Chapter-16

「オブズ シー オブズ シー。起きて。起きて。」

マレックは、うめきながら寝返りを打つトーメックを揺すった。

「オブズ シー。早く着替えなきゃ。マセリーさんちへ行くんだよ。遅れるよ。

トーメックの頬に何かがギューッと、押し付けられて来た。薄目でチラッと見ると、

ポーランドから持ってきたワールドクロックだった。時計は8時半を少し廻り、グ

リーンの灯りが点いていた。

「クリスマスだあ。」

マレックは、いかにも嬉しそうで、眼は輝き、髪は揺れ踊っていた。

「ティ アモ。ティ アモ。」

カシアのお人形さんが、しゃべりながらトーメックの足元を過ぎていった。テレビ

からはクリスマスミサの透き通った歌声が聞こえていた。

「あー、もうほんとに。台風みたいじゃないか。寝てらんないよ。」トーメックは

よろよろと起き出して、バスルームが空くのをボーっと待った。

 今日は、前からタタに言われていたように、タタのボスの家のクリスマスディナ

ーに、家族皆で呼ばれていたのだ。小一時間後、すっかり皆は用意が出来た。

「今日はね、マセリーさんのご好意でご招待を頂いたんだ。」

タタが皆に言い始めた。

「出来るだけ、お行儀良く振舞う様に、頼むよ。」

「うーん。こりゃ楽しくなってきたぞ。」マレックが意味有り気につぶやいた。

「マレック。向こうではタタは何も言わないけど頼むよ。」

子供達は、タタに礼儀正しく振舞うことを誓った。

「もう一つ。大人のお話に邪魔をしてはいけませんよ。あくまでも、私達はお呼ば

れしている事を忘れないでね。」ママが付け加えた。

「うーん。こりゃつまんなくなってきたぞ。」マレックは、溜息と共につぶやくと

トーメックの方を見た。トーメックも相槌を打った。

 お天気は、よく晴れて、そよ風がさわやかに吹いていた。40分の歩きがトーメ

ックの眠気をすっかり追い払ってしまった。タタは、マセリーさんの玄関に着いた

時に、もう一度子供達に言った。

「お行儀良くするんだぞ。判っているね。」そして、ドアをノックした。

「いらっしゃい。どうぞ、お入りください。」の声を聞いて、タタはドアを開けた。

いきなりスポンジボールが飛んで来て、タタは思わずよけた。小さな子供がタタの

足元へヨチヨチと走って来て、

「こんにちわ。ようこそ。」と挨拶した。その後に、ボタンをはずした白いシャツ

に青いジャケットを着た、ちょっと背が低くて黒髪の年配の紳士が立っていた。シ

グノール マセリーさん、この家のご主人だった。大きなお腹のマセリーさんは、

「ようこそ。ようこそ。よく来てくれました。」と皆を一人一人抱き、とてもにこ

やかに、出迎えてくれました。

 居間に通されてから、タタは家族のみなを紹介しました。マセリーさんも奥さん

と、二人の娘、そのご主人、孫達を呼んで紹介しました。

 奥からもう1人お盆にケーキを乗せて、女性が現れて、

「どれがお好きですか?」とマレックに聞いた。

マレックは、訴えるような眼で両親を見た。

「あら、おいしそうじゃない。」ママが言った。

「おや、まさか好きじゃないなんて言わないでくれよ。いいんだぞ。ここはイタリア

だ。クリスマスだ。ほら。」と、マセリーさんがケーキを一つ取ってマレックに渡し

