CHAPTER-10

 突然にトーメックは、深い眠りから叩き起こされた。

「降りるのよ、降りるのよ。」遠い世界でママが何か叫んでいるようだ。

「ここで降りなさいと言っているらしいわ。」

 トーメックは、目覚めようと頑張っているのだが、夢遊病者の様にフラフラとし

た足取りで列車から降りた。やっと、目覚めた眼には小さな二階建ての駅が見えた。

 「おかしいな。」タタが言った。

「どう見てもローマには見えないな。サボナみたいな処だよ。」

タタは、様子を探りに行った。そして戻って来たが不機嫌そうな顔だった。

「この列車は、ここで止まってしまうらしい。ローマへは行かなくなったらしい。

ローマまではあと25Km位の処らしい。明日の朝のローマ行きに乗れと言ってい

る様だ。」

「でも、明日のラティナ行きの列車は朝7時発だと言っていたじゃない。乗れなく

なってしまうわ。」ママが言った。

「そうだ。ママの言うとおりだ。」タタは、相槌を打ちながら言った。

「いい方法が無いか聞いてくるよ。」タタは又向こうへ歩いて行った。

 トーメックからは、タタが苛立ちながら大きく手を上げて身振り手振りで話をし

ている様子が良く判った。やがてタタは厳しい表情で帰ってきた。

「うーん。もう列車は明日の朝まで無い。この時間ではバスも無いそうだ。タクシ

ーで行くしかない。」

「でも、ジャン。タクシーったって一体幾ら掛かるのよ。」ママが心配そうに聞い

た。

「4000リラだって。」むっつりした顔でタタが答えた。

「6000のところを4000にしてくれると云うんだ。」

 ローマ中央駅までの道のりは約1時間だった。兎も角、荷物をトランクに入るだ

け何とか詰め込んで、それでも車内も人と荷物で一杯になってしまった。でもトー

メックには充分車窓を見る事が出来た。想像していたよりも遥かに大きな街のよう

だ。車は見たことも無い大きさのビルの間を走り続けた。時刻は丁度2時頃だ。か

なりの交通量がうるさいホーンを鳴らしながらびゅんびゅん走っている。

「まあ、こんな時間に一体何を急いでいるのかしらね。」ママも吃驚している。

車は、車線をひっきりなしに変え、信号でもホーンを鳴らしながら強引に突っ走っ

ている。

「ほら、見てごらん。コロッセウムだ。」タタが興奮したような声で言った。

 トーメックは左側を見た。大きな円形の石の建物が見えた。黄色にライトアップ

された壁は幾つものアーチで飾られている。壁の上の方は崩れかけている処も何ヶ

所か見受けられる。

「ここで戦闘士が戦ったんだよ。」タタが続けて、

「昔の奴隷の戦闘士は、ライオンと戦わされたんだ。観客は人がライオンに喰われ

てしまうのを見物したらしい。」

 トーメックは、学校で学んだ事や映画で見た光景を想像してみた。この中で昔、

そんな出来事が有ったんだ。

 やがてタクシーは、3街区合わせた位の大きさはあろうかと思われる巨大な建物

の前に到着した。タタが運転手に料金を払っている間に皆で荷物を降ろした。実際

に、駅はちょっとした街にそっくり屋根を被せたのかと思う位に大きかった。正面

の両側には売店スタンドを置いた商店が並んでいた。この時間には閉まってはいる

けれど。左側の店の間を抜けた所に列車のホームが具間見える。この時間駅は閑散

としていて、数人の人が行き来している他は、何人かが通路の壁に寄りかかり又は

通路の真中で寝ている。トーメック達は大きな黒い出発到着の表示板の処を通り掛

った。タタは、

「ほら見てご覧。7時にラティナ行きの列車が有るよ。」

700便と表示された後ろに通過する街の名が表示されているようだ。ラティナは

二番目に書かれていた。

「タタ、700の後に9と書いてあるのはどう云う意味なの。」トーメックが聞いた。

「多分9番ホームから出発するのだろう。我々は少なくとも間違いない処へ辿り着

いているよ。」タタが答えた。

少し歩いた処で、中央通路の横に待合室が有った。

「ここで列車を待つのかしら。ちょっと辛いわね。」ママは壁際と部屋の中央に並

