2000年 GW 山スキー 記録

                      筆記 森川

室堂から槍ケ岳スキー縦走

メンバー 梅本眞 平田和男 森川孝雄

所属   風流士亭(1972年設立。会員30名のスキー・山同好会、

               ニセコに自作の小屋が有る。)

期間   2000年4月28日から5月3日

 

  ヨーロッパアルプスのオートルートに行く前に日本アルプスオートルートを一度走破しておこう

と、室堂から入って、五色が原・太郎平・双六の各小屋食事付きの泊まり3泊4日、

予備日1日で計画した。念の為ビバーク用に、スコップ・ツエルトフライ・シュラフカバー・非常食

・コンロを装備した。エスケープルートは太郎平・双六から逃げる。約65Kmの高い道

(2200〜3000m)を四日で駆け抜ける予定だ。GPSには期待と安心感を持っている。

 

4/28  横浜旭区森川家21:00−大井町梅本家22:10−新島島駅前01:20(4/29)

 大井町の梅本家でコーヒーをいただいて出発はほぼ予定通り。車は新島島に置

いて帰りを楽にするか、扇沢に置いて帰りは取りに廻るか議論の有るところだが、

結局新島島に落ち着いた。おかげで前途を祝う車内宴会も時間が有って盛り上

り、寝たのは3時頃か。梅さんのオランダ転勤を目前に、送別山行となることに。アル

プスのオートルートにも話題の花が咲く。

 

4/29 新島島5:52−松本6:37−大町8:10−扇沢9:00−室堂12:00−一の越

 13:00−竜王・鬼のコル14:00−獅子岳15:15−ザラ峠16:30−五色が原山荘17:35

 起床は、5時。睡眠不足+二日酔いのはずだが至って快調なのははやる気持ち

のせいだろうか。始発の松電を手で開けて後2〜3分で出発と言う時に「おや、忘

れ物」取りに行って間に合うか?えい行け。駐車場へ戻りあれもこれも持って間一

髪発車に間に合った。忘れ物は、ニッカホースだけかと思ったらタイツ、軍手も一緒に

置いてあり忘れたまま山に入ったらと、ぞっとした。

  大町までのんびり電車の旅。第4土曜のせいか電車も空いていて快適。大町

では思いの外登山客は少なく、我々の他にバスに乗り込んだのは老年の二人だ

け。切符は緑の窓口で通しで買うことが出来た。大町温泉郷からは客が20人程

増えた。

  扇沢はマイカーで満員状況。トロリーバス・ケーブルカーも増発されているようだ。ケーブル

乗り場では商魂逞しい駅員が、待ち時間を利用し観光案内と写真集の売り込み

を行っていた。余技と言えない位の出来だ。寄席で漫談を聞いている様な雰囲気。

待ち時間がこんなに楽しければ待ってもいいか。他の会社も見習えばいいと思っ

た。但しロープウェイは増発が利かず、整理券38番(着いた時は21番乗車)まで約75

分待った。どうも団体が優先されているようだ。観光会社に依って力関係も有りそ

うだ。

  室堂でスニーカーをスキー靴に変えて出発したのがほぼ正午。(後で判った話では、

富山から上がった人は雪の大谷見物ツアーに負けて室堂着が13時になったらしい。)

あまりはっきりしない天気で何だかガスっぽい。雪は前夜にかなり降ったとのこ

とだが10cm位だろうか。

  一の越から御山谷を少し下り、竜王と鬼の鞍部へシール登行。アイゼンで鬼岳の

上り下り。鬼の下りは仲仲きつかった。覚悟はしていたが山スキーでなく登山になっ

てしまった。獅子岳からザラ峠への下りはあんこに近い湿雪で重いザックをものと

せずジャンプターンで振り回す。少し東に寄り過ぎたか右へトラバース気味に降りると荒

涼とした雰囲気の峠の看板に出た。鬼からこの滑りまでで先行者6名ほど追い越

した。五色が原山荘への約100mの登りは思いの他長く感じられた。

  山荘付近はやはり雪が多く玄関は開かず、厨房から入れてくれた。若い男女

と中年の男性の3名で切り盛り。厨房を突き抜けたストーブの廻りに皆で何となく集

まっている。ビールは有るし、何より食事付きが有り難い。スキーは厨房経由で玄関

に置く。番人が酒好きでいくらでも飲ませてくれると云う噂を聞いていたがそんな

旨い話はなかった。泊まりが1パーティ位に限るのだろうか。宿泊客は10名位であっ

た。食事は質素なほうか。

 

