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◇11月20日◇
■ 空の上では(11月14日) ■

「メイ〜日付変更線越えたから〜」
 伝声管から聞こえて来たエイプリルの声に、メイは朗らかな声を返した。艦内の日付表示をいじるメイをディズィーは興味深そうに見つめている。
「どうかした?」
 視線に気がついたメイが聞くと、ディズィーは小首を傾げて
「日付変更”線”ってどこにあるんですか?」
 窓から地上を一所懸命眺め降ろしているディズィーにメイは目を丸くし、笑いながら「そんな線ないよ」と言った。
「ないのに”線”を越えたんですか?」
 ますますもって分からないと言いたげなディズィーにメイは自分もジョニーのクルーに迎えられてすぐ、『国境』について同じようなことを言ったことを思い出していた。
「そうだねぇ、ディズィー。おかしいよね」
 地面になんにもないのに、さ。
 それでも地図の上に引かれた線を巡って、地上の人々は目の色を変えるのだ。
「あー、もうすぐ20日だぁ」
 カレンダーに目をやって、メイは呟いた。
「20日がどうかしましたか?」
 この頃、何でも興味を示すお年頃というやつだろうか。ディズィーは色んなことを聞いてくる。メイにしてみれば大いにお姉さんぶりたい所である。
「11月20日はカイさんの誕生日なんだよ」
「まぁ、カイさんの!」
 メイはこくりと頷くと、ブリッジにいるはずのジョニーに呼びかけた。
「ねぇ、ジョニー。ちょうどパリに着く頃が20日じゃない?」
 伝声管の向こうから陽気な応えが返る。
「じゃあさ、丁度いいから、カイさんに誕生日プレゼントを持っていこうか?」
 メイの提案にディズィーは喜んだ。
「誕生日のプレゼントというと、何がいいんでしょう? カイさんなら……やっぱりお紅茶かしら」
「そうだねぇ、自分がもらって嬉しいものを、ってのがプレゼントの基本だしね」
「おいおい、レディー達は二人してハンサムボーイの話で盛り上がってるのか? なんだか妬けるねぇ」
 オンにしたままだった伝声管から、船の主の茶々が入る。
「ジョニーにはメイがいつも真心と愛を込めてプレゼントしてるよ!」
 勢いよくメイが返す。
「だって、カイさんには恩があるし」
 ディズィーを新しい家族にしてくれたんだもの。
「だから、ありがとうも込めて何かプレゼントしようかなって」
 伝声管の向こうからは、押し殺したような、愉快そうな笑い声が響いてきた。
「オーケイ。そうなると俺様も手ぶらでというわけにはいかないな。ふむ、そうだな……」

■ 空の上では 2(11月15日) ■

 天空国家ツエップは、厳格な軍事国家であると一般には思われている。実際のところ施設の全てが軍事目的のものであるわけでもなく、ましてや初代大統領となった男の下での政治は、それまでのものに比べればずっと人らしい生活を標準とするものであった。
 旧科学時代では、国家を形成するほどの大きさの飛行物は建造できなかったという。浮力の調整をいかにしたところで、自重によってその船体自体が折れてしまう――それは物理科学の限界だっただろう。魔法科学理論との融合を経て、ツエップはその雄大な領土を天空に浮かべることができたのだ。
 その天空国家ツエップの一住民にして、大統領直属で軍籍を置くポチョムキンは、不意の来客を迎えたのだった。
「せっかくお休みのところ、ごめんなさい」
 そう言ってディズィーは非番のポチョムキンを呼び出してしまったことを詫びた。この天空国家にとって、ディズィーの存在はかなり複雑なものがあった。急進派の中には彼女を「取り戻し、本来の目的に沿って利用する」べきだと主張した者もいたのだが、大統領がそれをよしとしなかった。一度、自らの意思を得た者を再び「道具」として閉じ込めることができようか。それは、最も愚かしい行為を繰り返すだけなのではないのか、と。
 結局、ディズィーがこうして自由にポチョムキンと言葉を交わすようになるまで様々な紆余曲折があった。その多くはポチョムキン自身が”処理”に当たった。大統領自身も少なからず手を下したはずである。それでも彼らは、この異形とヒトの間から生まれた奇跡を、今は愛しく思っている。ディズィーもそれを感じ取るのか、今の両者の関係は至極良好なものだった。
「いや、非番と言っても特に予定はない。気にするな」
 お客人が来た、と。大統領からのその呼び出しだけでディズィーの来訪だと分かっていた。ポチョムキンはあまり表情の変化が出ないのだが、ゆったりとした態度はディズィーを寛がせる。
「あの、実は……」
 ディズィーはそっとポチョムキンの耳に顔を寄せた。メイからの伝言と、お願いを口にする。ポチョムキンはしきりに頷いていたが「そうか、あの青年の誕生日なのか」と呟くと、ディズィーの依頼を快諾した。
「ふむ、私もあの青年には少なからぬ恩があるからな。プレゼントか……そういう平和な習慣も良いな」

