眠れる騎士

                                       ダニエル ベレンソン 

                                       訳 もんた

                   (Chapter 1)

 

 「早く、早く。遅れるよ。トーメック!」

  トーメックは、うつむいたまま、ゆっくりと歩いていた。弟のマレックの声も聞

こえないようだった。抜けるような青い空へ、今飛びたたんとするUFOの様な

ドーム球場の絵葉書に魅入られていた。

「ルイジアナ スーパードーム」絵の右下には、赤い字でそう書いてあった。

「トーメック。遅れるよ。パニ ソビエスキ先生に怒られるよ。」

マレックに袖を引っ張られて、やっと我に返ったようだ。

「あと、10分しかないよ。」

 マレックが、声を荒げて言った。この7歳の弟は、白いボタンの青いシャツを

着て、袖に学校のバッヂを付けていた。とても良い天気の春の日差しが、その

バッヂを七色にきらめかせていた。マレックの金髪も光っていた。

「オヴズ、ウェイクアップ。パニ ソビエスキが、きっとノートを出して素行に悪い

点を付けちゃうよ。」

  マレックは、トーメックに良く似ていると言われるが、学校での評判は、トー

メックより少し好いようだ。トーメックが2年の時の先生パニ ボクウスキの評価

もなかなかだ。

「ドヴズ、ドヴズ。OK.OK。行くよ。待てよ、土曜日じゃないか。1時間目は、パ

ニ ソビエスキじゃなくて、パニ センダックさ。」

「ドヴズ。僕は、パニ ボクウスキだ。さあ、遅れないように急ごうよ。トーメック

は、その絵葉書、もう20回も読んだんじゃないの。」

トーメックの制服の袖をうんと引っ張った。

「おっと、待てよ。そんなに引っ張るなよ。」

トーメックは、リュックを降ろして、絵葉書を大事そうに算数のノートの間に挟んだ。

「よし、急ごう。」

  二人は、最後の数百メートルを走っていった。学校に着いて、クロークルー

ムで上履きに履き替えた。未だ十数人がおしゃべりをしていた。

「じゃあ、又後でね。昼の休み時間にでも!」

  マレックは走りながら行った。マレックの教室は2階なので、後2分は掛かる。ト

ーメックは1階だった。トーメックが席に着くと、隣のクバが、

「遅いじゃないか。何してたんだい。」と、心配していた。

「見てよ。」

クバは、待ちきれなかったように、派手な表紙の2冊のコミックスを出した。

「新しいんだ。”バウェルとドラゴン”、”眠れる騎士”さ。」

その時、ベルが鳴って、算数のパニ センダックがやって来た。全員起立。先生

は、教室の前に立った。

「皆さん、ドヂィエン ドヴニ。お早うございます。」

「お早うございます。パニ センダック!」

そして、着席。

「はい。皆さん、昨日の宿題を出して下さい。」

トーメックは、鞄の中から算数のノートを出した。絵葉書も一緒に出てきた。机の

下で、クバにそっと渡して、ささやいた。

「昨日、届いたんだ。」

クバは、じっと見ていて、何度もひっくり返しながら、

「お父さんからかい?」

「そうだよ。アメリカからだ。」

「ヒュー。行きたいな。」

そう言いながら、絵葉書をトーメックに返した。その時、先生は隣の女の子を黒

板の前に呼んで質問しようとしていた。トーメックは、絵葉書をしまう事が出来な

かった。もう一度裏返し、スーパードームを見た。絵葉書の言葉は、もう、ほとん

ど覚えてしまった。お父さんの声が聞こえてくるような気がした。

「コッカニー トーメック……元気かいトーメック。」

  元気かい。トーメック

  これはニュー オーリンズのスーパードームです。とても書き表せ
ない位素晴らしい。信じられない位。ニューオリンズは凄いよ。人々は、
町中で音楽を奏でたり、町中にはレストランが沢山有ったり、新しい大
きな建物と古いフランス風の建物がうまく調和しているんだ。子供の遊
び場も有るよ。おまえ達も絶対遊びたくなるようなね。いくつか行ってみ
たよ。1軒はチョコレート屋さんだった。
  今日は違う店で、リクライニングの椅子がマッサージをしてくれるの
に座りながら音楽を聴き、この葉書を書いている。アメリカは本当に素
晴らしい。もう少しで、会えますね。

