CHAPTER-12

 

「ホー ビソーニョ ディ ウナ ファミグリア」「シンクェ ペルソーナ」男

がなにやら叫んでいる。地震の翌朝だ。

「私達は家族です。」ママは、男の方へ飛んで行って、

「私達は、5人家族です。」と伝えた。

「シンクェ ペルソーナ」男は、指を5本立てて聞き返した。

「シッ、シッ」ママが又答える。

「カム、カム」男は、事務所へ来てくれと言っているらしい。

「トーメック、タタを急いで捜して頂戴。タタは未だ門の前の行列に居るはずよ。

この人を連れて、すぐ行くのよ。急いで。とても大事な用事よ。」ママは、トーメ

ックを男の前に押し出して、男の腕を掴ませた。

「息子が連れて行きますから、主人に会って下さい。」と哀願するように伝えた。

 トーメックは、男を見上げて「行きましょう。」と無言ながら目で合図した。ト

ーメックのイタリア語は、未だ聞く方は少しの言葉が判るだけ。話す方は全く駄目

な状態だ。

 トーメックは、キャンプの入口の列の中のタタをすぐに見つけて、男を連れて行

った。タタと男はなにやら少し話し込んで、やがてキャンプ事務所へ行く事になっ

た。

「セル アン オテル ペル ボイ ア ラディスポリ」男は、机に座ったまま、

タタに告げた。どうやら家族用にホテルが有ると言っているようだ。彼は、自分の

席の後の地図のとある場所を指した。ローマのやや北で、メディテラニアン海岸の

近くだ。二人は又少し話をしていた。その後、このイタリア人はポーランド語の出

来る通訳を連れてきた。話が終わったところで、タタは二人の男達と握手をした。

タタは、トーメックの手をやさしく握り締めながら、家族達の所へ戻った。

 「皆んな、住む所が出来たよ。」タタは興奮していた。

「他の家族達も住む所を要求しに来ていたんだが、係員は私と話していたので、終

わるまで受け付けて貰えないんだ。そして私達は、上手くいってしまった。一体マ

マは、あの係員にどうやって話をつけたの?」

トーメックが先程のいきさつをタタに話したら、タタは

「お前達のやった事は大変な事だよ。ママとトーメックの偉大な行動で、私達は、

ここから出られる事になった。今日、もうラディスポリへ行く事になったよ。」

ママは黙ってニコニコしている。

「アンナ、君のおかげだよ。」タタは本当に嬉しそうにママに言った。

「さあ、ラディスポリへ行くぞ。すぐにだ。荷物をまとめてすぐ行こう。」

タタは、荷物を詰め込みながら詳しい状況を説明し始めた。

「ラディスポリに大きなホテルが有って、難民用に提供されているらしい。住人は

ポーランド人がかなり多いらしい。そこで5人用の部屋が空いたらしい。いい部屋

だとあの人は言っていたよ。バスルームも付いているらしいよ。」

「私達5人だけの部屋に入れるのね?」ママが繰り返し聞いた。

「ああ、気にいったかい? でも星空ハウスも捨てた物では無かったが!」

「そうね、ジャン。」ママが答える。「さあ、用意が出来たわ。」

「よし、行こう。」5人は、駅に向かうバス停に向かった。

「もしも、地震が無かったら、建物の屋根が壊れなかったら、私達は未だあそこに

詰め込まれたまんまだった。建物の中に住んでいたら、ママはあの係員の声を聞く

事も無かっただろう。そして、このバスに乗る事も無かったんだ。」

「まあ、今日のタタは、大袈裟ね。」ママは子供達にささやいた。

「きっと、屋根が壊れたら、神様が新しい屋根を授けて下さったと言いたいのね。」

 トーメックは、様々な事が有ったキャンプの方を、見えなくなるまでずっと、見

ていた。神様の贈り物が次々と贈られてくると云う感じがして、不思議な想いが心

の中にしてきた。

 

