街道が封鎖されているとあって、彼らはその街に宿を取らなくてはならなかった。 この辺りはまだ比較的安全な地域だった。すなわち、GEARによる襲撃の懸念が今のところなく、そのため人々の往来も多い。 足止めを喰らう旅人は彼らだけではなかったが、彼らほど異色の取り合わせは他に類を見なかった。 大人と子供、それだけを見れば極々普通の取り合わせだ。 しかし大人の方はどう見ても堅気の職にある者とは見えず、子供の方は保護者同伴以外で出歩くのは危険なほど…『綺麗な』子供だった 。自然、彼らを見た者の脳裏にいくつかの単語が形容詞として浮かぶのだが、 男の剣呑な気配に誰も正面切って口にした者はいなかった。 「……おい、いつまでそうしてるつもりだ」 痺れを切らしたように男は言った。 「……」 子供の方は口を開かない。両足をやや開いて立っている様は、なるほど「踏ん張って」いるらしい。梃子でも動かない、という少年の意志を示すものだ。 「俺は物見遊山にお前を連れてるわけじゃねェんだぞ」 げんなりと、男は続けた。 少年は一枚の張り紙の前に陣取っていた。その張り紙は派手な彩色が施され、子供の目を引くには十分な魅力を持っている。 サーカスの宣伝ビラだ。それによれば明日興行を開始するらしい。明朝には街道の封鎖が解かれるということだから、先を急げば見られない。 少年はどうやらそのことについて男に異議を申し立てているらしかった。 「だって、行ったことないもん!」 ぷう、と膨れて少年は言った。 「一日ぐらいいいでしょ!」 「駄目だ」 男の返答はにべもない。 「ソルはいろんなトコ行ってるけど、僕はいつも大人しく待ってるじゃないか!」 地団駄を踏んで抗議する少年を冷ややかに見下ろしす。 「それとこれとは話が別だろうが」 「別じゃない!!」 はぁ、と。男は心なし肩を落としてため息をついた。 「だったら気が済むまでそうしてろ」 踵を返す。 あっけに取られた少年を残して歩み去ろうとする。 「ソル!」 上擦った声で少年は今一度薄情な保護者を呼んだが、男の歩みは止まらなかった。 その態度が必ず少年が追ってくると確信しているようで、それが分かるだけに癪に障って一歩が踏み出せない。 「あ……」 追いかけるタイミングを逸して、少年は不安に満ちた目になった。が、すぐに勝気な表情を取り戻す。意地の張り合いなら負ける気はしない。 「……」 しかし徐々にその顔から強いものが抜けて行く。 『やっぱりワガママ……かな』 でも分かって欲しい。いつだって我慢しているのだから、せめて口に出した時は耳を傾けて欲しい。 サーカスに行きたいのは本当だ。しかし意地を張らせているのは男の聞く耳は持たない、という態度だった。 駄目なら駄目でどうして駄目なのか、説明してくれれば少年は聞くつもりであったし、実の所構って欲しい気持ちの方が強かったのだ。 それなのに男は駄目だ、というばかりで取り付くしまもない。 「ぐし…」 じわりと涙が溢れてきて、少年は慌てて目元を拭った。随分遠くで男が歩みを止めるのが見えたからだった。男は半分だけ振り返った。 その口元にかすかな笑みが浮かんでいるのを少年は見た。その瞬間、彼は『絶対にソルの思い通りに泣いて追っかけたりするもんか!』と決意した。 可愛らしい外見に関わらず、少年の負けん気はかなりのものである。きっと睨み返した先の姿が人ごみに紛れる。 「……」 人通りが途切れた時、男の姿はもう見えなかった。 「ったく、何だってんだ」 ソルは苛々と呟き、昨夜取った宿への道を歩んでいった。宿の場所はカイも知っており、頭が冷えれば自分で戻ってくるだろうと思った。 戻って来なかったとしても、構わず明日の朝には出立するつもりだ。 それまでに帰って来なければここでお別れ、ただそれだけのことだ。しかし、他に宿を取れる金をカイが持っているはずもない。 夜になるまでに泣きべそをかいて現れるだろうと高をくくる。 「おい、もう一晩頼む」 客を出迎えようとした主人が顔を引きつらせる。それほど今のソルの気配は険悪で、それは彼の表情にも凄みのある影として現れていた。 主の反応にそれを知り、ソルは肩を竦める。 あんなガキに振り回されるなど愚の骨頂だと。 