CHAPTER-13

 「今日は貴方達に、吃驚させる贈り物が有るのよ。」ホテルロヤのレストランで

の夕食が終りかけた頃にママが言い出した。

 今夜も相変わらずの食事だった。コック達は野菜スープに見せようとしているの

か、得体の知れない具が入った水っぽい代物と、ガーリックバター味スパゲッティ

、緑がかった灰色の肉らしい物だった。

 「えー、ママ、もっとおいしい食事だと嬉しいな。」トーメックが答えた。

「ママ、今日の昼食覚えてる? あれは僕らが昨日捨てた腐った玉子をスープに入

れてたんだよ。きっと。どうしてこんなものを食べなきゃいけないの?」

「うん、そうだ。」マレックも相槌を打って続けた。彼は腹痛で2日間寝込んだ後

の最初の食事なのだ。

「又、病気になっちゃうよ。」

 「うーん、そうねえ。タタとママでお部屋の中は、使いやすいように直してきた

けれど、食事は直らないわねえ。此処では、冷凍車で運ばれて来るのをそのまま出

しているだけらしいのよ。」

 「ああ、彼らが僕達の為にダイエットさせてくれるつもりなら、完璧に結果が出

せているよ。」ホテルロヤ生活はもう6週間経つが、トーメックはベルトがブカブ

カになり、内側に穴を一個明けて使っていた。

「もうすぐ、穴をもう一個追加しなけりゃ。」

「ごめんね、子供達。」ママは、済まなさそうな声で続けた。

「なんとかしようと思っているから。やっと、タタも仕事が見つかったし、これか

ら段段と、物が買えるようになるから。」

 タタは、自動車部品工場で働きはじめていた。朝7時から夜8時まで車を解体し

て部品を取り出す作業をしている。タタには不本意な仕事らしいが、他の難民で決

まった仕事に就いている人はほとんどいないので、まあ良かった方らしい。何はと

もあれ、タタは定期的に収入を得る事が出来るようになった。

 「物が買えるようになれば良い生活が出来るように成るわ。段段と普通の生活に

成って行くわ。そろそろ次のステップへ踏み出す時なのよ。吃驚する贈り物って判

るかしら?」

「ビザが降りたんじゃないの?」トーメックの眼が輝いた。

「トーメック、貴方も判っている筈よ。ビザ交付の為の面接にこぎつけるには、一

年かそこら、時間が掛かるって。タタがあのアンケート用紙に記入している時、係

の人が言っていたのを覚えているでしょう。」

「うん、でもあの人たちの気が変わったのかと思ったんだ。」

「残念ね。吃驚する事ってね、トーメックとマレックは明日から小学校へ通う事に

なったのよ。」

「明日から?」二人合わせて、声をひっくり返して叫んだ。

「そうよ。がんじがらめの紐がついにほどけ始めたのよ。街の方の学校だけど、バ

スですぐよ。ホテル内の子供も何人か通っているわ。」

「うう。」マレックが唸り声を上げた。

「せっかく、長い休暇に慣れたのに。」

「なに、うつむいているのよ。新しい冒険じゃないの。きっと、前途がいろんな意

味で拓けて来ると思うわ。」

「そうだ。輝かしい未来だ。」トーメックは叫びながら思った。僕たちは朝寝坊を

したり、学校へ行かない子供達と遊んだりに慣れた生活で、近所をうろつくだけだ

った。きっと、タタとママは学校へ入れることで、怠惰な生活をぶち壊したかった

のだろう。永遠に続くかと思った休暇生活もついに終わるんだ。今日から、ついに

規則と締め切りの生活が始まるんだ。もう一日中遊べた鬼ごっこも戦争ごっこも終

わりになる。とうとう堅い生活に戻るんだ。

 

