第八章 助っ人がいらない日
2004年、かくと・たくやに加えて新たな戦力が加入した。最年少のテルである。彼はフーミンの紹介で一度助っ人に来、
以降毎回参加することとなる。彼の出席率はマル、フーミン、進ちゃん、アヴォと同じく抜群で、いつしかフェニックスも
助っ人なしで試合をこなすようになった。主砲のよ〜ぶんクンは仕事の都合で毎回の参加は厳しいがオールマイティのたくやが
そこを埋めれる。久しく復帰したコサックも打撃が好調。新戦力のテルも全ポジションが守れるスイッチヒッター。
フェニックスはこの9年間の中で最高の布陣を迎える。フルメンバーが揃えばどんな試合ができるのだろう。楽しみだ。
第七章 また一緒に
草野球ではありがちな話だが当チームも人数が少ない。やる気のあるメンバーはいるものの、やる気を失い返事もよこさなくなった
メンバーも出てきてしまった。試合を組んでも常に「助っ人」の3文字が付き纏う。
人数不足は深刻、フェニックスには新しい風が必要だった。
ある日主将は久しぶりに渡辺格に電話をしてみた。格は元気そうだった。主将はだめもとで野球の試合に誘ってみた。
するとまだ東京に住んでいるものの日曜が休みのため来てくれるとの答えだった。久しぶりに試合に参加した格だが
プレーは昔と変わらずみんな安心?していた。
この日初めて格と会った俊足の渡辺昇は省エネでヒット・盗塁を成功される彼に驚いただろう。この日をきっかけに格は
今までのように一緒にプレーできる日が増えていった。そして彼の紹介で彼の同級生のたくやも加入した。
たくやは貴重な野球経験者でセンスはもちろん、出席率もよく大谷フェニックスの主力となった。
こうしてフェニックスは持ち直した。
第六章 公式戦で勝った日
大会出場4回目にてとうとうその時がやってきた。7−3快勝、今年0勝6敗という成績とは思えない試合ぶりだった。
試合が行われたのは大谷フェニックスが誕生、育った場所桜井グランドだった。当時はマウンドもバックネットもある球場だったが
サッカーブーム到来で今はサッカー場になっている。野球場に戻してはもらえないのだろうか。
第五章 第2のスタート、公式戦
01年2月、木更津市の大会トーナメント表に大谷フェニックスの名前が記載された。結成6年目にして遂に大会に出場する。
そして5月13日、初戦がやってきた。8:30プレイボールという朝の早さだ。そしてみんなの協力もありなんとかベストメンバーで
臨むことができた。そして試合は淡々と流れ、主将は3塁コーチャーに行く時にスコアボードを見た。その時とてつもない事に
気付いたのだ。なんと我が大谷フェニックスが「大栄フェニックス」と記入されているではないか。『なんじゃこりゃ〜』心で喋ってみた。
あえて言わなかったがウチのチーム名が・・・こうして大谷フェニックスは気持ちよく市民大会デビューを果たしたのであった。
第四章 低迷期
00年3月、一打同点のチャンス。ラストバッター渡辺格の打球は無常にもサード正面へ。
ゲームセット。この試合を最後に渡辺格が料理修行のため東京に旅立った。
格人に贈ったメッセージボールには何が書かれていただろう。
「また野球をやろう」「頑張れ!!」「気楽に行こう」「女を紹介しろ」・・・
格人の抜けた穴は大きく1勝3敗と勝利に見放されてきた。そんなある練習試合の前日。
鈴木から「人が足りなかったら友人を連れてくるよ。そのかわり野球やったことないから期待はできないよ」とTELが入った。
人数はギリギリ足りていたが主将はその話を受け入れた。ここで「いいよ、足りてるから」と断ったらヤツの登場はなかったかも
しれない。そう、アヴォワールこと渡辺昇の加入だ。渡辺昇は主将の期待を裏切って活躍した。センス、人柄をフェニックスメンバーは
見抜いたのだろう。すぐに入団が決まった。これにより外野の再編成ができ、フェニックスは立ち直り始めた。
第三章 再会
高校卒業後地元を離れていた松野が突然草野球チームを作ろうと言い出した。実は松野は学生時代から
将来このメンバーで野球チームを作りたいと思っていたのだ。もともと付き合いが長い連中なのであっさりと
人数は集まった。チーム名はみんなで決めようではなく、松野の独断で大谷フェニックスとした。
何で大谷フェニックスか。学生時代に考えていたチーム構想のメンバーはほとんど今チームに入っているが
一人入っていない人がいる。その人は亡くなってしまった為もう一緒にプレーはできないのだった。
今のチームがあるのも彼のおかげとも思っている。チームに彼の形跡を残したい。そこで彼の考えた
大谷フェニックス(この大谷というのはある女性の名字)という名前をチーム名にし、永久欠番1を用意した。
そして市民大会への出場目指して大谷フェニックスの活動が始まった。
第二章 3強黄金時代
遊びの野球だから9人対9人でできるわけもなくだいたい4人対4人とかだった。一番少なかったのは
1人対2人。どうやってアウトにするかというと三振、ピッチャーフライ、ピッチャーゴロでも捕った後一塁まで
走ってベースを踏まないとアウトにできない。逆に打者も打ったらすぐ戻ってきてまた打席だ。今考えると
しんどい。おかげで体力はついた。当然点数は20対15とか。中学後半から高校卒業までこういった野球を
150試合以上行った。しかも全て記録が残っている。(まめな松のおかげ) 個人個人いくつかのチーム名を
もっており、なかでも泉水のプルチーム、松野のウルトラスーパーブライアンツ、重城ののりピーチームは強く、
3強を築いた。チーム名は50以上有り、このなかには大谷フェニックスというチームもあった。
第一章 出会い
中学2年の雨の放課後。野球部のミーティングで泉水のクラスに来ていた松野に泉水とその友達が
寄ってきて今度遊びで野球をやろうと誘ってきた。
そして松野は約束の日時にグランドに行ったが泉水が来ない。松野は泉水の電話番号を知らない為
友達に電話して番号を聞いてから泉水に電話をかけた。その時、とてつもないことがおきた。
ウチには進一なんていないわよ。 友達に他の泉水の番号を教えられてしまった。
結局泉水は高校野球を観にいっており約束をすっぽかしていたのだ。
いいかげんな人が嫌いな松野だか泉水とは妙に気があった。
松野と泉水を中心に次第に野球の仲間が集まっていった。