赤羽の軍需工場引込線の謎

2000/02/08更新

 子供の頃、遊んだ場所が実は軍需工場の引込線だったのです。現在東京の西が丘サッカー場のある場所がそれで、引込線は赤羽駅の荒川寄りで京浜東北線と接続していました。工場の屋根が焼け落ちて荒れ果てた煉瓦作りの工場群は、子供心にも空恐ろしい世界でした。しかしちょうどその頃は、劇画の望月先生の『秘密探偵JA(農協とはチャいます!)』が流行っていた頃でした。その影響でここでは遊び友達とおもちゃの拳銃で遊びました。

 今回は、その記憶をたどりながら3DCGを併用した地図を作ってみました。

  • 旧陸軍兵器支廠の概略図です。
  • かなり広い敷地があり、屋根が焼け落ちた煉瓦造りの工場が立ち並んだ姿は、異様なものでした。
  • 工場は約20年前に立ち入り禁止になり、建物に光電管による侵入感知装置が設置されていました。
  • 約30年前の引込線の貨物駅は、背丈程もある草薮のなかに埋もれていました。この区画は鉄条網で仕切られ警備員が監視し、立ち入り禁止になっていました。
  • 引込線貨物駅の跡地あたりには西が丘サッカー場が作られ、その他は団地になっています。
  • 唯一の痕跡としては、旧陸軍兵器支廠の南東(環状七号線寄)に煉瓦造りの塀が残されているだけです。
  • 旧陸軍兵器支廠上空から赤羽方面を眺めた概略図です。
  • 自衛隊赤羽集積場は、公園にするための造成中のようです。30年くらい前にはここの引込線貨物駅ホーム(露天)近辺、にシャーマン戦車やチャーフィ戦車などが放置されていました。それらは鉄くず業者に払い下げられて順次解体し引き取られていき、現在はなにもありません。
  • 自衛隊赤羽集積場の引込線の右横には、飛行場の格納庫のように大きな倉庫?があります。この中には、使用予定があった戦車などを保管していたのでしょうか? しかし事実がどうなのか分からないまま消えようとしています。
  • 自衛隊赤羽集積場の引込線入口から、旧陸軍兵器支廠を眺めた概略図です。
  • 自衛隊赤羽集積場の引込線入口近辺には、大量の空薬莢や錆びた小銃らしき金属部品などが散乱していました。入口外の赤羽寄りにはプラットホームがありました。
  • 自衛隊赤羽集積場の引込線の中には露天のプラットホームがあり複線だったと記憶しています。現在、その痕跡を外から眺めても、横の一般道路が拡張されたために確かめることはできません。
  • 荒川上空から南方の旧陸軍兵器支廠を眺める概略図です。
  • 旧陸軍工兵作業場附近の線路跡は細長い公園になっており、路面には線路のシンポルがタイリングされています。しかしその由来に関する説明などは残念ながら見当たりません。
  • 30年くらい前には、地元の子供が線路で保線の手押しトロッコを押して遊んでいました。
  • 赤羽駅の北の荒川方向の八幡神社が引込線への分岐点です。現在は線路が撤去されておりその空間だけが線路が存在したことを物語っています。

 

  • 『強者どもが夢の跡』という話しがありますが、おそらくそれだったんでしょう..............。夕暮れ時のゴミだらけの引込線をあてもなく徘徊する夢を時々見ます。
  • 自分の父の同僚は度重なる空襲の中、兵器支廠で軍属として働いていたそうです。自分が戦車などのミリタリー物を作る時、日本ではなく欧州を中心に選ぶのは、戦争の生々しさから逃避しているからかもしれません。
  • いずれにせよ戦争をしてはいけないという記念碑になるべき軍用引込線と軍需工場は永遠に消滅してしまいました。

 以上、赤羽軍用引込線についてのレポートでした。

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