Chapter-4

 

  出発の前日は皆大忙しだった。ボックスやスーツケースが部屋中に拡がって

いた。フォーマル・普段着・下着・靴・洗面具などあらゆる物がベッド・椅子・棚と

言わずそこら中に。 トーメックは、6週間の旅に、今迄の人生全てをスーツケー

スとスクールザックに詰め込もうとしていた。全てが必要に思われた。

「ああ、駄目だ。駄目だ。」スーツケースの傍らで、「入らない。無理だ。」

「要る物だけにしなさい。」ママが言った。「見せてごらん。」と、スーツケースから

シャツを数枚取り出すと、

「何これ!!貴方の玩具は全部入っているんじゃないの!部屋中の物全部持

って行くつもりなの。」

「ああ、コミック本は持って行って、読まなくちゃ。」

「でも、多すぎるわ。貴方のコレクション全部じゃないの。」

「いやママ、50冊も無いよ。見てごらんよ。」トーメックは、簡易ベッドの横の本

棚を指さした。

「殆ど残っているでしょ。」

「ごめんなさい。トーマス。」ママが本名で呼ぶ時は、きっと怒ってる。

「でも、荷物は限られているの。カシアの本は一冊だけ。彼女の荷物はもうみん

なスーツケースに入ったわよ。」

「でも、不公平だ。洋服は小さいし、本も読めないんだから。」

「読めるわよ。」何時の間にか部屋に入って来たカシアが言った。

「じゃあ、その持っている本は何て題?」

「私は6歳よ。」カシアは誇らしげに答えた。

「うそだ。カシアは題を覚えているだけだ。そうだよね、ママ。」

「トーマス。」その時、タタが帰ってきた。

「ママの言う通りにしなさい。荷物は自分で運べるだけにしよう。それに厚手の上

着が未だ入っていないようだね。」

「タタ、何故エキストラボックスは駄目なの。何故上着がいるの?夏だよ。」

「トーマス。」タタは、ゆっくりと真剣に

「前にも説明したと思うが、キャビンはうんと狭いんだ。エキストラボックスの余裕

は無いんだ。北大西洋の海上はとても風が強いし寒い。きっと上着と暖かいズボ

ンに感謝すると思うよ。」

 

 トーメックは溜息をついて、座り込んでしまった。15分程考え込んでから、猛然

と荷物を減らし始めた。コミックスを半分にし、玩具を取り出し、あれこれを減らし、

スクールバッグは、未だ荷物がはみ出しているが、スーツケースは上に座り込ん

でやっと閉めた。

「出来た。」トーメックは勝利の雄叫びをあげた。

「良かったわね。」とママが微笑んだ。けれど未だ疑っている。

「トーメック、ちょっと持ち上げて試してみたらいかが?」

トーメックは、スクールバッグを持ち上げて、よろけながら肩に掛けた。重い。1トン

は有るかと思われた。ママはスーツケースを持とうとして

「私には重過ぎるわ。」

「いや、僕は大丈夫。」トーメックは、そう言いながら、スーツケースを持った。肩

と腕とどちらが先に壊れるんだろうかと、気が遠くなりそうなのをこらえた。

「トーメック、貴方が何て言おうとかまいませんが、これだけは覚えておいてね。

ホテルや他の処に行くにも、それを自分で持って歩くのよ。」

ママはそう言うと部屋から出て行った。

  部屋の片隅から笑い声が聞こえた。マレックがソファーの上でのけぞって笑

っている。

「何が可笑しい。」

「だって、だって、スクーバダイビングを背負った小さな老人がペタペタ歩いてい

るみたいなんだもの。」

「ああ、そうかい。お前はパッキングをママに手伝ってもらってたものな。」

「でも、少なくても僕は終わったよ。」

トーメックはもう、立っていられなかった。スーツケースは落としてしまった。

スクールバッグが降ろせない。マレックが背後に来て手伝ってくれた。

「首と肩と、ストレッチングしといた方がいいよ。」

トーメックは、スクールバッグを開けて

「出合った人に、コミックスを見せてあげようと思ったのに。」

 

  翌朝7時。タクシーが来た。トーメックは最後にタクシーに乗ったのは何時だ

ったか考えたが思い出せない。荷物を乗せるのを手伝いながら、自分の二つの

バッグを持った時、思わず

「おっ、良いね。昨日よりうんと良くなった。」とつぶやいた。

  トーメックは、タクシーの側から家を振り返った。おじいさんとおばあさんが

玄関にたたずんでいる。とてもすがすがしい空気の中に、見慣れた家が朝日に

輝いている。良い家だったんなあ。あの子供用簡易ベッドにももう寝ることは無

いんだ。帰って来たら新しいアパートなんだし。

「トーメック、トーメック」振り返ると、クバがレーサーの様な勢いで自転車を漕い

で来る。

「トーメック、渡す物が有るんだ。」クバは自転車を歩道に投げ出して走り寄って

来た。

「これ、旅行に持って行って。この間学校で見せたやつさ。」

それは、『バベルの塔とドラゴン』『眠れる騎士』だった。トーメックは、タタの方を

そっと覗いた。タタは小さく頷いていた。

「中を開けて見て。」

  トーメックは、ゆっくりと騎士の表紙を開けてみた。驚くほど精細に描かれた

「自由の女神」が現れた。その手のトーチからは、本物と見間違うような炎が立

ち上り、その上を学校の制服を着たスーパーマンの様な少年が飛んでいた。そ

のズボンは正に炎に触れ燃えださんとしていた。説明書きで少年はトーメックと

なっていた。吹出には

『ポーランド万歳。我を護り給え。』と書かれていた。

「すごい。素晴らしい。」トーメックは思わずつぶやいた。そしてタタとママにも見

せた。

「トーメック、元気でな。もしもの時は眠れる騎士が居るさ。」クバが言った。

「クバ、君は本当にアーティストだ。」二人は手を握り合った。

「クバ、本当に素晴らしい出来だわ。でも出発しなきゃ。船は待ってくれないから。」

ママがさよならを促した。

おばあさんは、ママを抱きしめながら、

「帰って来るのよ。何が有ってもよ。」と涙声でささやいた。

「馬鹿ね。旅行に行くだけよ。心配しないでよ。」ママの頬にも涙が見えた。

家族はタクシーに乗り込んだ。おじさんとおばあさんが窓から

「気を付けてね。手紙頂戴ね。」

トーメックは、反対側の窓のクバに

「6週間で帰るから。土産話待ってて。」

タクシーは静かに動き出した。

「俺を忘れるなよ!」クバが叫んだ。

トーメックは体を捻って後ろを振り返った。おじいさんとおばあさんが手を振ってい

る。クバの姿がもうあんなに小さくなった。トーメックは、二冊のコミックスを胸に抱

いた。

「俺を忘れるなよ!」クバの叫び声が耳に残っている。

「ポーランドを忘れるな!」