1063「「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読む」(427日(金)雨)

 

高等学校同期のA君はできるだけ医者に掛からないようにしているのだそうだ。

「医者は商売であるから、何か病気を作らねばならぬ。何も悪くなければ、検査をせねばならぬ。」

ときどき行くのは歯医者くらいである。その歯医者についてだって、彼は

「まず口を開けさせるだろう。歯の整備具合で、患者が治療費を十分払えるかどうか判定するのだ。」

真実かどうかは知らぬ。

しかし私も最近彼の言うことが案外正しいのかもしれぬ、と思い始めている。

この本の著者は1940年生まれ、私より1歳上。医師で老人ホームの所長。その著者が体験談をもとに語る。最初に彼の医療に対する鉄則が掲げられている。

「死にゆく自然の過程を邪魔しない。」

「死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない。」

最初に医療に対する思い込みテスト。たとえば薬を飲まないことには病気はよくならない、よく検査するのはいい医者だ、大病院ほど信頼できる医者がいる・・・・

これらをとんでもない思い込みとし

「あなたは確実にこうなる。」と断言する医者はとんでもハッタリ屋」

「本人に治せないものを、他人である医者が治せるはずがない。」

「ワクチンを打ってもインフルエンザにはかかる。」

「解熱剤で熱をさげると治りは遅れる。」などと断定する。

自然死のステップは「飢餓」「脱水」「酸欠状態」「炭酸ガス貯留」である。死に際は何らの医療措置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になる。点滴注射もせず、口から一滴の水も取らなくなった場合、亡くなるまでに7-10日かかる。死期が近づくと食欲がなくなるが「食べないから死ぬのではない。死に時が来たから食べないのだ。」と考えるべきである。

ところが病院は、延命を図るのが使命である。死を止めたり治したりすることはできない。そこで治せない「死」に対して治すためのパターン化した治療を行う。

食べられなくなれば鼻から管を入れ、胃瘻によって栄養を与えたり、脱水なら点滴注射で水分を、血圧が下がれば昇圧剤を与えたりする。

枯れかけている植物に水をやるのはいい。しかし人間は違う。体内に肥料を別ルートから突っ込むわけであるから、如何に苦痛と負担を強いるか想像に難くない。

死に際の苦しみは医療による虐待ばかりではない。介護によるものもある。介護職員がぴたりと張り付き、次から次へと、しかも栄養が足りぬからと油濃いものを放り込む。無理やり飲ませたり食べさせたりせず「自然死」のコースの載せてやるべきだ。

そして彼は「死ぬのは癌に限る。」という。著者によれば

「周囲に死に行くものの姿を見せられる。」

「救急車を呼ぶことなく、比較的最後まで意識清明で意思表示が可能である。」

がん死は死刑囚である私たちに、近未来の確実な執行日を約束してくれる。そのためきちんと身辺整理ができお世話になった人にもちゃんとお礼や別れが言える、と主張する。

癌による死が嫌われる理由に痛い、ということがある。しかし痛まない癌もあり、その確率は3割くらいだそうだ。著者自身は、癌で痛むのは放射線を浴びたり、猛毒の抗がん剤を飲むことから来るのではないか、と考えているという。

また「がん検診」を勧めないとしている。「早期発見」してもその後は一定期間ごとに苦痛の伴う治療を受けねばならぬし、心理ストレスも大きい。手遅れの発見は不幸に見える。しかし痛みが出るまで何の屈託もない生活が送れる。長生きは結構だが、なんでも長生きすればいいというものではない。

著者は「自分の死を考える集い」というのを16年も続けているのだそうだ。

「自分の死」を考えるのは「死に方」を考えるのではなく、死ぬまでの「生き方」を考えようということである、としている。「模擬葬儀を行って、人生の軌道修正をしてみませんか。」この会では実際にお棺を用意しその中に入ってみたそうである。

最後に私の考え:著者は、「ポックリ死」希望者などはケチの極みと非難するが、この辺はGNP=元気、長生き、ポックリを願う私とは少し考えが違うかもしれぬ。

私は最近マスコミなどが「都会で孤独死が増えている。悲惨の極みだ。」などと報道しているが少々疑問に思っている。人間は死ぬときは、一人で一人の世界で死んでゆく。静かな自分だけの死を迎えるという点ではあまり悪くないのかもしれぬ・・・・。

 

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