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◇ONE・DAY◇
 一人にはやや広すぎる家であるが、同居人を入れるのはためらわれることもあってカイは一人暮らしである。 時折かなり特殊な顔ぶれの客人が訪れることがあるものの、それ以外は至って平穏な暮らしぶりである。
 自分が家に帰ってきた時、既に誰かがいるというのは馴染みのないはずのことだが、カイは玄関を入るなり、小さくため息をついてその事実を受け入れた。
 彼の消息を掴もうと探し回るのはいつも自分の方だった。大抵は逃げられて、何度かは捕まえて。しかしながら、そうまでして探す理由のひとつはいまだ叶えられた試しがない。 一方あちらの方はというと、どういう風の吹き回しか勝手にやってきては勝手に飲み食いした挙句、いつの間にかいなくなる。 用があるのは稀なようだが、その勝手な振る舞いを咎めることをカイが放棄したのは何時の頃からか。 とりあえずここは大事な家であったから、さすがに「本気で戦え!」というわけには行かない辺りを踏まえているらしい態度が癪に障らないわけではないが。
「勝手に人の端末を使うな。何の為にパスワードを設定していると思ってるんだ!」
 部屋に入るなりカイは声を荒げたが。よく考えればそれ以前に不法侵入を咎めるべきであろう。しかし家の主はデスクの向こうに陣取った人影を覗き込むなり絶句した。
「……………………ソル?」
 幾分間の抜けた、素っ頓狂な声に彼は顔を上げた。
「あァ?」
「…………………………何だ、それは」
 まじまじと顔を見つめる不躾な視線にソルは眉間に皺を寄せる。ヘッドギアを外した姿をカイに見せるのは今が初めてではない。 あのジャスティスとの戦いの後、異形の気配を纏ったまま額に浮かび上がる徴を晒した時でさえ、カイはここまで驚いただろうか。
 ふと、そんなことを思った。
「お前、目が悪かったのか?」
「……んなワケねぇだろ」
 呆れたような声を零して、ソルはカイの言う「それ」が何だか分かったらしい。 眼鏡をかけた姿がそれほど珍しいかと肩を竦めながらも、「珍獣」でも見るかのような視線にますます顔をしかめた。
「一体どうしてそんな物を? わたしの変装でもあるまいし」
 目を丸くしたまま無邪気な声で聞いて来るカイに、ソルは僅かに苛立ちを滲ませた声を返した。
「こういうモンは人の可視域に最適なように調整されてるだろうが」
 端末のディスプレイをつついて、唸るように言う。
「却って見えすぎて疲れンだよ」
 その為に、敢えて見えにくくするための眼鏡だと。
「へぇ……」
 カイは感心するような声を洩らしたが。
「お前でも疲れるという言葉を口にするんだな」
「……」
 ソルは眉間の皺を深めると、モニタに視線を戻した。
「っと、だから人の端末を勝手に使うなと言っているだろう!」
 初めて見るソルの眼鏡姿にすっかり気を逸らしてしまったが、それとこれとは話が別だと思い出す。カイは再び声を荒げたが、ソルは今度は視線すら上げず
「テメェの仕事してやってンだから黙ってろ」
「は?」
 わたしの仕事、だって?