た。そして、トーメックとカシアにも。

「メリークリスマス」マセリーさんが叫んだ。

 マレックと同じ年頃の男の子が、マレックの手を引っ張って奥の方へ行こうと促

した。マレックも後を追いかけていった。

「さあ、今日はご馳走だぞ。だけど、その前に、ラビオリだ。今、娘の家で作って

いるはずだ。手伝ってきたらどうだ。」マセリーさんがトーメックとカシアに笑い

ながら促した。

 カシアは事情が全く判らないようだ。トーメックは、判って

「はい。手伝います。」

「よし。マリーア。」マセリーさんが孫の1人を呼び寄せて、

「二人をおばあさんの所へ連れて行ってあげなさい。」と言った。

トーメックは女の子を素早く見た。女の子はトーメックと同じ位の年恰好で黒髪を

カールさせて、茶色のいたずらっぽい眼をしていた。やせ気味の体格だが、活発そ

うな感じがした。紺のドレスの襟元には、白く丸いブラウスの襟をのぞかせていた。

ウエストはリボンを締め、後で結んであった。

 マリアはカシアの手をつないで、奥へ入って行った。トーメックも後を追った。

忙しそうでおいしそうな臭いのキッチンを通り過ぎて、マリアは隣の家に二人を案

内した。そこでは、ノンナ マセリーさんが孫達に指示をして、ラビオリを作って

いた。コンロには大きな鍋が掛かって、トマトソースが仕込まれていた。一人が鍋

の前で、スパイスを加減したり、味見をするのに忙しそうだった。もう一つのコン

ロでは、肉を焼くのが忙しそうだ。テーブルの真中では、チーズをおろすのに忙し

そう。テーブルの向こうの方では何人もが大きなパン生地の前で、麺棒で生地を延

ばしていた。そこにマレックもいた。

「あれ、どうやって此処に来たの?」トーメックは驚いてマレックに聞いた。

「ああ、いろいろね。だけど僕はずっと前から此処にいるよ。」マレックは、そう

答えるやいなや、奥から呼ぶ声に答えて、又奥へ姿を消した。

 トーメック達が生地を延ばし終わると、ノンナ マセリーさんは、ギザギザにな

った、ちょっと変ったハサミを持ってきて、トーメックに

「これで生地を切って頂戴。」と渡した。

 マリアがトーメックの手を取って、切り方を教えてくれた。切った生地は、二人

よりももっと小さな子達が奥へ運んで行った。

「何処へ持って行ってるの?」トーメックが聞くと、マリアは、

「じゃあ、見せてあげる。」と、奥のベッドルームに案内した。ベッドの上には、

ジグザグに切った小さな生地が所狭しと並べられていた。

「乾かさないといけないのよ。」マリアが説明してくれた。

 トーメック達は生地を切り終わると、テーブルを片付けた。今度は大きな鍋にお

湯を沸かし始めた。ノンナ マセリーさんは、子供達に

「さあ、ラビオリの用意が出来るまで、外で遊んでらっしゃい。」と促した。

 トーメックは、他の子供達とかんれんぼをして遊んだ。庭や車庫を使ったかんれ

んぼは、身を隠す場所が多くてとても面白かった。マリアが鬼になった。いきなり

「トーメック、みっけ。」

「あー、未だ隠れていないのに。」

「あら、そう。」背中をポンとたたいて、逃げた。トーメックは今度は鬼になって

他の子供を追いかけた。

 

