1002「「呻吟語」を読む」(9月27日(火)晴れ)

古本屋で「呻吟語」なる本を見つけて読みきった。呻吟とは「苦しんでうめくこと。」の意である。今から400年ほど前に書かれた中国の古典であり、守屋洋という人が訳をつけている。抄訳で漢文と和訳、それに解説がセットになっており、読みやすい。
著者は呂新吾、明朝の人で、高級官僚として地方長官などを歴任した経験を有する。人間とはどうあるべきか、人生をどう生きるべきかなど、切実な問題を様々な角度から解き明かしている。日本では余り馴染みのない古典だが一部では熱心に読み告がれてきた、インターネットで調べてもいくつか記事を見ることが出来る。

「少年の情は、収斂せんことを欲し、豪暢ならんことを欲せず。以って徳を慎むべし。老人の情は豪暢ならんことを欲し、鬱あつなるを欲せず、以って生をやしなうべし。」
収斂は気持ちを引き締める、豪暢は気持ちを発散させる、鬱あつは無闇に抑えつけること、くらいの意味のようだ。もっとも発散しだしたらとまらなかったり、同じことを繰り返す老人にはなりたくないが・・・・・・。
「「富貴」は、家の災いなり。「才能」は身の殃い(わざわい)なり、声明は謗りの媒(なかだち)なり、歓楽は悲しみの藉(敷物)なり。故にただ順境に処するを難しとなすただこれ常によう心あり。一歩を退きなせば、すなわち禍をまぬがる。」
順境に処するには流れに従って対処する、よう心は慢心くらいの意味か。心すべき言葉と感じた。人間は本質は皆同じである。
「上士は道徳を重んず。中士は功名を重んず。下士は辞章(弁舌)を重んず。斗屑の人(かす見たいな人)は富貴を重んず」
でもこういうことを言って上士を任ずる人に限って富貴でそういうことが言えるようにも感じる。私自身はもちろん斗屑の人、けれど富貴ならず・・・・・。
「衆これを悪む(にくむ)も必ず察し、衆これを好むも必ず察するは易し。自らこれを悪む(にくむ)も必ず察し、自らこれを好むも必ず察するは難し。」
なかなか自分のことは分からないものです。

第5章の治道について、つまり政治のやり方についてである。どの言葉も多分政権者が聞いたら頭が痛くなると思う。松下政経塾などでも教えたらいい。
多いので序文の目立ったまとめの言葉を紹介すると
「急ぎすぎてはならない。」
新しい事業を起こすときに余りあわてすぎてはならない。復興増税などのように将来の手足に制限をつけてしまうやり方が正しいかどうか・・・・。
「不必要な介入を避ける。」、「基本原則を確立する。」
「上に立つものが手本を示す。」、「ウソをつかないこと」
「世論は必ずしも正論ではない」
自分だけが正しいことを主張すれば、正論は自分ひとりのほうにある。最もそういう人間を世間は頑固者と一周するかも知れぬ。
「権力は利の集まるところ」
「生かすために殺す」
処刑すべき人間は断乎処刑すべきである。それをためらうから、悪をはびこらせることになる。
「宰相の条件とは」
「私心がなく、見識があること。人を見分ける目をもっており、それをうまく使いこなすことである」・・・・果たしてドジョウ首相はどうか。
「苦しみの中に楽しみを見出す。」
官吏になったからには苦労はつきもの、上に上がればそれだけ責任が重くなり苦労も増える。
・・・・自分の省庁の権益を増やすことばかりは困る!
「地位が高いものほど耳や目がふさがれる」

しかしこういうことを開陳して主張する人は世の中的には嫌われるかも知れぬ。呂新吾も結局は政争に巻き込まれて官界から退き、晩年はもっぱら著述と講学に専念したと言われる。718で取り上げた「菜根譚」と似ているが、比べると面白みにはややかける。しかし一読の価値はある。

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読者からの投稿

いつの時代、どこの国であっても正論をはく人は嫌われるのだ。
たとえば次は正論、でも言うと嫌われるでしょう。
今度の首相はごく普通の人のようだ。
でも稀代の馬鹿、稀代の奸物のあとなので救われるような気がする。
何かを期待しなければ落胆も無い。
そもそも民主党には期待してはいけないのだ。