1054「金鉱山株は今が買い時?」(4月1日(日)晴れ)
私は今大いに悩んでいる。住共金属鉱山の株は買いかもしれない。かもしれないどころではない、全財産を投入してでも買うべきか。
実は宮城県石巻市金華山で一大金鉱脈が発見されたらしいのだ。
その規模実に菱刈鉱山の5倍、鉱石の金含有量は200グラム/トンもあるという。
菱刈鉱山はご存じであろう。鹿児島県の金鉱山、1956年に発見され、81年から採掘がおこなわれている。鉱石の金含有量は約60g/tonで、南アの10倍近い高品位とか。推定埋蔵量は約260ton。
金華山沖はその5倍なら260*5*1000*400万円/kgで大体5兆円!!
金華山は、牡鹿半島の先端にある小さな島。
今回の大震災の震源に一番近かったところで大災害を受けた。もっとも周囲は崖になっているため、津波の影響はそれほどではなかったようだが・・・・。
ここにある金華山黄金山神社のサイトを見ると写真入りで詳しい。
この神社は、私も大学に入ったころ訪問宿泊した。島の一番高い、奥深い森の中、鹿が境内に何頭も見られるのどかな神社である。
ライフラインがすべて止まり、船の運航は途絶え、島は外界と隔絶孤立された。しかし多くのボランテイアが駆けつけるなどして、早期の復旧に当たった。けれども秋には台風15号に直撃されたこともあってまだ完全ではない。交通もフェリーが女川から出ていたが、今は対岸の鮎川から出ているだけ。其れも事前に申し込まねばならぬ。
話は変わるが、震災以前から地道にひそかに山師有川金蔵氏が金華山周辺の海底、および金華山地下深くの調査を進めていた。しかしあの災害で、有川氏は海底調査中に行方不明になってしまった。実は殺された、という噂もあるのだが、真偽のほどは分からぬ。
その後を調べた住共金属鉱山が遺品の中からとんでもないものを見つけた。
有川氏は奥の細道別冊なるものを所持していた。
松尾芭蕉の奥の細道の真意が記されていたのだ。それは幕府の命により仙台藩の金産出の内密の調査を行うことであった。それには金華山の多量の金産出の可能性が記されていた。
もともと水道事業のみ携わったことのある男、金華山まで行って調べたらしい。
松島にあれほど感激しながら、奥の細道に松島では曾良の句しか載せていないのは、実はそれどころではなかったのであろう。ただこのとき相当に無理をしたらしい。そのせいか北陸道にわたったころ病にかかり、奥の細道の記述が随分簡単になっている。彼の結論は、金華山の金はそれほどのものではない、としているが、地下深く掘ればわからぬ、ともしている。しかしこれがどうやら有川氏を突き動かしたようなのだ。
もともと金華山は日本で初めて金を算出したところである。
黄金山神社もそれに由来する。今から凡そ1260年前、聖武天皇の御世 天平21年(西暦749年)に、陸奥の国守百済王敬福が朝廷に黄金を献上したという。
もう一つ、とんでもないことがその後の住共金属鉱山の調査でみつかったらしい。らしい、と書くのは私の情報はここでコンサルタント業務をやっていた同期の男から聞いた話であるからだ。
金脈は地層の変動によって割れ目が形成され、そこに熱水が流れ込み金が沈殿することによって形成される。地下深く潜っていた金脈がこの大地震によって表面に現れたのであろうか。地震以後に金華山沖で採取された鉱石は、ものすごい金含有量であったというのだ。
その後の調査で全体としてのおおよそながら埋蔵量も推定された。住共金属鉱山は、ひそかに現在関係する土地の買収に入っているらしいとか。これが事実とすれば株価は今の5倍になったっておかしくない。かって菱刈鉱山が発見されたとき、あの是川銀蔵氏が、朝鮮で営業していた時の経験をもとに、現地視察を行ったうえ、株を強力に買占め、億万長者になったことを彷彿とさせる。
ただ友人の話では、有川氏は木簡を金庫の中に所有していたとのこと。木簡とは紙のなかったころ、人々は木札に文字を書いて使った。それである。
流宇不留里婦以恵无呂知喪
一体どのように読むのだろう。古代文字に関係があるのか。面白いことにこの木簡は横書きであった。木簡は私の経験では縦書きが当たり前で、横書きがあるとは知らなかった。その経緯を調べるだけでも面白いかもしれない。横書き文字は今は左から右に読むが昔は右から左に読んだ。単純に変体仮名と解釈して、右から読むとどうも妙なことになる。
最後に、私が、本当は私の内密にしておきたい秘密をこうして紹介するのは、皆さんの中にこの情報の真偽のほどをアドバイスしてくれる人がいればと思うからである。よろしく。
註 ご意見をお待ちしています。
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