08年4月12〜18日

2008年 Haute Route Story

1. Haute Route へ行こう
2. 計画を進める
3. 概要
4. 前日  4月12日
5. 初日  4月13日
6. 2日目 4月14日
7. 3日目 4月15日
8. 4日目 4月16日
9. 5日目 4月17日  
10. 6日目 4月18日
11. 終わりに
12. 付録


1. Haute Routeへ行こう

 今回、我々が走破した「Haute Route」は、シャモニーからツェルマットに至る約90kmの「高い道」を
山スキー道具で繰り返し登り、繰り返し滑ろうというものだ。標高は2200mから3800m程度の中を行
動する。時期は3月末から5月上旬の期間限定だ。標準の日数は6日間になる。
氷河地帯を行動するので、見えないクレバス等の危険が有るのでガイドは必需だろう。天候は厳冬期
並みからいわゆる春スキーの陽気まで、日によって違うのは日本国内と同じだ。装備は防寒着を含め
完全冬山装備とする。シール・クトー・ハーネス・ビーコン・スコップ・ゾンデ・ピッケル・アイゼン・テルモス・
ゴーグル・ヘッドランプは必携品だ。

2. 計画を進める
 
2000年の春、Ume・Hira・Montaの3人は日本のオートルート約50kmを走破中に五色・太郎・五郎の
小屋で毎晩「いつかは本物のオートルートへ行こうよ。」と語り合った。Umeは欧州在住中の2004年に
単独で実現させたが、残る二人は諸般の事情で計画は延期に延期を重ねる。2007年は実現しかけた
が、日本に負けず劣らずのヨーロッパの雪不足は深刻なので中止にした。しかし2007年10月、Monta
から「2008年は、雪が無くても行くぞ。」宣言が出た。仲間内で遠征を宣言すると、名古屋のMasaも20
数年ぶりに行きたいと言う。初挑戦が二人、2回目が二人という構成となった。50代の4人ではあるが体
力に不安は感じていない。
 行くと決めたら行動は早い。ガイドは2004年にUmeが単独で実行した時のシャモニーのガイドカンパ
ニーとした。6日間の費用は?825だが、12月に予約すると早期割引が適用になった。費用にはガイド費、
山小屋費、行動食、ゴンドラ料金等が含まれる。小屋での水・アルコール・お茶代は別途各自で清算だ。
 行程は日曜日の朝出発だが、前日の土曜の夕方にミーティングが有り、注意事項伝達と装備品のチェ
ックを受ける必要があるので、土曜日の午後にはシャモニーに到着しなければならない。帰りは天候の
都合でエスケープも有り得るし、何時に何処へ降りるか判らないので、最終日の金曜日はシャモニーに
宿泊を予定するのが一番無難なようだ。回送費は、ガイドカンパニーの手配の大型タクシーで一人e50
だ。シャモニーへの最寄りの空港はジュネーブになる。
航空券の手配は各自で都合の良い便を勝手に選ぶ事になった。便の時刻指定が出来て尚且つ安価な
のは、航空会社にダイレクトに申し込むのが一番良いようだ。旅行会社では4ヶ月先の料金は確定して
いなかった。往きの便は3人同じ便にしたが還り便は、各自の休暇の有効利用を考慮して別便を選ぶ事
にした。Montaの場合は、平常勤務後に出発する為に夜10時に近い成田出発便を選び、帰りは現地を
朝出発し、成田には早朝7時前に到着する便で、帰着当日も平常勤務という強行日程の便を選んだ。
 ジュネーブからシャモニーへの足は、列車・レンタカー・バスなどが考えられ、いずれもインターネットで
予約が出来る。所要時間・料金を検討の結果、我々はバス便を予約する事にした。予約から5日目には
切符が送られてきた。e37.2だ。ホテルは、ガイドカンパニーにほど近い瀟洒なプチホテルが予約できた。
最終的には1泊e43程度の計算になる。
 あとは、体力作りと体調の調整か。いや勤め人の常として、仕事を休める段取りを付けておかねばなら
ない。10日間に及ぶ休暇を実現するには、各方面に十分な調整をしておかなければならない。自己都
合での旅行キャンセルが効く保険なんてのは有るのだろうか?