「あ、あの坊やは」 おろおろしながらも主は聞いてきた。それだけカイが印象深いせいでもあるし、彼の存在が随分と男の威圧感を緩和していたのだ。 一対一で対応するに救いを求めて主の視線はさまよった。 「あぁ? ……あのガキならそのうちびーびー泣きながら追っかけて来るだろうさ。そうしたら部屋を教えてやってくれ」 そこまで言ってやる自分に呆れた。階段に向かいかけた足をふと止め、主に問う。 「おい、この街に法具を扱う店はあるか」 「え?」 そんなことを聞く客は少なく、主は驚くが案内は怠らなかった。 「はい、東の通りに……」 法具について聞いて来たなら、この男は法力が使えるのだろうか。興味深そうな主の視線を無視して、ソルは再度部屋に向かった。 『そろそろガキにも一人前の法具を買ってやるか』 そう考えた自分に愕然としながら。 時間が経つにつれ、カイは自分の不利を悟らずにはいられなかった。 人ごみの向こうに苦虫を噛み潰したような顔で立っているソルの姿が見えないだろうかと背伸びをしてみるが、思ったようにはいかない。 「……」 はぁ、とため息をつく。結局のところ「ごめんなさい」を言わなくてはならないようだ。 黙って戻ればソルは謝罪を求めはしないと分かっている。けれど気詰まりなのは変わらず、 きっと耐えかねて自分は謝ってしまうだろう。 「僕は悪くないのに」 言ってみるが自分でも負け惜しみだと思う。 「もう少し話を聞いてくれたら、大人しく付いてったのに」 そう言い切れるか自信はないが。 もう一度背にした張り紙を眺め、カイは宿に戻ることにした。 『でもその前に』 サーカスの設営地を見に行ってみよう。サーカスは見られなくてもその雰囲気の一端ぐらいは味わえるだろう。それにもし設営が終わっていたら、稽古をしているかもしれない。 うまくすればそれを見られる機会だって。 淡い期待を抱いて少年は駆け出した。 町外れの空き地だった所に巨大な天幕が設えられていた。薄汚れた天幕も期待に満ちた少年の目には純白に輝いて見える。 喜び勇んで駆け寄ったカイは、誰かいないだろうかと辺りを見回しながら天幕の周囲を巡った。 「……だから……だろ」 「分かった。すぐに……」 話し声を聞きつけ、カイはひょいと天幕の裾を捲って中を覗き込んだ。男のものらしい足が二組見えた。 話が終われば声をかけようと思ったカイだったが、二人の話を聞くうちに青ざめた。 「お嬢ちゃんは大人しくしてるか」 「あぁ、自分の立場が分かっているらしい。父親が金を払えば無事に戻れるってこともな」 「そいつぁ上々だ。じゃあ今からつなぎを付けて来る。取引は今夜だ。金の分配は分かってんだろうな」 「心配すんな。それより、やつら妙な気を起こしてるかもしれねぇ。注意しろよ」 「下手なことをすれば可愛いお嬢ちゃんと二度と会えなくなるって分かってるだろうさ。 お前こそ大事な金鶴に逃げられたりすんなよ」 ドクン、と動悸が激しくなるのが分かった。どうやら『お嬢ちゃん』とやらが誘拐され、 身代金を奪う間このサーカスに監禁されているようだ。サーカスの団員全員がグルなのか、 一部の者の犯行かは分からない。目の前の二人以外にも仲間がいるのかもしれない。 どちらにしろ子供一人の手には余る事態である。一番いいのはすぐさま逃げ出して、誰か信用できそうな大人に見聞きしたことを告げることだ。 カイの脳裏に宿屋でむっつりと、不機嫌そうな顔で煙草を吸っているソルの顔が浮かんだ。 彼ならこういった事態の収拾に長けている。しかし、無用の揉め事に首を突っ込むような親切心は……ない。 『僕がなんとかしなきゃ!』 他に知る人とていない街で、誰に訴えればいいのか少年は知らない。子供一人が言い立てた所で信用してもらえるだろうか? カイはゆっくりと、注意して捲り上げた天幕の裾を元に戻した。まずその『お嬢ちゃん』の所在を確認するのが先決だ。 すぐには助け出せないまでも、どこの誰に知らせればいいのか分かるだろう。 カイはきょろきょろと辺りを見回し、天幕の大体の構造を掴んだ。大小取り混ぜて立つ天幕の内、一番大きいココがサーカスの舞台となるのだろう。 自然、人の出入りも多い。 人質を隠している率は低いだろう。 