2003年 正月 二世古
Monta (森川孝雄)
正月のニセコは、もう二十数年欠かした事がない。風流士亭も昨年8月で30周
年を迎えた。この間正月の気候も変った。厳冬続きから暖冬の十年、最近は又少し
戻って寒くなっている感じがする。
スキー風景も変った。日本のオフピステの50%はニセコに有る、なんて言われ
ているが。冬にニセコアンヌプリから滑るのは南側で、ゲレンデ以外を目指すのは
ほんの一握りのスキーヤーのみであった。しかし、昨今は頂上の危険表示の地図の
上で、これから滑るルートを得意げにグループ員に説明している人をよく見かける
様になった。その大多数はボーダーだ。スキーヤーは昔ながらの人達と極少数の継
承者のみらしい。と言う事は、新しい開拓者が多いと云う事だ。しかし、シーズン
の殆どをニセコのオフピステに懸けている人達には、経験不足と言う言葉は当らな
いのだろう。弱層試験なんかも良くご存知だ。ニセコは古参の山スキーヤーの特権
地域では無くなった。
春スキーの快晴の日なら、中級者にも優しいオフピステは『スキー天国』になる。
機動力をフルに使ったオフピステのピストンから、日帰り・1−2泊コースまで無
数のコースがとれる。ビールとつまみを持って温泉も加えればそれこそこの世の楽
園。森林限界の上を行くコースはどこでも行ける気がしてくる。しかし標高は13
00m程度だが、天候は北アルプスの2500mに相当する。この事実は忘れるべ
からず。
冬季のオフピステは、そう優しくない。最近は雑誌でもニセコのオフは、頻繁に
取り上げられ、ボーダーのメッカになりつつある様子だ。ローカルルールや雪崩情
報に注意を払うのも一つの良識。ベテランの意見に従うのも常識。新参古参も、ス
キーヤーもボーダーも共存しなければならない様になった。(でも、ボーダーの広
くて大きなシュプールは、スキーヤーには割り切れない物が有る。)共存はしょう
が無いが、事故は地域の汚点になる。実はこの正月最後の一本で、立ちごけしてし
まった。下側へ転んで6−7m下の白樺に背中からぶつかって止まった。この程度
の事故でも打ち所が悪ければ、行動不可能になる。僕は痛み我慢で辛うじて滑走で
降りられた。でも多分1−2週間は日常生活にも不自由しそうだ。その他雪崩・激
突、スキー紛失等事故は避けられないだろう。ならば準備と人選に気を配ろう。昔
からラストを努めるのは最上級者に相場が決まっている。事故も自己処理さえ出来
れば無いのと同じ。事故さえ無ければ、規制も入らずニセコの山を何時までも、白
寿を迎えるまで楽しめるのだから。
コースの解説は、ニセコではご法度かな。この二十数年正月のスキーの大半をオ
フピステに費やしてきたが、あのコースは毎日6本一週間続けても飽きないなあ。
CMHにも負けていませんよ。