通信998の「まだ楽しみたい、こちらの世界」に同じ会社であったAさんが次のように書いてきた。
「老人がなかなか元気な我が国は国家として衰退の道を歩むのでしょうか。
小生もなかなか死ねませんね。開き直りますか。
丈夫で長生き 社会の迷惑
もらおう年金 つぶそう日本
まあ我が日本もこんな国になってしまいましたね。」
また高校同期のB君は
「私は先週65歳の義弟を見送りました。そして、骨上げの時、あらためて状態をよく観察しました。私は、子供たちに「墓はいらない、散骨してくれ」と頼んできました。・・・・焼きあがって残った骨を眺めながら、もっと強く焼いたら骨の形もなくならいかという疑問がわき、係りの人に尋ねたら「ご希望なら可能です」と言われました。
そうなんです!散骨どころか、焼き場でそのまま処理してもらうことが可能なのでした。
でも、私の思想は、「死は無に帰す」でもないのです。執念さえあれば、この世に係われるでのはと感じています。よって、私はいろんな方の墓参り(可哀相に、故人の魂を閉じ込める場所)を続け、私の肉体を使った故人の思想実現に協力しています。・・・・
そして、自殺に対するご意見はごもっともで、自殺否定の世評は、支配者階級と結びついたキリスト教が、「財産である奴隷の自殺を防ぐ方法」として考え出したものだと信じています。
これは、高校入学の頃は自殺願望者だった私が、その時、2年生が3人も自殺するということに直面し、すばらしい高校に入学したと、自殺にまつわる本を読みまくった結果の結論です。」
またやはり高校同期のC君は
「私も死ねば本人は灰という無機物になって終わりだと思う。その後も世の中は全く同じように流れていき、自分の存在はすぐに忘れられてしまうし、それで良いと思っている。
しかし8年前に、弟を肝臓がんで亡くしたときは本当に辛かったが、そのとき、「弟はあの世で昔死んだ父親と再会して、母や兄弟のこと等を談笑しているのかもしれない」と思ったら、少し気が楽になった。」
と彼は生きている人間の死んだ人間への想いを中心に死を捕らえていた。
またガールフレンドのDさんも「死んだら何もなくなってしまうなんて寂しいのではない?」という。しかしどうも残されたものの視点、というようにも感じられる。死にゆく本人にとってはどういう意味があるのだろう。
「この世に生きたあかしを残したい。」とは死が目の前に見えてきた多くの人の思いかも知れぬ。ただ戦後米国等によってもたらされた民主主義が考えているのは、生きている人間のことだけではないか。原子爆弾による被害者判定に、そのときどこに落ちたかで判定することはおかしい、との訴えが出ている。原告勝利になったと記憶するが、そこまで手厚くするのなら、死んだ人間のことを何故考えないのだろう、と思った。私も父の兄一家が広島で吹っ飛んだ。従姉は学校帰りだったはずだが、影も形も消えてしまった。
そんな直接的な話を持ち出さなくても、家族制度の崩壊を見れば分かる。相続は死に行く者の意思の表れである。なぜなら、余力が出ると人はせめて子達に何か残そうと頑張るからである。その結果である。しかし統計があるわけではないから、分からぬが日本ほど相続税が厳しく再分配に重点をおくところはないのでないか。いつか「死んだら全部財産は国に返すようにしてしまえ、それから再分配をすればいい。」という者までいた。
民主主義は「この世のものを今生きている人だけで公平に分け合おう。」という考えが根本。その分配手段としての貨幣・・・・。色々な事故の賠償だってそうだ。それゆえ、死者への悲しみを思い切り訴えている人を見ると、「結局はそれをタネに自分がよい想いをしたいのではないか。」と勘ぐりたくる。
この民主主義の基本的な思想は伝統、文化、道徳にまで大きな影響を与える。
そういうもの継承しなければいけない、といいながら、不要だ、と言う。道徳は大切だと言いながら、先祖のことは忘れていい、親を敬え、年寄りを大事にしろは、古いお考え、ということになる。墓も多分、今生きている人々が大切と感じているから、その想いを満たそうと言うために作るに過ぎぬ。死にゆくものの立場から行けば、無に帰すのであるから、散骨してくれ、あるいは溶けるまでもやしてくれていい、ということになるのかも知れぬ。
これを突き詰めてゆくと、日本の先と我々老人の取るべき態度は、A君のいうようになるのかも知れぬ。何か寂寞としたものが漂う。
それでも最後のC君の余談には着目しておきたい。
「・・・・・先日、深夜ラジオで、上野千鶴子の話を聞いて面白かった。「体が動かなくなってもできるだけ家で介護されなさい。病院に入ると、点滴や酸素吸入されていつまでも生かされてしまう。」という話だった。・・・・・」
註 ご意見をお待ちしています。
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読者からの投稿
A) 東京の焼き場に有るバーナーはガスハイスピードバーナーが多い。
完全に灰のみにすることは当然可能。この方が簡単。
しかし、短時間で燃してお骨を残すためには微調整が必要である。
そのために新規に取り付けるときは豚を丸焼きして性能試験する。
しかし、しばらく使ったあとのクレームについては困ることが多いとの
担当者の弁。
大体分解して手入れするのが余り気持ちよくない。でも水洗トイレの
分解清掃よりは衛生的か?分解手入れ後の運転立会いも好みでない。
それからお墓とか法事とか言うのは、いずれにしても生きている遺族の
自己満足のためのものに過ぎない。しかしこれで親孝行をしたと
思えば、それはそれとしてきわめて有用なものなのであろう。
死者の魂魄が肉体を抜けるというのが本当なら残った肉体は物体である。
それからお骨を取って墓に埋めるのは不思議な儀式。中国の一部に有る
埋葬する墓とおまいりするための墓を別につくる風習は理解できる。
埋葬墓は山中、ここには近寄らない。
何も埋めないお参り墓は便利な場所、魂魄を祭るならこれでも良い。
B) 私は墓が必要です。
先祖や先代が日本を作った。
今の繁栄や安全を作ってくれて。私達は生活できている。
人間は継続性・連続性の中で活きている。感謝を先人にすべき。
私は月2回程度の墓参りと毎朝の仏壇と神棚へのお参りをしている。
人間は現在の人達と共に、先人への感謝の気持ちを忘れたくない。それが私の信条。私は亡くなった両親の
墓に入る考え。
人それぞれです。押し付ける気持ちはありません