マイコラム MyColumn
このコーナーは、夜11時から放送されているニュースJAPANの麻生太郎氏のコラムを真似て、言いたいことを言ってみたくて始めましたが、今、「書きたい症候群」にかかり始めました。実は、社会人なりたてのころ、田舎から出てきたばかりで、ホームシックにかかり、そのころいろんな本を読んで勇気付けられました。本を書いて人を勇気付けられたらいいなと漠然と思ったのです。そのころは毎日、読書はもちろん、日記や小説のマネゴトを書いたりしていました。ところが、生活に慣れ、都会の遊びを覚え始めてから、すっかり、その生活パターンは変わってしまいました。(でも日記は3年はつけていた)
ホームページを作りはじめてから、眠っていた当時の感情が、タイムカプセルを開けて飛び出して来たかのように、沸き起こってきたのです。司馬遼太郎氏の著作に出会ったことが遠因になっているかもしれません。あなたは「自分の価値観を変える本」に出会ったことがありますか?
も く じ ●文化の違いを理解する(香港その2) ●九龍を歩く(香港その1) ●2001年に思う ●短い物に巻け ●菜の花忌に思う ●情報のコーディネーター ●インターネットは安全か ●鮮度が命 ●発信主義 ●この国のかたち
文化の違いを理解する 香港紀行その2 (2002/02/12)
日本(仙台)から飛行機で4時間で行ける香港。顔や体型は似ているが、思考、文化、生活環境が全然違う香港の人々。 香港に行って一番思ったのは、日本の常識は、香港では通用しないということ。言葉は少々の英語で通じるが、考え方が丸っきり違うということを自覚しないと、楽しい旅行は出来ないことを痛感した。観光に来る日本人を、香港の観光に携わる人々は、ビジネスライクにしか見ていないと思う。 フリータイムに行った下町の食堂のおばさんや、ホテルの近くのパン屋のおじさんなど、一般の香港人(中国人)は人が良く、すごく親切だが、現地の添乗員タム嬢(HIS契約)は、観光案内もそこそこに自分の契約する店?のパールクリームや鉄観音(烏龍茶)は破格だと、バス移動の合間にバンバン宣伝するし、自分が勧めるレストラン以外は美味しくない、食事付のオプションツアーをしつこく勧める。ツアーで廻ったコースも、買い物ができる場所は、香港ってあまり安くないなと思われるところばかり。(多分バックマージンの入るところだけを廻ったのだろう?) ツアーで行った宝石加工工場「JC」の販売店員、絹製品「絹の都」の店員、政府公認というふれこみの漢方薬店の店員もしかり、片言の日本語を武器に、2、3人で客1人を囲み、しつこく商品を勧める。極めつけは、同行したカメラマン。集合写真やスナップ写真を撮り、ツアーの最後に各人に配ったので、ツアーのサービスで無料だろうと思って受け取ってみると、1枚当り60香港ドル(1000円程度)の値段が書いてあり、高いなと思いながらも、しかたないと思い3枚買ってしまった。
しかし、考えれば彼ら彼女らは、生活のために仕事をしているだけであり、これは、悪徳商法でも、サギまがいの行為でもなく。香港では当り前のことだ割りきれば良いだけだと思った。いらないなら断れば良く、相手のせいにして被害者意識を持つのは日本人だけではないのだろうか。自分を撮ってくれたのだから、それを買わないといけないと考えるのは間違いで、相手は、断られることも承知で、買ってくれと言っているだけであり、日本人が考える「仕方ない」「マア良いか」という気持ちは香港では通用しないということを今つくづく思った。
これらのことを理解すれば、楽しめるのが香港だ。
九龍(カオルーン)を歩く 香港紀行その1 (2002/02/11)
2月7日(木)〜10日(日)、3泊4日の日程で初めて香港に行ってきた。香港は、東京都のほぼ半分の面積だが、山が殆どで平地は全面積の10分の1、そこに700万人が住む超過密都市である。香港空港から九龍(クーロン、広東語でカオルーン)地区にバスで向かう途中、20〜30階建ての細長いアパートが林立している風景を見る。現地ガイドによると、一般人は1ルームに7、8人で住んでおり、ベットは2、3段が当り前らしい。(公営アパートは、築20〜30年で家賃\8500、風呂・トイレ共用) 外食が多いというのもうなづける。 香港は、建設ラッシュで至るところで、高層アパートが建てられている。足場は、暑さのせいで鉄は使われず、竹とビニールテープだけで組まれており、セーフティネットはあるものの、地上70〜80mのところの作業には勇気が必要だろう。作業員の日給\20000、転落死したら、遺族に10万HK$・ホンコンドル=180万円が支払われるらしい。