3. 概要
                     
 天候は、初日は快晴で上着を脱ぐ暑さ。2日目は濃霧でエスケープルートを採用し下山した。残り4日
間は、晴れたり曇ったりで、気温は日本の厳冬期並みの−10〜−18度を記録した。風は弱くて幸いし
た。雪質は2日目と最終日の麓への滑降は標高が低く、さすがにベタ雪だが、常時2200m以上の地域
に滞在するのでパウダーに近い上質の雪に恵まれた。年と時期によってはザラメだったりする様で、こ
ればかりはお天道様の機嫌による。カナダのへリスキーも同じだろう。
 ヨーロッパのサマータイムは3月末に始まり、夜が明けるのはかなり遅い。山小屋を出発する6時から
6時半くらいの時刻でも、まだ薄明るい程度だ。ヘッドランプが必要な暗さでは無いが、ザックの準備時
にはお世話になるだろう。そのかわり夜は遅くまで明るく20時半でも未だ明るくて、食後の酔眼でふと
時計を見ると戸惑う。行動時間としては、お昼から午後3時くらいの間には山小屋に到達する。余力のあ
る日は、オプションツアーに出掛ける。
 山小屋での生活は、快適で寒さは感じない。到着後の飲み物のビールや紅茶はその都度、現金で支
払うが、ビールは500ccで5CHF(スイスフラン)、安いワインは18CHF程度だから高いとは思えない。
食事はスープから始まり、肉料理と温野菜はスープを平らげた皿に盛る。その後に仕上げのデザートが
出るコースはどの山小屋も同じだ。寝床も布団も日本の山小屋よりかなり清潔感がある。シーツは各自
持参(寝袋用インナーシーツを持って行ったが暑かった)する事になっている。トイレはほとんどが、バイ
オトイレで小便と大便は別々にする。洗面用の水が出る小屋は1軒しかなかった。飲用の水はペットボト
ルで購入するが、行動用の紅茶は何故かサービスになっていた。
 登りはほぼシール登行で、45度超の急斜面はツボ足で登った。クトーの使用はガイドの指示に従った
方が、自己判断より的確だった。今回はあまりにも雪質が良くアイゼンのお世話になる事は無かった。
滑走はあらゆる斜面が有るので、ソールは良く滑るように手入れが必要だし、エッジも良く研いでおく方
が安全だろう。雪質によっては手強そうな急斜面も多い。
 4人揃えばガイド1人でプライベートチームが組めるが、我々4人はインターナショナル混合チームを希
望し、ガイド2名とゲスト12名のチーム構成になった。日本人以外は若いメンバーが多く、タフだった。
3000mを越える標高にもかかわらず、時間当たり標高差300m登るのが当たり前のペースだ。休憩は
取らない。登り下りの道具切り替えが休憩になる。滑降ペースも早い。スピードも速いし途中で止まる事
が少ない。ガイドがゲストを信頼しきっているのか、時々不安になるくらいに止まらない。最終日は行程
が長い事もあって、体力に合わせ途中下山組と最終ツェルマットに向う組に分けられた。ハイペースに
付いて行く中でクライミングサポートは出来るだけ低く保つ方が疲れにくい事に気が付いたのは新鮮な
発見だった。
 道具は日本国内とかなり様相が違った。氷河地帯で行動するにはハーネスは単独行動でも必携との
事。理由はクレバスへの転落等の事故からの救助に使用するとの事だ。その割りにヘルメット姿はほと
んど見ない。兼用靴は国内ではほぼ2メーカーに限られるが、ここでは実に様々なメーカーの品が使用
されている。スキーメーカーには特色は感じられない。幅は今時の広さだ。狭い幅やテレマーカーはあま
り見ない。ボーダーもまれだ。金具はTLTが全盛でディアミールより多いと感じる。NAXOは見掛けなか
った。
地図とGPSは非常に役に立った。つらい工程も、今どこにいて、あとどれくらいかが良く判るし、帰国後
の記録整理にも役立つので次回も絶対に外せないアイテムと思う。ガイドも常に覗いている。
 言葉は、ガイドも今回のゲストもほぼ仏語・英語が出来たが、我々のガイドはほとんどフランス語で説
明し英語の説明は少なかった。山小屋内での時間は英語で足りるが、斜面やコース、景色の説明には
フランス語を理解すれば満足度が上がったかも知れない。
                           
