を望む顧客の為に誘拐したりして調達している」
 手口は巧妙を極め、警察組織でも全容をつかめていない。しかし奴らは確実に存在している。
 声を潜めようとしているのだろうが、言葉の端々に憤りが滲んでいる。ソルはまるで聞き流している風情でジンの追加をオーダーした。
「それを潰せ、ってか?」
「一人でやれとは言ってない」
「……ぼうやの手伝いか」
 ソルの声はかすかに笑いを含んでいる。温かいものではない。嘲笑に近い響きをカイは感じ取る。
「そんなモン、買うヤツがいる限りなくなるかよ」
 カイは痛い所を突かれたと認めざるを得ない。売買が成立するのは需要と供給の両者があってこそである。 臓器の移植や代替臓器の使用については世界的なガイドラインがあるが、まだまだそれを必要としている人たち全てに行き渡っているわけではない。 常に不足してる状況が続いている。だからこそ大金を払ってでもと考える人々がいるわけで、そんな弱みに付け込んで荒稼ぎをする輩をカイは許せないと思うのだ。
 捕まったあるブローカーは取り調べに対してこううそぶいたという。
 『善意の移植者』に元患者から謝礼を支払ってもらうのがそんなに悪いことなのか、と。 彼が扱っていたのは主に腎臓や肝臓などの移植を行なっても生命に支障のない部分の売買であった。 貧しい者達が彼を通して生活の為に臓器を売り、生活を潤した。他に売るものなどなかったからだ。長い病に苦しんでいた者達が彼を通して健康な生活を取り戻した。 誰かからそれを貰う以外に道はなかったからだ。彼はどちらも騙してはいない。両者を満足させる橋渡しをしたことへの報酬を貰うことがそんなに悪いのか、と彼は主張した。
 結局、国際法違反で投獄されたそのブローカーの意見に明確に反論する術をカイは持っていない。 魔法化学の発展で代替臓器の開発が進んだとはいうものの、生身のそれにはやはり劣る点も多く、移植に関しては不適合を起こす者が少なくない。 法を犯してでも健康になりたいと願う患者の気持ちが分からないわけではない。 大金を払える者しかその恩恵に与れないという側面はあるものの、『平等な』システムの未熟さが正論も色褪せさせてしまう。
「子供を売る親がいるんだ」
 カイは苦しそうに言った。
「それで親は金を手に入れて生き延びるんだろ?親孝行が出来てその子供も幸せじゃねぇのか」
「奴らと同じことを言うんだな」
 カイは顔をしかめた。
 子供を売るのもやはり貧しい者が多い。子供を扶養するだけの生活力がないのだ。 このまま餓えさせるよりは、と手放すものもいれば初めから売るつもりで子供を産む母がいるという。特に後者はカイの想像を越えるものだった。
「どうせ食べるものもロクになく衰弱して死ぬのなら、短い間でも大切に扱われて美味しいものを食べて死ねるだけまし……お前もそんな風に思うのか?」
 カイは静かに言った。
「そんなのは生んだ者の傲慢だと思わないか?」
 食べるものにも事欠く環境の中で子供を産んだのは自分ではないか。子供が出来るような行為をするならそれに伴う責任を考えるべきではなかったのか。 それを差し置いて、勝手に生まれてきたのだから生んだ者の好きにしていいとは思えない。
「世の中皆が皆、ぼうやみてぇなインテリとは限らねぇぜ」
 真摯なカイの呟きもソルは鼻先で笑い飛ばす。
「ぼうやの正論は詰めが甘ェんだよ」
 いつもな。
 二杯目のグラスも空け、ソルは席を立とうとする。GEARの情報はあるに越したことはないが、『普通』のものならいずれ狩るだろう。
「……生み出された者には己の道を決める権利があるはずだ」
 例えそれが望まれない生命だとしても。
 立ち去りかけたその足を止めさせたのは何だったか。振り返ればカイは空になったグラスをじっと見つめている。
「……ふん」
 立ち上がりかけた腰を据えなおし、三杯目をオーダーしたソルにカイは少し呆れたように四杯目からは自腹だと釘を刺した。
「警察機構の人間が情報漏洩していいのか?」
 揶揄を含んで言ったソルにカイは事も無げに言う。
「漏洩? あぁ、GEARの情報は警察機構のものじゃない。私的な情報ネットワークにひっかかってきたものだ」
 かすかに笑んだその顔はひどく哀しそうだったが。
「GEARよりも恐ろしいのは人間かも知れないな」
 小さく洩らすと、ディスクを滑らせて寄越す。先払いとは気前がいいものだが、カイとて今回の話がそう簡単に決着がつくものとは思っていないのだ。
「もうすぐこの区域の指導は終了する」
 次はもっと東の区域を担当する予定だとカイは告げた。
「お前、この区域の大物はあらかた片付けただろう? あっちには結構大物の賞金首がいるらしいな」
「はン」
 ソルは嫌そうに顔をしかめた。
「お前、好き勝手に異動してんじゃねぇだろうな」
 まさか俺の行く先々に現れるつもりじゃねぇだろうな。
 言葉にすると現実になりそうな気がしてそうは言わなかったのだが。
「知っているか? 職権というのは使う為にあるんだぞ」
 お前だって情報が整備されていた方が、仕事がやり易いだろう?
「……」
 どうしてどうして、ぼうやも結構『世渡り』ってヤツを覚えたってことか?
「やれやれだぜ」
 ソルはかすかに口の端を歪めるようにして笑うとディスクをポケットに納め、今度こそ席を立った。



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