私のサイトの「関連した読み物」コーナー268に10年前に書いた「ゾウの時間ネズミの時間」の紹介がある。今は沖縄に住みナマコの研究をしている本川達雄は、1948年生まれと言うから63歳。これを上梓してから20年、今までの研究と自分の考えを重ね合わせて書いた作品といえようか。定年前後の人には特に考えさせられる作品に見える。
生物のサイズを考えると、小と大では「長さで1億倍、重さで一億倍の10億倍と途轍見なく違う。エネルギー消費量は身体の大きさで変わる。基礎代謝量は体重の4分の3乗に比例して増大する。ただし生物は活動するために、酸素を使って食物を燃やしATP(アデノシン三リン酸)を作り、それを分解してエネルギーを取り出す。そのため、エネルギー消費量はこの10倍にも成る。変温動物は恒温動物に比べずっと低い。後者は自分の体温を維持するためにとてつもなく多くのエネルギーを使うからだ。食料(タンパク)生産と言う視点から見ると、小さな動物は成長が早いから、小さな変温動物がいい。・・・・・我々は将来はイナゴでも食うべきか?
第9章「時間環境」という環境課題、第10章「ヒト」の寿命と人間の寿命に、著者の考えが示されているように思う。
生物はエネルギーを使うと時間が流れる。使わなければとまる。言い方を変えれば「生物はエネルギーを使って時間をうみだしている。」
「時間」は動物によって変わる。エネルギー消費量に比例して時間が速くなるとする。ハツカネズミはF1レースカーみたいにエンジンをフル回転させる。それに比べゾウはファミリーカーみたいなものだ。この考えは人間の社会にも当てはまる。人間は超高速時間動物、恒環境動物。年齢で見れば、エネルギー消費量は子供の2.5分の1、それでいて長く感じるのは充実しない時間をすごしているから。老人はゾウ的、子供はネズミ的。
その人間が発明した車、コンピュータ、そのほか身の回りの多くの器具はエネルギーを投入することによりもっと時間を速くする機械。逆の言い方をすれば、エネルギーを使って機械を動かして時間を進め、早く終わってういた時間で他のことをする、つまり時間をエネルギーを買っている。
どんな動物も一生で飛翔するエネルギーは30億ジュール、呼吸のスーハーも15億回で大体寿命。この伝で行けば「ヒト」の寿命は生物学的には40年である。
しかしそれが延びた。1960年代までは子供が死ななくなったこと、それ以降は老人が死ななくなったことであろうか。結果、現在では男の寿命が79歳、女の寿命が86歳。医療に多くのエネルギーを投入して時間を生み出している、とも言える。本当を言えば還暦過ぎは、生物学的に見れば、存在すべき根拠のないもの。
戦後60年の間に寿命は1.6倍延びた。医療はどう生きるかを考えずに寿命だけをのばしてしまった!無責任!このような状況の中で老いをどう生きるか。
定年後はそれまでとは時間が異なることをはっきりと認識しなければいけない。うまいものを食い精力をつけ、格好をつけてよい家庭を作り、良い子を育てる、すべてこれらは利己的遺伝子の欲求である。その欲求実現のためにわれわれはせっせとお金を稼がされていた。そういったものから解放されることを意味する。経済至上主義に縛られることはあるまい。
便利な機械など必要あるまい。スローライフを楽しむためには、時間を加速するばかりの機械を身の回りに置かないほうがいい。それに機械を使わないようになると、身体や頭をより多く使うようになる。そうした中で自己主義から自由になろう。
さらに生物学的に自分の一生単位で物を考えること早めにしよう。空間的にも、時間的にも広く社会を見通して、人々が、つまりは次世代が住みよい社会を作るために、ゆっくりと身体のペースで働きながらつましい生活を楽しむ、それを目指すべきではないか。
最後に著者は自分の研究しているナマコの話をしている。
ナマコは砂を食って暮らしている。一日、のたーっとしているだけである。それだけ少ないエネルギー量で生きられる。つかむと硬くなって身を守るが、さらに強くつかむと突然やわらかくなり始め融けてしまう。ところがそれを水中に放っておくと生き返る。さらに強いものに襲われると腸など吐き出して逃げる。吐き出して食われても再生される。環境にまことにフィットした機能を備えるが脳みそはない。・・・・ちょっと感じました。まさか先生、老人はナマコを見習うべきだ、とおっしゃるのではないでしょうね。なんだか寝たきり老人みたい?老後の生き方を考え、少しばかり知的好奇心を満たすためにお勧めの一書。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail address agatha@ivory.plala.or.jp
ホームページ http://www4.plala.or.jp/agatha/