4/30 五色が原山荘5:45−鳶山6:30−越中沢岳8:20−スゴノ頭10:10−スゴ小屋

    12:05−間山13:35−北薬師岳15:30−薬師岳17:30−薬師峠18:30−

    太郎平小屋19:10

  朝食は5時半と言われていたが5時に用意が出来たと呼んでくれた。これなら

かなり早く出れそうだ。今日が今回の山行のポイントか。夏の参考時間14時間の

行程だ。小屋から緩やかな鳶山の登りを快適なシール登行で稼いでいく。我々が

この日の先頭パーティだ。右の鷲岳の斜面にはスキー遊びのシュプールが。鳶の下り

はアイスバーンの急斜面だ。平さんはアイゼンで降りると言う。梅・Montaはスピードを

セーブして降りたが先行の梅が転倒、東側の急斜面の落ち込みへ流されていく。

後ろでは、ただ止まってくれろと祈るだけ。体勢は良いが何せバーンが堅い。後

数mの処で止まった。本人も怖いだろうが見ている方もドキドキだ。去年の唐松

沢では僕がそんな思いをさせたのだ。やっとの思いで鞍部へ到着。平さんを待

つ事にする。さて、「あの斜面で何人滑落するか見物させてもらおう。」と二人で

斜面を見ていると、なんと一人落ちた。ああもう一人転んだ。止まったがスキーが

落ちていく。何と云う事だ。無線連絡か、まずは助けに降りるべきか?見物の

こちらからは尾根が一本有ってその後がよく見えないが、ずっと下の沢には出

てこないので多分途中で止まっているのだろう。滑落者の相棒か、一人歩行で

降りて行く。全員が登りコースへ戻り掛けるの見届けて、こちらも先へ進むことに

した。

  越中沢岳へは又シール登行が快適だ。ピーク東から廊下沢へ長いシュプールが見

える。昨日のシュプールだろうか。快適そうだが我々は、コースが良く判らないので

(どうやら沢まで降りてスゴ乗越へ登っているようだ。)ピークから素直に稜線伝い

にコースを取る事にする。斜面が氷なのと狭いのとで下りもアイゼン歩行となってし

まう。スゴノ頭経由でスゴ乗越へ。2130mから薬師へ800mの登りの始まりだ。シー

ル基本で斜度と氷の堅さによって所々アイゼンに履き替える。アイゼンは良く利く。

堅い斜面のアイゼンは快調だ。キック無しでただ直登グサリ蟹歩きグサリ。朝の零度

から気温は上がっても5度位。風も有る。間山迄は楽だったが、その上方特に

北薬師(2900m)から薬師(2926m)の降り登りが、気分的にも特にきつかった。

  薬師避難小屋2890mに着いた時は、「助かった」と言う思いがした。アイスバー

ン滑走の衝撃が疲れた体を突き上げる。薬師休憩所を過ぎ2600m辺りから南・

南西斜面と云うことも有り、ブレーカブルクラストのもなか状態だ。薬師峠(2294m)迄

は未だ長いので、2〜3ターン又は斜滑降で誤魔化し、つらい下りを峠へ急いだ。

最後の登りはもう暗くなっていたが、途中から見える太郎平小屋の灯りに気持

ちが和む。13時間25分の行程だった。

  小屋は中年の男性が仕切っていて、あと4〜5名位若い人がいた。食事はご

飯とみそ汁程度と云うので、自炊とする。我々の後は5名の到着しか無いはず

だ。8名で後になり、先になり、一日の行程をほとんど前後して進んだ仲だ。その

後のパーティはビバークかテント泊なのだろうか(翌朝談で23時頃着のパーティが有った

らしい。良く精神状態が続いたなあ)。太郎平小屋は前回宿泊時と同様雨漏りが

激しい。正面廊下の真ん中は特に非道い。スリッパ無しでは靴下が一気にずぶ濡

れ状態に。

  α米の五目飯に、薫製タンやカマンベール、オイルサーディンと豪勢に喰らい、飲んだ。

ただ疲れからか量的には少なかっただろう。五目飯も3人で2人前。これで充分

足りた。他の組は炬燵でうたた寝の人が多かった。3年前ここの宴会途中に父

親の訃報を聞いたのを思い出してしまった。97年4月29日だ。小屋の親爺の話

では、「今夜は大荒れで屋根が五月蝿いだろうが、明日の天気は大丈夫だ。た

だし、ホワイトアウトは何とも言えない。」とのことだ。

 

