1100「「病が語る日本史」を読む」(9月9日(日)晴れ)
歴史を考える上で病気との関連がかかせないが、つい見落とされがちである。この書は日本人の病で歴史を見つめたもの。著者酒井シズは順天堂大学の先生で医者の立場からよく見ている。
318pにある平均寿命の話、まさに医学の進歩により伸びたのである。
江戸時代 飛騨高山地方の調査 1771-1870 男27.8歳、女 28.6歳
信州諏訪地方の2歳の子が何歳までるか、という調査
1671-1715 男 36.8歳 女 29.0歳 1726-1775 男 42.7歳 女 44.0歳
(明治になってから平均寿命の統計を取るようになった。)
明治24年(1891) 男 42歳代、女44歳代
昭和10年(1935) 男 46.92歳、女 49.63歳
昭和20年(1941 太平洋戦争末期) 男 23.9歳 女37.5歳
昭和22年 50歳代 昭和26年 60歳代 昭和46年 70歳代
昭和60年 男 74.78歳、女 80.48歳 世界一の長寿
平成12年 男 77.64歳、女 84.62歳
第一部は「病の記録」、骨や土を通じて古代人の病が分かる。それらの一通りの解説の後、日本の歴史の中で病がどのような影響を与えたかを述べる。たとえば天平時代には痘瘡が大流行し、例えば権力の座にあった藤原4兄弟が次々なくなるなどした。道長の糖尿病なども知られている。平清盛の病はマラリアであった、という説もある。
第二部は「時代を映す病」、癌は明治時代になるまで診断できなかった。しかし明らかに癌で亡くなった歴史上の人物がいる。
武田信玄は、京都を目指して大遠征の途中、不意に進軍をやめ、伊那駒場という田舎で生涯をとした。「隔を煩い・・・・」との記述があり、老咳であればその兆候が表れるはずだが、その様子もないため、胃がんであったと診断している。
江戸時代の蘭医ボンペは日本に眼病が多いことに驚いている。多くは結膜炎など目の治療を全く知らぬことから来たものだ。明治になってからもトラコーマが大流行した時があった。これは戦後に成ってようやく予防法が徹底され、生活環境が変わったことで減少してきている。
人々は風邪ですら苦しんだ。江戸時代ともなれば外国からインフルエンザがもたらされ、大流行した。享保18年の大流行では一か月で死者8万人を超え、棺桶が足りず空の酒樽に死骸をいれ、品川沖からながした。人々がやることと言えば「藁で疫紙を作り、鉦太鼓をならし、はやしつれて海辺に至る。」くらいであったとか。
ハンセン(らい)病は光明皇后の頃からの郷病であった。伝染病と考えられて、極端な隔離政策がとられた。しかし1975年まで死亡率のトップであった結核に比べても極端に弱い。
脚気は今でこそまれだが、長い間日本特有の病気であった。原因はビタミンB1の欠乏によるもので米飯に頼りすぎた食事が原因であった。三代将軍家光は脚気に悩まされ、いらいらし、しばしば治せぬ医師に八つ当たりしている。日本の軍隊もこれに悩まされ海軍は高木兼寛、陸軍は森鴎外がそれぞれ検討結果を出している。
コレラは、世界の流行に合わせて流行した。安政の大流行は上海から長崎に入港していたミシシッピ号の船員が持っていたらしいが、流行の波は江戸にまで及んだ。生鮮食品の流通禁止などいくつかの対策をとったこともあって、幸いなことに江戸でとまった。
梅毒はもともとアメリカの病気である。梅毒検査は開国後にイギリスに求められて開設された。1910年にサルバル酸が発見されてようやく対策が講じられるようになった。
日本人最初の職業病は奈良の大仏造営の際に起こったのではないか、と著者は言う。めっきの銅を溶かすために多量の水銀が使われていたらしい。密閉空間での作業となれば多くの罹災者が出たはずだが、記録には残っていない。
第三部は「変わる病気像」、かって、癌の病名がなかったが、明治になってはっきりと癌が増えてきた。岩倉具視はベルツ博士等の見守る中、食道がんで亡くなった。後を託そうと欧州の伊東博文を呼び寄せようとしたが間に合わなかった。中江兆民も食道癌であった。
結核は先史時代から人類を苦しめてきた。源氏物語紫の上などもそのようであった。感染性が高く家族が見守る場合が多かった。女工哀史や徳富蘆花の不如帰の主人公の病も同じであった。しかし不思議にロマンチックな病気を描かれた。樋口一葉、正岡子規等々。
ペストは1899年に日本に初めて上陸。北里博士等の研究で病原菌が発見されるが、何回か流行し、ネズミ退治など奔走することとなった。
・・・・・最近書店店頭に山積されている本の中では最高の部類の一冊と思う。お薦め!
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