■ 東の地では(11月16日) ■

 ひっきりなしに入る注文を手際よく捌きつつ、ジャムは並んでいる客をざっと数えた。お昼時はいつも戦争のような状態であるが、今日も昨日より少し客は増えたようである。 商売繁盛はありがたい。心からの笑顔を浮かべ、出来上がったばかりの餡を熱々の飯の上にかけた。
「天津飯、一丁アガリ!」
 鮮やかなオレンジ色に塗られた一人用の飛空艇に乗った少女が訪れたのは、そんな昼食ラッシュも一段落ついた頃だった。
「久しぶり〜」
「アイヤー、メイ。元気してたアルか」
 賄いに適当な材料で適当なものを作っていた所である。そんなものでよければ一緒にどうかと誘うと、メイは目を輝かせたもののひどく残念そうに
「あ〜、今日は急いでるから」
「珍しいこともあるものネ」
 思わず本音がもれたが、メイは気を悪くした様子もなく「今度はクルーみんなで来るから」と、ジャムの商売人根性を擽るようなことを言った。
「じゃあ、何か用があって来たアルか」
「うん」
 そういうとメイはいつもながらの少々脱線の多い物言いで説明し始めた。
 老麺に野菜炒めを乗っけた、適当ではあるが味は絶品の、かなり遅い昼食を取っていたジャムの手が止まる。
「カイ様の誕生日アルか! それは黙ってるわけにはいかないネ。手作り愛情たっぷりのジャム特製満漢全席をカイ様に振る舞うチャンス!」
「ま、待って。ジャムちゃん」
 メイは慌てて目を輝かせたジャムを引きとめた。
「お願いがあるんだ……」
 耳打ちに、最初は怪訝な顔をしていたジャムは顔をしかめ、やがて小さく息を吐いた。
「う〜ん、そういうことか……」
 渋い表情のジャムにメイは両手を合わせてのお願いポーズである。その可愛らしくさえある仕草にジャムは笑い、
「分かったアル。そういうことなら仕方ないネ。他でもない、このアタシをあてにしてくれたわけだし、ここは一肌脱ぎまショ!」
 軽く肩を竦めてそう言い、小首を傾げて考え込む。
「新鮮な牛乳、小麦粉……そうネ、あそこの店のが一番アルね。問題は卵か」
 間違いなく絶品であるものが、あるにはあるのだが。
「この時期じゃあ、野生種のものを採りに行くしかないか」
 険しい山の断崖絶壁に巣を作る鳥なのだが、その卵は市販の鶏の卵とは比べ物にならないくらい美味しいのだ、と。ジャムは両手を腰に当てて講釈を垂れた。
「鳥骨鶏の卵もなかなか美味アルが、正直言うと一度アレを食べた口じゃ満足できないネ。知る人ぞ知る絶品こそカイ様にふさわしいアル」
「じゃあ、ボクが採りに行ってくるよ」
 メイは言った。
「ジャムちゃんにはお店があるでしょ?」
「大丈夫アル。そういう荒事が得意の皿洗いがいるから、それに行かせるヨロシ」

