1011「人口70億の地球」(11月1日(月)晴れ)
13年で世界の人口は60億人から70億人になったのだそうだ。正確にはわからぬから70億人目らしい赤ん坊が世界各地で祝福されている。しかしもう13年たてば80億、私が96歳まで仮に生きたとすればそのとき90億になっているのだろうか。食料もエネルギーも資源も足りなくなっているに違いない。せめてそれまでこのままの延長で平穏に暮らしたい。
人口増加はよいことか、悪いことか。単純でありながら難しい問題と思う。
個人ベースでは増やした方がいいのだろう。子は未来であり、可愛い。家族制度的な考えがあるなら、家を守ってくれるし、ひょっとしたら自分の生活の未来を守ってくれる。
国家ベース、民族ベースで見れば、多分これも増えるほうがいいのだろう。
民族も国家も発展を願う。増える若者が老人を養える、望ましい社会だ。また外に世界がある限り、そちらに向かって、あるいはそちらの世界を切り取って自己の勢力を発展させることもできよう。
しかしながら地球ベースで見るとそうは行かぬ。地球という限られた土地と資源の中で生きてゆかねばならぬ。出来なければ一部に犠牲になってもらうか、全体のレベルを引き下げて生活する以外にない。そしてこれを少しでも食い止めようとするところに社会の進歩や技術の進歩があるのだろうけれど・・・・・。
日本はどうなのであろうか。国土から考えるならば、1億2000万人では多すぎる様に思う。世界を相手にする、つまり便益を施すといいながら、貿易という名のもとに収奪してくる行為がなければ、自給自足の江戸時代が参考にすれば3000万か4000万人が妥当?
一方で少子高齢化が進んでいる。若者が老人を養うことが出来なくなってきている。若者は職を求め、老人は既得権益を守ろうとする。それが円滑に進むためには若い者が多ければならぬ。そこで子供たちを安心して生める社会をつくろうだの、少子化を食い止めるためにどうするべきかなどの議論がなされる。
矛盾をどう解決するべきなのか。近頃は「自分たちだけがよければよく、結婚はしない、子は作らぬ人たちが増えている」と聞く。ひょっとしたらそれは女たちの生き方の以前に望ましいことなのかもしれない。
そこまで疑問が進むと、果たして生まれてきた子は等しく人権を得るべきか得ぬべきか、あるいは問題児を生むべきか、生まざるべきか、という問題にたどり着く。はっきり言えばたとえば障害があったり、知恵が遅れていたりする子供は皆にとって負担である。彼らを楽しくこの世にマッチさせて生活させるためには健常者は負担を強いられる。生まれてきたものは仕方が無いが、それ以前のものに対しては対策をとることも必要かもしれぬと感じる。
民主主義は正しいのだろう、とは思いながら疑問を抱く。大体,欧米は民主主義一辺倒に見える。しかし考えてみれば都合のいい時だけに振りかざす。国際連合では常任理事国の席を離さぬし、一国が一票と個人の権利がみな等しい、という考え方にどのように整合性を認めるのだろう。ユーロ圏の問題を彼らはどう解決するのだろう。国家としてのまとまりはそんな物を認めぬ共産主義のほうがよいとの意見さえあるかもしれぬ。
人間は一個の哺乳類という動物である。動物の世界は優勝劣敗である。種族が生き残るためにはベストな方法なのであろう。それを高度の文明を発達させた人類にそのまま適用しろ、とは言わぬが、その要素を全く否定するような社会がはたして許されるのか。人類という哺乳類が生き残ってゆくためにそれでいいのか。疑問を感じる。
民主主義も、弱者にやさしい社会も、実は人類というこのような巨大生物が繁栄したいという欲望とは相反するものである、という点をそろそろ認識せねばならぬのかもしれぬ。そしてさらに我我の世代は良いとしても、300年も先のことを考えれば地球という星の資源が有限である,という点も同じである。
だからどうすべきだ、という答えが私の様な一個の人間にあるわけはない。これから他の生物に比べ、ずぬけて知恵なるものを身につけた人類が考えてゆかねばならぬのであろう。
いつか「ローマクラブ」という機関が未来予測を試み、同じことを訴えた。池のハスの花は一日で一つが二つになる。今日池の半分がハスで覆われた。いっぱいになるのは何時だろうか。この答えは「明日」である。そうなってからでは対策は追い付かぬ。深く印象に残っている。ローマクラブの話はいつのまにか立ち消えになっている感じだが解決されたわけではない。
どのような社会を作るべきか、世界の人口抑制をどのようにすべきか。70億人ニュースはそこをもう一度考えるきっかけを与えているのかもしれない。
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