初日はフリータイム。午後4時に九龍半島のほぼ中心に位置する、油麻地(ヤウ・マ・ティ)の上海通(シャンハイロード)に面したドーセット・シー・ビューホテルに到着。荷物を置いてすぐ、シャンハイロード、途中からネイザンロードを半島の先端に向かって南下、油麻地(ヤウ・マ・ティ)〜佐敦(ジョーダン)〜尖沙咀(チム・サア・チョイ)を往復した。九龍の繁華街を6時間ブラブラ歩いたが、革靴を履いていたWifeの足が棒のようになり、足の裏に豆が出来た。地下鉄を利用すると、油麻地(ヤウ・マ・ティ)から、ショッピングモールやブランド店が多い尖沙咀(チム・サア・チョイ)までの片道は、所要時間7、8分、運賃は4HK$(\70)である。
宿泊先のホテルがある上海通は、下町の日用雑貨店街で、台所用品や仏壇、道具店が多く、一歩、路地に入ると、食堂の裏でタライで食器を洗っていたり、ダンボール箱に果物が野積されていたりと、現地の生活がかいま見れる。(魚の腐ったような臭いとゴミの多さに驚くが・・) また、市場は魚、肉、野菜、果物が5HK$(5ホンコンドル=90円)程度で売られており、その姿のままの鶏や豚の顔皮の燻製がつるされていたり、生きた蛙をさばいているのにややビックリする。旧正月(2/11〜)前で、赤地に金色の文字の大きな札や飾り用の橙(だいだい)の木が売られていて、香港の一番にぎやかな時期に訪れたのかもしれない。
九龍のメインストリート・ネイザンロードは夕方から綺麗なネオンに彩られ、人と車の多さ(車優先らしい)に驚く。横断歩道の信号は殆ど守られず、車の前を平気で横断する。 また、年末(旧正月前が年末)の警戒のためか、やたら警官の姿が目につく。年末商戦でどの店も安売りの張り紙をしており、10坪程度の広さの店が多い。ブティックはチョット日本では着れないような、安っぽくてひと昔前のような洋服が多く、香港大手の裕華國貨(ユー・ハ・デパート)も、作りは立派だが、お土産売り場以外は、品数と品質は日本の地方のデパートより劣る。 香港の1日は朝遅く、夜の12時でも人通りが絶えない。店も11時頃まで開店しており、夜店は12時以降も開いている。セブンイレブンが多く、ミネラルウオーター(4HK$=\70)や缶ビール(6.5HK$=\110)、軽食や雑貨は24時間手に入る。香港は眠らない街「不夜城」のようだ。
2001年に思う (2001/01/05)
去年の正月にインターネットを始め、2月初旬には、このホームページを開設した。その時の予想と違うことが2つある。1つはこのHPへのゲストが1000人を超えたこと。リピータがいるかは不明だが、電子メールでの知り合いも何人かできたし、うれしい誤算である。2つは、ホームページの更新の難しさを痛感したこと。最初は、あれもこれもと色々なアイディアを持って、多くのページを増殖させ、ここ以外にも、無料のプロバイダに3つのホームページを開設したが、そのうち2つは、月一の更新も行っておらず、休眠状態でいつ削除されてもおかしくない。「継続が命」と思ってはいても、ついつい言い訳を考えてしまう。今年は、年賀状にこのホームページのURLを入れて100枚程度だしたし、初心に返って内容の充実に務めます。 それにしても、この1年はインターネットの進展は目覚しい。利用者はiモードが貢献しているとはいえ、2000万人を超えたし、「ADSL」や「フレッツISDN」など定額のつなぎっぱなしのサービスが次々の登場した。 通話料の値下げ競争も始まりそうだ。
短い物に巻け1 (2000/7/26)
最近アタマの片隅から離れない言葉がある。「平成改新」・・・ 大前研一氏の著書に「平成維新」があり、大変興味深く読んだが、その提言は、日本をアメリカの州政府制のように、権限を地方分権化した「道州制」の導入など、当時の状況では受け入れがたいほど斬新過ぎた。しかし、今の日本は、当時より、大前氏の提言を受け入れ易い状況になっていると思う。理由1:インターネットの急激な発展は、日本各地からの情報発信を可能にしているし、実際その発信が始まっている。理由2:電子メールの普及は日本語の再考の契機になりつつある。理由3:日本のマンガ、ゲームソフトが世界で認め始められている。理由4:村上龍氏や司馬遼太郎氏のように、日本の現状を憂える作家や文化人が、作品を出している。etc・・・ 日本を再認識すべき時期に来ているのではないか、「長い物には巻かれろ」に象徴される「村文化」が通用しない世の中になってしようとしている兆候ではないだろうか・・・ <つづく>