■ 東の地では 2(11月17日) ■

 GEARによってその領土毎消滅した島国、日本。失われた物への郷愁か、それとも別の意図があってのものか、今の世の中「日本人」は絶滅危惧指定種の扱いである。 それはさながらその当の日本で、かつて「パンダ」がそう扱われたように……とは言え、闇慈は直にその当時のことを知っているわけではない。
 日本人はコロニーと呼ばれる各地に点在する居住地に、表向きは”保護”されている。 実際の所、それは”閉じ込めている”のではないのかと反発する者も、特に若い者には多い。 だが、日本人であるというだけで衣食住が保証され、安穏と暮らしていくのであればさして不自由のない環境が与えられると人は簡単に牙を抜かれてしまう。 子供の頃は閉じ込められた不自由さに不平を言い、大きくなったらコロニーを出て行くと語り合っていた友達が、一人二人とそんなことを口にしなくなったのはいつの頃だったか。 結局、闇慈がコロニーを出た時は誰も見送りもしなければ、ついてこようとする者もいなかった。 今生の別れというわけでもなし、涙ながらの別れともなるとそれは嫌だと思っていた闇慈ではあるが、少々寂しく思ったのは事実だ。
 自分がコロニーを出てこられたのは血の繋がった家族というものがなかったからではないかと思ったのは、一人旅にもすっかりなじみ、舞という芸で日銭を稼ぐのにも十分慣れた頃だった。繋ぎとめる血縁というものがなかった故の”脱出”であったのかも知れない、と。
 物心ついた時には既に両親は亡く、一人でいることに慣れてはいるとは言うものの、旅の空の下、誰ともすれ違うだけで親しくするわけでもない日々が全く寂しくないといえば嘘になる。
「というわけで、時々この店には立ち寄ってるわけだが」
「厚かましくも無銭飲食をしに来るの間違いアル」
「や、その分の代価はちゃんとこうして働いてるって!」
 ジャムの店の皿洗いとは、メイも知っている闇慈であった。なるほど、荒事には向いているかも知れない。
 それを言うと闇慈は顔をしかめ、
「この御津闇慈、雅号は赫赫、世にも稀なる舞手を捕まえて、言うに事欠いて荒事向きってのはないだろぉ。雅人なわけよ、オレって」
「なーにが雅アルか」
 すげなくあしらわれ、闇慈はとほほと声に出して肩を落とした。
「あぁ、それもこれも財布を落としたのがなぁ……、とかくこの世は金次第ってか、世知辛い世の中だねぇ」
「いつまでウダウダ油売ってるアルか、カイ様の為なんだからさっさと支度するヨロシ」
「カイ? あぁ、あの警察機構の人か。なんだ、まだ諦めてなかったのか」
 うんうん、そういうオトメは応援してやりたくなるねぇ。でもこんな近くにもイイ男がいるんだけど、それには気付かないのかね。
 軽口を叩く闇慈にジャムは大きなため息をついて見せる。
「近くにイイ男? 見当たらないアルね〜。第一、このアタシがカイ様を諦める理由がないデショ! まぁ、今回は裏方にまわるわけだけど、そういやアンタもまるきり無関係って訳でもないんだから、精々協力するアルよ」
「あ、そうか。闇慈もディズィーは知ってるよね?」
 メイとジャムから事情をかいつまんで説明され、闇慈は今度は深く深く頷いた。腰帯に差していた舞扇を抜き、軽く膝の上で打ち鳴らす。
「なるほどなるほど、そういうことなら、この闇慈様も一肌脱いで――あ、これ以上脱いだらお嬢さんたちには目の毒か」
「………いいから、さっさと行くアルよ」