4. 前日 4月12日

 ジュネーブには土曜の朝8時10分に着いた。到着から一波乱有り、前途の多難を感じさせた。成田で
3人一緒に預けたスキーの内、HiraとMontaの二人分がロストバゲッジになってしまった。クレームカウ
ンターで交渉と調査依頼の結果、スキーはパリに有る事が判明した。明朝から使用する旨を説明すると
夜20時までにシャモニーのホテルへ届けて貰える事になった。安心したら、バスの時間までビールで乾
杯だ。
 バスでシャモニーに到着後、テラス式のレストランで遅い昼食を摂っていたら、前日にシャモニー入りし
て今日はバレブランシュのツアーを終えたMasaとばったり出会った。天気予報では一週間ぐずつくらしい
天候の回復を祈り、ここでもビールで乾杯。
 山岳保険は、あちらこちら廻った挙句に、スキー学校で、「カルトネージュ」と言う1年間有効の保険に
e59で加入した。国内で手続きが出来る「海外旅行保険クライミング」でも、6泊7日で7600円程度なの
で、万が一の時の現地でのスムーズな対応を期待すると、まあ妥当な保険と言えるかも知れない。ちな
みに、ロストバゲッジや携行品・救援者費用等は手持ちのクレジットカードに自動的に付帯している事が
多いようだ。
 18時30分のミーティングではガイドのフランキーから概要説明と、装備品のチェック、2日分の食料
(昼食・行動食用のパン・サラミ・チーズ・チョコ)の配給があった。食料は日本人には50%増しに感じら
れる。水は1.5L以上必要だ、気温が低いのでテルモスも必携との事。「明日はグラモンテのゴンドラ前
に8時集合」との事。シャモニー7時20分発のバスに乗る事にする。バス券は無料だ。装備品の不足は
レンタルででも揃えておく様に言われる。あわててスポーツ用品店へ走った。オフィスで、余計な荷物の
ツェルマットへの回送やシャモニへの戻り便の交渉をしようと思ったが、ミーティング終了時刻がオフィス
の閉鎖時刻の19時を過ぎていて交渉出来なかった。明朝のオフィスオープンも8時半なので交渉出来
ない。明朝のホテルの朝食開始は7時半なので、バス出発に間に合わず、朝食用にパンとチーズ類を
今夜用の酒・つまみと共に買出しする事にした。
 12名のメンバーを組む中にもう一人日本人のHiroがいて、たまたま同じホテルに宿泊している。65歳
で3月末に某所を退官した直後だと言う。大学時代から山岳スキー部所属で、40数年間山スキーを継
続してきたという大先輩だ。今回のチーム構成ではダントツの最長老となる。
ハーネス等をレンタルした後、お昼に予約しておいたレストランへ夕食に向った。地元では「ラクレット」
「チーズフォンデュー」が一般的の様で郷に習った。飲み物は当然ワインだ。満腹の後ホテルへ帰ると
ロスバケのスキーが届いていて一安心。スキーを出してみると、なんとHiraのスキーが一本しか無い!
分厚いスキーケースが破れていて一本脱落した様だ。夜の9時では航空会社にもガイド会社にも連絡
のしようが無い。
相談の結果、Hiraは明朝8時半に開くスポーツ店にスキーをレンタルしに走る。Montaが同行する事に
なった。UmeとMasaは集合時間にグラモンテへ行き、ガイドの指示を仰ぐ。その結果をMontaに携帯電
話で知らせる事にした。アルジェンチエール小屋へ2人で追い掛けるか、最悪は2泊目のシャンペのホ
テルへ合流かもしれない。それ以上は考えてもしようが無い。ケセラセラの心境に。

5. 初日 4月13日

Grands Montetsゴンドラ乗場08:00集合(Hira&Montaは09:30着)
9:30ゴンドラ‐10:50頂上直下(3233m)‐11:20(2610m)−12:00Argentiere小屋(2771m)13:05‐
16:10(Col du Tour Noir3535mに届かず3440mで敗退)‐16:30Argentiere小屋(2771m)

