まちかがみ(街鏡)
ある夕方の都心の交差点、なにやら貧相なおじさんがこちらへ歩いてくる。何だか
見たことの有るような。「もうちょっと胸を張ればましに見えるぜ、おじさん。足の短い
は直らないがね。」人のふり見て我が振り直せ。おや、彼も胸を張り直してる。うそー、
俺こんなにみすぼらしいの。ショーウィンドーに映った自分の姿にドキッとした事は有り
ませんか。
街を歩くとあちこちのガラスや壁に自分の姿が映る。若者は、さっと髪をたくし上げ、
スーツのおじさんもちょっと襟廻りを直すか、ネクタイをキュッと締める。若い女性はチ
ラッとみて・・・何を見るのかは判らないが。化粧なんか直すなよ。それは外出前の作
業だ。下着を穿き直すのと同じ行為だ、止めてくれ。
鏡が無いと、自分の姿が判らない。大概の人は、口の廻りに何か付いていてもあま
り教えてくれない。自分を客観的に見る為には鏡が必要だ。朝、自宅の洗面所で。昼、
オフィスの洗面所で。そして、外回りで草臥れたおじさんや、遊び疲れた人には街の鏡
が有ります。 自分が人の目にどう映っているのか、鏡無しには客観的な姿は判りませ
ん。それも様々な角度から見る必要が有ります。特に後姿は判り難い。何時も素敵な自
分で有る為に鏡は重要でしょう。
そもそも鏡は、三種の神器にも含まれていたし、平安時代には、歴史を映す物として、
「史記」を手本に政治的視点から歴史を説く、「大鏡」等のいわゆる四鏡も著された。姿も
歴史も映す物が無ければ、客観的把握が難しい、との認識は古代から有ったようです。
自分の内面も又、同じ。「まちかがみ」の様な物が欲しくなりませんか。美術や音楽を
鑑賞して、例えば一枚の絵を見てジーンと来る。スポーツをやって自分の心理や体の様
子を発見する。感動や心の動きそのものが自分の内面の声です。「いいな」「じーん」「わ
くわく」が自分の感性を育てる。鈍りがちな感性を呼び覚ますには、様々な角度から自分
を写す鏡が必要です。自分の感性を知ることが自分を知っていく事につながっていく。
感動の対象や、方向は多分に、個々にも違うだろう。しかし自分の知らない分野にも、
大きな感動の要素は無限にあるはず。今、興味が無い分野にも避けずに向かい合えば、
思いがけない感動は幾らでもある筈。人は年月とともに、楽に、保身に向いがちだ。朽ち
ない為には、好奇心と目的意識がとても重要になってくる。自分の内面を見る鏡を、趣味
を、好奇心を、三面鏡とは言わず、十面鏡、二十面鏡と新たに挑戦したい。そして、自身
の、ほんの小さなときめきも漏らさず聞き分ける事が出来る様になりたいものだ。感性は
放っておくと錆びてしまうものだから。