ではどこだろうか。少し考えて、カイはじっと待つことにした。先程聞いた会話を思い出したのだ。居残る一人が人質の様子を見に行く可能性は高い。 そう思って息を殺して待った。程なく、カイの期待通りに痩せた男がちらちらと辺りを見回しながら出てきて、奥のほうに立っている天幕の一つに滑り込んでいった。 すぐにも飛び出して行きそうになるのをこらえる。十ほど数えた時に男は出てきた。周囲を見回しながらどこかへ行ってしまう。 それを見送って初めてカイは隠れ場所から走り出た。注意深く足音を忍ばせて天幕の中に入る。 「……誰?」 響いた声にどきりとした。若い、というより幼い女性の声だった。 「心配、しないで。僕は奴等の仲間じゃないから」 そっと覗き込む。最初に目に入ったのは薄い桃色のレースだった。深い色合いの、襞の整ったスカートに真っ白なブラウス。 仕立ての良い衣服なのはすぐに分かった。なるほど、『お嬢ちゃん』なわけだ、と納得しながら体を滑り込ませる。 「あなた、誰?」 咎めるような声はまだ幼いが冷ややかなものを孕んでいる。カイは肩を竦めながら経緯とも言えないような状況を説明した。 「だから心配しなくていいから……」 言いかけたカイを少女の冷笑が遮った。 「私を助けに来たというの? あなたが?何が出来るっていうの、馬鹿にしないで」 「ば、馬鹿になんか……」 意外な反応にカイは戸惑いを隠せない。少女の視線が無遠慮に眺めているのに気が付いて慌てて自分の体を見回す。 少女に比べれば差が歴然としている。丈夫さが売りのシャツとズボンは決して不潔ではないが、砂埃を吸って色褪せくたびれている。 旅の身の上なのだから仕方がない。『お嬢ちゃん』にして見れば近寄るのも嫌な『下層階級の者』なのだろうか。 「ちょっと! 誰か! 誰かいないの!」 突然少女が大声を上げた。カイはあっけに取られる。虚を突かれてとっさに身を隠すことも出来なかった。何事かと覗きに来た見張りに容易く発見されてしまう。 「ど、どうして」 動揺のあまり抵抗もろくに出来ずに押さえ込まれて、カイは少女に問い掛けた。少女はつんとしてそっぽを向いた。 「……」 『お嬢ちゃん』の閉じ込められていた天幕の更に奥は、別の天幕に繋がっていた。カイはそこへ連れて行かれ、不安げに身を寄せ合い、すすりないている子供達の姿を目にした。 「大人しくしてな」 腕ごと胴を縄で縛られたカイを、誘拐犯は乱暴に床に投げ下ろすと去っていった。 地面に体を打ちつけた痛みと、体のあちこちに食い込む縄に顔を顰めながら、カイはようよう身を起こす。カイはようやく自分がとんでもない状況に置かれていると自覚した。 このサーカスはとんでもない人攫いの集団だったのだ。 「……みんな、攫われて来たの?」 周囲の子供達に問うと泣き声がそれに答えた。 「売られるんだ」 一人が言った。 「奴らが言ってた。この先の町で……市が立つんだ。僕らそこで売られるんだ」 カイは表の方へ視線をやった。『お嬢ちゃん』のように身代金がとれそうな子供は別扱いということらしい。有力者の子供なら下手に売り飛ばせば足が付く。 その点カイのような流れ者や貧困層の子供なら、売った分だけ丸儲けというわけだ。 カイは顔をしかめて舌を突き出した。 「もうおしまいだよ。この街での興行が終われば、次まですぐだ。僕ら……」 また泣き出した声に慌てて振り返る。 「泣くなよ。もうおしまいだなんて諦めるな」 「だって……僕らにはどうしようもないんだ。誰も助けてなんかくれないし」 カイはゆっくりと息を吸った。 「大丈夫だよ」 絶対に助けに来てくれるから。 「誰も助けてなんかくれないよ!」 ヒステリックに一人が叫ぶと、泣き声は一層大きくなった。 「うるせえぞ!」 天幕の向こうから濁声が響き、子供達は弾かれたように身を縮め、すすり泣いた。 「……泣かないで」 カイはもう一度言った。 「大丈夫、必ず助けに来てくれるから」 怪訝そうに顔を上げた同い年くらいの少年に頷き返しながら、カイは思った。 『だって今までも……そうだったもん』 日はとっくに暮れているというにのあのガキは何をやっているんだ。 彼は苛々していた…つもりはない。常にも増して周囲の人間が自分を避けていることにも気付かなかった。 