下降620+670=1290m
登行160+670=830m

6時起床で、荷作りを完了しパンで朝食を摂り7時にフロントへ。ここで又事件が発生した。MasaとHiro
は昨日スキーをした後、ホテルの地下室にスキーを置いたのだが、地下室の入口に鍵が掛かっていて、
スキーが出せない。バスの時刻は迫る。7時半の朝食準備に従業員がその内に来るだろうとMasa&
Hiroは待つしかない。うまく行けば7時20分のバスに乗れるかもしれない。取り合えずUmeは1人でも
集合場所へ向わなければならない。HiraとMontaはUmeの見送りにバス停へ同行。バスが少し遅れた
のが幸いしたか、MasaとHiroも何とかグラモンテ行きのバスに間に合った。
 Umeがガイドと交渉した結果は、Umeのみがグラモンテのゴンドラ駅でHira・Montaを待つ。二人はス
キーがレンタル出来たらガイドカンパニーへ行き、待機しているもう一人のガイドの車に乗り3人でグラ
モンテに向えとのことだ。
 ガイドのクリストファーと車中でガールフレンドの話をしながら9時半にゴンドラ駅に到着しUmeと合流
する。乗場はスキー客で100名程度が列を作っている。さすがにザック姿は少ない(8時には多かった
との事だ)。中間駅では整理番号が表示されていて順番待ちだ。ここで先発組に合流した。ゴンドラ頂
上駅から約60mの急勾配の階段を降りると広い平坦地に出た。ここから6日間のHaute Routeが始まる。
正面には明日登る予定のシャルドネのコルへ突き上げる急斜面が望める。
 アルジェンチエール氷河へ向って約620mの滑降の開始だ。雪は上々で柔らかいのだが掘られた深
いシュプールのあいまを滑降していく。氷河に降りれば小屋に向ってシール登行が始まった。緩斜面を
わずか160m登るのみなのだが、完全に息切れした。太股が両足ともつりかけている。前夜の飲みす
ぎか、水分不足か、高度障害なのかは判らないが、山小屋のテラスで広げた昼食(パン・チーズ・サラミ・
チョコ)も喉を通らない。テラスから正面にはLes Droites4000mやLes Courtes3856m等の標高差
1000mに及ぶ壁が眼前に迫る。氷河の奥は、Aig de Triolet3870m だ。予定では1時間後に、荷を
出来るだけ軽くしてツールノアールのコル往復へ出発するらしい。迷惑を掛けそうなので「パスする。」と
宣言したのだが、本気にして貰えず同行する事になってしまった。
 高度3000mを超える場所での継続的な登行は富士山以来だが、若い頃でも300歩程度に一度は
立ち止まっていた。ここでは休憩無く登行が続き、とうとう付いて行けなくなった。Umeがさらに1人完璧
に遅れてしまった。先頭がコルに到着したのを見計らって、ガイドのクリストファーに「俺は後続の相棒を
待つから、ここで待機する。」と伝えて登行終了とした。実業家のスティーブも横で完璧に腰を落ち着けた
様だ。諦めの悪いのが3人、まだもがき続けている。
 先頭組6人がガイドのフランキーと滑降を始めたので、そのグループに入って滑ることにした。途中で
Umeを拾って、ほとんど休憩無しで山小屋まで滑り降りた。残る組はコルまで登った様で、結局1時間ほ
ど遅くのご帰還となった。
 夕食は7時ごろに始まり、ゆっくりと1時間半ほど掛けるのが通例の様だ。我々のチームではガイドとゲ
ストで米・仏人9名、日本人5名だが、ジダン似のジャンピエール以外は英語を話すので、つたない英語
でも何とかコミュニケーションは取れた。誰もが日本の事はかなり知っていて、地名や簡単な日本語など
も良く判っている人が多い。北海道も乾杯も寿司もそのまま日本語で通じる。食事が終る8時半でも、窓
の外は明るく時刻を錯覚してしまうが、大概の夜は9時から10時くらいで就寝になる。UmeとMontaは頭
痛薬を飲んで寝た。

6. 2日目 4月14日

8:00Argentiere小屋(2771m)−9:10Grands Montets中間駅(1970m)9:40−9:50Grands Montetsゴンドラ
乗場(1200m)− 車で移動−12:00Champex (Hotel泊1470m)
16:00ビーコン訓練1.5h

下降1570m

今日の朝は遅い。6時起床で7時10分の朝食だ。パン・オートミールとチーズと飲み物程度だが量には
不自由しない。ジュースは必ず用意されている。飲み物と言うより料理の一品と為っているのだろうか。
飲みものでは、コーヒーは少数派で紅茶の人が多いように見受けられる。
2日目の予定はシャルドネのコル、サレイネの窓、エカンディのコルを経由してシャンペの村へ降りて、
村のホテルに宿泊する。しかし20m先も見えない様な濃霧なので、ガイドはグラモンテのスキー場へ真
直ぐ降りて、車でシャンペに向う事に決めた様だ。残念だが天候には勝てない。
Montaのスキーの滑りが悪く、緩斜面を歩いている内はまだ良かったが、下り緩斜面で他の11人に追い
付けなくなってきた。フランキーは濃霧の中、待ちはしない。1人遅れたがクリストファーが濃霧の中を先
導してくれる。何度ワックスを塗っても滑らない。Montaのアトミックは良く滑るソールだったのだけれど、
どうしたのだ。シールの糊がソールに残っているのか?ひょっとしたら、出発前にフラッターでエッジを研
いだ時に削れたソールをそのままにしたのが見えない「ささくれ」になっているのか、残り4日間の前途が
暗くなってきた。
グラモンテの中間駅からは、スキー場の中を滑る。適度な斜度が有るので遅れることなく無事にゴンドラ
乗車駅に到着したが、明日以降が思いやられる。レストランでビールを飲みながら迎えの車を待つ。約
55kmの山道をシャンペへドライブだ。
昼過ぎに瀟洒なプチホテルに到着。部屋は4人部屋で、Ume・Hira・Masa・Montaの4人で同室となった。
昼食を摂り、シャワーを使い、読書・インターネット等で思い思いの時間を過ごす。夕方からビーコンの練
習をホテルの向かいの斜面で約1時間半ほど、1人3回程度の埋められたビーコンを捜索する練習を行
った。
夕食は、さすがに山小屋のインスタント食品と違って、スープもひき肉料理も、じゃがいものホワイトソー
スからめにもラズベリーのデザートにも満足した。

