▽メニュー記録庫
◇甘いものは好きですか?◇
「パフェが食べたい…」
 この世の終わりが来た、と言わんばかりに悲しげな声。
「……さっきメシ喰ったろうが」
 げんなりしたような、低い声。
 こじんまりとした、可愛らしい店構えの前に佇む人影が大小二組。小さい方は年の頃はまだ6つかそこら、愛らしい顔立ちの子供だ。柔らかな金の髪を揺らして、不平そうに傍らの連れを見上げる。
「デザートだよ」
 恨めしげに訴えられた方は、一見した所まだ若いのだが、その鍛え上げられた若々しい肉体とは裏腹にどこか老成したような雰囲気が漂う男であった。額を武骨なプロテクターで覆い、しかしその他は防具らしきものを身につけていない軽装である。吊るした大剣といい、武技を生業とする者であろうが、少年とは不釣合いな組み合わせだ。
「……しゃあねぇな」
 沈黙の後、男が折れた。ガラス越しに見える店内に、少年と同い年くらいの子供の姿があった。それを見て少年は我慢出来ずに訴えてきたのだろう。そう推測するのは容易かった。
 しかし、俺がこんな店に入るなんぞ世も末だ。
 内心ぼやきつつ、男は入り口をくぐった。
 甘味処というのは決して一般的ではない店だ。大抵の街ではそんなものはない。ましてやそれ専門の店が成り立つほど、客があるとも思えない。東西の交通の要所にあり、西欧で一二を争う『大都市』と称されるこの街ならではのものだろう。
 街の宿は旅人に宿だけ供給し、食事は階下の別の店で出す。今度の宿のそれは酒場だけで到底少年の腹を満たしそうな『健全な食物』を期待できそうになかった。外食ですませようと大通りに出たのはいいが、真っ先に見つけたのはここだった。少年が目の色を変えてショーウインドーの前で立ち止まったのは無理もない。行きは「メシが喰えなくなる」と引き剥がしたのだが、帰りはそうはいかない。ついうっかり同じ道を通って宿に戻りかけたのを、男は後悔した。
「いらっしゃいまーせー」
 間延びしたウェイトレスの声が二人を迎える。
「お二人様ですかぁ?」
 目を丸くしている。無理もない。愛くるしい顔立ちの少年はともかく、物騒な雰囲気の男は店内の空気から完全に孤立していた。
 奥のテーブルに案内され、尻がはみ出しそうな華奢な椅子に腰を下ろす。いそいそとメニューを広げた少年は、いい加減うんざりしている男に追い打ちをかけた。
「ねー、ソルは何にする? ホットケーキ? ワッフル?」 
 店内がざわめいた……のは気のせいではないだろう。がっくりと肩を落してソルと呼ばれた男は応えなかった。
「あ、クイーンパフェってのがあるよ?ソル、クイーン好きなんだよね。これにする?」
 能天気な声がとどめを刺す。こんな事が出来るのはこの少年、カイを置いて他にはいないだろう。
 物が違うと説明するのにも疲れ果て、ソルは脇にあったマガジンラックからタブロイド紙を引き抜いた。わざとらしく紙面に視線を落して素っ気なく言う。
「……ブレンド」
 裾の短い、フリルのついた制服に身を包んだウェイトレスは、感心なことに吹き出しもせずに一連のやりとりを聞いていた。
「んと、僕は……チョコレートパフェ!」
 はしゃいだ声を上げてカイはメニューを指差した。
「今なら追加で『ダブル』にも出来ますよ」
 マニュアル通りなのだろう、ウェイトレスが言った。
「だぶる?」
「二名様で召し上がって頂く特大パフェの事です」
「二人で? じゃあ……」
「駄目だぞ」
 声が重なった。
「どうして?」
 不平そうに口を歪めたカイをソルは眺め下ろした。
「俺は喰わねぇからな。腹壊すぞ」
「……普通のをお願いします」
 ウェイトレスが去ると、カイは物珍しげに店内を見回した。白とピンクと淡いグリーンに統一された店内には人が多く、盛況だった。例え子供連れでもこの店内の雰囲気には入り辛いものがあるのだろう。ものの見事に女性や子供ばかりで成人男性の姿はなかった。
 焼き菓子の甘い匂いが漂い、搾りたての柑橘類の爽やかな香りもしている。カイはすっかりここが気に入って、リラックスしているようだった。
 一方、ソルのほうはリラックスする所ではなかった。居心地が悪いこと夥しい。ちらちらとこちらを窺い見る視線は絶えない。その理由が分かるだけに、常なら平然として無視できるそれが痛い。
「お待たせしましたぁ」
 どん、と少年の前に置かれた巨大な器。淵からはみ出るほどに盛られた、生クリームとアイスクリーム、とろりとかかったチョコレート。半分に切ったバナナを二本刺し、さながら頂上への登頂を主張するように筒状に焼いたクッキーの棒がクリームの小山に燦然と突っ立っている。その間には一口大と呼ぶには大きすぎるケーキが乗っていた。チョコレートでコーティングされたその上に赤いチェリーが存在を主張している。ウサギに剥いたリンゴがガラス容器越しに透けて見えた。オレンジ色の果肉も見える。逆三角形の容器の下三分の一位からはチョコレートのかかったシリアルが敷き詰められているのも見て取れた。そして最下層には茶色いアイスクリームが控えている。
