1057「小田原の桜と津波」(48日(日)晴れ)

 

例年に比べ、少し遅い感じもするが、陽気の良い季節がやってきた。桜の花は一気に満開の様子である。桜と言えば日本人はお花見。昨日は千鳥ヶ淵公園に出かけ、皇居をぶらぶらと一周した。

今日は古文書研究会が小田原で行われた。小田原も桜一色のお祭りムード。お城のわきの広場では骨董市が開かれていることなども加わって、たいそうにぎわっている。古文書研究会の今回の出席者は8人。迷子になりそうだった。

今回のテーマは、明治35年に起こった小田原大津波に関する記録である。東日本大震災に伴い、小田原市でもそのような経験がないか調べたらしい。すると大長院というお寺から福山全兵衛という人の書いた巻物が見つかった。それを小田原市で公表することになり、ついては文字が変体仮名など縦横に使い、読みにくいから訳文をつけようということになった。我我のメンバーの一人で小田原に長く住んでおられるAさん夫妻が頼まれた。

会員の一人B氏が手助けして、訳が出来上がった。今日はその読み合わせみたいなことをやった。

会場は大長院と直接接触した清閑亭。小田原城の西側、三の丸の一角を占める天神山にあり、相模湾を見渡す眺めの良いところ。黒田長成侯爵の別荘であったが、その後有為転変があり、平成20年に小田原市の所有となった。数寄屋造りの古い建物。コーヒー一杯300円、見学自由と言うから案外隠れた観光スポットかもしれない。ボランテイアの人が家の蘊蓄等いろいろ説明してくれた。床の間の掛軸に、誰やらが、江戸時代初期に長生きした天海和尚に「健康の秘訣」を聞いた話が、書いてある。「正直、粗食、温かいものを食うこと それにだらり、屁をひること」と答えたという。だらりはどうやら三本目の足をゆったりさせよ、と言うことらしい。

天神山は箱根から伸びてきた尾根の先端部、閑院の宮家,山下家(山下汽船創業者)などが、北原白秋などが別邸・別荘を構えていたという。またふもとの山角神社には芭蕉句碑、「うめがかにのっと日の出る山路かな。」がある。

さて文献学習。海嘯記録書とある。海嘯とは津波の意味である。

私は時間がなくてほとんど予習していかなかったが、A夫人が完璧に訳したものを用意し、私に手渡してくれたから、それを大きな声で読み、進行役の様な事を務めた。(このずうずうしさ!)自分で読み通して、あらためて津波の凄さを感じることができた。

「明治35928日午前10時より、大波打立我が家に塩水の入りたること、床上に2尺、土蔵のうち3尺ほど・・・・」などとはじまり、次第に見聞きした様子を加えている。

「・・・山王橋を打ち崩し、山王松原宗福寺の門前56件の家には逃ぐる時なく、みなみな宗福寺へかけ入りたりしが、もはや門前の門は一波にてうち倒し、又宗福寺の老曹家内は覚悟きわめて本堂の屋根に上り、ほどなく本堂は波に浮かび、人の上りいたるまま中島村本久寺の裏につきたりしが・・・・・。(一部編集)」

昔の建物というのは基礎と家屋のつなぎがなく浮かせているだけであったから、水が来ればひとたまりもなかったようだ。アンカーボルトができたのはごく最近。

多くの死者が出、後処理も大変だったようで、その様子がいきいきと描かれている。「ジンサ」との記述が何のことか苦労したが、巡査のこととわかって大笑いした。

清閑亭はメンバーが訳したことがあって、なかなか丁重に扱ってくれた。そして文章と一緒にあった福山氏の手になる災害の様子の絵を、展示用に拡大したものを見せてくれた。30枚以上の絵はじつにリアルに描かれ、大津波の様子を伝えていた。福山氏は、絵は趣味にであったが、プロではなかったと言う。見聞きしただけでよくこれだけの絵が描けるものと感心。

記録には元禄16年の地震についても書いてある。本丸の遠見番所で宿直していたものが活躍しほめられた、等の記述がある。

理科年表に「日本付近の被害地震念代表」というのがあるそうだが、それにはなぜか、主題の明治35年の地震・津波については記録されていない、「元禄地震の方は「小田原で出火し壊家8007、死2291人」の記録がある。」とB氏。海嘯記録書には地震の記述がほとんどない。それ故、こちらは大潮を台風が重なった程度のものではなかったか、あるいはペルー沖地震で津波が日本押し寄せたようなことが起こったのではないか、いろいろ意見があったがはっきりせぬ。

さらに後からつけ加えたのであろうか。関東大震災についても記録してある。

「大正1291日昼の12時に大地震。小田原市中残る家なし。堂営残らず崩れる。死者の数凡そ300人に至れり。幸いに福山家内は一人たりとも怪我等なし・・・・」

結構遅くまでかかった。しかしまだ人人は地震・津波の恐怖は脇に置き、平和を楽しんでいるようであった。「災害は忘れた頃にやってくる」

追記 後で別の女性会員が調べたところ、やはり明治35年のものは台風と大潮が重なったものである、とのことだった。

 

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