1099「詩吟の研修会で石和温泉」(92()雨時々曇り3日(月)晴れ4日(火)晴れ)

 

詩吟の霞穂流研修会で、石和温泉に2泊してきた。20数名が参加。早稲田教室、荻窪教室に加え、親交のある流派、諸先生、さらに剣舞の教室の人たちも加わっているようだ。

研修旅行と言っても親善旅行のようなもの。旅館から回してくれた小さめの車に乗り込み、わいわいがやがや。

旅館は、石和駅前の大旅館「慶山」。インターネットで石和では抜群の得点を出している。

23日新宿からの送り迎え付、3食付、研修所や宴会場すべて提供で2万円余り。なかなか経済的。朝、A氏とホテル前を流れる川沿いに歩いた。川は笛吹川に合流し、その笛吹川はやがて富士川に合流し太平洋に向かうらしい。川沿いの道は市民の格好の散歩コースになっているようだが、道を隔てて巨大旅館が林立している。競争ははげしそう。昭和36年ころ、それまで田舎の畑であった村に突如として地中から熱いお湯が噴出し、それがもとになって発展してきた石和温泉・・・・・随分変わったものである。

幹事が金を使わぬ余興をといろいろ考えてくれた。行きはホテルそばの水晶、トルマリンの製造工場、ワイン工場の見学試飲、帰りは信玄餅の工場、恵林寺に日本酒蔵元「笹一」。

トルマリンというのは血流を良くし、肩こりなどによいという・・・・。

後学のためにウイキペデイアで調べたことを書いておく。わかりにくい鉱物だが

「和名を電気石と呼び、その両端にプラスとマイナスの電極を持ち加熱すると静電気を帯びる。様々な成分元素が混ざり合い、複雑な組成をした珪酸塩鉱物を総称、アクロアイト、ルベライト、インデイゴライトなど5分類13種類からなるグループ名で、1つの鉱物としては最多のカラーバリエーションを持つ石。含まれる成分によって、分類される。」

ブラジルなど海外で他の鉱物に交じって産出されるのでそれを取り出して加工する。ただしウイキペデイアには次のようにあった。「トルマリンがマイナスイオンを発生し精神的、肉体的にリラックス、リフレッシュさせる。その他にもトルマリンは遠赤外線を放出する、有害な電磁波を吸い取るなどとされ、ブレスレット、枕、風呂にいれるパワーストーンなどが販売されているが、科学的には何の根拠もなく、疑似科学の域である。悪質な霊感商法として販売される場合もあるので、購入時には注意が必要である。」本当のところは・・・・わからぬ。

恵林寺は、1330年夢窓疎石開山の禅宗の寺であるが、1582年織田信忠に責められ火をかけられたとき、快川和尚が「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と一喝した寺。受験時代に、タヌキみたいな数学の教師が、この言葉を引き合いにだし、心を集中して勉強しろ、と言われたことを思い出す。

肝心の研修は二日目であった。

午前中プロになったB先生のもとで発声練習などした後、テキストに従い、季節の詩を次々に先生が歌って見せ、弟子たちが会わせるという様子。

春は「江南の春」、「胡隠君を尋ぬ」、「時に憩う」夏は「初夏の即事」、「望湖楼酔書」秋は「静夜思」、「峨眉山月の歌」冬は「雪梅」「舟大垣を発し桑名に赴く」であった。なんとなく「望湖楼酔書」が気に入った。チャンスがあったら練習してみたい。テキストは回しの部分も音階が挿入されていてわかりやすい。

午后は個人個人で吟を披露。私は「海南行」午前中に渡されたテキストに従い、少々変えて吟じる。「人生五十、功なきをはず・・・・。」よほど「人生七十功なきを恥ず」と歌おうと思ったがやめにした。仲間のCさんが、随分上手になっているように感じた。少少さをつけられた感じであせる。

この後から夜にかけて、剣舞、美空ひばり風の踊りなどが披露された。皆さん熱心。仲間内の旅行であるのに、羽織袴に剣に槍等小道具も準備し怠りない。Dさんは私と同年配のお嬢さん、いや元お嬢さんだが、美空ひばりの追っかけ。ひばりの歌に合わせて踊るのだが、何とも言えぬ流し目を披露した。私の詩吟を指導しているE先生の「不識庵機山に題す」通称川中島の剣舞もなかなか決まっていた。

これに初日はカラオケ、二日目はビンゴなども加わりたいそうにぎやか。九十になられたかどうか知らぬが、家元のお母さまがたいそう元気、「命くれない」など歌われていた。ただし私は、自身のカラオケが不評で、あまり書く気がしない。音楽の女神は、私を徹底的に無視しているらしい。

全体、幹事の方々の努力に感謝するばかり。帰りに誰かが言っていた。「楽しかった。来年元気だったら、又参加したい。」私も同様。

 

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読者からのメール(1)

昭和19年12月〜昭和23年3月まで、知人の紹介で、石和の奥の富士見村と言うところへ疎開していました。そんなことがあって石和は何となく懐かしい地名です。

当時の石和は何もない、それこそ田畑が広がっている農村地帯でした。当時は桃畑などなく、稲作と葡萄それに桑(お蚕)が盛んでした。特に記憶に残っているのは桑の実を口を真っ赤に染め食べたことです、当時甘いものが無く桑の実の甘さはご馳走でした。それから田んぼで田螺をとりゼイ分食べた物です。今食べたいと思っても、市場にはなく子供心に懐かしい食べ物でした。

昭和20年3月頃だと思いますが、甲府がB−29の爆撃に会い、空が真っ赤になるほど燃え盛りました。翌日甲府の「岡島」というデパートに行って焼けて膨らんだ缶詰を拾ってきて食べました。それから笛吹川で「ビンブセ(一升ビンの底が内側に入り、魚が入って出られない漁具)で小魚を取り良く食べました。当時は食糧難でこんな話になりましたが、私にとっては懐かしい時代です。

それにしても石和は変わりました。

読者からのメール(2)

石和温泉。昭和になってから笛吹川で突然温泉が出た。それで開けた土地、うまいものとて特に無く、魚も無い。
30年くらい前に泊まったときは、家族旅行だったのだが、隣の部屋の客が出張ストリップを呼んでいた。踊り子と照明役、マネジャーみたいなのと3人一組で出張してくる。
そんなのが目的だった客が多かったようだが、いまは高尚になつていますね。