 全くもって見事なボリュームの、紛れもなきパフェだった。
『見るだけで口の中が甘ったるくなる』
 げっそりとしながらソルは目を逸らした。
「ソルもちょっと食べる?」
「……いらねぇ」
 口の中の甘い感覚を誤魔化すように、ソルはコーヒーを飲み下した。
「早く喰え」
 カイはうきうきとスプーンを動かして小山を攻略し始めた。新たな『発見』をする度にはしゃいだ声で『報告』する。それに適当な相槌を打ちながらソルは辟易していた。
「このケーキ美味しい! あんまり甘くないから、半分いる?」
「……いらねぇ」
「アイスクリーム、冷たいよ。あ、チョコチップが入ってる!」
「……良かったな」
「バナナ食べる?」
「……後でな」
 手慣れで煙草を取り出し、火を点けようとしたソルはふと周囲を見回して手を止めた。
 誰も咎める視線を向ける訳でもない。しかし周囲が女子供ばかりであるここで、煙草を吸っても美味くないだろうと思われた。
「喰ってろ。…残すなよ」
 少しは保護者らしいことを囁いて、ソルは立ち上がった。スプーンを咥えたままでカイは手を振る。
 ソルが足早に店を出た。その瞬間店内では爆笑と呼んで差し支えのない声が沸き起こった。しかしその声はまだ店の前にいたソルの耳には十分届くものであり、それを悟って瞬時に空気が凍りついた。気まずい沈黙の中で、平然としていたのはカイ一人だった。
 笑い声は当然ソルの耳にも聞こえていた。聞くなというのが無理なぐらい盛大な笑い声に、怒る気力も余力もなくしていたソルは、ただ舌打ちをしただけで振り返らなかった。煙草を咥え、ライターの火を近づける。
「……」
 彼は嫌そうに背後を振り返った。
 可愛らしいピンクの、ハート型をした看板。飾り付けられた蔓草と花の溢れた植木鉢。白く塗られた壁に淡いピンクの縞模様が慎ましやかに存在を主張している。
 背景とするには遠慮したい光景を改めて眺め、肩を落す。煙草に火を点ける前に、彼はそっと場所を移った。通りを隔てた向いの、三つ横隣。薄汚れた、しかし寂れた様子ではない酒場がある。
「へヴィだぜ……」
 一方、一人残されたカイは上機嫌でパフェを食べていた。最上階は瞬く間に、第二層はゆっくりと味わう。その下にはジューシーな果物がヨーグルトと層を為していた。嬉しい不意打ちにカイは感激した。
 時間にしてどのくらい経っただろうか。最下層手前に至って、順調に進んでいたスプーン運びが鈍くなる。
 カイは小首を傾げた。
『おかしいなぁ……』
 おいしくない。
 飽きてきたわけでも、持て余しているわけでもないのに。最初に口にしたあの感動、感激がない。舌に甘く冷たいチョコチップ入りのアイスクリーム、さくさくとしたクッキー、果汁たっぷりの果実。どれもとんでもない『ごちそう』なのに。さっきまでとても美味しかったのに。
 シリアルがすっかり湿気を吸ってぐにゃぐにゃになってしまった。それすらとても悲しくて、カイはくすんと鼻を鳴らした。溶けたチョコレートアイスクリームの、茶色い沼を掻き回しながら俯く。
「まだ喰ってるのか」
 降ってきた不機嫌そうな声に、弾かれたように顔を上げる。
「多すぎたんじゃねぇのか?」
「味わって食べてるだけだもん!」
 カイは大急ぎで取り分けておいたバナナを差し出した。
「はい、ソルの分!」
「……」
 確かに彼は言った。『後で』と。
 はぁ、とソルはため息をついた。もう少しゆっくりしてくれば良かったという、後悔に近いため息だったかも知れない。
 武骨な指が黄色い果実を摘み上げ、皮を剥く。ぱくりと食べる様を満足げに見つめ、カイは猛然とラストスパートに入った。
「ごっちそうさま〜」
 底まで綺麗に空にして、上機嫌でカイは叫んだ。
「美味しかった!」
 極上の笑顔を見せ、カイははしゃいでいる。会計を済ますソルの手元を覗き込み、二人分の食事に等しい料金に目を丸くする。
「高いんだね」
 店を出てからそっと囁く。手が届かないわけではないが、甘いものはやはり贅沢品なのだ。すまなさそうな顔をしたカイに、ソルは素っ気なく言う。
「ガキが気にすんな」
 『ガキ』という単語にカイは不服そうに頬を膨らませたが、いつものように反論はしなかった。
「高かったけど、美味しかったよ」
「そうか」
「……また食べたいなぁ……」
 だめ?と上目遣いに見上げて来る愛らしい顔を覗き込んで
「甘い物ばっか喰ってるとでかくなれねぇぞ」
「ずるい」
 脅しつけてきたソルに、カイは唇を尖らせる。しかし途中で戦法を変更し、にっこりと笑った。
「僕ねぇ、今度はクリーム白玉ぜんざいが食べたいな♪」
 満面の笑みでの主張に、ソルはがっくりと肩を落した…かのように見えた。
「……宇治金時にしとけ」
「何それ? 美味しいの?」
 今はない、日本と呼ばれていた国で食されていたという幻のデザートに、カイは目を輝かせるのだった。



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