菜の花忌に思う (2000/2/28)
2月12日が故司馬遼太郎氏の命日であり、氏が好きだった花にちなんで「菜の花忌」ということを昨日知った。司馬ファンを自認する者としたことがついうっかりしていたと反省している。しかし「菜の花忌」にちなんで司馬氏の「この国のかたち」を読み返していることで、司馬氏も許してくれるだろう。氏は「この国のかたち」の第一巻で、営々と築かれて来た日本の歴史が、日露戦争を機に、海軍が強大に成り過ぎたこと、あっけなく日本が勝ってしまい、海軍が自らの組織を守るため中国に進出し、それから暗黒の時代が太平洋戦争が終わるまで続いたことを強調している。氏はその特異な一時期が日本の歴史に汚点を残し、そのしこりが今だに残っていると思っているようだ。特に、戦時中に思春期を過ごした氏は、その暗黒の時代を後世の人には決して経験させないように決意していたように思われる。氏はそのために史実や資料に基づいた独自の視点(司馬史観と呼ばれる)で歴史小説を書くことによって、日本の歴史を見つめ直すことを人々に問いただしていたのでないか。今はいない私の父親から戦争時の悲惨な体験談を聞いていることもあってなおさら思うのである。(つづく)
「司馬遼太郎」氏で検索したら、次のようなHPが見つかった。 司馬遼太郎記念館 司馬遼太郎の読み方 司馬遼太郎&幕末に関するサイト
情報のコーディネーター (2000/2/26)
2月2日にホームページ(HP)を開設してから、毎日パソコンに向かい、あるときは寝ることも忘れてHPのコンテンツ(中味、内容)を考えてきました。暇さえあればデジカメを持って、車で仙台市内を徘徊(はいかい)し、仙台からの情報発信を目指している立場から、同業者?のHPをつぶさに見てまわりました。そうしているうちに、目からウロコ...個人で全てのことをしようとしても限界がある。3年も4年も前から開設している先達や専門に大勢で作っているプロにかなうはずがない。他のHPとダブるコンテンツを必死で作るより、他のHPの情報を活用したり紹介する方が世間のためになるとの結論を見出しました。これからは方向転換し情報のコーディネーターになります。「Yasoo!JAPAN」は、他のHPが蓄積している情報は、リンクを張って紹介し、どこにもない情報は自分で作るをモットーにして行きます。また、ゲストの意見を参考に進化して行きたいと思います。
インターネットは安全か (2000/2/18)
この2ヶ月、パソコンのキーボードでクレジットカードの番号をタイプしたことが4回あった。昨年、AOLに加入したとき、ぷららに乗り換えたとき、Vecterでシェアウェア(有料ソフトウェア)を買ったとき、そして今週の月曜日(2/14)にインターネット電報で弔電を申し込んだときである。こんなに便利かと思った反面、大丈夫かという不安も頭の片隅にあった。最近、政府機関のホームページがハッカーによって書き換えられたとか、インターネットを流れる情報を盗むのは簡単だと雑誌で読んだからである。もちろん情報の暗号化などの対策はとられているとは思うが・・・。あれやこれや考えていたとき、むかし聞いた話を思い出した。最初にキノコを食べた人間の話である。最初にキノコを食べた人間は、毒キノコと食べられるキノコを見分けるには食べてみるしかなかったのではないか。いろんなキノコを口に入れてみて試したに違いない。毒キノコを食べて死んでしまった人がいたかもしれない。そういう多くの人の経験があって、食べられるキノコが分かっていったのではないかという話である。新しいものには冒険がつきものではないか。インターネットの評価も10年後、あるいは100年後に下されるものかもしれない。振り返ってわたしの場合、これまでの利用額はインターネット電報の2000円余りが最高額である。まだ、ちょっと慎重になっている。
鮮度が命 (2000/2/13)
