北海道旅行

8月7日

彼は、過去4回北海道に来ている。 今度が最後だと言っていたが、どうだかわからない。

今度来るんだったら 彼女とバイク2台でいっしょにきたいと言っていたが、彼女はいない様子。

東北自動車道をぬきつぬかれつしているうちに顔見知りになりサービスエリアにて言葉を交わす。

親しみやすい顔をしている。言葉も丁寧で好感を持てる。とは青森のフェリーもいっしょで

フェリー乗り場の食堂で飯とビールを飲食する。酔った勢いで会話が弾んだ。そうこうしている内に

出発の放送があり(16:55発)バイクのところに戻り待機するが、なんか放送の意味が理解できず

周りの人に尋ねると とっくにバイクはフェリーの中にはいっていて 扉が閉まりかけていた。

あわてて 係員が大声で叫び再び扉は開き無事に乗れた。船の中で新美君は寝る一方で

(僕と一緒で徹夜で走っている)ぼくは、フェリーがめずらしいので船内をうろうろしていた。

そして4時間が過ぎ、いよいよ北海道へ上陸するときがきた。時間はPM8:00もちろん暗い

そのまま彼とは別れようかなと思ったが泊まる宿を探すと言うことで ついて行ってしまった。

すぐにきまった。ララポートというビジネスホテルで北大の前にあり、自分も泊まることにしてしまい

その夜は一緒の宿になる。昼間ビールを飲んだようにその夜は函館の町に飲みに行く。

本家函館あかちょうちん、ビールはキリンだった。焼き魚がとてもでかい。大阪からきた女の子2人組み

とわいわいやり 明日の為にホテルに帰り寝た。

8月8日

朝6時に目がさめ朝市に行く。すでに観光客で賑わっていた。市場のラーメン屋で朝飯を食べようと思ったが

人がいっぱいなので市場の店に目を向けた。すぐに目についたのは毛がにだった。毛がに売りのおねえさんは

しっかり者で結構ベッピンさんであった。なぜか毛がにを買ったらゆでとうきび(とうもろこし)をくれた。

その次はジャガイモ、働き者のおばちゃんが人なつこく話し掛けてくる そこでも買った。おまけに名刺もくれて

今度電話して注文してくれと言った。やはりしっかりものである。

買い物が終わり(買い物はすべて宅配の手続き)朝飯を食べる。函館ラーメン(かもめラーメン800円)海の幸

が7、8種類くらい入っていてゴージャスな味噌ラーメン。なかなかうまい 中に入っていた蟹は毛がにではなく

ズワイ蟹だった。 ウニ、イカがとてもおいしかった。そして 朝市をあとにし苫小牧方面に進路を取った。

苫小牧は霧が出ていて寒かった。そして 新美君とは途中で別れ彼は帰りのフェリーを予約に行き

ぼくは 千歳空港に進路を取った。もちろん考えていることはいっしょで、帰りの予約を取るためです。

その結果、13日504便10:30発がとれた。金額は5万円くらいで高いのだが旅の締めくくりに

徹夜で走ったに距離を空から見てみたかったことと時間が早いこと それに何よりひこうきに

乗りたかったからだ。バイクの運搬賃はほぼ人一人分であった。13日は9時までに空港に行かなくては

ならない なんだかんだと予約に時間がかかり支笏湖のモーラップキャンプ場で一夜を明かす。

宿泊代250円を取られる場所で湖の湖畔にあり 設備は整っている。北海道に来て始めての

野宿である。その為にテントなどとても多くの荷物を積んできた。今こそその真価を発揮する時がきた。

そこでは群馬の桐生高校2年生清水君と出会った。なかなかかわいい顔したハンサムボーイである。

すぐに友達になる。彼はもう明日フェリーで帰る最後の夜であり僕にとっては絶好の情報源となった。

彼はチャリンコ小僧で1日150km走ったそうだ。気合が入ると180kmになったそうだ。

それほど走るにもかかわらず時々キャンプ場が見つからず何度か半べそかいたなどと

面白い話をいっぱいしてくれた。僕は ロックビール(北海道しか売っていない)と氷を買ってあったので

二人でそれを飲む。彼は冷奴を食べたくて豆腐を買ってありそれをつまみにした。

この高校生は酒もタバコもしっかりやる学生で大学生ではないかと錯覚してしまった。

ふだんの生活では年上の人と遊ぶことが多いそうでそれで覚えたのだろう。彼の口癖は

なんにつけ「おっしゃれ〜」と言う言葉だった。そして夜もふけていった。

 