5/1 太郎平小屋6:50−北ノ俣岳9:05−赤木岳10:05−黒部五郎岳14:30−

   黒部五郎小屋16:45

 昨夜の嵐で雪が10cmは積もったか。自炊の朝食は、行動食で時間短縮とした。

今日の行動をどうするか、悩むところだ。食後少し薄日が射したのと、GPS持ち

と云うことで思い切って出発とする。道に迷う不安は無かった。太郎で沈殿して打

保方面へエスケープするより双六へ届いた方が気分も楽、雨でも悪天でも双六なら

何とかなるとの判断も有った。不安は黒部五郎からカールへの降り口が見つけら

れるかどうかのみ。

  北ノ俣迄は楽な登り、のはずだった。そして黒部五郎には正午に着いて。しか

し、思いの外ガスが濃く、太郎直後の斜面の切り替わりで梅さんは前が見えず、

2mこけ落ちた。神岡新道の分岐点などGPS無しでは北ノ俣と間違うのではない

か。新雪でもあり、シールは良く利いて快適では有るが。

  北ノ俣からは赤木岳を含み小ピークを5〜6カ所越えて登り降りの交互だ。地図

では西側は急斜面、東側は緩斜面。しかし東側は雪庇になっている。歩くのと同

じくらいの速度で滑る。数m滑ってはコンパスで方角を確かめ、シールのまんまで降

りていると急に足元が涼しくなって尻餅を着いてみると、爪先から前は斜面がな

かった。びびった。その後は一番後ろを滑っていた。眼鏡は右側が凍り付いて見

づらいし。今度の先頭は平さんだ。左の雪庇のラインを気にしながらゆっくり滑って

いく。あっと思う間も無く、おいこら平さん。もんどり打って落ちて行った。背中に

走る冷気。そっと梅さんと二人で下を覗いて一安心。3〜4m下に、靴から脱げた

スキーの横に無事らしい平さんが動いていた。鳶山以来の真っ青が胸の中でじわ

ーんと融けてくる。GPSもポイントは良く判るが、微妙な地図上の屈折は判らない。

2万5千図の中で機能するGPSが必要だ。あと1〜2年で出るだろう。後日読んだ

新聞に依ると、今日の午後から50m前後の不確かさも撤去になったらしい。

  黒部五郎岳着は、予定から2時間半の遅れだ。ここから左の雪庇を落ちる・

踏み抜く訳にはいかない。数百メートルは落ちてしまうだろう。誰から言い出すとも

なくアイゼンでの降りにする。視界さえ有れば2839mから標高差550mの快適な滑

降が待っているのに。頂上直下、梅さんが「あれ、違う。この先はガレ場。本稜は

あっち。」と少し登り返しながら正しい稜線に出た。しかし後で見た2万5千図では、

どう見ても地図とコンパスでは間違いとの判断は付かない。神懸かりについていた

のか。右の急斜面・左の雪庇に恐れおののきながら一歩づつ降りる。避難小屋

黒部五郎が見えてきた時は時間切れもさることながら、肉体的にも精神的にも

限界か。誰からともなく、黒部五郎小屋ビバークと決定した。シュラフカバーを忘れた

人もいるのに。

  避難小屋は、住み着き住人のような一人者と五人組が居て条件の悪い最下

層に泊まる事になった。4年前は我々3名だけだったのに。3名とも疲労は激しく、

水作り用の雪も取りに行こうとしない。今日の残り水でちょっと水っぽいα炒飯と

お茶、後はつまみで宴会モード。7時半頃には寝てしまったのだろうか。三人とも

脱水症状なのか小便に外へも出なかった。シュラフカバーやペラペラ銀マットで寝ている

ので、どうやら三人ともうつらうつらの睡眠のようだ。ツエルトフライを掛けていないと

本当に寝れなかったかも知れぬ。雪穴にツエルトフライの方が暖かったかも知れな

いが、結露の水ポタよりはましであったか。ラジオに依ると明日は午前中天気が良

く午後崩れると云う。では明日は普通に出発して、午前中に双六小屋に着いて

のんびりしようと決定した。結局この日太郎平から行動したのは我々のみのよう

だ。ガスの中の行動はGPS無しでは、まづ無理だろう。しかし、双六に近づいた

のは心強い。

 

