Chapter 6



 船には、他に3組の家族が乗っていた。 それぞれ個室を占有している。お父さ

ん達は全て船員だ。どの家族にも子供がいるが、トーメックに年齢が近いのは二

人、オラフとステファンだ。プールやゲーム室のサッカーゲームで仲良くなった。

 サッカーゲームは、1.5mx1m位の大きさの箱の中で、横向きの棒に取り付けて

あるプレイヤーを操作して小さなボールを相手ゴールに放り込んで勝敗を争う。

トーメックは、乗船後毎日2〜3時間はやったので、一週間も経った時にはかなり

の腕前になっていた。問題は、マレックと組んだ時で、マレックときたら、闇雲にハ

ンドルを思い切り回してボールをキックさせるから球は速いが、なかなか得点には

結びつかない。

「マレック!お願いだ、頭を使ってくれ。」トーメックは哀願するように言った。

「ボールが何処に有るか、よく見るんだ。カシアでも出来るよ。」

「あっ、そう。じゃカシアと組めば!」マレックは出来うる限りハンドルを猛烈に廻

しながら叫んだ。

 でも、マレックはプールでの騎馬戦ではベストパートナーだ。オラフ・ステファン

組(時にはマレックと同い年のアダムが入る)と戦うのだ。

「行くぞ。」オラフが叫びながら、水面を掻きながら進んできた。

「何時でも来い。」マレックがトーメックのおでこを力一杯掴み、猛烈に水を掻き揚

げ、身を乗り出して応戦を始めた。

  勝負は、永くは続かない。たまには相手が来る前によろめいて落ちたり、なに

しろ足元が水の中では覚束ない。その度に4人は大声を張り上げながら水に沈ん

でいく。

 トーメックにとっては、もうこの休暇は成功した様なものに思えた。船の旅程が

変更になってアムステルダムには寄らず、イタリアを経由する事になっても。

「それは、とても美しい町だそうよ。町の中は花で埋め尽くされていて、至る所に

運河が有って、よその家に行くにはボートで行くのよ。車や自転車の代わりにね。」

ママは、アムステルダムがとても心残りのようだ。

「しょうがないよ。アンナ。イタリアのサボナに上陸するらしいよ。イタリアも綺麗

な国だよ。きっと満足するよ。そしてアメリカへ向かうんだ。」タタは、ママの肩に手

を置いてやさしく言った。

「船ではね、本国からの指令で動くから、上陸先の変更はよく有るんだよ。」

タタは、続けて

「サボナはね、ピサからそう遠くはないんだ。ピサの斜塔が見れるよ。真ん丸で高

くて白く輝くような斜塔はルネッサンスの頃に建てられ、近隣では比類の無い素晴

らしい建物だ。しかし、建築家は一つだけ間違いを犯したんだ。建てた場所が軟弱

な地盤だったんだね。建ってから数年後に傾きだしたんだ。斜塔の中に上ると、何

だか落っこちそうな気分になる。面白いよ。きっと忘れられない思い出になるよ。」

 トーメックは、未だ見ぬ風景に空想が掻き立てられていた。そこへオラフが部屋

をノックして

「遊べる?」と訪ねてきた。

 今日は、サッカーゲームでトーメックに挑戦に来たんだ。チャンピオンとして受け

て立たない訳にはいかない。トーメックにとっては、アムステルダムでもイタリアでも、

それは大きな問題ではない。空想は中断した。でも、上陸したらクバに手紙を出そ

う。約束が有る。

「でも、手紙じゃなく、クバが居たらもっとたのしいだろうな。」

 