会社のサーバにホームページ(以降、HPと称す)を開設していた時の経験から、開設までのHP製作は大変だが、それ以上に大変なのは開設してからである。更新が大変なのである。
更新されないHPは支持を失う。鮮度の落ちた野菜や果物が捨てられるように、鮮度の落ちたホームページは訪問者が来なくなる。陳腐になった内容や、古い情報は、訪れた人の興味を半減させるからである。個人が作るHPには、@商売を意識したもの。A趣味や自己紹介を中心にしたもの。Bチャットや掲示板(BBS)でコミュニケーションや仲間集めを目的にしたもの。C他のHPの紹介(いわゆるLINK)が中心のもの。D専門分野の知識を披露しているもの。E写真やHP用のCGI、素材などを集めたものなどに分類できると思う。@、B、D、Eは比較的来訪者が多いようだが、A、Cはちょっと苦しい。開設者の目的が達成されていれば、何も言うことはないが、開いたからには、来訪者を多くしたい。それにはリピータ(繰り返し来てくれる人)を増やすのが効果的だ。リピータを増やすなら共感を得る内容と鮮度が命だと思う。
そういう私も東京国際マラソンを見ながらコツコツとこの文を書いている。 3日に一回は更新することをノルマにしている。理想は糸井重里氏のように日々更新だが、一般サラリーマンではそうもいかない。 マラソンの方は犬伏選手が日本人最高の4位、2時間8分代でゴール、シドニー行きが濃厚のようだ。
発信主義 (2000/2/5)
会社にグループウェア(*1)が導入されたのは4年前。資料のペーパーレス化と情報の共有が大いに期待された。しかし、現在利用されているのは、電子メールと電子掲示板ぐらいのものである。電子メールをほとんど利用しない人さえいる。また、3年前から社員録が電子化(インターネット上で検索)されたが、冊子の方が良かったという声が聞こえる。なぜか・・・ 電子メールやグループウェアは、自分から発信し、積極的に利用する道具だからである。受身の姿勢では使いこなせない。電子メールを使いこなしたかったら、自分から発信しないと返事は来ないし、ホームページも開設したからといっても、多くの人が見に来てくれる訳ではない。ホームページの紹介コーナーのあるところに投稿するなどして大いに売りこまないと見てもらえない。また、サーチエンジン(*2)で検索されやすくするために、皆が興味を持っていることを取り上げるなどの工夫が必要である。そのためにはコンテンツ(内容)が問われるのは言うまでもない。
*1グループウェア=電子メール、スケジュール管理、施設予約、電子回覧などの機能を持つソフトウェア、マイクロソフト社のOutlookやExchange、ロータス社のNotes、ノベル社のNetwear、最近ではサイボーズが有名。
*2サーチエンジン=キーワードをタイプして、そのキーワードが書いてあるホームページを一覧で表示してくれる機能を持ったソフトウェアのこと。 Yahoo(ヤフー)、goo(グー)、InfoSeek(インフォシーク)、NTTDirectory(NTTディレクトリー)、LYCOS (ライコス)、OCNNavi(オーシーエヌナビ)などが有名。
この国のかたち (2000/2/2・公開日)
「この国のかたち」は作家・司馬遼太郎氏(故人)の著書です。1年前から司馬氏の歴史小説を読むようなりました。歴史小説はTVの時代劇のイメージのせいかあまり読む気がしないで来ましたが、ある日、本屋で立ち読みしていたとき(わたしの趣味)、同氏の「梟(ふくろう)の城」(直木賞受賞作)が映画化されるのを知り、その原作を読みたくなりました。それ以来、司馬史観と呼ばれる同氏独自の歴史観を知り一気にファンになってしましました。今では、「竜馬が行く」や「花神(かしん)*1」「燃えよ剣」「北斗の人」などの著書はもちろん、同氏とかかわりのあるもの、たとえばNHK特集「街道を往く」など何でも興味を持つようになりました。司馬氏の本を読んでいると、日本人のルーツや民族性、「気質」に興味を持つようになりました。それにつれ、最近流行のグローバルスタンダード(世界の標準)という言葉がどうも気にかかります。日本には変わって良いものと変わらなくて良いものがあるような気がするからです。*1花咲かじいさんのこと、明治維新のころに活躍した、長州出身の村田蔵六、のちの大村益次郎の物語。
<つづく>