 ラディスポリのホテルは、「ホテルローヤル」と云う名だった。ローヤルとは、

言うものの、宮廷並とはとても云えない。どうやら近所では「ホテルロヤ」と呼ば

れているらしい。正面エントランスのガラスドアの上の看板文字の最後の「L」が

無くなって、コンクリートの文字跡が薄黒くなっている。

 ホテルは、11階建ての高い建物で、外装はピンクのタイル貼りだ。無数の窓は

トルコブルーのカーテンで覆われ、いや、実際の窓は洗濯物に覆われ殆んどカーテ

ンは見えないが。正面玄関も何となく平凡だ。大理石とタイルでデザインされてい

るが、巨大なピンクのアコーディオンという感じだ。

 「うん、こんな感じのホテルを思い出した。アメリカのマイアミビーチだ。あそ

こに、こんな感じのホテルが有ったよ。」タタが明るく言い出した。

「それに、わずか5−6ブロック向こうは海岸だ。ラティナに比べりゃ、大変な進

歩じゃ無いか。」

 トーメックは、タタの言葉に答える様な心境にはなれなかった。

「タタ、未だ部屋には入れないの。」

 タタは、フロントデスクの年配の係員の処で手続きを始めた。

「よし、リストにちゃんと名前は有ると言っている。そんなに時間は掛からないら

しい。」タタが明るい声で家族達に状況を説明し始めた。

「うん、これはきっと良い・・・」

「判ったよ。判ったよ。タタ。早く部屋に入りたいよ。昨日からもう、何回も引越

しで、疲れちゃったよ。」

 ママが、トーメックの肩をやさしく撫でながら、

「そうね、トーメック。頑張ったわね。ジャン、子供達は疲れてイライラしている

のよ。」

「ああ、そうだな。私は手続きを・・・。ちょっともう一度見てくる・・・」タタ

は、最後は消え入りそうな声で答えると、又フロントへ向かった。

 

 「よし、行こう。3階だ。」

 エレベーターで上に上がる事に成った。カシアはエレベーターに喜んでいたが、

ドアが閉まると、急に不安になったのか3回に着くまで大騒ぎになった。

 部屋自体は悪くない。入り口の狭い通路に沿って左側はバスルームが有り、中は

浴槽・シャワー・トイレ・ビデが揃っている。部屋は5m四方位で、ベッドが5個

と小さなテーブルがある。床は茶色の格子柄のタイル敷きで、正面は窓が二つ。

 トーメックとマレックは窓に走りよって下を見た。エントランスの前の円形広場

に、潅木や花が点在する濃い茶色の芝生の広場が見えた。部屋の中を振り返ってみ

ると、白い壁の一角にひどい水漏れの跡があった。その時、潮風がさあっと部屋の

中を駆け抜けた。息苦しいほどの熱気を吹き払うまでには至らないが。

 トーメックの不満は一気に胸に込み上げてきた。この2週間ほどの重みに耐えか

ねる様に、

「でも、こんなのは家じゃ無い。もう、ずっと家無しなんだ。」ベッドの一つに飛

び込んだ。壊れるような大きな音がギシギシ鳴った。

「そうだよ。」マレックが続けた。

「少なくても、台所とテレビがなけりゃ家ではないよ。」

ママとタタは、トーメックの横に座った。

「子供達、おいで。」タタはマレックとカシアも近くへ呼んで、トーメックの肩を

撫でながら言った。

「此処で、話をはっきりとしておこう。お前達は未だ幼い。世の中がよく見えない

事もある。いいかい。今は仮の、臨時の住まいなんだ。此処で少し頑張って、アメ

リカ行きのビザを取らなければならない。其処にお前たちの未来が有るんだ。ポー

ランドには何も未来は無いんだ。もし、あそこに住み続けても、残りの一生をあの

家で住むんだ。出来ても隣の街くらいだ。お前たちも、又お前たちの子供もだ。何

も変える事は出来ない。」

「でも。新しいアパートが見つかったって、おじいちゃんに言ったじゃない?」

トーメックが反論する。

「ああ、でも新しいアパートなんか何処にも無い。」タタが答えた。

「ドジアデックとバブチカに心配掛けまいと、作った話なんだ。帰る所も、つもり

も無いから、冷蔵庫や家財道具一式を売り払って、旅費の足しにしたんだ。」

「でも此処はイタリアだよ。アメリカじゃない。友達もいないし、言葉も判らない

し、イタリア語なんかしゃべりたくない。」トーメックはタタの膝に顔を埋めて、

肩を揺らした。

「何とかするよ。約束だ。お前は友達を作って、イタリア語も習ってしゃべれるよ

うに成りなさい。」タタが言った。

「嫌だ。」トーメックはタタをさえぎるように言ったが、タタは続けた。

「いや、お前には沢山の友達が出来るよ。このホテルにはポーランドの子供も沢山

居る。此処に居るポーランド人は皆、同じ夢を追っかけているんだ。来月か来年か

それとも・・・」タタはちょっと口篭もり、間を置いてから続けた。

「いつか、夢を掴むんだ。タタとママはその為に此処に居るんだ。お前達と一緒に

未来を掴む為に居るんだよ。」

 トーメックはタタに賛同出来なかった。でもタタと話し合っても言い負かされる

だけだし。でも不満と涙を思いっきり出したら少し楽に成ったようで、何時の間に

か眠ってしまったようだ。ラディスポリのピンクのホテルの茶色のタイルの部屋の

メークもしていないベッドの上で。

 

