「GEAR、だったのか」 白いGEARの骸を前に、響いてきたカイの声。 後悔とも安堵ともつかない思いが去来した。隠してきた秘密を知られるというのは、自らがそう仕向けたのではない限り何かしら不快感を伴うものなのかもしれない。 いつかはそれを知られてしまうだろうと。覚悟していたことであっても、その時を迎えれば少なからず衝撃がある。 そう、認識した自分に自嘲がこみ上げる。 馬鹿馬鹿しい、そんな感情などとうの昔に捨てた。あるいはヒトに非ざる長い生の間に磨耗し、朽ちてしまっている。 ソルは立ち上がろうとして思うように力が入らないことに気が付いた。粘っこい血が剥き出しになった額の上辺りにこびり付いているのが分かる。ちょうどその辺りにカイの視線は向けられている。髪の合い間に覗いているであろう呪われた証に、ソルはふと手をやった。薄赤い痣を隠すどころか、逆に髪を掻き上げて『坊や』によく見えるように光に晒した。そんな行為を露悪的だと嘲笑う自分がどこかにある。 カイがゆっくりと、握り締めていた剣を上げるのが見えた。 思わず口の端に笑みが上る。そうだ、それでこそ『神器に選ばれし者』。人類を未来へと導く『希望』たる者。 不意に、ソルは体に力がこもらない理由を悟った。 『俺は坊やに殺されたいのか?』 まだ事は終わっちゃいやしねぇのに、それは虫が良すぎるってモンだろうが。 茫然としながらも、目の前のGEARを殺そうと神器を振りかざしたカイは『正しい』。ここでカイの手にかかって滅ぶというのはなんとも魅惑的な考えではあった。楽になれるだろう。 だが、今さらそんな選択が出来るのなら当の昔に追跡は諦めていた。今はまだ、駄目だ。あの男が存在している限りは、先に逝くわけにはいかない。 ソルが口を開こうとしたその矢先、カシャンと軽い音が空気を震わせた。 封雷剣が目の前に落ちて来た。何事かと視線を上げると、今にも泣き出しそうな子供のように表情を歪めたカイがいた。 「……なんてツラしてやがる」 いささか憮然と呟かれた言葉に、カイは大きく頭を振った。引き歪む顔を覆い、なんとか平静を保とうと肩を震わせながら声を発する。 「傷の、手当てをしよう」 ソルがこれほどまでに傷だらけである姿を、カイは初めて見ると思った。彼の知るソルは激しい戦闘をこなしてもなお、殆ど無傷であった。唯一の例外は先のカイ自身との対戦で、カイは初めてソルに傷らしい傷を負わせた。 だが、そこまでだった。格が違いすぎるのだと思い知らされた。そのソルをしてここまで痛めつけるとは、やはり最強最悪と謳われたGEARだけはあるということか。 「あなたは……分かっていたのですね」 この大会の裏に画策されていた陰謀を知っていて参加した。 「ジャスティスを倒せるのは自分しかいない、と?」 悔しすぎて涙も出ない。カイは苛立ちを隠せずにいくぶん乱暴にソルの腕の傷を縛った。 いくら優れた治癒能力を有しているとはいえ痛覚はある。ソルはあからさまに顔をしかめたが、そのまま腕を任せていた。 「そうでもなかったがな……」 「え?」 ぼそりと呟かれた言葉を聞きとがめカイは首を傾げたが、思い直したように応急処置の手を早める。 「先程の『彼』の帰還の影響でしょう。空間属性が不安定になっているのでこれ以上法術の癒しは出来そうにありません。一先ずこれで我慢してください」 そう言って早くこの場を立ち去った方がいいだろうと提案する。 「遅かれ早かれ、外の人たちも異常に気が付くでしょう。そうなったら脱け出しにくくなります」 動けますかと問うカイに、ソルは聞き返した。 「GEARを助けるなんざ気でも違ったのか、坊や」 カイは『坊や』という単語に咎めるような視線を向け、かすかに眉をひそめた。 「わたしは正気ですよ……多分ね」 「短時間でしたから、あのジャスティスの復活と消滅に気が付いた人はそう多くはないと思うのですが」 それでも真相が知れるのは時間の問題か。あとはそれが公表されるか否か。 闘技場からそう離れてはいない裏通りの安宿にもぐりこんだものの、カイは少なからず不安げだった。ソルは構わず粗末な寝台に腰を下ろすなり、傷口を縛っていた布を解き始めた。 「駄目ですよ! ちゃんと薬を……」 言いかけたカイの語調が急に弱まった。十分過ぎるほどに深かったはずの傷が、早くも塞がり始めている。今さらながらに目の前の男の『正体』を思わずにはいられなかった。 表情を曇らせたカイだったが、頭を振ると一番深い傷口に手をかざし素早く法術の印を切った。淡い真珠色の光の珠がカイの掌に生まれ、傷口へと移り、吸い込まれる。柔らかな温もりとともに痛みが消え失せるのをソルは感じた。 礼ひとつ言うでもなく、ソルはごろりと寝台に横たわった。カイはため息をつく。それだけ疲弊しているのだろうと思えば、怒る気もしなかった。 「どうして俺を助けた」 不意に声をかけられてカイは飛び上がった。慌てて振り返るとソルは背を向けた姿勢のままだった。 「……聞きたいことがあるからです。色々と」 散々迷った挙句、カイは言った。 「フレデリック」 見つめている背中が揺れたのは、気の所為ではなかったとカイは思う。