1004「再び東京電力を擁護する」(10月5日(水)晴れ)

めっきり寒くなってきた。今年は紅葉も早いのかも知れぬ。
株式市場は欧州の不安の影響を受けて連日下がっており、今年の最安値を超えんばかりの勢いである。株は皆処分というものもいるが踏ん切りがつかぬ。
東京電力の株がとうとう200円を割った。
私もあの大震災の後買いましたのだから、不明を恥じるが、この会社への周囲の対応を見ると、戦後作り上げた民主主義社会の最も悪い点が浮かび上がってくる。
「自分は正しい、悪いのは他人である。我慢する必要はない」

東京電力の社員の給料が高いという。
確かにそうだろう。平均で700万などとされている。役人は600万とか・・・・。
しかし給与というのは民間会社の話であり、それが高かろうが低かろうが、外部が云々する話だろうか。東京電力などに比べれば、証券会社だって、放送会社だってずっと高いはずだ。
それを高い、安いと云々するのは電力単価を決める段階でするべきなのだ。それゆえ、それが高いと思えば、非難されるべきはそのコントロールをしていた役人なのだ。
「実は電力料金の専門家がいなくて、いつも言いなりになっている。」など今頃言い出すのは職務怠慢もはなはだしい、といわざるを得ない。

電力料金は総括原価方式である。
ムラが発展し、水が必要になった。そこで井戸を掘り、各家にその水を分けることにした。どうすべきか。結局皆で金を出し合って設備を整え、変動費も含めてそれを回収せざるを得ない。そこで人件費も含めかかる費用と、民間に任せるのであるから所定の利益も加えて、使用する水道水の量に応じて割り振ることにする。これを総括原価主義といい、水道会社の言いなりでは困るから、料金をムラ人の代表?たる役人に謀って決めるのである。水は皆に必要なものであるから、水道料金はこうやって決めるが、その代わり水道会社も皆で守ってゆくようにするべきなのである。今回はすんなりと売電単価を上げるべきなのである。
それでなくても高い電力料金、産業の空洞化を招く、あるいは苦しくなった庶民の生活をこれ以上いじめるとは何事!と怒る者も多い。しかし前者も後者も電力料金が決定的な要因などとは間違ってもいえないはずだ。
今回の事故が東京電力の責任というのもまったく無理がある。それを国策として薦めてきたのである。イドと同じである意味国民が原子力を択び、推進してきたのである。そして国民はそれでも安い電力料金の受けてきたのである。そしてこのような事態になると「すべて賠償してくれ」「電力料金はあげるな。」と駄々をこねた言い方をする。

この悪者を作り、すべてそのせいにする、というのは一番の民主主義の問題点のような気がする。今年度の予算が国家の借金が途方もなく大きくなってしまったというのに、膨大につみあがっている。「だせるものはだせるが出せぬものは出せぬ。」と木で鼻をくくったようなことを言う大臣がいた。東京電力がこのように言ったらどういうことになるのだろうか。こちらは民の役に立ったものが破産して行くのを、指をくわえてみているのだろうか。
エネルギー問題もある。原子力反対論者は「原子力から自然エネルギーへ転換するという点では合意が形成された。」「当面は火力で出来るではないか。今年がいい例だ。」などと自己に都合の良いことを喧伝する。ただこれについては別の機会に述べたい。これこそ国民がゆっくり時間をかけて話し合えばいいではないか。ただ今回の被害を100%承認して賠償すべきだ、という風潮には反対する。今回の被害者は見ようによっては実に幸せだ。太平洋戦争の被災者のことを考えた事があるか。多くのことを仕方のないことと耐え忍んで、やってきたではないか。国への保証要求などは一部に限定されていたではないか。

発電・送電分離を喧伝するものがいる。反対である。
これは役人が自分の権益を拡大するために秘かに宣伝しているものだ、といいたい。第一に送電のための投資が膨大であり、それを国民として二重に持つことはできぬ。それゆえ分離してもここは政府あるいはその関係者の運営になるに違いない。その結果を見れば役人の焼け太り以外の何者でもないではないか。第二にそれは東京電力だけそれを行なうというのはいかにも筋が通らぬ。全国一律で行なうべきであろう。しかし相手は大きな純然たる民間会社なのである。その事業を横取りするような画策を、この際一気にやろうと言うのはまったく無茶である。私企業の意味を変えてしまおうというのか。
今は協力して、むしろ国民の財産たる東京電力を助けるべきではないか、と感じる。

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