CHAPTER-3

  タタの言う「新しい生活」ってのは、きっと凄いことなんだ。毎日何か新しいこ

とが起きて。タタが「家族皆でアメリカ休暇」と言うビッグニュースと共に帰ってき

てからは、毎日が新鮮に見える。トーメックはテレビもアメリカに思いを巡らせて

見るようになった。テレビは、台所の隅の冷蔵庫の上に置いてある。トーメックと

マレックは、何時もは7時半から漫画映画を見るのだが、アメリカのショーや映

画も見たくて、二つのチャンネルを行ったり来たりしていた。

「トーメック、この映画ってアメリカで作ったの?」

「そうだよ、マレック。ジョン・ウェインだよ。沢山の映画に出てるらしいよ。」

「アメリカってこんな風なの?」

画面では、ジョンウェインが砂漠の荒野で馬に跨っている。小さな白黒のスクリ

ーンの中だが凄く雄大に見えた。

「こんな処も有るって事さ。」

そして、また違う映画の時は・・・

「トーメック、ターザンってアメリカ人?」

「うーん、良く判らないが、多分ね。少なくとも、アメリカで作った映画には違いな

いよ。」

「アメリカってジャングルが多いのかなあ?」

「うーん、そうらしいね。」

「漫画映画もアメリカで作ってるの?」

「そうだよ。兎のバニーとかハックルベリーハウンドとか。」

「アメリカには、言葉をしゃべれる動物が沢山いるの?」

「お前ね。」トーメックは言った。「お前7歳だろ。あほか。」

 

  「新しい生活」の前には、学校もさほど重要と思えなくなって来た。でもトーメ

ックは、宿題もやるし、学校生活も一応キチンとこなしている。何時ものトーメッ

クは、スーパーヒーローの漫画なんかをノートの端に描くんだが、今日は新しい

テーマに挑んでいた。隣の席の学級きっての芸術家のクバは、そんなトーメック

の変化を見逃さなかった。クバは、先生たちをさかなに、危機一髪の絵を描い

て学級中を喜ばせるのが特技だ。

  昼休みにクバは、一枚の絵をトーメックに投げて寄越した。グリンスキー先

生がパラシュート降下する先に、鮫が大きく口を開けていて、そのほんの数セ

ンチ上で、必死に足を上に引っ張り上げている絵だ。クバは彼女の足にごつい

軍靴を履かせてやっているが、鮫は舌なめずりをしている。トーメックは思わず

笑ってしまった。そして、今度は自分の午前中の成果をクバに手渡した。

「摩天楼の上を飛ぶ飛行機」

「どうしたんだい、スーパーヒーローは?」

「さあ、今日は、代りにこれさ。」

「頭の中が、ニューヨークで一杯らしいな。アメリカの何処へ行くんだっけ。」

「タタは判らないと言ってたよ。切符がとれた船によるんだって。」

「手紙、くれよ。」

「ああ、沢山書くよ。いろんな消印で、クバのコレクションになるようにね。」

「スーパーマンかスパイダーマンの絵葉書なんかもいいな。」

「有れば、絶対送るよ。」

「あとさ、アメリカのコインもいいな。持って帰ってよ。」

「いいよ。沢山持って帰るよ。」

クバは言った。「お前は、本当にラッキーだぜ。」

 

  「新しい生活」とは、たっぷり待つことだと云う事も、トーメックは発見した。タ

タは、殆ど毎日船の事務所へ出かけ、アメリカ行きの船が何時有るか調べに行

っている。行かない日は電話で問い合わせている。ロシア、アフリカ、中国、ギリ

シャ行きは有るのだが、アメリカ行きは無い。タタは段々とイライラしてきたようだ。

「ああ、ひどいね。なんとか見つからないものかね。」

「もし、見つからなかったら?」トーメックが聞くと

「あと、少しで見つけないと、次の乗船が決まってしまうだろう。どうしてもアメリカ

へ行くんだ。お前たちの学校も学期途中だが、もう決めた事なんだ。」

  タタは、次に、冷蔵庫とテレビを売ることにした。切符の入手にお金がもっと

必要なんだと言っていた。帰ってきたら、新しいアパート用にもっと大きくて良い

物を買うからいいんだそうだ。これで、ママは毎日買い物に出かけなければな

らくなった。階下のおじいさん家の冷蔵庫も空いている訳ではないから。何だか

すぐにも引っ越す様な雰囲気になってきた。トーメックは自分の自転車も売ろう

と近所の人達にも声を掛け始めた。

 