■ 西の地では(11月18日) ■

 ここ数日、晴天が続いているせいか朝夕は冷え込むものの日中の気温は穏やかで過ごしやすい。旅人としては何よりありがたい日差しの下、一風変わった装束の青年は上機嫌そうに鼻歌混じりで道を歩いていた。
 そのメロディが、今はない国の童謡であることを聞き分けられた者はおそらく皆無だろう。かなり強引な転調が行われ、節回しも原曲の名残をかすかに留めている程度である。歌詞がない状態でそれが「浦島太郎」と判別できるのはおそらく本人しかいないだろう。
 黒い皮のシャツの胸元から銀色に鈍く光る帷子を覗かせて、自称「日本人忍者」チップ・ザナフは、子供たちに苛められている亀がいたら助ける気満々であった。
 だが、彼が見つけたのは亀ではなかった。限りなく広がる田畑を貫く一本道、迷いようもない、つまりは道なりに行けば避けようのない、道のど真ん中で倒れている男だった。
 チップは立ち止まり、ものすごく嫌そうに口を開いた。
「そんなトコで何やってんだ? オメェ」
 ボロ雑巾のようなソレ、もとい、行き倒れていた男ががばりと身を起こした。
「ああああああ! チップたん、チップたんだー!!」
 チップはすかさず、にじり寄って抱きついて来ようとするのを素早い動きで躱わした。
「気持ちの悪い呼び方すんな! アクセルっ!」
「だぁって、知ってる顔に会えたの久しぶりなんだよ〜。ところで今何年何月何日で、ここどこ」
 他に聞く者がいればなんと奇妙な質問だと思ったかも知れない。だが、チップは彼の、アクセルの奇妙な体質――と言っていいものかどうかは、名医の誉れも高いファウストでさえ判断しかねているようだが――を知っている。どうせまたどこからか”飛ばされて”来た所なのだろう。アクセルが抱きついて喜びを示そうとしたからには、その薄汚れた風体から想像する以上の過酷な環境からの”跳躍”だったようだ。
 チップがアクセルの”感激の抱擁”を避けたのは、何もアクセルが恐ろしく汚れた格好をしていたからではない。それは理由の一つではあるが、チップの標榜する「日本男子たるもの、群れたりはしねぇ」に反すると考えたからである。とは言え、簡単な質問にも答えてやらないほど敵対しているわけでもない。第一、そうであれば最初に声をかけたりはしなかった。
 チップの素っ気無い、しかし過不足のない返事を聞いてアクセルは喜んだ。
「おお! オレってすごいかも。チップたん、せっかくだからお願いひとつ聞いてくんないかな〜?」
「あぁ?」
「チップたんは、どこかいく予定とか用事とかあるの?」
「だから、その気持ち悪い呼び方ヤメロ」
 チップは顔をしかめ、無愛想に「いつもの修行の旅だ」と答えた。
「じゃあさ、オレと一緒にパリに行かない?」
「パリぃ?」
 確かに、ここからさほど離れてはいない――チップのその基準は徒歩で移動できるかどうかである。
「うん、あのさ。今月の20日ってカイちゃんの誕生日なわけよ」
 そう言って、アクセルはくたびれたマントの下からかなりくしゃくしゃになった紙袋を取り出した。
「あー、よかった。中身は無事だ」
「なんだよ、それ」
「某王室御用達の紅茶の葉っぱ。聖戦前の逸品」
 それが本当であれば、今はもうとても飲めたものではないだろう。だが、アクセルが持っていたとなると話は変わる。
「秋摘みの新茶なんだ〜誕生日プレゼントにばっちりだと思わない?」
「は、あのケーサツカン。そんなモンが好きなのかよ」
 男のくせに、と。つい付け加えてしまうのはチップの癖のようなものである。
「だったらテメーで持っていけばいいだろうが」
 なんだってオレが一緒に行くんだよ。
「だってさ、20日までにオレまた跳んじゃうかも知れないじゃん」
 口調はあっけらかんとしているが、アクセルの顔には一瞬隠し切れなかった疲れたような、諦めに似た色が過ぎった。それを見てしまい、チップは舌打ちした。
「ツケトドケかワイロか知んねーけど。面倒ゴトには巻き込むなよ」
 その言葉は「とりあえずは一緒に行ってやってもいいぞ」という意味である。それが分かる程度の付き合いはアクセルにはある。
「友人としてのプレゼントだってば。オレってこういう体質だから警察機構のお世話になることも、少なくなくてさ」
 その度に色々カイちゃんには手間をかけてるし。
「アイツって堅物の不親切野郎だろ。オレが土下座してまで頼んだことをあっさり断りやがったし」
 思い出して不愉快になったとばかりに、顔をしかめたチップにアクセルは苦笑する。
「うーん。立場的に公私のけじめはちゃんとしないと、って思ってるみたいだね。徹底してるし、堅物ってのは、うん、あるかも。でも基本的にカイちゃんって親切だと思うけどなぁ」
 大抵無一文、着の身着のままのオレに宿を世話してくれて、短期の仕事を斡旋してくれたり。
「あ、まさか」
 今も無一文だって言うんじゃねーだろーな。
「ぴんぽーん、アッタリー」
「アッタリー、じゃねぇよ!」