7. 3日目 4月15日

8:00Champex‐タクシーで移動‐8:40Verbierゴンドラ乗場(820m)−9:20リフト頂上(2460m)−9:30リフト下部(2230m)
9:50−11:50Col de la Chaux(2940m)−12:10 Col de Momin−(3060m)−13:20Rosablanche(3336m)14:10
−14:40Prafleuri小屋(2662m)

下降230+240+200+675=1345m
登行710+260+580=1550m

 7時朝食、8時出発と聞いていたので、昨夜酔っ払って、やる気の出なかったソールの手入れを6時か
ら実行した。滑らないのはソールのケバだと断定し、スキー置き場で道具を物色したが適当な道具が無
い。では奥の手を使うしかないなと、ユーロコインを仕上げペーパーの代わりにして一生懸命にソールを
研ぐ事にした。2本に45分を掛けて磨き上げた。これで滑らなかったらどうしようの不安も有るが、とりあ
えずやる事はやった訳だ。
 8時に、総員14名が乗れる大型タクシーがホテル前に到着し、ヴェルビエールへ向う。約30分でゴンド
ラ乗場に到着だ。有名なスキーリゾートなだけあって、列車の終着駅がゴンドラ乗場になっている。天候
は朝からはっきりしない。雪が降ったり止んだりで晴れ間が見えたり隠れたり。
 8時50分にゴンドラに搭乗した。小柄なピエールと二人で搬器に入る。ピエールは相撲が好きだとの事
で、横綱がモンゴル人、エールフランスが賞金を出している事まで知っている。フランキーから中間駅で
降りない様に注意が有ったのだが、ピエールのあまりの日本通に驚いて注意などすっかり忘れ、あやうく
降りようとしたが、寸前で止められた。リフトに乗り継ぎ、少し下ってシールを貼り登行準備を終えるともう
10時になろうとしていた。曇り空の中、視界はやや回復気味で行く先が見える。心配したスキーのソール
は苦労の甲斐が有り、人並み以上に滑るので一安心だ。あと4日間を楽しめる。
上り下りを3度繰返す内に、ガイドは行けると踏んだのだろう、ローザブランシュに向う。ピークの直前で
スキーをデポすると、フランキーは標高差約40m程度の急斜面をピッケルを思い切り叩きながら、風の
様に舞い頂上から確保ロープをセットした。それを利用して我々は順番にピークハントを楽しんだ。あまり
の手際の良さに恐れいるばかりだ。登行も下りも一人一人にアドバイスをくれる。さすがにガイドと感心し
た。登行ペースは先頭と後方でかなりのバラツキが出ている。
 ピークからは長い滑降が待っていた。視界は有るのだが曇り空の所為で斜面の起伏が見えにくい。し
かし12名はかまわずに我先に高速クルーズで先を急ぐ。このチームは登行でも滑降でも待つ事を知らな
い。登りでフードを出したり水を飲んだりの余計な行動をしていると置いていかれるので、必死に喰らいつ
かなければならないし、滑降でも待たないので写真も撮れない。
 プラフレーリ小屋は、山小屋の中では一番快適だった。山小屋とは思えない程だ。有料だがシャワーブ
ースも二つ有る。部屋の照明も有料だが9時頃まで外が明るいのと、皆がヘッドランプを持っているので
照明用スイッチは購入しなかった。 
 食事は日本人好みの肉料理の塊りに、付け合せはバターライスだった。医者の卵のピーターはライス
が大好きなんだと、ここでも日本食の話題に花が咲いた。お隣のチームとも話がはずむ。

8. 4日目 4月16日

6:05Prafleuri小屋(2662m)−7:00Col de Roux(2804m)7:20−8:30Lac Dix湖尻(2250m)8:50−10:25(2630m)
−11:25Dix小屋(2928m)13:50Dix小屋(2928m)−15:20Col de Cheilon稜線(3380m)−15:55Dix小屋(2928m)

