1049「ひな祭り」(3月3日(土)曇り)
魚屋の店頭を見て驚いた。ハマグリの山なのである。小ぶりの中国産の安いものから、大きな一個千円をするものまで。いつもは今の時期ならサバだの鱈だの烏賊だの並んでいる店頭。お雛様だと気が付いた。ハマグリは夫婦和合を願うと同時に女性の貞節の象徴。
八百屋に行った。そこのお姉さん、おばさんと言うべきかもしれぬ。彼女は中国出身らしい。いつか、大根はルオボという、と教えてくれた。その彼女が私に聞くのである。「今日はお雛様とかいうお祭りなんでしょう。」
今の中国には日本のひな祭りはない。しかしルーツを探れば中国の上巳の節句。のちに日付が変動しないように3月3日になった。本格的になったのは江戸幕府が五節句を制定し、5月5日を端午の節句として男の子の節句、3月3日を「桃の節句」として女の子の節句と定めてから。
ちなみに5節句の残りを知ってますか。
一月は7日、本来は1日なのだろうがこれだけは別格としたらしい。人日でじんじつという。七草粥を食う。後は七月七日の七夕、それに9月9日の重陽、菊の節句。なぜこんなことをくどくど書くかと言うと、大学入試の時に漢文で重陽の意味が分からず、中国文学博士の叔父にケラケラと笑われた記憶があるから・・・・。悔しい!!
現在中国の土日以外の休日は元旦、春節、清明節、労働節(メーデー)、端午節(端午の節句)、中秋節、国慶節で、合わせて七つ。春節が中国人にとって一番大きな節句。餃子を食うのだそうだ。時期は旧暦元日、またはそれから始まる数日間のこと、中国本土は晦日から旧暦1月7日まで。この元旦は今年は1月23日だが、来年は2月10日、再来年は1月31日に変わる。横浜や神戸の中華街はこの時期に合わせて派手なイベントを開催している。なぜここに中国の節句の話など書いたかわかりますか。中国語の先生にこの前ならったばかりだから・・・・軽佻浮薄な私!!
素人の下らぬ疑問。ひな祭りは、武家が決めた節句であるのに、なぜ宮中の衣装で飾り立てるのか。しかもその衣装たるや、平安時代、江戸時代から見れば500年以上昔に流行っていた衣装である。そして今でもそれを踏襲し人々は同じような雛を飾る。内裏様と言うのは本来は天皇皇后をかたどった人形である。なぜ今上天皇の御姿にしないのか。
一つには昔からの習慣。
「遣唐使によって持ち込まれたひな祭りは平安時代の京都ですでに平安貴族子女の雅な遊びごととして行われていた、との記録がある。」とウイキペデイア。
さっそく調べると枕の草紙27段
「過ぎにし方恋しきもの、枯れたる葵、雛遊びの調度・・・・・」
また源氏物語には「須磨」、「若紫」、「蛍」、「末摘花」、「紅葉賀」などにも雛遊びのことが書かれている。
この風習は鎌倉。室町時代までずっと続いていたようだ。
もう一つは徳川政権は、武家は武力ではすぐれていても、文化は京都、と言う考えが根強かったのかもしれぬ。そのままの形で風習として残り発展していったのであろう。この辺がいろいろ考えれば300年あとの大政奉還にも結び付けられよう。
私の家も娘たちが生まれたころ、里が買ってくれた。八段ある大きなものであった。
しかしあれを飾るには壇から組み立てねばならず、だんだんやらなくなった。女の子に嫁入り道具として持たせるべきものと言う考えもあるが「大きすぎてマンションの部屋には飾れぬ。」と拒否されてしまった。結婚した息子がやはり女の子ができ「お雛様はないか。」と言うから送ってやったが、「顔が少し汚れている。カミサンの里によいものがあったから処分する。」とつれない。「内裏様だけでもとっておけ。」と言ったが、タイ勤務になったからどうなったことやら。
お雛様と言えばあのスペインの陶磁器メーカーリヤドロが陶器で作っていると聞いた。先日その実物をデパートで見かけた。リヤドロはいつかひどい目にあったことがある。フルートを習っている娘に、何かのお祝いにリアドロ製のフルート人形を送ったところ「フルートの持ち方が右と左、逆である。こんな吹き方はしない。」と言われた。あわててデパートに抗議したところ問い合わせてくれたが「これしかないそうです。」
ひな人形はなかなか可愛くよくできている。ただお顔の表情が掘りが深く、なんとなくエキゾチックな感じがするのは、やむを得ないのかもしれない。宣伝も「モダンな洋室和室に」とあった。いづれにしろ、ひな祭りは、独り者の年寄りには遠い思いで。ありあわせの炒め物とわかめの味噌汁で夕食・・・。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail address agatha@ivory.plala.or.jp
ホームページ http://www4.plala.or.jp/agatha/