 タタは、ある意味では正しかった。トーメックには沢山の友達が出来た。ホテル

内はポーランド人の子で溢れていた。あちこちの通りや公園で鬼ごっこや戦争ごっ

こをやっているし、近くのちょっと黒い砂の海岸でも。

 海岸は、ちょっと汚く、ママは心配で、泳いではいけないと子供達に制限した。

しかし、思ったよりも過し易いし、部屋も広くは無いがトーメックには自分のベッ

ドが有るし、船のベッドの様にマレックを突き上げる事も無いし、充分だ。ママは

福祉団体のバザーで赤い布を買ってきて、ベッドカバーも作ってくれた。殺風景な

壁も、絵やポスターを貼って彩りを添えた。トーメックは例のクバの絵を自分のベ

ッドの横に貼った。ホテルでの最初の晩にスーツケースから出してあったのだ。

『ポーランド、我に加護を与えたまえ。』松明の火が今にもトーメックのズボンを

焦がさんばかりなのを、クバはまさか知っていた訳ではあるまいと、トーメックは

思わず、一人で笑ってしまった。

 

 ある日、トーメックはホテルの前で特別乱暴な鬼ごっこに参加していた。マーチ

ンと言う、ちょっと嫌われ者の大きな子も参加していた。動作はのろいのだが、体

が大きく力の限度を知らないので余り付き合いたくなかったのだが。

 トーメックは、マーチンの近くで掴まる寸前にすり抜けからかっていた。

「はい、此処。此処。」トーメックはマーチンの背後から声を掛けた。マーチンは

振り向きざまに、後ろ向きに逃げるトーメックのロザリオを引っ張った。

 トーメックは引っ張られた瞬間、ロザリオを取り返そうと振り向いた。

「今度は掴まえたぞ。」マーチンは手に握ったロザリオを振り下げた。

 

『バン』

一瞬、トーメックの顔と胸に閃光のような物が閃いた。すぐに痛みに変わった。ト

ーメックが、次に気が付いた時は、遊び仲間たちの顔が自分の上でサークルの様に

揃って、

「トーメック、大丈夫か?」と口々に叫んでいる。

 トーメックは、激しい痛みを感じていた。それに眼の辺りが濡れている感じがす

る。目の辺りを拭ってみた。指が5本とも真っ赤になり、指の間から血が垂れてい

た。

「アイート、アイート。」血を見たら、トーメックは急に泣き出した。

 マレックは、事の重大さがやっと判った。ホテルのエントランスの前で上に向か

って、出来る限りの大声で叫んだ。

「ママ、ママ。」

ママは、すぐに顔を出して、

「どうしたの? 何か有ったの?」ママにも、マレックの向こうの方の人混の中に

トーメックが倒れているのが見えた。思わず口を手で覆った。

「トーメックが、イタリア語で泣いているよ。」

「イタリア語で泣いてるって、どう云う意味?」

「判んないけど、もう、死にそうだよ。」

 

 数分後、トーメックは近くの病院で手当てを受けた。医者は診察台の前で、

「出血は、瞼の深い切り傷からです。数針縫いましょう。本人にはちょっと、痛み

が辛いでしょうが。なに、ご心配は無用です」と家族に説明をして処置を始めた。

 この治療でトーメックは又、新たな悲鳴を上げた。

「アイート、ミー ファ マーレ ラ テスッタ!」その他イタリア人で無ければ

知らないようなうわ言をしゃべり出した。

 医者は、家族の方へ振り返って、

「この子はイタリア人ですか?」

「いえ、ポーランド人ですよ。」とタタが答える。

「イタリア産まれに聞こえるがね。」とつぶやきながら、医者は治療に専念した。

 タタは、首をひねりながら、ママに言った。

「トーメックは、頭に一撃喰らって、イタリア人に成っちゃったらしいね。」