                          タタ より

最後の部分を読み終えた時、

「トーメック、机の下のものを出しなさい。」

パニ センダックが言った。すっかりニューオリンズに居るつもりのトーメックは、

グダニスクへ引き戻された。

「何も、無いです。」

「先生にお見せなさい。」

先生は、ゆっくりとトーメックの方に来た。

「手紙なんです。先生。お父さんからの手紙なんです。アメリカから届いたんです。」

クバが叫んだ。

「えっ!お見せなさい。」

トーメックは、恐る恐る前へ出て、先生に絵葉書を差し出した。

「いいですか。私は、貴方のお父さんを知っていますよ。実際、私の生徒だったん

ですからね。とても良く出来る生徒でしたよ。だから、貴方にも期待しているんです

よ。トーメック。」

「はい。先生。」

 この話は、もう何度も聞き飽きていた。パニ センダックは、ちらっと絵葉書を見て、

「お父さんは確か、船の機関士さんだったかしら?」

「はい。そうです。」

「貴方も算数を良く勉強すれば、お父さんの様に技術士になって、こんな素敵な、

ルイジアナ スーパードームにも行けるのでしょうね。」

「はい。先生。」

「はい、では、その葉書をみんなに読んでくれるかしら。」

「えっ。何でしょうか。」

「みんなの前で読んでちょうだいと言ったのですよ。このままでは、みんなも算数

に集中できないでしょうから。」

  トーメックは、みんなに絵葉書を見せて回って、それから絵葉書を読み始め

た。もう、ほとんど覚えているので、はっきり、しっかり読むことが出来た。クラス

メート達は誰もが、じっと聞き入っていた。トーメックが読み終わると、先生は、

「ありがとう、トーメック。席に戻っていいですよ。さて、ルイジアナスーパードーム

へ少し寄り道をしてしまいましたが、さあ、教科書を開いて始めますよ。」

  席に戻ったトーメックは、絵葉書をしまって、ノートの一行目に、「87年、5月

10日」と書いて、大きく息を吸い込んだ。

 

「ドジエン ドヴリイ。おじいちゃん、おばあちゃん。」

トーメックは、学校から帰ってすぐバブチカとドジアデックに、元気良く挨拶をしま

した。

「おなかすいたよ。だって、弁当のサンドイッチは半分マレックにあげたんだよ。

忘れたんだってさ。早弁だったのかなあ。

おなかすいたよ。」

「はいはい。トーメック。」

 バブチカ スホルスカ、小柄で銀髪の優しそうな、おばあさんが、エプロンで手

を拭きながら、台所から出てきて、トーメックの両頬にキスしました。

「マレックは何処。」

「庭だよ。多分、いちごを取っているよ。晩御飯が待ちきれないと、言っていたよ。」

「じゃあ、貴方もそうしたら。今日の食事は遅くなるから。」

「どうして?何時?」

「7時頃よ。」

「7時だって。死んじゃうよ。どうして?」

「うーん、詳しくは言えないけど、今日は特別な方がいらっしゃるのよ。だから、一

懸命作っているの。ああ、遅れちゃう。」

「大事なお客さん?」

「そうね。長く会ってないわね。」

「分かった。じゃあ、自分でやるか。2階のうちへ何か食べに行くよ。」

といいながら、祖父母の家の中を見渡して、

「おじいちゃんが居ないね。」

「ああ、買い物よ。すぐ帰ってくるわ。」

トーメックは、うなずきながら、部屋の隅に鞄を置いて、裏庭へ出た。マレックが、

椅子に座っていちごを食べていた。

「いけるよ。ほらっ。」

一つ投げて寄越した。

「もう少し食べておいた方がいいよ。晩御飯は7時でも無理だから。」

「えっ。」

「おばあさんが言っていたよ。特別なお客が来るから、特別な料理を作っている

って。」

「誰だろ。」

「さあ。ハルカおばさんじゃないの。あの元気な。」

トーメックは上の空で聞きながら、庭のいちごを取りに行って、何個か見つけた。

そのいちごの甘さが余計に、空腹を思い出させた。そして、2階の家に隠してい

たチョコレートを思い出させた。

「すぐ戻るから。」

マレックに言って、家の中へ駆け込んだ。祖父母達の台所を通って、階段を上が

り親子の部屋へ上がろうとしてもうちょっとで、おばあさんにぶつかるところだった。

「どうしたの。びっくりしたわよ。」

「ごめん。すぐ戻る。」

  階段を駆け上がった。アパートは2部屋しか無く、マリックや妹のカシアから、

隠して安心なところは、あまりなかった。キッチンを通って居間へ行こうとすると、

ドアが閉まっている。部屋の真ん中のテーブルの上に、何か見慣れない箱が置

いて有る。朝には無かった。何かが朝と違っている。

  トーメックは、探偵の様にそっと次の間のドアを開けた。カシアがカーペットの

上で、おもちゃで遊んでいる。カシアの向こうのリクライニングチェア、夜にはマレ

ックのベッドになるやつだが、チェアにお母さんが、男の人の膝の上で……。

  お父さん!!お父さんが帰っている? 6ヶ月の航海を終えて。