■ 西の地では 2(11月19日) ■

 出会うとは思いも寄らない相手を見かけた時、どういう行動を取るだろうか。
 さして親しくもない相手であれば、そのまま声もかけないだろう。こちらが急いでいる時も同様である。決して親しいとは言いがたい間柄であったとしても、そこにある感情が少なからずプラス方向のもので、あてもなく店先を覗きながらの散歩の途中であったなら。
「あら、珍しい」
 彼女の方から声をかけた。それこそ珍しいことだったのだが。
 声を掛けられた側は公園のベンチに陣取った人物で、じろりと一瞥をくれた。一方しかないとは言え、その鋭い視線は射抜くような力強さがある。胸元を無造作に収めただけの扇情的とも見える風変わりな衣装に、下心を持って声をかける輩は尻尾を巻いて逃走することだろう。
「あぁ、アンタか」
 吐き捨てるような語調ではあるが、これは別段不機嫌だという証でもない。声をかけた側はにっこり笑うと「貴女も?」と聞いた。
 その言葉に、ベンチに座った女は顔をしかめた。
「なるほど、そういうことか」
 懐から出してきたのはピンク色の封筒。その中には快賊団の少女からのメッセージが入っている。
「梅喧、貴女がこんな企画に足を運ぶなんて。どういう風の吹き回しかしら」
「それはそっちもだろ、ミリア」
 舌打ちした梅喧は、首筋を掻きながらますます顔をしかめた。カイの誕生日を祝うから、20日までにパリに集合せよなどと言うメッセージを受け取って、どうして足を運んだのか自分でもあまり良く分からないのである。普通なら「くだらん」の一言で、手紙も丸めて捨てるところである。
「まぁ、美味い酒を用意するとあったしな」
 あくまで目当てはそれだと梅喧は言い、ミリアにアンタは、と聞いた。
「私? 私はいつも通りカードを送ろうと思っていたのだけど。せっかくのメイの誘いだし」
「いつも通りだって? はぁ、意外だねぇ」
 あんなガキが好みなのかい。
 目を丸くした梅喧にミリアは嫣然と笑う。
「たぶん、そういう意味ではないと思うわ。そうね、きっと貴女と同じよ」
 隣、いいかしら。
 立ち話から腰を落ち着けて、表情でありありと「同じとはどういうことだ」と訝しむ梅喧に
「結局、私たち二人ともあの団長さんのことが気になってるんじゃない?」
 そうでもなければ、いくら誘いがあったからと言ってわざわざパリへ足を運んだりしないんじゃないかしら。
 ミリアの言葉に、梅喧は気持ち悪いとでも言いたそうな渋面になる。
「貴女と私、同じ匂いがするわよね」
 微笑んだミリアに梅喧は一瞬ムッとしたような顔をし、やがて肩を竦めた。
「血の匂いってヤツかい?」
「同類は見分けるもの、ね」
 相変わらず表情は穏やかであるが、ミリアの声に硬いものが混じるのを梅喧は気付かないふりをした。
「貴女と私、それからあの団長さん。おっかない男なんか桁外れって気がしたけれど」
 たくさんの人の死を見てきた目。
「それなのに、彼だけなんだか違う」
 そう思わなかった?
「それこそ数え切れない程の死を見てきたはずなのに、彼の目には暗さがないのよね。なんだか、不思議だわ」
 だから気になるのかも。
「……小難しい講釈は御免だよ」
 顔をしかめ、梅喧は言った。
「ま、あのガキが大層な修羅場を潜ってるってのは同意だね。一度でも剣を合わせりゃ分かるってモンさ。そのくせ能天気な面して甘ちゃんなことぬかしやがるから、虫唾が走るったらありゃしねぇ」
 その評にミリアはまた微笑んだ。
「そうね、私も少し苛々するわ。どうしてそんなことが言えるんだろう、って。……もしかしたら、私はあの団長さんに嫉妬しているのかも知れないわ。私には到底真似できないもの」
 冷徹な判断を下せる公人としての顔の中にある、理想を諦めない底抜けのお人よし。そんなものを持ったまま、血塗られた道を歩み抜けてきたなんて。
「ガキくせぇだけじゃないか」
 呆れたと言わんばかりに梅喧は応える。
「ガキってのは懲りないモンさ。……あぁ、だからこそ道が開けてるのかも知れないねぇ」