  残された時間は、もう2日しか残っていない。タタはシップヤードへ行くのにト

ーメックを誘った。

「トーメック、一緒に行こう。」タタは言った。

二人は、シップヤードへ出掛けた。歩いて約30分の距離だ。タタは、

「トーメック、事は計画通りにはなかなか行かないね。明日までに船が見つから

ないと私達の休暇は、駄目になってしまう。ははっ、これは事だぞ。新しいアパ

ートは用意出来ていないし、冷蔵庫は売っちまったしな。」タタは、溜息をつきな

がらつぶやいた。

「見つけなければ。見つけなければ。」

  その時、とある教会の前を通りかけた。ドアは開いている。

「入ってみようか。」タタが言った.「人生のほんの数分を無駄にしてみるのもい

いものさ。」

二人は、ほの白いチャペルを進み、後ろの方の通路側の席に付いた。タタは頭

を下げて何かを祈っている。トーメックは、船の事を祈った。そして「僕たちの家

族をお守り下さい。」と。教会を出ると、タタはどうしたことか、愛用の何時もの煙

草とライターを街のごみ箱の中へ捨てた。

「トーメック、法皇が初めてポーランドへ帰ってきた時の事は話したっけ。」

「うーん、タタが友達に話しているのを少し聞いた事は有るけど。」

「あれはね、凄い事なんだ。物凄いね。79年、そう確かに79年だ。法皇はグニ

エズノへ来たんだ。私は大学へ通っていた頃だ。お前は生まれたばかりだった。

私とお前の母さんは、私の両親と住んでいたんだ。私は、友達と列車でグニエズ

ノへ行った。法皇の説教の前の日にね。私たちは一晩中歩きながら語り明かし

た。」

「寝なかったの?」

「うん。疲れも感じなかった。他にも同じ様な人達が歩き回っていた。街は、ウェ

ルカムの看板など歓迎の用意が整っていた。多分百万人位歩いていたんじゃ

ないかな。

「百万人も?」

「うん。多分ね。そして法皇を二度見る事が出来た。その朝、由緒在る教会で荘

厳なミサが行われた。私は200m位の距離で法皇を見る事が出来た。その後

空港の近くで別のミサを行った後、又帰ってきて、若者達へスピーチをしたんだ。

その時は50m位の距離だった。

「この頃のポーランドは、辛い時代だった。危険な時代。だけど、ポーランドが生

んだ初めての法皇だ。勿論テレビで見た事は有ったが、亡霊の様に距離を感じ

たものさ。でも本物は親しみ易いし、ジョークばっかりだった。」

「えっ、ジョーク?」

「ああ。ジョークだらけ。山の話をすれば、スキーに脱線し、私を見かけたら、声

を掛けて下さい。一緒に滑りましょうとか。うん。彼は暖かいし、太陽だね。共産

主義の事は決して言及しなかった。人生を語り、決して『自由』の事は言わない

のに、強く生きようと、自由の大切さを語っていた。

  ある友達は、この説教の翌日出家してしまった。驚いたね。」

タタは、トーメックの頭を撫でながら、

「あの興奮を、アンナに、タタに、ママに、そして皆に話したよ。」

 

  二人は、シップヤードの事務所に着いた。タタは両掌を上に向け、ちょっと肩

をすくめて、溜息をついた。そしてドアを開けた。

「ヤクボウスキーさん、家族でのアメリカ休暇についてどうお考えですか。」

「どうも、こうも無いでしょう。ほんとに行きたいんです。だから殆ど毎日来てるん

じゃ有りませんか。」

「そう言う意味じゃなくて、来週はどうか聞いているんです。来週の末に出発する

便はどうかと?」

「えっ、どっどう言う事です?」

「ええ、オランダ、アメリカ経由のブラジル便が有るんですよ。来週の末に。ご希望

なら、すぐにチケットをお買いください。」

トーメックは、タタがあんなに飛び上がる姿を今までに見たことはなかった。