1094「オリンピックを終えて」(813()曇り)

 

「オリンピックも終わり、何かやることがなくなったなあ。」という人がいる。期間中はTVを夜遅くまで見て、寝不足であったとか・・・・・。いつの間にか日本中に暇な人間はTVを見ることという妙な病気が蔓延したものだ。100年前はラジオすらなく、暇な時間はみな何をして過ごしたのだろう。

それにしても米満選手のレスリングは豪快だったなあ。相手をあんなに担ぎ上げてしまうんだもの。マラソンも6位入賞であったけれども随分頑張ったなあ。へとへとになってゴールし、ひっくりかえる選手を見て考える。100m競争は10秒でメダル、こちらは暑い中を2時間も走って金メダル、何か不公平じゃない?不公平と言えばサッカーなどの団体競技。入賞すれば全員がメダルをもらえるものなのか。

メダルを取ると国威発揚に貢献したのか、国民に勇気を与えたのか、とにかく賞金が出るらしい。日本の場合、金300万円、銀200万円、銅100万円というけれど、あれは参加したもの全員がもらえる者なのか。たとえベンチを温めるだけであっても・・・・。そういえばフェンシング団体は3位で銅を取ったが淡路という選手は補欠であった。フェンシングは日本は3人までしか認められていない。其のため淡路選手は旅費は記憶にないが選手村にも入れなかった。しかし選手の一人が故障か何かで出られなかったため、出場、メダル獲得に貢献した。彼の場合はどうか。

もっとも友人のメールにメダルを獲得した場合の国家から与えられる報奨金が書いてあった。イギリスだけがゼロであった。純粋のアマチュアスポーツを標榜するのであればこれが正解かもしれない。

メダルの数。その比較を見ながら

「日本が中国に負けるのは当たり前。あちらは14億、こちらは12000万、人口比で行けば日本は中国の10分の1でもおかしくはない。」

「しかしそれならアメリカと比べればどうだ。あちらは31000万、3分の1は取れていいはずなのだが・・・・。」

期間中日本は、銀メダル以下は多かったが金メダルは少なかった。メダルの数は総数で比較するべきと言ったものもいる。面白いことに、団体競技は入賞すればメダルは全員がもらえるが、国としてメダルの数を比較するときには1個として数える。一方で階級別、種目別などと言ってメダルを乱発する競技もある。

考えておきたいのは、金メダルの数とその国のスポーツの活動状況が必ずしもリンクしていない、という点かもしれない。金メダルの数よりもみんながスポーツを愛するようになることが大切とも感じる。その点、金メダルを取っていないイギリスはどう考えているのだろうか。

オリンピックは国家単位である。どういうわけか中国の認めぬ台湾や、中国の一部になったはずの香港も一人前の顔をして出ている。もちろん北朝鮮と韓国もその例にもれぬのだが・・・・・・。それでいて旧ソ連邦の時代に連邦内の国家代表は認めなかった。認めなかったのか、それともクレムリンが認めさせなかったのか・・・・。何故国家単位なのか。世界というものに対峙した時に感じる仲間意識なのではないか、と考える。平均的にはそれが一番まとまりやすいからではないか。比較に国体を考えてみる。こちらは日本国内で行うものである。それ故日本国というものに対峙した時に県対抗は一番合理性がある。それと同じ考えではないか。自分たちの仲間に勝ってもらいたい、勝ったら祝福してやりたい、それが一般大衆の心の底の考えたではないか。

国歌や国旗はそのシンボルである。国威発揚というのは根本的には悪いものではない。お国自慢をできるだけ大きくやって見せたい、という心・・・・・。しかしそれがナショナリズムを招来し、敷いては他人の立場を無視し、時には戦争にまでつながる、という考えに立てばおかしなものになる。それ故この場には政治的なものは一切持ち込まぬと決めたのである。そう考えれば、韓国のサッカー選手が独島は韓国の旗を振りまわしたことなど、ルール違反で許されるべきではない。

国家は大きい物、小さい物さまざま、それ故、国家間でメダルの数を争うような考えはやめにした方がいい。譬えその国が銅メダル一個を取ったにすぎぬ、としてもそれを祝福してやる心が仲間なのであろう。

オリンピックは勝てば全体として国威発揚なるものにつながり、うれしいことだが、個人的には勝った本人の喜びに還元される。時には金も名誉もひとり占め!もうロンドンオリンピックは終わってしまった。次の機会の自己実現に向かってみな作戦を練っていることであろうか。

オリンピックを終えて私自身がそうだな、と思ったことがある。

「人間は闘争心という奴がある。是が講じれば戦争になる。それを少なくするためにこのようなお祭りを開く。オリンピック開催や参加には費用がかかるが、戦争を回避するための費用と考えれば安い。」・・・・そうか、闘争心を戦争に向けないための費用なのか。そう考えればあのなかなか勝てない大選手団、その付随者の派遣も我慢できるか。東京にオリンピックを招待したいという気持ちもわからぬではない。

また友人のメール。「閉会式での日本選手同士の集まりにはがっかり。この機会は外国選手達との接触や知り合い作りに絶好のチャンスなのに、テレビで見た範囲では皆無でした。若者には外と接する開放的気持ちが欲しい。これは私達大人の責任かもしれない。」その通りだが、口でいうのはやさしくても、なかなか難しいできないのかもしれぬ。創始者は参加することに意義がある、と言ったが、現代ではなかなかそう簡単には割り切れぬ。勝て!行かせてやるんだから、勝ってこい!!

 

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