1021「「小さな「悟り」を積み重ねる」を読む」(12月7日(水)曇り)
スリランカのアルボムッレ・スマナサーラという舌をかみそうな名前のお坊さんの新書を見つけた。別に最近五木寛之の「大河の一滴」を読んだが、彼の考え方はこれに似ている。
内容は以下に抜き書きした文章で示すが、この話を友人にしたところ「平穏な時にはそれでいいのだろう。しかし変化のあるときには何か別の考えをとらないといけないのかもしれぬ。」と言った。そうかもしれぬが、古稀にになった私には、これからの生き方を考える上で参考になった気がする。
仏教で無常とは「変化しないものは何もない」という考え方だそうだ。
人生は、一切が一瞬たりとも同じ姿をとどめない無常なものであるからこそなりたっている。さらに「無常だから生きているのに、反対に人間は生きるために無常に逆らおうとする。だから生きることがあべこべな行為になり、無駄にあがく羽目になる。・・・・・同じエネルギーを使うならよい方向へ変えればいいのです。」
「考えれば賢くなるというのは幻想なのです。そもそも人は「バカだから考える」のです。」
「生きるとはそもそも大したことではありません。何も考えないでトイレに行き、風呂に入り、会社に行って仕事をするだけだ。」
・・・・・それがなかなか難しい時もあるのだが・・・。
「「人生の意味とはなんであるか。」という質問は、そもそも質問自体が間違っている。」
「社会的に成功して高く評価される人もいます。しかしどんな人間であろうと、宇宙と言う次元から見ると、ひとりの人間は大した存在ではありません。」
(ただ)「やることは精いっぱい努力して行うものです。その上で成功しようと失敗しようとそれほど気にする必要はない。」
「人は生きているといろいろなものを背負い込む。背負う荷物がどんどん増えて身動きできないほどになって、体の方が年を取って滅びるのです。」
「人は人生において、いつも何かをしなくてはならないのです。目の前に現れるやるべきことをいちいち選択している暇などないのです。」
・・・・・この考え方はさらに発展させて次のような考えに至る。
「諦めることはネガテイブでもなんでもない。それどころか精神を豊かにする。」。
「重要なのは刻々と変化する目の前のことに純粋に全力で取り組み、人生と言う仕事をその都度、その都度完成させてゆくものなのです。」・・・・つまりこの書のタイトルにつながるわけだ。
「不安は仏教の見地からすれば病気なのです。けれどもこの病気は正面から治療してはいけないのです。放っておけばいいのです。ただし無関心とは違う。万物が変化することは宇宙の法則、不安の原因は「現実が変わってほしくない。」と言うところに或る。ゆえに変化に身を任せればいいということになる。」
・・・・・これは「自分探し」は最後に自分を見失う、にもつながる。
二章以下はこの考え方を敷衍して他のいろいろなケースについて答えている。
「ギブアンドテークではなくギブアンドレシーブで人間関係をまわす。取るかと受けるかで人生における幸福感はかなり違ってくる。」
「ファストライフもスローライフも正しくない。今と言う時間を小さくとらえてそこに集中して生きるノーマルライフがいい。」
「自分が成長するにはどうしたらいいかと言うプログレッシブな姿勢が大切。仕事は本来疲れないものである。」
「人の話をちゃんと聞く態度が大切。「聞く」ことを疎かにすると道を間違える。」
「「自分を守る」ことを怠ってはいけない。ただし何かにすがって自分を守ろうという方法は成り立たないのです。何にもすがらない、頼らない生き方こそ大切。」
「「足りない」という感覚を消す唯一の方法は、「「生きる上で」必要か、必要でないか」を考えてみることです。」
「自分すら頼りにならぬ、と考えれば自分をがんじがらめにしている固定観念から解放されて柔軟な生き方ができます。・・・・愛は本当は悪いものである。」
「自尊心は扱い方を間違えると死に至る。本来の自尊心は生き抜こうとする生命の意思、意欲である。これに気づけば自殺はあり得ない行為である。」
「「逆境」は受け入れればおのずと「順境」になる。」
・・・・・そろそろ身の回りをきれいにし、あまり余計なことは考えず、目の前の蠅だけを真剣に追う人生に切り替えますか。
註 ご意見をお待ちしています。
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