下降555+450=1005m
登行140+680+450=1270m

 4日目は5時起きの6時出発だ。暗い内にスタートするが天気は快晴の様だ。予定ではコルを一つ超え
るとディス湖の湖岸を長いトラバースをした後、ひたすらディス小屋に登るだけだ。
 ロウのコルまでは短い登りだ。コルからは朝日に映える山々が美しい。ヘリの音がうるさい。山岳アー
ミーに一部進路を変更させられる。あちらこちらで爆発音がうるさい。どうやら雪崩コントロールを爆弾で
行っているようだ。観光資源・外貨獲得の源だから、安全は国家を挙げて確保しようと言うところだろうか。
音はうるさいが安心感は有る。コルから湖尻へは標高で555m下るのだが、ほとんどシールでの歩行だ。
一部シールをはずしての滑降もあるが大した距離ではない。湖尻からの登行も先行部隊に必死に喰らい
つくが、どうしても最後に100mほど追いつかない。しかし、体調は初日の160mでダウンしたのと比べる
と、日増しに良くなって来ている。ディス小屋でMasaとビールでの乾杯2本が終った頃、後続部隊が消耗
しきって到着した。小屋から正面に見る、モンブランドシェロン3827mの垂直の900mの壁が美しい。左
手には明日登行予定のピンダローラ3796mが真近に見える。
昼前の小屋到着で少し物足りないと思っていたら、昼食の後、2時頃からオプションツアーを実施すると
の事で、ビールは2本で留めておいた。シェロンのコルへは結局7人で行く事になった。日本人はMasaと
Montaの二人だ。コルからの滑降はパウダーが楽しめた。標高差はたったの450mだが、シュプールも綺
麗に残る満足の1本になった。
客は約50名位だ。各小屋とも50名位の定員のようだ。今夜は軍人がやけに多い。20人位いたようだ。
表に停泊していたヘリはもう帰ったようだが。雪上訓練かパトロール業務中かは定かでない。この小屋
には今回の小屋の中で唯一乾燥室が有る。Montaの寝床は今回の紅一点のアラール(30歳前後?か
な)の隣になった。ドキドキしてる。
夕食のスープは野菜の具が沢山で、まあまあの美味。肉とマッシュポテトもアルジェンチエールよりはか
なり良い味だ。デザートはちょっと口に合わなかったが。長身のレナードからは五輪開催の北京の大気
汚染について、日本はどんな評価をしているのだなどと真剣に質問されて、政治談議をどこまでするか
迷ったりもした。小屋の経営者夫妻は、愛嬌を振り撒いていて、各テーブルに挨拶に回っている。100周
年記念のリキュールボトル(20ml)を全員に配って廻った。今夜は少し濃い酒を頂く夜となった。あちら
のテーブルでは、フランキーとクリストファーがリキュールの大瓶を抱えて満足そうだ。

9. 5日目  4月17日

6:50Dix小屋‐(2928m)7:10−8:10(2858m)−10:30(3630m)−11:15 Pigne d'Arolla(3796m)11:35‐12:10
Vignettes小屋(3194m)

下降70+600=670m
登行940m

 本日の予定では起床5時30分、朝食6時、出発7時なのだが何故かMasaがうるさい。5時から「早く起
きろ」と何度も起こされる。5時半まで迷惑だから寝ていようと言うのだが、聞こえていない?
 今日も快晴の天気で始まった。平坦な雪面を小1時間歩くと、ピンダローラの登りに差し掛かる。ここで
もガイドの面目躍如の場面が有る。早めにクトーを着けたり外したり、先回りで雪質を見て来たのかと思
うほど的確な指示だ。登行ペースは900mを3時間だ。とても3000mを大幅に超え、富士山の標高に
近い場所での登行ペースとは考えられない。それになんとか着いて行く自分にも信じられない心境だ。
これが高度に順応してきたと言うことか。
3600mあたりのプラトーに差し掛かった頃、一天俄かに掻き曇り、濃いガスに包まれた。これでは登頂
は断念かと思いながら列の後に続いていると、一瞬だけガスが晴れてピンダローラの頂上が目前なの
が見えた。この濃霧の中を頂上に向っていたのだとフランキーに心の中で感謝した。GPSのおかげかも
知れない。頂上付近はハードアイスになっていて慎重に登る。遅れて頑張ってきたUmeはここで転倒し
て、作った打撲傷が後々までこたえる事になる。
頂上でシールをはずし滑降準備をする。視界も出てきて快適な滑降が続く。ビネット小屋に近くなった最
後の急斜面で、Masaがビデオを取り出した。ガイドのクリストファーに全員の滑降を撮ってくれと交渉して
いる。OKが出てクリストファーは一人で先に降りて撮影準備を始めた。GOのサインが出た。誰が一番
に行くのかと辺りを見回していると、みんなが「Monta行け!」と言うので、「それでは頂きマス!」と、有り
難く一番の栄誉を頂いた。荒れたシュプール跡で滑りにくいが、適当に飛ばした滑りでクリストファーの横
へ到着。上を振り向くと2番手がスタートしたが、そのあとは怒涛の如くそれを追いかけて全員が団子状
態で降りてきた。雪質はいわゆる重パウと言うやつか。
ビネット小屋は今回の山小屋の中では標高が最高位置に有る。日本の第2位の高峰である北岳より2m
高い事になる。導入路は狭く左右は切り立った崖になっている。おまけに雪は氷化していて慎重に歩く。
日本人経営者なら、従業員に踏み段を毎日整備するように指示するだろうと思うが、こちらでは危険は
自己責任か。入口を入ると1階土間の透明ガラスを窓にした長い通路から屋外がよく見えて印象的だ。
二階の食堂ではアジア系のお兄さんが従業員に指示し、切り盛りをしていた。2Lのティーポットを作って
くれたおばさんに、もっと並々にお湯を入れてやれと指示をしてくれた。ユーロとスイスフランの計算も速
かった。スイスにはモンゴリアンが多いと聞いているが、忙しそうで、それは聞けなかった。食事はミネス
トローネのスープが印象的だ。
明日はマッターホルンが見えます様にと、ザックに入れておいたMontaのお守りラッキーチャーム6個揃
えの「13の数字・クローバーの葉・牛の角・亀・魚の骨・馬の蹄鉄」に願を掛けて抱いて寝た。