■ そして、巴里(11月20日) ■

 自分の体ほどもある、大きな袋を担いだ少女がぶんぶんと大きく手を振る。あまりに軽々と担いでいる姿に、袋の中身は空気かそれより軽いガスなのではないかと思いたくなるがそうではない。
 その横に、白い箱を大事そうに抱えた少女が立っている。にこにこと笑っているその少女の背には二色の羽根がついている。ちょっとした仮装のように見えるが、これもまたそうではない。
「おっそーい!!」
「メンゴメンゴ。チップたんが寝坊してさー」
「人のせいにすんな!」
 賑やかに現れた二人連れを見て、ミリアは少し驚いた。直接連絡する手段を持っている自分はともかくとして、闇慈とはジャムの店であったというからよしとしよう。しかし、どこにいるともはっきりとしない梅喧やチップ、クマのぬいぐるみを抱えている少年――ブリジットもまた旅の人間であるはずだ。そしてまた”この時代”にいるかどうかも分からないアクセルにまで声をかけていたとは、一体メイはどういう手を使ったのだろう。
 それはもしかすると――ミリアは黒コートに身を包んだ男を見遣った。快賊団の首領である彼の伝手であるかもしれないし、あるいはその隣にいる男が属する天空国家の科学力の為せるものなのか。
「これで全員揃ったかな」
 比較的親しい者は久しぶりの再会を喜びあい、そうでない者はなんとなく目礼をするともなしにしてお互いの存在を認識しあった。騒がしさが一段落つくとメイは声を上げた。
「いざ、カイさんちへしゅっぱーつ」
「あ、メイさん」
 ふと、大事なことを思い出したとばかりにディズィーが聞く。
「カイさんのお宅に伺うのはいいとして。カイさんはお仕事かも知れませんよ?」
「だーいじょうぶ、ちゃんとスケジュールは確認したから」
「へ? どうやって」
 率直な疑問を口にしたのはアクセルである。警察機構の要人と言ってもいいカイのスケジュールをそう易々と部外者に教えるとは思われない。広報部に聞いたところで怪しまれて逆探知でもされるのがオチだろう。
「副官さんに聞いたんだよ」
 メイはけろりとしている。
「直通番号に連絡いれて聞いたら、『貴方は誰ですか』って。だから『Jのオ・ン・ナvでーす』って名乗ったら」
 ちょっと黙って、それから笑って教えてくれた。
「……」
 カイの副官を知る者は、彼を唖然とさせたのであろう状況を想像して絶句した。一人咽たのは”J”本人である。
「あのなぁ〜メイ〜」
「なぁに?」
「……まぁ、いい……」
 メイはひょいと肩を竦めると、袋を担ぎなおそうとした。
「メイ、それは持とう」
 極めて紳士的な申し出をしたのはポチョムキンだ。彼は自分が持っていた小さな箱をメイに渡し、その袋を肩に担いだ。
「ずいぶん中身が入っているようだな」
「うん、クルーのみんなからの。みんなで船を留守にするわけにはいかないからね」
 ありがとう、と礼を言ったメイはディズィーを振り返り、大事そうに抱えている小箱が水平に保たれていることを確認して歩き出した。
「それにしてもよくこれだけ集めたもんだな」
 卵を取りに行くという役目を果たし、まぁついでだからとここまでついてきた闇慈がそう言うと、一同は大いに頷くところである。
「スレイヤーさんに相談してみたの」
「は!?」
 ここでどうしてアサシン組織のボスであった、吸血鬼の名前が出てくるのか。
「だって、梅喧さんやエセ忍者の居場所なんてボク知らないモン」
 軽い男なんて”いつ”にいるのかも分かんないし。
 できるだけたくさんでお祝いしたいと思っているのだと相談すると、吸血鬼はパイプをくゆらせつつ「任せたまえ」と言ってくれたのである。
「メイ〜。お友達は選んだ方がいいと思うがね〜」
 軽い頭痛を堪えつつ、ジョニーが少しは保護者らしいことを言った。
「えー。スレイヤーさん、いい人だよう」
 吸血鬼だけど。
「スレイヤーさんは先約があるとかで、よろしくって言ってた。あと、さすがにザトーとかヴェノムは来ないみたいだね」
「さ、誘ったの?」
 恐る恐るミリアが聞くと、メイはあっさりと頷いた。
「だって、カイさんのことよく知ってるでしょ」
「そりゃまぁ、そうでしょうけど……」
 自我を失った首領に代わって、組織を纏めている青年は妙な所で真面目である。きっと今ごろはその誘いは何らかの罠なのだろうかと生真面目に悩んでいるのではないだろうか。
 ミリアはほんの少し同情した。
「前から思ってたんだケド……メイって大物アルネ」