街中ではそれが自然だからということもあり、宿の一階で軽い食事を取った。砂か泥を噛んでいるようなもので楽しくもなんともないが、義務感で嚥下する。 ついでに頼んだ火酒は一杯程度では足りず、追加するが水と同じで酩酊できるわけでもない。 「……遅い」 ようやく口を開いた物騒なお客に給仕係が飛び上がる。 「な、何かお気に召しませんでしたか!?」 素っ頓狂な声に顔を顰め、ソルは無言であっちに行けと顎をしゃくった。あたふたと立ち去る男の脇をすり抜けて、小柄な人影が走りこんで来る。 子供、だった。その子供は大層浮かれた様子で、大声ではしゃぎながら食堂内を走り回った。 どうやら親にどこかへ連れて行ってもらえるのが嬉しいらしく、それを友達に自慢しに来たらしい。 と、その子供が床に無造作に置かれていた麻袋に蹴躓き、椅子に座っていた男とぶつかった。 室内に緊張が走る。 よりにもよって、子供がぶつかった相手は先程から剣呑な気配をびりびりとさせている流れ者だった。鋭いというより物騒なまなざしがゆっくりと子供に向けられる。 ヒィ、と息を呑んだのは子供の友達の父である主人だった。 「……ごめんなさい」 ぶつかった当の子供はおでこを擦りながらぺこりと頭を下げた。ごく自然な態度だった。男は何も言わず視線を戻す……戻しかけて動きが止まった。 子供が手にしている色鮮やかなビラ。 男の中で何かが閃き、繋がった。 「あの、クソガキ……」 突然立ち上がった男に、室内の空気は緊張の極みに達する。しかしソルはそれに気が付く様子もなくテーブルに金を置くと身を翻した。 「あ、お客さん。お釣……」 酒と食事の代金としては多すぎる金額に主人の声が背中を追ったが、男の足は止まらなかった。 絶対に助けに来てくれる、と思う。 カイはいささか自信をなくしかけていた。 『ワガママばっかり言ったし……好きにしろって、ソル……行っちゃったし……』 明日の出立までに戻らなければそのまま捨て置かれるかも知れない。戻りたくても戻れない状況なのだと推し量れという方が無茶だろう。 自分からいなくなったのだからソルに探してくれというのは虫のいい考えだ。 『でも……きっと来てくれる……』 目の奥がツンと痛くなった。 『来てくれ……ない……?』 突然入り口が開いた。 見覚えのある痩せた男と、背の高い屈強そうな男が立っていた。 「その新入りだ」 痩せた男がカイを指し示す。大男は荷物を担ぐようにぐるぐる巻きにされて身動きできないカイを担ぎ上げた。 「僕をどうする気だ!」 必死に相手を睨みつけてカイは怒鳴ったが、相手にはされなかった。悔しくてぎゅっと唇を噛む。連れて行かれたのは『お嬢ちゃん』の天幕だった。 天幕の中にはあの少女と、やはり身なりのいい青年がいた。どうやら身代金を運んできた『お嬢ちゃん』の家の使用人らしい、とカイは青年の少女に対する態度から推察した。 「この子よ」 『お嬢ちゃん』が言った。 「この子を買って頂戴」 青年が困ったように首を傾げる。 「ですが、旦那様に言われております。あまり得体の知れないものをお嬢様に買い与えてはいけないと」 じろじろと見つめる青年の視線にカイは背筋を震わせた。まるで、どころか物を値踏みしている目そのものだった。 「僕は物じゃないぞ!」 叫んだ途端、横殴りの衝撃が襲った。 「うるせえ、黙れ」 カイを殴った後で痩せた男は言い捨てた。くらくらする衝撃にカイは奥歯を噛み締める。 痛みは後からやってきた。頬が熱く、頭がガンガンする。 「折角綺麗な顔をしてるのに傷をつけないで」 少女の甲高い声が耳に刺さる。 「ねぇ、いいでしょう。こんな綺麗な子ならいいペットになるわ」 今度こそカイは本当に吐き気を覚えた。これが同じ人間に対して言う言葉だろうか。子供が口にする科白だろうか。 「そうですねぇ……」 青年は肩を竦め、痩せた男に向かって決して少なくはない金額を口にした。カイを買い取る金額らしい。 誘拐犯が答えようとした時だった。慌てふためいた叫び声が聞こえてきた。 「何事だ!」 瞬時にただ事ではないと悟った男が様子を見に天幕を出て行こうとする。しかし顔を出しただけですぐに振り返る。その顔は青ざめていた。 