沈黙を肯定と見なして言葉を継ぐ。 「プロトタイプGEAR……最初の実験体。それがあなたなのでしょう? フレデリック」 「……よせ」 可聴域ぎりぎりではないかと思われる、低い声が返った。その声にこめられた響きはカイの口を封じるには不十分だった。 「……不愉快ですか。わたしなどにその名を呼ばれるのは」 カイは唇を噛んで俯いた。 そもそも真実を知りたいと思うことこそが思い上がりなのかも知れない。ずっとソルのことをライバルだと言い張ってきたが、それは自分の一方的な思い込みに過ぎなかった。そう思い知らされた。そんな自分が一連の出来事の裏側にある真実を知りたいと願うには、余りに力不足、役者不足なのか。 「……そうじゃねぇ」 面倒臭そうな声に顔を上げると、男は上体を捻ってこちらを見ていた。 「その名前の男はもう死んだんだ。とっくの昔にな」 常と変わらない抑揚のない声に、カイは胸に詰まるものを感じた。そう言いきるまでにいったいどれほどの時間がこの男の上を流れていったのだろうか。 言葉を失い、ただ自分を見つめるカイに男はいくぶん投げ遣りなまなざしを向けた。渋々、といった態で口を開く。 「よくそんな古いコト知ってたな。聖騎士の教養か?」 「……個人的な興味です。あなたにとっては『興味』などと言われては面白くないでしょうが」 「興味、ねぇ……」 かすかに目を細めた男の、物騒な光を湛える瞳から逃れるようにカイは目を逸らす。 「くだらねぇ昔話なんぞ聞いて、どうする」 「知りたいんです、ただ。真実を聞きたい。わたしには聞く資格などないことなのでしょうか……」 くっくっと喉の奥で笑う低い声を聞いた。 「坊やは変わんねェなぁ……」 ゆっくりと身を起こした男は、投げ出していた血塗れのジャケットを探ると煙草を取り出してきて咥えた。カイがこの期に及んで咎めるかどうか、煽るような視線をちらりと投げ付けて火を点ける。 「……資格だとか何だとか。何かに認めてもらわなきゃ安心できねぇのか?」 あからさまに揶揄を含んだ声にカイはムッとする。 「では教えてくれるのですか? 今までずっとわたしを蚊帳の外に追いやって、独りで何でも……勝手にやってきたくせに!」 癇癪を起こしたカイに、男はひょいと肩を竦めてみせる。 「坊やが聞きたいってんならな」 無造作に与えられた返事にカイは毒気を抜かれた。呆気にとられて見つめてしまう。 「どういう風の吹き回しですか」 「聞きたいことがあるんならさっさと言え。煙草一本分だけ時間をくれてやる」 突然の申し出に、一体何から聞いたものかとカイは焦った。 そんな様子を眺めながら、相も変わらず坊やだなとソルは思う。 まぁ、少しは成長しているようだが。 「ソル」 カイが短く、はっきりとした声でその名を呼んだ。 意を決したように、まっすぐに視線を合わせてくる。初めて出会った頃と変わらない、何より澄み切った怖いほどの真摯なまなざしで。 「ジャスティスとあの男、そしてフレデリックの関係について。彼らがどういった利害関係にあるのか、どんな意図で行動しているのか、そもそもの事の起こり。あなたが知っている限りのことを教えてください」 ソルは低く笑った。滅多に感情を映すことのない、金属めいた瞳が愉しげに光る。 「少しばかり欲張りな質問だな……俺が答えてやるには時間オーバーだ。あの男の考えとやらはお前が自分でヤツに聞くんだな」 やはりはぐらかすつもりか、と。失望も露わに肩を落としたカイだったが。 「……カイ」 『坊や』という、あのいつもの小馬鹿にしたような呼びかけではなく。 ソルがカイの名を呼んだ。 「来るか」 耳の底に滑り込むような低い響きに、カイはびくりと身を震わせた。 石のような不動さと鋼のような強靭さを閃かせる、赫と金のまなざし。瞳を覗き込まれて囚われる、そんな自分を知覚しながらカイは視線を返す。 短い、素っ気ない言葉だった。けれど確かにそれ以上の言葉を聞き取る。 全てを見届けに。 俺とともに来るか、と。 「あなたがそれを許してくれるのなら」 ゆっくりと、しかしはっきりと肯いてカイはそう言った。 ソルの肩が揺れた。乱れた黒髪を乱雑に掻き上げながら呆れたように告げる。 「ったく、面倒臭ェな。許すも何もねぇだろうが」 第一、 駄目だと言った所で頑固な坊やが「はいそうですか」と引き下がるのか? きょとんとしているカイに目眩さえ覚え、ひとりごちる。 「言わなきゃ分かんねぇのか?」 お前は特別だと。でなければそもそもこんな提案などしない……そんな七面倒臭い科白を吐く気にもなれず、ソルは再び背を向けるとごろりと横になった。 「あっ! ソル、約束通りちゃんと教えてください。寝たふりなんてずるいですよ!」 我に返った様子で、カイが滅多やたら握りこぶしをぶつけてくる。その微弱な衝撃を背中に受けながら、ソルはどうやら気の所為ではないらしい本格的な頭痛を覚えた。なおもなにやら喚いているカイを黙殺して、いささか早まっただろうかと思わなくもないなどと思考を廻らせる。 「……ありがとう」 かすかに、声が耳に届いた。 >>>>>戻る |