 「さあ、これ以上一緒に行ったら、貴方たちの邪魔になるわね。」学校の門の前

で、ママは二人を見送った。

「きっと、うまくいくわ。頑張ってね。」ママとカシアは学校の中へ進んでいく二

人に手を振った。

 制服が必要な学校が多い中で、この学校は制服不要だった。トーメックは、こざ

っぱりと、明るいブルーのシャツに黒いズボン、足元は運動靴を履いていた。カバ

ンには新しいノートと鉛筆が入っていた。トーメックは緊張して、廻りを見渡しな

がらおずおずと進んだ。いきなり、肩の辺りに衝撃を感じてよろめき倒れそうに成

った。

「お前かあ。」

トーメックは振り向きざま、息を呑んだ。あのマーチンがいた。『うすのろポーリ

ッシュ』と呼ばれるご近所の大きな少年だ。思わず落としたカバンを拾い上げた時

には、マーチンはもういなかった。

 数分後、教室へ入る時間が来た。トーメックは前もって言われていた通り8番教

室へ行った。いきなり信じ難い光景に出会った。其処は混乱の世界だった。子供達

は部屋中を互いに追い掛け廻り、机や椅子の上を飛び廻っていた。女の子達は、其

処此処で、大きな声でおしゃべりだ。黒板に落書きしている子もいるし、一人は赤

いチョークで壁に落書きしていた。

 ベルが鳴って、トーメックは空いている席に座ろうとしたが、他に座ろうとして

いる子はいなかった。

 それから5分くらい経ったろうか。先生が入ってきた。女の先生は、教壇の前に

進んで、

「皆さん、席に就いて。」

トーメックは多分そう言ったのだろうと思った。皆は席に就き始めたが、喧騒はそ

のまま続いていた。

「ブオン ジョルノ」

先生が挨拶をしたが、騒音の中、パラパラと不揃いに数人から

「ブオン ジョルノ」と声が返ってきただけだった。

先生は、大きな声で

「シー、シー」と人差し指を口の前に立てた。教室内はやっと静かになった。先生

はトーメックに前へ来いと手招きをして、生徒に話を始めた。トーメックには、先

生が何を話しているか判らなかった。でも、トーメックの横に立ち肩に手を置いて

話しているのだから、自分の事だと言う事は判った。

「シ チアーモ トマッソ」

最後はそう聞こえた。先生は、皆に『トマッソ』と云う名前だと紹介したのだ。そ

う、トーメックは新しい名前を付けられる事になった。半分くらいの生徒が聞いて

いるのだろうか。すぐ前の二人は、紙屑の塊を投げ合っているし、何人かはおしゃ

べりを続けたまんまだ。先生は右の前の方の席を指して座れと言っているらしい。

隣は、マテウスと云う、ホテルロヤに住むポーランド人だった。クラスではポーラ

ンド人は彼を含め二人だけだった。

 授業は、難しい事はやってはいない。しかし、トーメックには全く理解が出来な

い。全てがイタリア語だから。聞こえる言葉は川のせせらぎの様に聞こえた。或る

時間に、先生はトーメックを黒板の前に呼び、多分算数の問題を出した。絵本を取

り出し、犬を指してゆっくりと聞いた。

「クエストロ エ ウン ケーン?」

トーメックは、質問を同じ言葉で三度繰り返した。先生は今度は、猫の頁を出して

「クエストロ エ ウン ガット?」

今度は、4−5分の時間が過ぎた。先生は休憩を宣言した。クラスの皆は殆んどが

外へ遊びに出て行った。トーメックは落ち込んでいた。

 トーメックは、皆の授業時間を浪費したように思った。マテウスは授業に必要な

言葉は最低限判るようだった。しかし微妙ないたずらや学校の慣習や隠れた隠語な

どは、やはり理解が出来ない。

「誰かは、僕らをいじめにやってくるよ。僕らはイタリア人じゃないからね。」休

憩時間に、マテウスはそっとトーメックに教えてくれた。

「いつもという訳じゃ無いし、悪気がある訳でも無い。でもいじめの的にはなりや

すいんだ。良く気をつけておいた方がいい。」

 他のクラスの黒髪で短い髪の少年がトーメックの処へ話し掛けに来た。取っ組み

合いでもしたのか、やけに泥汚れの服装で、右の眉の上に深い傷があり、いたずら

っぽい眼を輝かせた少年だった。少年はトーメックを理解しようととしてか、一生

懸命に問い掛けをするのだが、トーメックはポカンと声を聞いているだけだった。

尚も話を続けていたが、とうとう愛想を尽かしたか、トーメックのおでこを指差し

て、何やらわめいて出て行った。

「奴は、お前の頭は空っぽだ、と言ったんだよ。」マテウスが笑いながら教えてく

れた。

「奴は、グイードというんだ。名うての悪がきだよ。」

 

 休憩時間にマレックが、ホテルロヤの友達一人を連れてトーメックのクラスにや

ってきた。

「僕の新しい名前はね、マリオって言うんだ。」マッレクは興奮したように話し始

めた。

「トーメックはどうだった?」

「トマッソだよ。」

「トマッソ。格好良いなあ。クラスはどんな様子?」

「最悪だね。みんな遊んでばかりだよ。お前のところはどうだい?」

「最高だね。みんな遊んでばかりだよ。じゃ又ね。」マレックは走って行った。

 授業が終わる頃トーメックはクタクタに疲れていた。先生が何やらトーメックに

聞いている。

「シ マエストロ」

隣のマテウスが、机の下で思い切りトーメックの足を蹴飛ばした。

「ノ マエストロ だ」

トーメックは急いで言い直した。

「ノ マエストロ」

フェラーノ先生は微笑みながら、何かしゃべり出した。

 トーメックの宿題は算数だった。良く見れば全部判る。去年小学校でやった問題

ばかりだった。他に、先生から借りた算数の絵本から

「クエストロ エ ウン ****」と云う言葉を十回書き出した。マテウスも最

初はそうしたと言っている。

 

 「今日はどうだった?」二人が学校から帰るのを待ちわびたママは、話を聞きた

くてウズウズという感じで聞いた。

「最高だよ。遊び場と同じだよ。」マレックが元気に答えた。

「トーメックはどうだった。今日覚えたイタリア語はある?

「クエストロ エ ウン ケーン」トーメックは、ゆっくと慎重に答えた。