 2日後、トーメック・オラフ・ステファンは秘密の任務に付いていた。ロシアのスパ

イがこの船に隠れているのだ。武器は拳銃一丁と自動小銃2丁だ。オラフ達は何

故かエキストラボックスを持ち込んでいて、玩具を一杯持って来ているのだ。 3人

の愛国の士達は、廊下を注意深く右・左と壁に沿って、素早く蛇行しながら獲物を

探しに行った。

「居たぞ!確かに奴だ!」トーメックは、小声でささやきながら射撃体勢に入った。

「撃つな、撃つなよ。僕だよ。危ないなあ。」廊下の角から出てきたマレックは、叫

んだ。

「お前こそ、気を付けろ。もっちょっとで、過去の遺物になっていたんだぞ。」

「僕も入れてよ。一緒に遊ぼうよ。」

「馬鹿、これは遊びじゃないんだ。本物の任務なんだ。」トーメックは続けて、

「それに、余分な銃は無いし。今度にしな。」

「いや、スパイになったらどうだい。」ステファンが影から出てきて言った。

「やる。やるよ。」

7歳の子にはそれ以上は、逆らいにくかった。そして、再交渉の結果、任務は継

続される事になった。

「今度は、手強い奴が敵になったな。」ステファンが言った。

「マレックが手強い奴だって?」

「黙れ!」マレックが言い返す。

  マレックは、スパイにうってつけだった。素早くて、小さくて、行動が常識はず

れだ。最初は、食堂でコックに頼み込んで、大きなポリ容器の中に隠れた。完璧

に思われたのだが、マレックの誤算は、コックがダブルエージェントと見抜けなか

った事だ。コックはトーメック達にポリ容器を指差して合図した。狙撃手たちは蓋

を開けるなり、銃の弾丸をマレックに、ずぶ濡れ寸前まで浴びせた。

「待って、待って。」

「仕留めたぞ。」オラフは、声高らかに勝利を宣言した。

「ポーランドに再び自由が来るぞ。」

「判った。判った。参った。でも、もう一度だけチャンスをおくれよ。今度は、絶対

つかまらないから。約束するよ。3分だけ時間を頂戴よ。」

マレックは急いで駆けて行った。

 狙撃手達は、2分後追跡を始めた。食堂も含め何時もの場所はくまなく捜した

つもりだがスパイは見つからない。

「そうだ、あそこだ。」ステファンが駆け出した。

「さっき、ちらっと誰かの気配がしたんだ。」ステファンは叫びながら小さな螺旋階

段を指差した。3人は階段を下がる。やがて、壁からエンジンの音が聞こえる未知

の領域へ来てしまった。30mも歩くと、重そうな鋼鉄の扉が見えた。わずかに開い

た扉は、赤白で斜めに塗り分けられ「危険・関係者以外立入禁止」と書かれていた。

「どうする?」オラフは、トーメックの顔を見た。

「有りえるな。」トーメックは弟の性格をよく把握している。扉をもう少し開け、中を覗

いて見た。薄暗くて、すごい騒音だ。手摺の向こうに大きなエンジンの様な機械が

見える。

「どうしよう?」ステファンが不安そうに聞く。

「中へは行けないよ。無理だよ。」オラフは続けて

「どうにもならないよ。」二人は、トーメックをすがるように見たが、トーメックも不安

そうだった。

「判んないよ。」トーメックも不安そうに、か細い声で答えた。

どうして無鉄砲な弟は、こんな馬鹿を仕出かすんだ。マレックは何時もマレックだ。

でも、こんな場所でもし、何か起きたら一体タタとママになんて言えばいいんだ。

「僕が行ってみる。二人は此処で待ってて。誰か来たら叫んでよ。」トーメックは、

二人を見て、大きく2・3回深呼吸をしてから、扉を開けて、船の心臓部へ入って

行った。扉は、背後でグワーンと音を立てて閉まった。機関室は、果てしない洞窟

の様に奥が深く、10階位の高さが有り、耳をつんざく様な大きな音がしている。ト

ーメックは、耳を塞ぎながら、キャットウォークの両側の手摺を頼りに芋虫の様に

ゆっくり進んだ。エンジンは乱暴な巨人が叫びながら手足を大きく動かして船を進

めているような感じがする。 トーメックは、タタの言葉を思い出した。

「トーメック、船のエンジンはね、音楽みたいなんだよ。機関士はね、エンジンのリ

ズムやビートで、どんな具合か判るんだ。巨人の打楽器みたいな物かな。ドンドン

叩いていたり、シクシク泣いていたり、ゴボゴボむせていたりね。元気な時はポッ

プスを聞いている様な雰囲気だよ。」

しかし、トーメックには、何千メートルの曲がりくねったパイプが凶暴な爬虫類の様

に思えた。

 トーメックの前は、40m先も見えない。油煙に霞み灰色の霧の様だ。あの馬鹿

は一体何処へ消えたんだ。薄暗い油煙の向こうから叫び声が聞こえた。

「そこにいるのは誰だ。何をしている?」トーメックは心臓が止まりそうになったが、

一目散にあの扉へ戻った。しかし、扉は開かない。

「オラフ、ステファン、開けて!開けてよ!」思い切りドアを叩いた。ややあって、

扉は少し開いた。トーメックはドアをすり抜け、

「逃げろ、見つかった、捕まるぞ。」と叫び、三人は走った。

「奴は、僕を追いかけてくる。捕まえに来るぞ。」思い切り、プールの処まで必死

に駆けた。その時、オラフが叫んだ。

「居たぞ。マレックだ。」

マレックはプールサイド際からずぶ濡れの頭をわずかに出していた。トーメック

は、いきなりプールへ飛び込み、マレックを掴んで揺すぶった。

「ちょっと、ちょっと、ストップ。今度は捜したろ?」

マレックは、トーメックに水を浴びせ続けた。トーメックは、

「馬鹿野郎、何であんな事をしたんだ。扉の立入禁止が判らなかったのか?

何時の間に、僕達を追い越して逃げて来たんだ?」

「えっ、どういうこと? 何の扉? 僕はずっとプールの中で隠れてたんだけど。」

マレックは得意満面だ。

「いい隠れ場所だったでしょ。プールの壁のコーナーで隠れていたんだよ。判ら

なかったでしょ。プールの外からは見えにくかったはずだ。それに出来るだけ潜

っていたしね。」

マレックは勝ち誇ったようにトーメックを見た。 確かに、トーメック達は、何度も

プールへ来たし、水面も注意して見た。でもコーナーはそんなに注意してはいな

かった。捜すのに急いでいたし。

「くそ、お前のおかげで僕は大変な目に会ったんだぞ。」

「えっ、どういう事? でも他の皆には僕がプールのコーナーに、ずっと隠れてい

たことは内緒にしておいてね。判らなかったでしょ。」

「えっ、どうしたって?」オラフが聞く。

「知らないよ。」トーメックは、頭を掻く振りをして涙をそっとぬぐった。