8月9日

朝5時30分ごろ目がさめたらいきなり小学生くらいの少年がカレーを持ってきてくれた。

清水君はまだ寝ていたが無理やり起こしもらったカレーを半分渡し早い朝食を食べた。

先を急ぐ僕はそそくさと身支度しキャンプ場を後にし道東を目指す。

いよいよ北海道を思いっきり走るぞ と意気込んで 再び苫小牧に出て目指すは

日高ケンタッキーファーム 牧場風景を見たくなったからだ。苫小牧の235号はわりと一直線で

何もない ほこりっぽい感じであまりよくなかった。しかし 一人で走る楽しさをひしひしと感じていたので

気分壮快どんどん距離をのばした。海沿いの道なのにいっこうに海が見えず左は丘のようで右は平原

のようで 砂利の山や石油タンクの備蓄基地が目に付いた。それにしても道は淡々としていて真っ直ぐ

続きスピードに乗る。そうこうしていると日高ケンタッキーファームへと結ぶ道が近くなっているのを感じた。

ふと前を見るとケンタッキーファームと書かれたワゴン車が前を走っていたのでラッキーと思い

ついていく。ファームの看板が出ているところを曲がり自分も曲がる。 

道が一変して変わり牧草地帯となってきた。 放牧馬もポツリポツリと現れ始め眺めが最高になる。

何度かバイクを止め写真をとる りっぱなサラブレットで毛並みもすごくよく特に黒馬は

周りの緑とあいまって大変美しかった。そして目的地に着いた。ついたのはまだ早い時間で

9〜10時ごろ ファームの近くにはキャンプ場があった。ファームの中には入らず景色だけで満足した。

そして再び出発 道は237号へつながった進路を帯広方面にとり池田にあるワイン城に行きたいと思い

バイクを走らせる すると二風谷と呼ばれるアイヌの里へ出たので土産物屋にたちよる

愛想のいいおじさんが外で木彫りをしている。店の中も雰囲気がよくほんわかムードの人たちがいて

すぐに僕のところに近づいてきて土産物の説明とどうだこうだと商売を始める。牛乳を一杯飲ませてくれた

そこではコロボックルと マリたんの土産を買い宅急便で送ってもらうことにした。

コロボックルとはアイヌの魔よけでその彫った木に魔よけの力があるとされている。

あまり長居をするとお金を使ってしまいそうなのできりのいいところで店を出た。

出発する時 木彫りのおじさんが手を振って見送ってくれた。そして平原のような山間を淡々と走る。

苫小牧の時の海岸線とは違い実にのどかな道であったがとても暑かった。朝飯を食べていない僕は

そろそろ腹に何か積めようと思いドライブインに寄る。そこでジンギスカンを食べた(1100円)