 カイは小首を傾げた。そう言われると思い当たることは一つしかない。先だって渡したGEARの情報と引き換えに依頼した、人身売買組織の件か。
「仕事、してくれるのか?」
「報酬は貰ったしな」
「そうか!」
 途端に笑顔になったカイに、ソルは小さく息をつくが言葉にしては何も言わなかった。
「しかし、それならそうと言っておいてくれ。お前用のパスワードを設定して、情報領域を分けよう」
「あぁ、そういうのは勝手にやった」
「は?」
「ぼうやにこっちのファイルを見られるのもナンだからな」
 再び小首を傾げたカイだったが。
「お前のパスワード、変わり映えしねぇな」
「なっ!」
 言われるまでもなく、ソルが勝手に端末を使っているということはそういうことだったのだが。
「未だに『HOPE』かよ。簡単に破られるぞ」
「うるさい!」
 確かにその言葉が聖戦の英雄の代名詞でもあったことは余りにも有名である。さすがのカイもかつての聖騎士団でのパスコードのようにそのままを使うようなことはしていない。 8桁の数字に変換はしてあったのだが、外から破られることはともかく、プライベート端末からのアクセスまでは想定していなかったのは事実でもある。
「ふん!お前のパスワードだって、せいぜいが『FREE』か『QUEEN』といったところだろう!」
「さぁな」
 ふふんと鼻先で笑い飛ばしたソルに、カイはきつい視線をぶつけるが。こと、こういったことに関しては相手に一日以上の長があることを認めざるを得ない。 胡乱げな視線を向け、「だいたい、どうしてあの仕事にわたしの端末が必要なんだ」と話題を変えた。
「世界規模で仕事やってンだろ? だったらどこかにデータベースを作ってる可能性は高い」
 何しろ扱い品目は『ナマモノ』な上に種類が豊富だ。
 あからさまな物言いにカイは顔をしかめる。
「それはまぁ、そうだが……まさか、ハッキングしてるのか?」
「普通にリンクでもはってあると思うか」
 怒鳴りかけた所に、冷静な一言で言葉に詰まる。
「いや、その。何もわたしの端末からやらなくてもいいと思うが……」
「ここからなら警察機構のベースにアクセス出来るからな」
「おい、お前」
「あぁ、こっちの出所を知られるようなヘマはやらねぇよ」
「そういうことでなく、だな」
 言いたい事が山盛りあるのだが、あり過ぎて言葉にならないということをカイは経験した。 力なく口をパクパクさせた後、がっくりと肩を落とす。しばらくその場に立ち尽くしている様子だったが、やがて踵を返した。
「善良な一般市民に迷惑だけはかけるなよ!」
 捨て台詞のような言葉だけを残して。



 カイではないが、検索で引っ掛かってくるのであればどんなに楽なことだろう。長時間同じ姿勢をとっていたために凝った首筋を解しながら、 ソルはいくつかのリストをプリントアウトした。 先に告げたとおり、こちらの出所を悟られぬよう何回かに分けて接触を試みた。その度にログイン名も変え、経由させるネットワークも変えた。 カイには言っていないが、警察機構のデータベースにソルが持っているログイン名は複数ある。 いずれもここから作り出したものではあるが、案外セキュリティの甘い構造に何度か悪戯心が働きかかったのは事実である。 確かに外からの侵入には強固なのだが、一旦内部へ入られると弱いのだ。そういうセキュリティは多々ある。 そのおかげで使い捨てのものを含めれば、それこそ組み合わせの数だけルートを確保できるのだが。
 一通り狙いの組織周辺の情報を拾い上げたが、さすがにそのものまでは発見できなかった。元々それは期待していない。 相手に直接接触する方法が分かればそれで大きな収穫である。それ以外にも幾つかの気になる情報を拾い上げて、 ソルはログアウトしようとしたが。
 ふと、その手が止まる。
 確かにここからのアクセスは何かと便利なのだ。安定したプログラムと豊富なルート、外部からの侵入に対しての強固なセキュリティは、 本来は弾くべき侵入者にもその恩恵を授けてくれている。ここから派生するネットワークはいずれも他からとは比べようもなく、 『姿を消して動く』のに都合がいいのである。
 奴を探す。
 一時たりとも忘れた事のない欲求に指先が震えた。
 何度となく、挑戦したことでもある。そして数回はそれに成功しかけた。だが、最初のそれは彼の額に禍々しい刻印を残すことで終わったし、 結局の所最後まで詰めきったことはない。
 ここに都合のいい場所がある。腰を据えて奴を探すことが出来る場所、だ。
 ソルはモニタを睨みつけるように視線を据えていた。
 おそらくカイは依頼の範囲を越えるその目的を知った所で、止めさせようとはしないだろう。もとより、持ち主の許可を得ようなどとは思ってはいなかったが。