ぶ堅い木のベンチを見渡しながら言った。ちらほらとベンチの片隅にはぼろを纏っ

た人が座っていたり、寝転んでいたりするのが見える。

「あの人たちは、きっとホームレスの人たちね。」ママが子供たちに説明した。

「ああ、でもここで少し休もう。あと3−4時間を休憩するんだ。」タタが言った。

「それが、今出来る最良の行動だよ。皆んな。」

皆は空いているベンチを捜し、荷物を纏めて置いた。ママはハンカチでベンチの埃

を払い、子供たちに寝るように促した。そしてカシアを抱いたままベンチの背に身

を傾けた。タタはベンチの端のトーメックの足の先で腰を下ろした。待合室は、一

夜を過ごすには快適とは言えなかった。しかしトーメックは余りにも疲れていた。

ぼろ雑巾の様に眠りに落ちた。

 しばらく深い眠りをむさぼったと思うと、突然けたたましい音で眼が覚めた。三

人の警官が二匹の大きな警察犬を伴いドアを乱暴に開けて入ってきた。彼らはイタ

リア語で何か叫んでいる。

「ドキュメント」と云う言葉を言っているようだ。彼らは寝ている人に次々と怒鳴

り、ドアの向こうへ引きずり出して行った。タタは思わず手を広げて家族を後手に

囲う素振りを見せた。

「パスポート。」ママが叫んだ。

「彼らは何を始めたの。私たちにはパスポートが無いわ。」皆の顔が凍りついた。

カシアはママの肩で泣き出した。警官達はとうとうトーメック達の前まで来た。首

に短く繋がれた警察犬を引き連れて。カシアはすすり泣き、ママの肩にすがりつい

ていた。

「スクッチ」警官は穏やかに言った。

「ソノ レ シンク」彼はタタに腕時計を見せて指差した。5時だ。

「ツッチ デボノ アンダーラ」警官は顔でドアの方を指した。

「スクッチ」警官は繰り返した。「ミ デスピアッチ」警察犬は微動もせず警官の

横に立っていた。

「警官は此処を出て行け、と言っているようだ。」タタが皆に言った。

「シンクは5時の事だ。掃除をするから5時には出ろと云うことらしい。」

「じゃあ、すぐ言うとおりに出ましょう。」ママが続けた。

トーメックにも異論は無い。荷物運びを手伝いながら、タタに聞いた。

「どうして、パスポートの事は言わなかったのかな。」

「うん、ラッキーだったね。我々は家族に見えたから、余り気に掛けなかったのか

も知れない。」タタが答えた。

「でも、見た?他の人達には凄かったよ。怖かった。」マレックが言った。

「そうよね、ひどかったわ。イタリアの警察はとても乱暴なのね。」ママが続けた。

「うん、多分テロリストのせいだよ。イタリアはテロ事件がとても多いらしいんだ。

きっと、そのせいだね。」タタが説明した。

 皆で静かな場所を捜して、中央通路の売店スタンドの辺りまで歩いてきた。

「ちょっと何だけど、ここらで座って寝なさい。」

タタが子供たちに申し訳なさそうに言った。床はあまり綺麗とは言えない。トーメ

ックはスーツケースを床に置いてその上に腰掛けてスタンドにもたれ掛かった。マ

レックもそれに習った。二人はすぐに眠りに落ちた。

 

 7時までは静かな時間が過ぎた。やっと予定のラティナへ向かう列車に乗れた。

もう1時間余りでラティナに着く筈だ。

「やったね。もうすぐゆっくり出来るよ。」タタは言いながら、トーメックの髪の

毛をクシャクシャに掻き撫でた。

 

  そして、皆はラティナで列車を降りた。トーメックにはあの赤と白のテーブルクロ

スの小さなレストランで食事したのが、もう一ヶ月も前の事の様に思えた。タタは、

行き先の情報を聞きにあちこちを廻っている。

「うん、間違いないよ。此処だ。誰もが難民キャンプは知っていたよ。すぐそこの

バス乗り場から行けるらしい。」

バスに乗ってすぐタタは、運転手に

「カンポ ディ プロフュージ」と叫んだ。

「シイ、シイ」運転手は答え、出発した。数分後、バス停で運転手が叫んだ。

「クイ、クイ」そして、通りの反対側を指差している。

 

 其処には、百人か二百人の人が高くて長い塀の前に行列を作っていた。

「此処なんだな。」タタがそっとつぶやいた。