腹ごしらえも終えまたバイクにまたがる。そのとき持ってきたカセットを聞きながら走る

なかなかいい気分。やがて274号にさしかかりガソリンスタンドを探す そろそろガソリンが

なくなるころだった。ちょうどそこにホクレンというスタンドがあったため立ち寄りガソリンを

補給する。すると 北海道賛歌と書いたカセットテープをくれた。家へ帰ったら聞こうと思い

そのままバックにしまった。あまりに景色に変化がなくなってきたせいかあまり感動はなかった。が

バイクはすこぶる調子がよかった。ひさしぶりに峠のようなみちにさしかかり各コーナーを

気持ちよく曲がっていったがそれも長くは続かずまた平坦な道がつづく。日差しがとても暑く

止まっていると暑いが走り出すと風が冷たく感じる。もうどのくらい走っただろうか。

ようやく帯広に到着する。まあまあ開けているように見えるがやはり田舎っぽかった。

もうすぐ池田町、ワインが楽しみ。やがて町が近づいてきたため、速度を落とす。

北海道は町の入り口でよく取締りをするそうだ。注意して先をうかがう、どうやらやっていないようだ

景色は右側は山、左は広大な土地が広がる   かなり走ったがなかなか池田町に着かない。

不思議に思い立ち止まり地図を見直すと なんと道を間違ってすでに20〜30km以上通り過ぎていた

戻ろうかどうしようか迷ったが時間がおしいため先へ進むことにした。実は北海道にきた一番の目的は

北海道一周と最北端の地だった。その為もどることができなかった日程もぎりぎりの設定になっていた。

そしてそのまま走りつづけてしまった。が心の中では(会社のひとに頼まれたワインどうしようか?)と

後ろ髪を引かれる思いがしたがまだ先は長いどこかで見つけようと思い走り続けた。

そして釧路に向かった。 山道が終わり海岸線にでる 山道に飽きたところなのでちょうどよかった

釧路に近づいていくに従い車が多くなってきた 関西方面のバイク集団やらと なんと女ライダー一人旅にも

出くわす さらに驚いたことは沼津ナンバーでアオヤマステッカーだったこと。あまりに奇遇で親近感も沸いたが

相手にされなかった。よく見るとそれほどわかくなさそうなおねえさんで250ccSRXを乗っていた

いい土産話ができたなと思った。

釧路の町はあまりきれいではなくなんとなく清水市に似ていた。舗装状態があまりよくない

建物がさびれている感じがした。そして391号を探し迷ったがいずれ見つかり

塘路湖(とうろこ)をめざす。途中ノースランドと書かれた看板とその方向に未舗装道を見つけ

寄り道をする 車 人が見当たらない湿地帯であり心細くなった。どんどん深みにはまりそうなので

途中で引き返した。そしてその道のすれ違いに沼津ナンバーの彼女に合いサインを送ったら初めて

笑顔を返してくれたのでうれしかった。彼女はそのまま奥地へと消えていった。ここは野鳥の

観察地域のようである。またもとの道へともどる。釧路湿原は北海道ならではの広大さを

持っている。とても眺めがよい。 そして 塘路湖についた。今夜はここでキャンプをしようと思い

近くの店に買出しに行きシートとカップヌードルとカップ味噌汁を買った。ここにはめずらしい

ザリガニを売っていた。青白い蛍光色に光っていた。店のおばさんに温泉はないか?と尋ねたら

この先のシラルトロ沼に温泉があるしキャンプ場もあると言われ塘路湖のキャンプ場を一目見て

シラルトロ沼へ向かう。しばらく走り沼が見え始めテントを張った一帯が見えてきた「あった!」

と叫び近づくが何処が入り口かわからない?探すが見つからない。よく見ると沼の反対側のようだ

しばらく走っていったら沼から離れてしまった。がやがて入る道が見つかりキャンプ場に着く。

沼と言ってもビックリするほど大きかった。キャンプ地に着いてまもなく 東京の2人組と知り合い

その横にテントを張った。いろいろと話をした。この二人は同じバイクに乗っていてお金がなくなり次第

東京へ帰るという実にのんびりした旅で先を急ぐ僕にとってはうらやましかった。一人は専門学校生で世田谷の

道路が前にも後ろにも上にもあるという家で年中日陰暮らしをしていると説明くれた。言い方がおもしろく

笑ってしまった。もう一人はバイク雑誌モーターサイクリストのあるページを担当している会社に勤めていて

彼自身も何度か雑誌に載ったらしい。とても人なつこい2人だった。

このキャンプ場はいこいの家にて申し込み書を書くようになっていた 入浴料は300円だった

テント張りをした後(親切に手伝ってくれた)速攻で風呂に入りにいく。ひさびさの風呂は気持ちがよかった

結構人で賑わっていた。

風呂に入り終わり先ほどのお礼にと彼らの分のビールも買ってキャンプ場にもどる。またこれも北海道にしかない

サッポロクラシックというビールだった。味はライト感覚のバドに似た感じだ。自分のいない間に彼らは夕食の準備を

していた。ジャガイモをやわらかく煮てにんじんとたまねぎを油なしで炒めていた。見かねて持っていたシーチキンを

差し出した。これですこしはまともになるだろうと思い「これで僕も食べる権利あるね!」と笑って言った。

彼らは快く夕食に招待してくれた。まあまあの味カレーのルーが入っていないような味で煮物に近かった。

買っていったビールを3人で飲んだ。食事をしながらいろいろな話をして 記念写真を撮った

二人はそろそろ風呂に行くといったのでぼくはテントの中に入り身の回りの整頓をしたり買っておいた

少年ジャンプを見たりしてくつろいだ さすがにつかれ眠くなる。彼らが帰ってきたのがわかったが

眠いので出て行くのをやめた。一人が「もう少し話したかったな」と言っているのが聞こえたが「ごめん」と

心でつぶやいた。その日は9時ごろ寝てしまった。

どのくらい時間がたったのだろうか?外で騒がしい耳ざわりな音が聞こえる、やさしい音だがやけに不愉快に

させる。それは雨の音だった。ポツンポツンとテントにあたる音 一気に目がさめたそしてショックだった

2日目の野営で雨に降られた 時折雨脚が強くなる 完全に目がさめ時計を見るとまだ0時を指したあたり

しかし テントの中はじめじめとせず快適だったがテントをさわると冷たく 気がめいってしまった

そして湖畔でだれかが水汲みしているような音が聞こえる、なんかドキドキしてくる、たしかめる勇気はない

人なのか動物なのかそれとも・・・・・・・とにかく手元に武器をと思いナイフを置いた。

そして おしっこがしたくなった もう我慢できない。勇気を出して外に出た スリル万点で薄暗い沼を見ながら

立ちションをした 何も見当たらなかった へんな音も聞こえなくなった。安心してテントに戻り深い眠りについた

 

 

8月10日

 