「くそ! 火事だ。なんだってこんな時に……。おい、お前は奥のガキどもを連れて来い。大事な商品に焼け死なれちゃ……」 男は最後までしゃべることはなかった。垂布が揺れ、男はぐっと詰まったような声を吐いた。 「……?」 室内の者が異常に気が付いたのは、男の歪んだ口元からぬるりと血が溢れてからだった。 「なっ……!」 カイは見た。 ゆっくりと入り口を塞いでいる垂布が捲れ上がる。裾から火が点いているのだ。下から上へ焼けて行く様はまるで赤い手が捲り上げて行くようだ。 不機嫌そうな顔をした男が炎の向こうに立っていた。無造作に突き出した剣が痩せた男の胸郭を貫いている。 ずるりと剣が抜けてくずおれた男には目もくれず、ソルは口を開いた。 「手を焼かすな、クソガキ」 「僕のせいじゃないもん!」 即座に言い返したカイは自由にならない体を捩ってソルに近付こうとする。と、その体が抱え上げられた。 「う、動くな。変な真似しやがったらこのガキの首を捻じ切るぞ」 その言葉と共に首元を強く押さえ込まれる。突然の出来事にあっけに取られていた大男だがようやくヤバイ事態だと理解したらしい。 カイの細い首など確かに男には容易く捻じ切れるだろう。ただの脅しではないとばかりにカイの喉を握り込む。 呼吸が出来なくなってカイは足をばたつかせた。 「やってみな」 ソルは静かに言った。冷たい、低い声で。 「ひ……っ」 大男は震え上がった。ソルは脅しつけたわけではない。しかしその声にとてつもない恐怖を感じて慌ててカイを放す。 カイを手放した瞬間、男の全身は炎に包まれていた。聞くに堪えない絶叫が天幕の中に響き渡った。 放り出された格好のカイは呆然とそれを見つめ、やがて心なしか面白そうに自分を見下ろしているソルに視線を向けた。 「……ごめんなさい!」 ぎゅっと唇を噛んで、叫ぶように言った。 ソルは無言のままカイを縛っている縄に手をかけた。ぶつ、と鈍い音がして程なくカイは体の自由を取り戻した。 「僕のワガママでまた迷惑……」 くしゅんと鼻を鳴らしてカイはソルの脚にしがみ付いた。 「ごめんなさい」 再度謝ったカイの脇に手が差し込まれ、ひょいと抱え上げられる。カイは少し驚いたようにソルを見、おずおずと肩に手を回して体を安定させた。 天幕の中はさほど広くない。入り口を焼いた炎と今新たに内部に発生した火に内部の温度は上昇し、空気も熱くなっている。 ソルは天幕の中に残った少女と青年には目もくれなかった。カイを抱え上げるとさっさと天幕を出る。カイは複雑な視線を後ろに向けたが、向き直って唖然とした。 「これ、もしかして……」 全部、ソルの仕業なのだろうか。 立ち並んでいた天幕の悉くが無残に焼け落ちている。一つ残らずだ。そのくせ周囲への延焼はないらしい。そこここに真っ黒に焦げた杭のようなものが転がっている。 よくよく見ればそれは人体のなれの果てだと分かる。シュールな光景だったが綺麗に焼き尽くされているせいか不思議と凄惨な印象はない。 凄惨を通り越して見事としか言い様のない、徹底した破壊・殲滅ぶりだった。 散らばった残骸の中に小さな子供のものらしいものは見当たらない。カイはそっと胸を撫で下ろす。 「ちっ……」 ソルが舌打ちした。 こんな安い賞金首に労力を割くつもりはなかったと言うのに、ついうっかり全部焼いてしまった為に、なけなしの賞金もふいだ。 「え……」 このサーカスは賞金首だったというのか。そしてソルはそれを知っていた……? 「だから言ったろうが」 サーカスには近寄るなと。 「……言ってないもん!」 ただ駄目だと言っただけだ。そんな話聞いていない。 「言ってくれたら我慢したのに!」 カイはソルの耳を思いっきり引っ張ってやった。 「やめろ」 「やめない! だって僕聞いてないもん」 ひとしきりぎゃいぎゃい騒いで、ソルの髪をぐちゃぐちゃにかき回す。それで少しは気が済んだのか、カイはまたソルの耳を引っ張って囁いた。 「じゃ、今度ちゃんとした、賞金首じゃないサーカスがあったら行ってもいい?」 かなりの間、沈黙があった。 「……好きにしろ」 「行っていいの? ソルも一緒にだよっ!」 焼け野原に伸びやかな声が響き渡った。 >>>>>戻る |