「はーい。ラビオリ出来たわよ。」ノンナ マセリーさんの声がするや、家中が大

騒ぎで、あちらこちらから子供達が出てきた。居間にはもうテーブルが用意され、

椅子も並べてあった。おばさんたちが鍋からラビオリをすくって、汁気たっぷりの

ソースによそい始めた。

 トーメックは、マリアを捜して、隣の椅子に腰掛けた。マリアは、トーメックの

手に振れながら、にっこり笑って、

「私、10個。」と注文した。

「僕、12個」もう、みんながラビオリの数をうるさく叫びはじめた。

「僕も12個。」マレックも叫んだ。

「12個」「14個」「15個」

 おばさんが、トーメックのお皿にラビオリを10個入れてくれた。

トーメックは、マリアの方をちらっと見た。マリアはにこっと微笑み返してくれた。

「私は、15個にしよう。」タタの声がした。部屋の向こうの方に、タタとママが

マセリーさんと並んで座っていて、笑っている。

 トーメックは、おばさんに頼んだ。

「20個にして下さい。」

 タタは、驚いたような顔をしていた。

「22個」誰かが叫んだ。

 結局、トーメックは、それから又、8個追加して食べた。マリアの方を見て、

「未だ食べられるんだけれどね、あのチーズや果物も食べなけりゃね。」

と、前菜のプレートの方を指差した。

「ワインはいかが?」おばさんがローズカラーの飲み物をマリア達に注いで廻った。

 トーメックは、思わず両親の方を見た。

「あ、済みません。家の子達は、ワインは飲めませんのよ。」ママが代りに答えた。

「えっ。ワインは駄目?いつもは何を飲ませてられるの?」ノンナ マセリーさん

が吃驚したように、ママに聞いた。

「子供達は、お水にしています。」ママが答えた。

「へー、お水ねえ。」ノンナ マセリーさんは、1人に水を持ってこさせた。

「家の水はうまいぞ。」シグノール マセリーさんが説明してくれた。

「清澄で有名な丘の湧き水を用意してあるんだ。」

 トーメックは、水を頂きながらも、とてもワインに興味がある様子だった。マリ

アは、しばらく経ってから、トーメックをキッチンへ連れて行って、ワインを飲ま

せた。

「これ、大人が飲んでるワインと同じ?」トーメックが聞いた。

「ちょっと色が薄いような気がするけど。」

「そう。子供用よ。水で薄めてあるの。大人と同じ物は飲ませてくれないわ。」

「面白い。これ好きになっちゃった。」トーメックは、グラスを置くと、

「あのー、もうちょっと何かして遊ばない?」とマリアに話し掛けた。

「そりゃ、遊びたいけど、席に戻らなければ。」

「どーして?」

「だって、もうすぐクリスマスディナーが始まるもの。」

「クリスマスディナーだって?今食べたところじゃないの。」

「あら、ラビオリは前菜よ。ディナーはこれからよ。」

 二人が席に戻ると、今までに見た事も無いようなご馳走が、一時間にも渡って、

次から次へと出てきた。肉は3種類違うものが。ボール一杯の茹で野菜、ポテト、

サラダ、そして最後は6種類のケーキ。

 ノンナ マセリーさんは、トーメックの食べッぷりが気にいったのか、トーメ

ックのお皿にたっぷりと肉を取ってくれた。

「あのー、済みません。少しで良いんです。」

「ははは。遠慮しないでね。たっぷり食べて、大きくなってね。」マセリー婦人

は、タタとママの方にゼスチュア―で、こんなにスリムなトーメックをこんなに

大きくしようって、説明している。

「さあ、たんと召上がって頂戴。」

 トーメックは、タタの方を見て、助けを求めた。タタはお腹を抱えて笑ってい

た。

「あっ、ビファーナ。ビファーナだ。」誰かが叫んだ。

 トーメックが後を振り返ると、大きな鼻をつけて、どぎついイアリングをして、

赤いスカーフを頭に巻いて、よれよれのショールを肩に掛けたビファーナだ。

「良い子は居るのかな。良い子は?良い子にだけあげるよ。」ビファーナは、キ

ャンディーを子供に配った。

「ロレンゾのお父さんよ。」マリアがトーメックにささやいた。

「毎年、ビファーナになってるの。」

「でも、随分見にくい妖精だなあ。」トーメックがささやき返した。

「そう言われると、もっと喜ぶみたいよ。」

 

 そして、楽しい一日がえんえんと続いた。トーメックのお腹には、とても長い

一日だった。夜になり、そろそろ、おいとまする時間になった。パーティーはま

だまだ続いている。未だ何か食べている人もいる。でも、タタはマセリー家一人

一人にお礼を言って帰る支度をした。シグノール マセリーさんは玄関まで見送

りに出て、

「いや、今日は来てくれて有難う。とても楽しませてもらったよ。ヴォン ナテ

ール。」

「すっかりご馳走になりました。マセリー家皆様もヴォン ナテール。」タタも

ご挨拶を返した。

 マリアは、マセリーさんの陰から、顔をのぞかせて、

「チャオ。トーメック」とトーメックに呼びかけた。

「チャオ。」トーメックも恥ずかしげに返事した。

 

 帰り道、トーメック達は来た時よりも、ゆっくりゆっくり歩いた。タタは、

「うーん。いい日だったね。あの家はクリスマスの楽しみ方が上手だねえ。」

と、感慨深げにみんなの顔を見渡した。

「そうだね。クリスマスに感謝だね。」トーメックは、誰の目にも判る位に大き

くなったお腹をさすりながら、返事した。

「トーメックがあんなに、大食漢だとは知らなかったよ。」タタが笑った。

「それに、あんなに女の子に興味があるとは知らなかったわ。」ママがトーメッ

クをからかった。

 マレックも、新しいガールフレンドの事をからかうのだが、トーメックは、そ

の事には答えず、はにかんでいた。

 ホテルの入口に着いた時、マレックが急に、叫んだ。

「あれ、あれを見て。」そして、自転車置場の方へ駆け出した。

「どうしたんだ。マレック。」みんなマレックの方を見た。トーメックは、マレ

ックを追いかけた。

 「無い。」マレックは自転車を置いたはずの場所に立ってつぶやいた。

 そこには、切られたチェーンだけが転がっていた。