今朝も5:30に目がさめた。最近早起きになった。すぐに出発の用意をし始めた。

まずは顔を洗いに行った。回りでもぼつぼつと人が起き始めていた。しかし彼らは

いっこうに起きる気配がない。出発の準備ができ再び彼らの様子を伺うがさっきと変わらない

彼らに挨拶して出かけようと思ったが、寝ているところ悪いので”また会う日まで”と書いた紙を

バイクのタンクに貼り付けそっと出発した。昨夜の雨はやんでいたがあいにくの曇り空で

再び雨が降りそうな天気。いつもより少し寒くそして暗く感じた。が雨は降らないと決め付け

気合を入れる 道路は幸い乾いていた。朝一の走りを満喫した心地よかった。

目指すは摩周湖。道の両ぎわは牧場風景で緑のじゅうたんが敷き詰められている

牛もいる その間を走り抜けていった。

摩周湖の入り口に差し掛かりその道に入ると山をだんだんと上るまっすぐな道になっていた。

カメラに収めるくなるような道だ。それから緩やかなコーナーの道へと変わる。山を上るに従い

霧が出てきたそしてだんだんと濃くなり見通しが悪くなってくる 10m先もわからなくなってきた

ほんとに”霧の摩周湖なんだなあ”と妙に納得してしまった。

摩周湖に着いた。相変わらずの霧のため景色があまりよく見えないが 一瞬 湖の真中にある

カムイシュ島(神島)が見えた。そしてまた消えてしまった。

売店でホットコーヒーを飲んで温まりそして出発する。また霧の中を走る どうも今日は天候がおかしく

重い 予定より少しずつ遅れ始めていたため早足になる 知床横断道路を走りたかったが今日中に

宗谷岬に近づきたかったため途中断念し 網走を目指す。小清水原生花園近くで急に寒くなり

服を着込む とても寒い そして網走に着くが町の入り口で検問をやっていた おまわりさんに近づくと

急に赤旗で進路を遮られる。ドキッとして止まるが交通事故防止パンフレットを渡されただけだった

それから 車の速度が遅くなりスローペースで市街に入っていった。駅前を通り博物館を通過しそのまま

網走を出る。そしてサロマ湖が見えた 右に眺めながら走るがいっこうに湖は切れずその大きさを知る

立寄る気にもならず無視するが行けども行けどもサロマは消えない。そうこうしてだいぶ長い距離を走った

やがてサロマ湖は姿を消しオホーツクが顔を出す。浜辺の色が赤茶色で不思議だった。海の色は

水色をしていた だんだんと町から外れていることがわかるほど景色に変化がなくなってきた

今日はとても長い距離を走っている。お尻が痛い 頭の中は宗谷岬しかなかった。

日が沈むまでにはまだまだある ひたすら走る。ノンストップ700km走れるように改造した

我がマシンの真骨頂だった。平均時速は80km/hいいペース 北海道に入って始めてのロングランだった

そして景色が宗谷に近づいていることを教えてくれるがごとく色、形が変わってきた。木が一本も生えていない草が茂った

ちょうど坊主頭のような丘が続くようになり 建物もひとつもない 無人島にでも来た気分だろうかすごく孤独感を感じる

日もあと2時間くらいで暮れることだろう。はやく着きたい。やがて宗谷10kmの看板を目にする。あともう少しだ

そして道が高い丘を上り始め 今は丘の一番高い所を走っている。海の方向はすでに断崖絶壁で海面がすごく低く見える

とても眺めがいい ほんとにきてよかったと実感できる

そして道が下り始めまた海岸を走るようになり ついに陸の先っぽが見えた。バイクはガス欠寸前になっていた ギリギリの