10. 6日目  4月18日

6:45Vignett小屋(3194m)−7:00(3035m)7:15−8:25Col de L'Veque(3392m)8:50−9:15(2865m)9:30−10:50
Col du Mont Brule(3240m)11:00−11:10(3095m)11:20−13:15Col de Valpelline(3565m)13:45−15:45Ski終了
(1660m)−歩行−16:05Zermat

下降160+530+145+1905=2740m(合計8620m)
登行355+375+470=1200m   (合計5790m)

 いよいよ最終日だ。さてツェルマットまで行けるのだろうか。UmeもMasaも前回は無念の涙でアローラへ
エスケープしたらしい。Umeの2004年は大荒れの天候だったそうだ。5時半朝食、6時半出発の予定だ。
 6時15分にはほとんどのメンバーは、小屋を出て外の狭隘部分を通過し、広い場所で出発の準備をし
ている。天候は快晴だが雲の流れも激しい。多難な状況も考えられる。今日は3つのコルを超えて行く。
レベックのコルを超え、やや下った辺りでクリストファーとフランキーがうなずきながら打合せをしている。
やがて言い難そうに、クリストファーが「日本人5人とスティーブは、ちょっとこちらへ来い。」と言う。やが
て切り出したのは、「スティーブ・Ume・Hira・Hiroは、俺とここからアローラへ降りる。MasaとMontaは他の
メンバーとツェルマットへ行っても良いし、仲間と一緒にアローラへ降りても良い。どちらか決めろ。」と。
MasaとMontaはためらわずにツェルマット組を希望した。Ume・Hiraはシャモニーへ戻る。Masaもシャモニー
へ戻る。Montaは皆と別れてイタリアへ旅立つ予定なので、二人とはここでお別れだ。ガスの合間に陽光
が差す印象的な風景だった。気温は−18度位で上着やザックに雪の華が咲いている。
 モンブルールのコルへは快適なシール登行の後、45度はあろうかと言う急斜面に出くわす。当然アイ
ゼンと思ったが、フランキーはツボ足だ。廻りにはアイゼンを準備する人もいるが、ガイドに信頼を置く
Montaは迷わずツボ足にする。ツボ足で肉食人種に張り合うのはよそうとゆっくり登っているつもりが段々
と差が縮まってきた。体調は益々良くなっている様だ。最後のバルペリンのコルへの登りも3500m級だ
が楽に歩けた。ピエールと「マッターホルン見たいね。絶対見えるよね。」と話しながら歩く。先頭から1〜
2分の遅れでたどり着いたコルには、マッターホルンが勇姿をかいま見せてくれた。一瞬だが全容も見え
た。速い雲の流れの中、何度かその姿を見せてくれた。写真撮影のあとは標高差1900mの滑降を残す
のみだ。実に長い。コルから2700m辺りまでは、雪も軽く快調に飛ばす。ほとんど止まらない。その後は
やや雪が重くなって滑り辛くなってきた。おまけに斜度が落ちてトラバースが多くなってくる。シャンペで手
入れをしたスキーソールは人並み以上に滑ってくれる。緩斜面で先行者に追いつく。
 2100mで一度スキーを脱ぎ車道を歩く。「オンリー10ミニッツ」とフランキーが言う。少し荷作りをして、
水分を補給していると、取り残されてしまった。ペースを上げて小走りに30分くらい歩いたが全く先行者
に追いつかない。標高も1900mまで降りたのに。その頃先行者の間では「Monta行方不明」で、ホイッ
スルを吹いたり、フランキーは登り返し、他の人は待機とか大騒ぎになった様だ。車道を走り降りるMonta
を斜面の上から呼ぶ声が聞こえた。Masaだ。道路を10分下ってすぐに斜面の中に戻ったらしい。30度
位の斜面を強引に登って目出度く合流した。やや下って待機中のジャンピエールや戻ってきたフランキ
ーとも合流した。
 コースに戻ってみれば何という事もない。何事も無かった様に、スキーコースを8人とフランキーは飛ば
す。あっと言う間に雪が途切れる最終地点に着いてしまった。本当に待たない連中だ。ここからツェルマ
ットの街までは約20分の歩行だが、これも速い。
 駅前広場に着くと、なんとクリストファーとスティーブが居る。聞けば、UmeとHiraも後で下の駐車場で落
ち合う手筈だと言う。アローラ組は大型タクシーでアローラからツェルマットへ回ってきて数時間待ったよ
うだ。シャモニー帰還組を拾ってシャモニーへ帰る事になっているようだ。
レストランの屋外テーブルに席を占領しビールで乾杯をする。「マッターホルンが見えるまで人に見せては
いけなかったんだ。こいつのおかげで見えたんだと思う。」とお守りのラッキーチャームを皆の前に出した
ら、ピエールと広告屋のアラールが「うん、6個とも判る。面白い。」と言った。ジョージが「ガイドにチップを
渡したい。」とカンパ袋を回してきたので「いくら?」と聞くが「気持ちだ。」と言う。?20を入れた。
駐車場でUme・Hiraと束の間の再会をして改めて別れを告げ、Montaは再度街へ向った。街を見物した後
で切符を買いに駅のチケットオフィスへ入るとHiroにバッタリ出逢って夕食を共にする事になった。「世界
は狭い。」彼はツェルマットに宿泊するので、宿を探すからとアローラ組とは先に別れていたそうだ。Monta
の乗る列車が出る9時まで二人は充実の6日間を祝って杯を傾けた。