15時

 平穏な午後だった。
 カイはとっておきの本に目を通しながら、久しぶりの休日を満喫していた。その本は長らく探していたものを、知り合いの古書業者が覚えていてくれて、取りおきしてくれていたものだった。その連絡を受けて喜び勇んで引き取りに行ったものの、ゆっくり読む機会がないままになっていた。じっくりと腰を据えて読みたいものであったから、職場からの呼び出しは絶対にないとの保証付の休日はまさしくうってつけだった。
 普段の休みであれば、大きな事件があれば呼び出されることも多い。カイはそのことを苦に思ったことはない。だが、今日ばかりは彼が出て行けば事件の解決を進めるどころか、余計な混乱を引き起こすだろう。聖戦の英雄の誕生日というのは、興味を持っている者であれば調べるのは容易なことだ。カイにプレゼントを渡したいという善良な市民の行動を騒ぎにしないためにも、今日は一日大人しく自宅で過ごすことにしていた。
 分厚いページも半ばに至り、カイはそろそろお茶でもいれて一息つこうかと考えた。キリのいい章の区切りになったのを機会に、と。するとまるでそれを待っていたかのようなタイミングで玄関のチャイムが鳴った。
 その知名度に反して、カイの自宅というのはそれほど一般には知られていない。普段の買い物をする商店街や近所の人々には隠していないとは言うものの、彼らはカイが特別扱いされることを好んでいないことを知っている。宅配業者などが持ってくる物も、大半が職場宛になっている。直接カイの自宅宛に荷物を送る者もまた、ごく限られているのだ。そのためカイはさして警戒するわけでもなく玄関へ行き、モニタ越しに訪問者の姿を確認して目を丸くした。
「どうしたんです? みなさん大勢お揃いで」
 慌ててドアを開けると、カイの問いを遮るように
「誕生日おめでとー!」
 メイの大きな声が響いた。
「え、あ。まさか」
 そのためにわざわざ?
 ぐるりと並んだ人々を眺めて、カイは目を瞬かせる。その目の前に大きな花束が差し出された。真っ白な大輪のバラの芳香が柔らかく辺りを満たす。
「俺様が花を贈るのはレディに対してと限っているんだが。ま、今日は特別だ」
ジョニーが帽子のつばに手をかけ、わずかに礼をする。気障な仕草だが嫌味にならないのは板についているからだろうか。
「わ、あ、ありがとうございます」
 その一抱えほどもある花束を持って、カイはリビングへと皆を招き入れた。
「すぐにお茶でも……」
「主賓は座ってるものアル」
 キッチンなら任せろといわんばかりに、持参のエプロンを取り出しながらジャムが言った。
「カイ様のためなら毎日でも夕食を作りに来てもイイぐらいアルよ」
 いささか不穏当とも取れる――少なくとも、カイにとっては――発言である。しかしジャムはあっさりと「分からないことがあったら聞く」と言い置いて、そのままキッチンへ行ってくれたのでカイは内心ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
「じゃ、順番にプレゼントを渡すからね」
 メイは朗らかに言うと、大きな袋の中から次々と大きさも形も様々な包みを取り出した。
「これはエイプリルから。それからセフィーの。オクティからのと、これがジャニス……たぶん中身はマタタビだと思う」
 ノーベルの発明品だという「全自動耳掻き」には「多分爆発しないと思うけど」という物騒極まりない一言がついていたとは言うものの、全体的に可愛らしいプレゼントが並べられる。