ところでスタンドを見つける。スタンドの店員はバイクに興味を示しいろいろ質問してきた そしてとても親切にしてくれて

「20リットル以上もいれてくれたお礼です」と言ってお土産をくれた。そしてついに最北端の地に着いた。

宗谷岬に立ち 自分の目標を達成できたことに喜びを感じた。

写真を撮ったり 店で旗を買う それをバイクに付けバイクに感謝する。

少し ぼ〜っとしていたが もうすぐ暗くなってしまう。ねぐらを探さなくてはと思い稚内に向かう。気候がとても寒いので

旅館に泊まりたかったのだがそんな余裕がなさそうなので予定の地 森林公園キャンプ場へと向かう。

小高い丘の上にあり稚内湾が一望できる眺めのよいところで安心する。きょうは町の祭りのようで賑やかだった。

キャンプ場はすでに人でいっぱいで家族づれやライダーが多かった。そして、湾が一望できる場所にテントを張る。

栃木の少年の言葉がよぎる。「山に泊まる時はカラスときつねに気をつけたほうがいい」なんかそんな気配を感じた

テントから上体を出し夕飯の用意をしていたら暗い空が突然明るくなりドドオ〜ンと地響きのような音がした

夜空にきれいな花が咲き始める。「今日は花火大会だったんだ」と突然の出来事に感動してしまい

しばし夜空を見入ってしまった。とてもきれいだった。この場所は少し小高い所にあるため花火が目線と同じ高さで見える。

空の上に浮かんで見ているような感じがした。とても寒かったため熱いコーヒーやブランデーのお湯割で体を

暖めた。そして、持ってきたアルファ米雑炊を食べしばし花火鑑賞をしたがやがて終わり テントを閉め

ほろ酔い気分で寝る。

 

8月11日

今朝は6時半に起き、インスタントコーヒーを眠気覚ましに飲む。今までになくのんびりした朝を迎える。やはり

目的を達した安ど感からだろう。ゆっくりと荷造りをしてキャンプ場を出る。すぐそこのノシャップ岬へ行き

写真を撮る。ハーレーを乗ったおじさんが先乗りしていた。岬を後にして日本海方面に向かう道道909号にはいる

人も見かけず車もすれ違わない時間が過ぎていく。天気は回復に向かっている様で晴れ間が多くなり日差しがまぶしい

バイクの心地よい音と風の音以外何も聞こえない道はただ真っ直ぐ伸びているだけで長い時間ずっと変わらない

自分が空気の中に溶けているのではないかと錯覚するほどだ。そして我に返ると今度は大地の広さ海の広さ

の中で自分だけが突起している感じがした。そしてまた自分が透けていく感じがする。

今までに感じたことのない何ともいえない開放感があった。

 

気候も暖かく だいぶ南下してきたことを感じる。海水浴場もあった。忘れていた季節を思い出す。

留萌(るもい)まではゆったりした道が続きそこをすぎたあたりに久しぶりに峠道にさしかかる。ヘアピンコーナーが続く道だ

バイクが右へ左へと傾く。久しぶりの感触だ。トンネルがいくつも続き真っ青い海が見え隠れする。絶叫しながら走る

なんで次から次から感激してしまうんだろう。

しばらくしてから感激が終わり、今日のお宿を予約する。今日の予定は札幌のYH(ユースホステル)!

札幌オリンピックのジャンプ台が近くにあるところで楽しみだ

そろそろおなかがすいてきた、飯屋を探しているがそれらしい建物が見つからない

やっと喫茶店を見つける。アメリカンファームという牧場の喫茶店でバーベキューを注文する(1300円)