5/2 黒部五郎小屋7:10−三俣蓮華岳−丸山10:35−双六小屋11:45

  避難小屋での目覚めは快適だ。そんなに寒くもない。やはり睡眠中は体温の

調節機能が低下しているのだろう。保温が完璧で重量が限りなく零に近く、湿気

に強く、体積を取らないシュラフが有れば、何処ででも寝れる。そんなシュラフ有ったら

教えて。

  黒部五郎小屋からの登りはシールの予定をアイゼンに変え、キシキシと高度を稼ぐ。

途中からはシールとアイゼンを交互に使用。4年前蛸刺しを落っことした斜面(滑降

が快適)を左に見ながら三俣蓮華岳へ一気に上がる。無謀と思われる斜面を

平・梅はシール登行したが、こちらはアイゼン蟹歩きでしっかり登った。後は丸山経

由で双六小屋へ一直線。とは云えここらからガスって来てなかなかすんなりは降

ろして呉れないようだ。かいま見える明日の行程の槍へ続く西鎌尾根はとても

急峻に見える。予定通り昼前の小屋着でビール2本で乾杯。後は昼寝組と読書

組に分かれる。天気予報より荒れるのが遅く、しばらくは好天に見えたがやは

り夕方には荒れてきた。

  双六の泊まりは、自炊3人組x2と単独3名と我々の12名だ。談話室が狭くな

ったのと小屋主の小池さんが顔を出さないのがちょっぴり寂しい。食事は以前

のまま豪華。久し振りにおかずを残してしまった。

 

5/3     双六小屋7:20−弓折岳9:10−わさび平11:25−12:25新穂高13:50

         −新島島15:20

  前夜の嵐は、玄関を雪で埋めていた。朝食は7時の予定だがまあ良しとしよ

う。結局30分早くはしてくれたが。今日の槍から上高地の行程は、西鎌尾根の

登りの夏参考時間5時間を、雪の悪さで7時間と見ると、上高地最終バス17:55に

間に合わないと判断し、予備日を喰っている事からも双六から新穂高へすんな

り降りる事にした。敗北感は有るものの槍沢は滑ったことがあるし、西鎌尾根を

登った事が無いだけだと心に言い聞かせる。

  小屋2550mから弓折岳2592m迄のシールでのアップダウンは快調。しかしこの辺

りからガスが濃くなってきた。ガスの切れ間を15分程待ったが瞬間も晴れず、しび

れを切らし平さんが滑降を始める。後ろの二人にとっては、平さんのシュプールを

見て辛うじて斜度が判別出来る様な視界だ。そんな視界の中を平さんはグイグイ

と降りて行く。「お前どないなっとるんや」「大丈夫や、ここは尾根と尾根の間を

滑ってたら落ちる所はあらへん。」そんなこんなで重い雪を何とかしのぎながらシ

ュプールを揃えてみた。ガスが切れて来た頃、小池新道の合流近く2100m位からか、

視界は開けて来たが雪は腐ってきた。ギャラリーが数十人登ってくる。やっぱり今

日から連休なんだなあと実感。シュプールでギャラリーに感動を与える事は出来ただ

ろうか。心配だ。

  わさび平迄は例年の様なデブリは少なく快調。わさび平から下、いつもは除

雪済みの道が例年と違いデブリで苦労した。ホテルニューホタカの上部300m位迄スキ

ーで降りる事が出来た。ここに花束とハイライトが供えてあった。3月27日に除雪の

係員を吹き飛ばしたアバランチが有ったそうだ。穴毛谷方面からか、200mを越す

谷巾を高さ20〜30m以上で飛んできたと思われる。こちらの岸に有ったと思わ

れるブルドーザーらしき残骸が向こうの岸に転がっていた。こんな平らな処で雪崩

にやられるのなら、どんな予知・知識も役に立たないと思われる。

  新穂高でビール。後は松本行き急行バスで新島島駅前に置いた車へ帰るの

みだ。今回の無事を神に感謝しつつ残りエッセンで飲むビールに又感謝。山の垢は

塩尻奥のみどり湖温泉で流した。三人での山行はひとまずこれにて打ち止め。