1023「年賀状の季節」(12月6日(火)晴れ)
そろそろ年賀状の季節。今年も年賀状自体は格安チケット販売店で買った。1枚46円であった。去年より1円高い。しかしどこから品物は流れてくるのだろう?
引退して時間はあるのだから、なるべく余裕を持って生きるようにしている。人との待ち合わせなども随分早くゆく。そんなだから年賀状も、早くも裏面をすり終えた。
年賀状なんてなくたっていいという人もいる。結構時間がかかるから面倒くさがる人もいる。喪中欠礼で逃れる人もいる。「妻の妹の亭主の弟がなくなりましたので喪中欠礼?」あれはどこまで許される?のだろう。
「メールで挨拶すればいい、何も郵政省にもうけさせることはない」という人もいる。確かに、機能は同じかもしれないけれど、人間味がなさすぎるような感じがする。
年賀状は、大体は相手からの年賀状を一方で期待する。したがって元旦に来なかったり、だしても返事が来なければ、それはもう年賀状交換はやめましょう、というシグナルと解釈することもある。しかしそうでないこともあるから判断が難しい。
年賀状を除けば、普段は縁のない人もいる。私は、50年くらい前、つまり学生だった頃学会で知り合ったさるメーカーの人と賀状の交換だけは続けている。宛名、つまり私の指名を筆で豪快に書いてくる。呉にお住まいだそうで死ぬ前に今一度あってみたい気もするがそのままいままで続いている。そこまで行かなくても、1年間何も接触のなかった人は実に多い。しかしそれが続くと関係は本当になくなるような気がする。それ故1年に1度の挨拶で付き合いを続けてゆく、との意味合いもある。
私は毎年書きながら年賀状の裏面に入れたいことを次の5つと考えている。
あけましておめでとうの挨拶。
おめでたい言葉なら何でもよいのかもしれぬ。もっとも仙崖という江戸時代の坊主は家族の幸福を祝う言葉をかけ、と言われて「父死子死孫死」と書いた。「縁起でもない。」と主人はかんかん。しかし彼は「生老病死、いづれ来るでしょう。逆だったら不幸なのです。順序通り行くからめでたい。」・・・でもやっぱりご法度だ。謹賀新年というのもしゃちほこばって嫌い。この言葉が一番素直でよいように感じる。
挨拶の文字は本来は筆で自分で書くべきだ。しかし今年はどうも面倒くさくデザインサイトから借りてきた。なんだかあいだみつおみたいなわざとらしい金釘流文字。
写真・・・・自分がどんな様子であるか知ってもらうために、視覚に訴えるものがあったほうがいいと思う。もっとも最近旅行に行ってもカメラを持って行かなくなっている。その一時一時を楽しめばいいではないか、撮っておいても後で見ることはあるまい。しかしこういう時に苦労する。あまりいい顔写真がないのである。顔写真は万が一の遺影にだって必要。来年はなるべく撮るようにしよう。
干支を表す文字や絵。なんとなく新しい年を祝いたい。干支の絵はなかなか難しい。最初何も見ないで筆でひょいと描いたら、トニー谷(昔の喜劇俳優、若い人は知らないかな?)みたいな龍になってしまった。仕方なくデザイン集を紐解き、そのまま持ってくるのは悔しいから模写した。
近況報告。これは一律に印刷したものと手書きのショートコメント。後者がなかなか大変。別に書くことがなくて、つい「今年もよろしく」などと書き続けてしまう。筆が滑るとひどいことになる。今年の夏にご一緒した箱根を思い出します、等書いて、宛名をもう一度見ると別の女性だったりする。
自分の住所等。これは表書きを筆で書くため、自分住所氏名を書く手間を省くため。この5つを書くと9*14pはコンビニ弁当みたいにいろいろ詰まった感じになる。習字を始めたので、表に書く宛名は去年から筆で書くようにしている。
私のこの年賀状の書き方をある忘年会で話したところ飛び出したある女性の意見:
写真だけれど、本人はいいとしてやたらと家族や赤ちゃんの写真をつけてくる人がいるでしょう。知らない赤ちゃんお顔を見ても何も言いようがないわ。
私は留学中、つまり20年くらい前にお世話になったイギリスの老夫婦からクリスマスカードをもらう。いつも長い手紙がついており、いつも家族の現況紹介である。子夫婦、孫、そして自分たちと一家眷属の写真をずらずら並べている。ほとんどがこちらの知らぬ顔だ。パソコンで作成し、年賀状のように多くの人に送っているようだ。
どちらが正しいのかはわからぬ。ただ老夫婦の方は「お前の子や孫たちの写真もつけてくれないか。」と言っている。彼らは敬虔なクリスチャンである。
註 ご意見をお待ちしています。
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