1090「「清須会議」を読む。」(8月7日(火)曇り)
清須は清州ともかく。尾張国清州城(愛知県清須市)。
皆知っていると思うけれども、清須会議は、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれ、その明智を羽柴秀吉が倒した後、織田家の跡目を決める、領地を再分配するための会議である。出典は「川角太閤記」であるが、話を面白く進めるためにいろいろ変えてある。以下「この小説に従って」述べてみる。
信長は自分の次を長男の信忠と決めていたが、彼は信長と一緒に討たれてしまう。そこで次男信雄、三男信孝のいづれがなるか、とみられていた。
集まったのは信雄、信孝のほか、一番の重臣柴田勝家、丹羽長秀、それに羽柴秀吉である。柴田勝家は北条氏と戦っている滝川左近を入れたく、彼が帰ってから、と主張する。しかし秀吉は軍師黒田官兵衛と図り、「いつまでも待てぬ。代わりのものを。」と、池田恒興を代わりに入れさせる。議長は丹羽長秀。信孝を柴田勝家が担いだため、信雄を羽柴秀吉が担ぐ。しかし信雄は馬鹿だと言われていたし、信孝は器が小さいとみられていた。
こうして会議は進むが、信雄が猪狩りで失敗するなどどうしようもない凡愚とわかり、流れが柴田側に傾くと見るや秀吉は奇策を編み出す。信長は天下を狙ってはいたが、家督はすでに長男の信忠に譲っていた。それならば信忠の子三法師様が跡目を継ぐべきである、と言い出す。しかしまだ2歳、反対が多い。しかしそこを皆が盛り立てればいい、と押し通し、秀吉は後見人に収まってしまう。
分かりにくいのは遺領配分。
信雄は尾張国を相続し清洲城へ入る。信孝は美濃国を相続し岐阜城へ入る。
羽柴秀勝(信長の子で羽柴秀吉の養嗣)は、光秀の旧領である丹波国を相続した。丹羽長秀には若狭国が安堵され近江国高島郡・志賀郡を加増。池田恒興は摂津国大坂・尼崎・兵庫を加増。
柴田勝家は越前国を安堵の上で秀吉の領地である長浜を割譲される。秀吉は山城国を加増。
なぜ、これが秀吉の勝利なのか。この書ではポイントとなる京都を秀吉が抑え、勝家を越前に追いやった、としている。
いづれにしろ、この会議で織田家内部で秀吉の発言権がまし、勝家のそれが低下する。やがてそれが賤ヶ岳の戦いに通じ、織田家の瓦解と秀吉の天下取りの道筋を作ってゆく。
しかし、この辺りは歴史に少し興味のあるものならある程度知っている。その知っている事実を面白く読ませるのは小説を書くものの才能か。書店でこの本を見つけぱらぱらとめくった時にすぐに引き込まれた。
作者は三谷幸喜。さすがに多くのテレビドラマ、舞台、映画で脚本を書いて活躍している作家である。関係者のモノローグ、心の声、文書などを時系列的につなげて物語を勧めてゆくやり方、現代語に訳したと称する台詞の一つ一つがしゃれている。カバーの絵は清須会議を前に皆が対策を練っている様子・・・・しかし携帯電話を用いて情報収集をしているところは思わずにやりとしてしまう。
たとえばようやく北国から帰って来た柴田勝家と面会した後のお市の方の台詞
「やっと権六が帰って行ったわ。お顔を見に来たという割には、ずいぶん長い間居座ったものね。・・・・昔から自分中心の男だったわ、柴田権六という男。相手の都合など考えもしない。
それにしても権六も老けたわね。ご自慢のお髭もすっかり白いものが混じっていたわ。でも、貫録だけはむかしのまま。さすがは鬼の権六。あの歳にしては筋肉質のいい身体をしてた。・・・・
権六が私に惚れていることは、昔からわかっていました。本人はうまく隠しているつもりらしいけれど完全にばれていました。あの物欲しそうな瞳を見れば一目瞭然。女はそういうところは敏感なの。
だけどね、権六。いくらなんでもあれはないわよ。なんで、らっきょうなの。私の気を引きたいんだったらもう少しまともなお土産を持ってきなさいって言うのよ。茶器とか反物とか。大体私、お新香が好きだなんて一言も言っていないし。私が言ったのは。香りの物。普通はお香とか香呂のことでしょう・・・・・。」
柴田勝家を織田家に忠義を尽くす無骨者、しかし大局観のない無能力者、秀吉を最初から天下を狙う野心家、秀吉憎しで勝家に肩入れするお市の方、目先の利益だけで動く池田恒興など個々人の性格、考え方の書き分けもなかなかうまい。
ところでこの秀吉に担がれた三法師、その後どうなったのであろうか。
Biglobeのなんでも相談室で織田三法師のその後についての質問があり、そのベストアンサーを引用。
三法師(後の秀信)は主筋に当たるが、天下は秀吉のものとなった。秀信は、何ら不満はなかったようだ。秀吉も多少後ろめたさがあったのか、秀信を可愛がっていたらしい。しかし秀吉亡き後、天下分け目の関ヶ原の戦い。秀信は当然西軍に与した。秀吉恩顧の福島正則に岐阜城を攻められ、落とされてしまった。家康は切腹を命じるつもりであった。しかし正則をはじめとする秀吉恩顧の大名たちの必死の嘆願であきらめざるを得なかった。後、高野山に登り、そこで病死した。
自分自身もこんな風に小説を書けないものかと感じた。夏休みを気楽に楽しむ読書、として推薦。映画化されることが決定した、と帯にある。
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(お詫び)通信1087で、私は産経新聞ネット記事を引用し、「練馬区の陸上自衛隊第一師団が被害状況や出動要請の有無などを確認する統合防災演習で、に立ち入らせてほしい」と要請したところ、11区が拒否したことが産経新聞の記事でわかった。」と書いた。
すると世田谷区の女性が「其の11区はどこだ、世田谷区の区長は札付きの左翼で心配だ」と聞いてきたので、調べたところ「千代田、中央、港、新宿、目黒、世田谷、渋谷、中野、杉並、豊島、北」であることが分かった。
そのように返事をすると彼女は
「やっぱり、世田谷区、自衛隊に守ってもらえない。」と嘆いた。
しかし彼女はさらに真実を知りたく、又心配になった彼女が世田谷区に問い合せたところ
「・・・・・・今回の記事には事実と異なる内容が記載されており、世田谷区が区役所庁舎内への隊員の立入りを拒否した事実はなく、また、隊員の区役所庁舎立入りに際して区職員が立ち会わなかった事実もありません。
16日の夜間に、陸上自衛隊練馬駐屯地から世田谷区役所へ、自衛隊員2名が徒歩で移動する訓練が実施されましたが、区役所到着後すぐに自衛隊の車両で駐屯地へ戻るとのことで、区に対して立ち会いの要請はありませんでした。区役所庁舎に立ち入っての訓練(通信確保訓練)は17日早朝7時から実施され、区では隊員を庁舎内において受け入れ、区の職員を配置し対応に当たりました。
区は、今回の事実と異なる報道を受け、区のホームページに区の見解を掲載するとともに、産経新聞社に対して訂正記事の掲載を求めました。 産経新聞社は、7月25日朝刊に「おわび」と題して訂正記事を掲載したところです。・・・・・」
との返答、産経新聞の小さな訂正記事も確認された。さらに調べると11区すべてが産経新聞の記事は事実と違うと抗議していたようだ。お詫びします。
ただ一言加えれば、自衛隊は必要、迷彩服で街中を歩くことはおかしくない、誇りである、と当然ながら考えてほしいと願う。