「ボクからは、手作りクッキーだよ。ちょっと堅いけど、よく噛んで顎を鍛えるのは健康にもいいってことで」
 ぺろりと舌を出してそう言ったメイに続き、ブリジットが大きな包みを差し出す。
中身は大きなクマのぬいぐるみだった。カイはこの年になってぬいぐるみをもらうとは、と思ったのだが、ブリジットがにこにことして「ロジャーそっくりですっごい可愛いでしょう」と言うのに他意はなさそうだ。
「可愛がってくださいね〜」
 それは具体的にはどうするものなのか、聞き返したい気もしたが止めておいた。
「シノビの知恵が詰まった秘伝の書だ!」
 なぜか偉そうにポーズを取り、チップが紙束を突き出す。カイは視線を走らせ、
「……“茶殻を固く絞って撒き、それから箒で掃くと埃が立たない”、“しつこい油汚れや焦げを落とすには、重曹水で30分ほど煮ると汚れが剥がれ落ちる”……」
忍の知恵というよりは、むしろおばあちゃんの知恵袋ではないかと思われる。
「これはすごいな。今度やってみます。お気に入りのケトルに油の跳ねがこびりついて気になってたんですよ」
「どうだ、役に立つだろう」
 が、贈る側も貰う側もそんなことは気にしていないようだった。
「どうせアンタは強い酒は呑めねぇんだろ」
不機嫌そうに梅喧が言った。彼女が足を運ぶとは意外だというのがカイの正直な感想であるが、それを口にしないだけの分別はある。梅酒の一瓶を無造作に置き、梅喧はそっぽを向いた。
「いい香りですね。紅茶にも合いそうです」
 次々に渡される品々にカイは一つ一つ礼を言った。そして、ディズィーからのプレゼントとなった。
「あの……」
 おずおずと差し出された白い箱の中身は、ケーキだとディズィーは言った。
「皆さんに手伝って頂いて、その、わたしが初めて作ったケーキなんです」
 カイさんは森の外で色んな楽しいことを見つけてくださいって、言ってくれましたよね。
「たくさん楽しいことや嬉しいことがありました。そんな気持ちもこめて」
 材料はジャムの伝手を総動員して最高級の品を取り揃え、特選素材は闇慈が取ってきた卵である。ジェリーフィッシュの台所を守るリープ直々の指導の元、ディズィーの背中の二人――ネクロとウンディーネも手伝った。
「これは……わたしですか?」
 直径30センチほどもある大きな白いケーキの上に、色のついた砂糖で描かれた絵姿にカイは目を丸くした。
「はい、あの、ポチョムキンさんに下絵を描いて頂いて……」
 ディズィーは赤くなりながら頷いた。
「初めてでこんなすごいものを作るなんて、ディズィーさんはお菓子作りの天才ですね」
「え、あの、先生が良かったからです。材料もみなさんが。それに、味は……」
 食べてみないと。
 かすかに不安を覗かせたディズィーに、カイは「じゃあ、みんなで頂きましょう」と言った。丁度ジャムがお茶を入れてきた所である。
 しかしそもそも一人暮らしのカイの家には大人数で囲めるテーブルがない。なにしろゲストが十名である。他の部屋からも椅子や小さなテーブルをリビングに運び込んでくる騒ぎとなった。リビングのあちこちにてんでに座り、主賓はこちらへとばかりにディズィーのケーキを前にして、ソファの中央にカイは座らされた。
「あの、みなさん」
 ありがとう。
 照れくさそうにカイが言ったのを合図に、改めて声が掛けられた。
「Happy Birthday!」



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