朝飯を食べずに活動している僕にとっては昼飯が唯一まともな食事なのだ。夜も比較的軽く済ましてきた

昼飯だけは豪華にと思っていた。今日は牛肉にありつけた。なんか少し胃が小さくなったせいか食べきれなかった

満腹感を感じたせいか動きが鈍くなるが、予定より早く札幌入りをした。ビルが立ち並ぶ都会だ。大通り公園はすぐわかった

テレビ塔があるが東京タワーの下半分がない感じでおもしろかった。時計台がなかなか見つからない、どこだどこだとキョロキョロ

すると なんとビルの谷間にはさまれていた。今まで写真でしか見ていなかったのでこんなところにあるとは思いもしなかった

思わず自分の腕時計を見たら3分くらいずれていたので、時計台の時刻に合わせる。

そうこうしてYHに到着する。ほんとうにすぐそこにジャンプ台があった。今でも練習に使用されているそうだ。

YHに入りこじんまりした部屋へ案内される 4人部屋であった。すぐに身軽になりたくて服を着替える。

再び札幌の町に繰り出す。大通り公園をゆっくりみるが、カップルばかりで目のやり場に困った。

地下街へ行き地下鉄に乗り 札幌駅やすすきの へ立寄る。ラーメン横丁を探すがわからず

たぬき通りの魚屋のお姉さんに聞く。小さな路地に店がひしめいていた。列を作っている店や

それほど混んでいない店などさまざまで、ぼくはほどほどに人がいる店を選んだ。

味噌ラーメンを頼むと景気のいい声で「味噌一丁」と返してくれた。このラーメン屋に決めるまで

3往復してしまった。味は絶品とはいわないがこくがありおいしかった。

そしてYHに戻る。人がいっぱい来ていて、いろんな人と話をする。そうこうしていると

8時半になり YHのミーティングが始まるため食堂に集まる。館長の話が始まる。

館長の話はとても面白く北海道のことがよくわかった、旅の始めにここによっておけば

また違った見方ができて面白かったかもしれないと思った。

ミーティングが終わり 90m級のジャンプ台を見に行く9時まで営業しているということだったので

急いだ。ジャンプ台のてっぺんまでリフトに乗っていく。こんなにも急なところ(45度)を滑走していくかと

思うと恐ろしくなった。てっぺんにつき景色を見下ろす。札幌の夜景がとてもきれいだった

冬はどう変わるのだろう? そんなことを思いながらまたリフトにのり降りて YHにもどり寝る。

 

8月12日

 

きのうの夜からぽつりぽつりしていた雨が今朝本降りになる。

8時30分から秋本選手(ジャンプ)達が練習するということだったが雨のため様子を見ているようで

いっこうに始まらないので雨の中 YHを出発する。ほんとは練習風景を見ようとしていた70m級ジャンプ台へ

寄り写真を撮る。坂道を降りるところでYHの人たちを見かけ手を振りお別れをする。町に出て日本航空に

予約確認をし銀行にお金を降ろしに行く。雨がひどくなりブーツの中まで水が入ってきて合羽を着ていたが

どこからか進入してきて服まで湿ってきた。顔にあたる雨が痛い。支笏湖方面を目指す。山道になる

ちゃりんこ族がびしょびしょになりペダルをこいでいた。今日は悲惨な日で最後の夜をキャンプで

すごそうと思っていたがそれがかなわぬと思いつつ天候の回復を祈った。

支笏湖へ行く途中オコタンペ湖へ立寄りキャンプ場を見学に行くがテントは一張りもなく車が2台だけ

止まっているだけでホテルも営業していなかった。ホテルのロビーに入れたのでそこで雨宿りをしながら

タバコをふかす。公衆電話があったので宿の予約を試みる。支笏湖YHに電話したらこころよく承知して

くれたが最後の夜くらいゴージャスに過ごしたいなと思い支笏湖観光ホテルへ電話してみる

急な予約にも即対応してくれて今からでも入れると言われホテルでゆっくりしようと思い立つ

昼間から温泉に入りたくさんの料理に舌鼓を打つ。毛がにも出た。

今日で北海道ともお別れ、このツーリング計画は2ヶ月前から準備していた。計画どおりとは

いかなかったがあっという間だった。しかし 一生の思い出として残った。

(ここまでが小さな手帳に書いた日記です)

2000年2月

あれから12年経ってしまった。ぼくもいいおじさんになった。

この日記をふと机から発見して読み返し当時のことを思い出す。

忘れかけていた記憶が蘇る。

あれ以来北海道へは行っていない。

ぼくの北海道は12年前で止まったままになっている。

何回と行かないところがいいことなのだろうか?

また同じことをやろうと思ってもできないだろう。

もしまた行くことができたら

今度は妻、娘たちと一緒に新しい北海道を見つけに行きたい

そして今度はのんびりと。

 

 

 

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北海道特別編も予定しております。