「……」
 ソルはゆっくりと端末から指先を離した。
 先の接触を試みた時はどうだったか。通常の防御プログラムをはるかに超える『ガード・ビー』の攻撃を避けきった所で『スパイダーネット』に捕獲された。 一瞬のタイムラグにそうと気付いたのですぐに接続を遮断した。すぐさま場所を移動したが、おそらく『ヘル・ハウンド』でこちらを特定しようとしていただろう。 短時間だがかなりの所を遡られたかも知れない。
 ソルは顔をしかめた。いくつものネットワークを経由し、『名無し』も複数踏み台に使っているが相手が相手だけに油断ならない。
 万一、ここからのアクセスであることが感付かれたなら。
 本来の所有者を突き止めることは容易だろう。カイ・キスクは有名すぎる。名前だけですぐに個人が特定される。 そして彼との関わりも。表向きは聖騎士団での一時在籍の時期が重なっているというだけであるが、互いの手にしている神器の存在がある。
 そうすればいらぬ介入、あるいは悪戯を招く。
 あの男の。
『どうだい、フレデリック。実に興味深いじゃないか』
 既にどんな顔であったのか明確に思い描くことなど出来ない相手の、忘れようもない声を思い出してしまう。他者を説得することに長けた、穏やかな声音。
「ソル」
 丁度その時かけられた声がなければ。
「どうかしたのか?」
 その場の気配の変化を感じ取れないわけがないだろうに、カイはことさら穏やかに問うてきた。その事にソルは気付き、ゆっくりと息をつく。
「ぼうやに気を使われるとはな」
「何か言ったか?」
「……いや」
 打ち出された紙の山をまじまじと眺めているカイに、何の用だと聞き返してみれば。
「あぁ、お茶が入ったから休憩したらどうかと」
 歓迎していない客だと悪し様に言う割に、待遇は悪くないのはいつものことである。カイは冷めないうちにリビングに来るように告げると、付け加えるように言った。
「疲れたんじゃないのか? 目が赤いぞ」
 何でもないことのように、さらりと。
「……」
 男は深い息を吐いた。
 カイのその一言に動かされた訳ではないが、一段落ついた所であったからソルはそのまま接続を切ると言われたようにリビングへ足を向けた。 いつもなら紅茶の匂いがしてくる所だが、漂ってきた芳香は紅茶のものではなかった。
 ガラステーブルの上に置かれたのは紛れもなくコーヒーである。 ソルはいつから趣味が変わったのかと幾分胡乱げな視線を向けたが、カイの手にあるマグカップの中身は相変わらず紅茶らしい。
「どういうこった」
「別に?」
 カイはおどけたように肩を竦めるが、自分用に入れた紅茶を一口含んでその味に満足したように笑む。
「お前は紅茶はあまり好きではないんだろう?まぁ、頂きモノのコーヒーメーカーがあったから、それを使ってみただけのことだ」
 職場の同僚に大のコーヒー党がいる。絶対に美味いから飲んでみろと押し付けられたのはいつのことだったか。
 カイはそう付け加えると、少し心配そうに尋ねた。
「どうだ?」
 それは味に関しての問いらしい。ソルはソファに腰を下ろすと鎮座ましましているカップに手を伸ばした。
「……」
「……悪かぁねぇな」
 じっとこちらを注視している視線に負けて、感想を述べる。言葉としては消極的なそれが結構な賛辞であることをカイは知っている。 そしてまた、世辞などを口にする男ではないことも。
「そうか。コーヒーのことは良く分からないからな」
 豆も色んな種類があるんだな。
 自分の好きな茶葉ならば、それこそ両手の指を全て使っても数え切れない名前を上げることが出来るのを棚に上げて、 よくそんなに味の差があるのだなと妙な感心の仕方をしている。
「お前は何が好きなんだ?」
 豆の種類か焙煎の好みを聞いているらしい。
「別に」
 テメェじゃあるまいし。
 とりあえず後半は口にしないでおいた。
「よく分からなかったから、とりあえず勧められたものを買ってきたんだ。えーと、ブルーマウンテン、か」
 どうやら開けたばかりらしい袋を眺めるカイに、ソルは眉を寄せた。よく考えなくてもこの家にコーヒー豆の買い置きがあるわけがないのだ。 まさかと知らず勘繰るような視線を向けていたのに気付いたのか、カイはふと目を上げた。
「あ、別にわざわざお前の為に買って来たとか、そういうわけじゃないからな!」
 偶々いつもの茶葉が切れていたから、買いに出たついでだっただけで。
「とりあえずお前で試したんだ。淹れたことがなかったからな」
 何にせよ、口に合ったのなら良かった。
 そう言って笑ったカイは「せいぜい頑張って仕事をしてくれ」と上機嫌であった。



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