1072「パック旅行で大連に行ってきた」(65日(火)晴れ)

 

中国文学教授をやっていた叔父は満鉄に勤めていたという。その叔父を訪ねて私の父は昭和5-6年ころ向こうの高校に入った。しかし2年足らずでなぜか帰国した。何故かわからぬが、とにかく私には縁のある大連、一度は行きたいと思っていた。たまたま瀋陽、旅順などを含めて、45日の安いパック旅行があった。季節もアカシアの咲く良い季節なので弟と一緒に行ってきた。

大連 遼東半島最南端の都市、黄海と渤海湾に面し、緯度から言えば日本の仙台に近い。人口はウイキペデイアでは300万人くらいに書いてあるがガイドは600万と言っていた。昔ロシア人がパリを模して作った街、中心の中山広場はパリの凱旋門広場そっくり、大型ロータリーになっており、そこから市街に10本余りの道路が放射状に広がる。

ガイドはヤンさんという30歳の若い女性でなかなかきれい。その彼女が言う

大連に少ない物、自転車、警察、ごみ箱

逆に多い物、緑、広場、美人

朝ホテルから眺めているとゴミ収集車が活動していないことに気が付く。どのようにしているのだろうか。アカシア並木は今は多くはプラタナスに置き換わっているけれども、緑は多く、宿泊したホテル近くの労働公園も緑で一杯。北京や上海に比べてずっときれいな町のように見える。美人が多いかどうかは・・・うーん。

急速に発展していることもすぐにわかる。少し高みに登れば30階も40階もあるビルが大地に鉛筆でも建てるように次々建てられている。それが中心部だけならわかるのだが、少し外に出てもそのような住宅がどんどんたてられている。鉄筋とセメントで構造を作り、ぼんぼん外側を張り付けている。地下鉄ももうすぐできるそうだ。12億ドルの金をかけてインテルが工場を作った。デルなども同じ、ソフトウエア会社も多いとのこと。

しかし生活は楽ではないようだ。ヤンさんは「ああいう高層ビルに一般庶民は入れないのですよ。」という。広告を見ると80万元!などと書かれている。最低で1000万以上ということか。ドライブインで車を誘導する係員を募集していた。150元、つまり700円ということだ。一緒に旅行したある夫婦は栃木の方で農業をやっており、中国人研修生を受け入れた経験を持つ。

「彼らは研修に来ているのですか、出稼ぎに来ているのですか。」

「もちろん出稼ぎですよ。時間700円強、結構喜んでいますよ。」

子供は、毛沢東時代は産めよ、増やせよ、人数の多いことは力であったが、その後一人っ子政策。今はそれが緩められ、罰金を払えば(一人80万円くらい)よいらしい。しかし教育には金がかかる世の中、なかなか二人以上生むものは少ないのだそうだ。

また重慶で最近失脚した薄熙来氏関連の報道を恐れているのだろうか。あるいは社会の不満がインターネットで一瞬に広がることを恐れているのだろうか。

旅行も終わりに近づきホテルから絵葉書を送りたいのだがどうしたらよいか、と聞いたものがいた。「今は送れません。ホテルではそのようなことを受け付けません。封書や送れますがそれはご自身で郵便局に持参してください。」当局が情報統制をしているようだ。華やかな陰での問題点をみたように感じた。

参加者はやはり年寄りが多かった。清朝の起こった瀋陽の故宮を訪ねたとき「紫気東来」とあった。

ヤンさんが紫の雲が東よりやってきてこれから栄える、という意味だとの説明。「俺ももうすぐシキトウライ」と後ろの方でささやく者がいた。ガイドはまた日本人に喜ばれると考えたのか「水師営の歌」「満州娘」などを披露した。

大連は急速に変わってきているけれども、中山広場の周りにはまだ日本統治時代に建てられたヤマトホテル、横浜正金銀行などの建物が林立しているし、日本人街やロシア人街も昔の面影を残している。旅順203高地頂上には爾霊山(汝の魂、ここに眠る、の意味を持つ)と書かれた大砲の弾で作られた塔が鎮座ましましている。あいにくの霧で何も見えなかったがここからは旅順港が一望なのだそうである。

対日感情も中国全体から見れば東北地方はよいのではないか、と感じる。日本は遅れていた地域を発展させてくれたし、満州国としての付き合いも長かった。台湾の日本に対する感情が悪くないようなものだ。食事もうまく日本食レストランも多数。

行くなら今のうち、皆さんもいかがですか。長めのパックを選んだ方がいい。大連自体はあまり大きくない街だが、瀋陽まで380キロもあり、4-5時間かかってしまう。

 

註 ご意見をお待ちしています。

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おなじころ、北京と西安に行ったという友人から次のようなメールをいただきました。

大連は車誘導50元のようですが 北京では70元位だったと思います

やはり 北京は高いのでしょうかね 東京と田舎の町と違うように・・

爾霊山といえば 乃木希典作の漢詩 「爾霊山」

爾霊山剣豈難攀 男子巧名期克艱 鐵血覆山山形改 萬人齊仰爾霊山

を思い出しますが

西安の町の食堂に仲間4人で勉強(?)のため一杯呑みに入ったら

偶然我々が席をとったところの壁に 

王維 作の 「元二の安西に使するを送る」 がありました

渭城朝雨?輕塵 客舎青青柳色新 勸君更盡一杯酒 西出陽關無故人

うれしかったですね 思わず写真を撮ってきました