11. 終わりに
 
 Haute Routeを安全に踏破するには、日本で募集するパッケージツアーに申し込む、個人ガイドを雇う、
ガイドカンパニーのオープン募集に参加する等の選択がある。それぞれのニーズに合えばどれも正解で
しょう。我々はガイドカンパニーのコースに入ったので、これに限定した報告になっている。
オープン募集コースでは、参加者のお国の山スキー事情が聞けるなどの面白さがある。反面では参加
者の質によって、そのチームの雰囲気・ペースが決ってしまう恐れがある。今回は多くの事を学べ、雰囲
気もペースも良かったが。
 道具はスキー・シール他、レンタルでも良い品物を貸すので、自分の道具に少しでも不安が有る時はレ
ンタルが良いかも知れない。山行以外の荷をどうするかも重要な問題だ。シャモニーのホテルに預け、シ
ャモニーに戻るのが一番合理的に感じる。荷物の回送は曜日と方法が課題として残った。ガイドカンパニ
ーに依頼するのはかなり高価なものについた。
 体調と体力が重要なのは言うまでも無い。高度問題は、どうしても順応出来ないと言う例は聞かない。
個人的には適度な負荷が日増しに体調を整えてくれ、帰国後かなりの期間体調がすこぶる良いというお
まけも有った。
 もう一度、行きたいかって?勿論でしょう。


12. 付録

 自分で手配したい方の為に各会社のURLをまとめておきました。

ガイドカンパニー
http://www.chamonix-guides.com/pages_stat_fr/compagnie.html
エールフランス
  http://www.airfrance.co.jp/index.html
ルフトハンザ    
http://www.lufthansa.com/online/portal/lh/jp/homepage
スイス国鉄
  http://www.sbb.ch/en/index.htm
イタリア国鉄
  http://www.trenitalia.com/en/index.html
アルティバス
  http://www.altibus.com/index.aspx
アルプスタクシー
http://www.alpestaxistransports.com/index.php?pPe=home&lan_id=5&sid=MC42MDM1MDYwMCAxMTYwODU3NjI5&id_cont=&ec=
エイビスレンタカー
  http://www.avis-japan.com/ 
ホステルワールド
  http://www.japanese.hostelworld.com/index.php



【写真】   
【動画】